第619話 取引の代償
アルドレットクロウの一軍PTであるステファニーたちは朝から170階層に挑み、全滅を挟んだ二度目でようやく骸骨船長をしょぼくれた案山子のように俯かせることに成功していた。
『てめぇらの旅路に、絶望があることを祈るぜ』
「きぃやえぇぇぇ!!」
そんな骸骨船長の呪言に、大剣士のラルケは狂気の声を漏らしながら斬りかかった。そして真っ二つになった骸骨船長の頭蓋骨やあばら骨をこれでもかと踏みつけて砕く。
「おまえの! せいで! わたしが! どれだけ、絶望したか!? わかるかぁぁぁ!?」
今でこそ神の眼も忘れて狂喜乱舞している大剣士のラルケだが、数ヶ月前まではいつか一桁台に映りたいと夢見るそこら辺にいるような中堅探索者だった。
そんな彼女の転機は、努がばら撒いた深淵階層用の刻印装備を強かに利用するかしないかで悩んだまま先送りにしていたことから始まった。
ギルドが主催した孤高階層での紅白合戦イベントの報酬として努から配られた、深淵階層用の刻印装備。それを他の探索者に転売したり貸し付けるのは出来るだけ控えて下さいねー、と努からは神台で軽く告知されてはいた。
とはいえ天空階層まで辿り着いた探索者にとってクリティカルや即死半減の刻印装備は不要となり、後進の探索者でその装備を欲しがる者は多くいた。それにアルドレット工房に賭けていた中堅探索者たちは、その刻印装備を貸すだけでも大金を出すと申し出た。
刻印装備をこのまま腐らせておくのはツトムも望まないのではないか、後輩のために譲るのが探索者としては正しいのではないか。そこまで強く止めていたわけでもない。様々な言い分こそあったが結局のところは金や名誉を満たすために、その刻印装備を巡る取引は活発に行われていた。
ラルケとしてもツトム配布の刻印装備を利用して大分羽振りが良くなった同期を見て羨ましいとは思ったが、目新しい天空階層の攻略にかまけてマジックバッグの肥やしにしていた。
「ラルケさん、ウルフォディアの攻略に役立つ刻印装備に興味ありませんか?」
そんなある日、ラルケはギルドの奥まった部屋に突然呼び出されて努から声をかけられた。配布していた刻印装備の転売や貸付をせず、尚且つ一定の実力があると努が認めた中堅探索者に限った上での取引。
特別なお客様にだけにお知らせしているのですが、なんて枕詞は詐欺の常套句だ。しかもそれを囁いているのはアルドレット工房が目の敵にしていると噂なあのツトムである。
だがツトムの作った刻印装備の力を既に思い知っていたラルケは、光に吸い寄せられる虫のように興味を持たざるを得なかった。そしてステータスこそ下がるがウルフォディアの浄化を無効化するという呪寄装備を前に、心臓の鼓動が早まった。
「最前線とやらが馬鹿みたいな時間をかけて攻略してる天空階層、堕としません?」
「…………」
目を線のように細めて笑いながら囁くツトムは、おとぎ話に出てくる悪魔みたいだった。そんな悪魔に頼った人物はその力に溺れ、
だが、悪魔でも何でもいいからこの環境を壊してくれないかと願ったことはラルケにもあった。
ほとんど入れ替わりのない最前線のメンバーに、最近の探索者は情けないと迷宮マニアから投げかけられる日々。スポンサーは上位の神台を独占している最前線組に集中し、それ以下の者たちはスタンピードでいなくなった時のおこぼれを貰うのに必死だ。それに箸もかからなければ外のダンジョンでモンスターの素材納品に回される。
いくら大剣士として研鑽を積んだところで、ユニークスキル持ちでもなければ最前線に食い込むのはもう不可能ではないか? これなら自分も深夜の神台なり、グループアイドルなりに転進した方がまだ先の展望はあるだろう。
自分が夢見たのはアーミラやカミーユみたいな大剣士だ。だが自分にはユニークスキルがない。だからこそ何か強みを見つけるために一刀波というスキルを中心にした立ち回りなどをしているものの、曲芸レベルと評されるだけだった。
探索者としての実力はもう嫌というほど磨き上げたが、神の眼に見初められることはない。スタンピードの時だけ腹ペコの雛のように臨時スポンサーへと群がり、外のダンジョンでモンスターを解体する技術だけが上がっていく日々にラルケは虚しさを覚えていた。
「一刀波、あれだけ大振り出来るならもっと精神力込めても面白そうですよね。それに至近距離で打って二撃当てるのも敢えて狙ってますよね?」
「……!!」
神がこちらに目もくれないのなら、自分と対峙して提案してくれる悪魔の方がいい。呪寄装備の他にも自分の立ち回りに合わせた大剣士用の刻印装備を用意してくれた努の心意気に、ラルケは心を鷲掴みにされた。
それにアルドレットクロウには他にもルーク、セレン、ドルトン、キサラギなど努と取引した中堅探索者は多かった。そんな者たちとPTを組んでラルケは天空階層をも怒涛の勢いで更新し、あのウルフォディアの突破にまで至った。
「いちっ!? 私が、一軍……?」
そしてあれよあれよと一軍に大抜擢された彼女は、何度起きてもこれは夢かと思った。ウリボアの解体に勤しんでいた自分が、今では一桁台に映りスポンサーもついている。本当に夢みたいな日々だった。宝煌龍という名を口にするまでは。
「ごめっ、ごめんなさい……」
その一言を切っ掛けに骸骨船長との関係値は最悪となり、他のPTと比べて浮島階層の難易度が明らかに上がった。よりにもよって一桁台に映っていた時の迂闊な発言に、彼女はPTメンバーに謝ることしか出来なかった。
「これは、面白くなってきましたわね?」
「どちらにせよ突破するだけ」
ただラルケにとって救いだったのは世間からは非難轟々であったものの、当のPTメンバーは本当に気にしていないことだった。ステファニーは女神みたいな笑顔を深め、ディニエルはどこ吹く風だった。
「流石、底辺から一軍に抜擢されるような器だな。尻拭いは得意だろ? ビットマン」
「気にするな、ラルケ」
「す、すみません……」
「その器に足り得るよう、精々足掻くといい。実力はまだ半分も満たされていないだろうが」
結果としてラルケは、減らず口なポルクの言う通りになった。そのやらかしを何とかして挽回するべく異常なまでの追い込みを見せ、僅かにでも押されれば死にそうな彼女をアルドレットクロウは情報を遮断して守った。
モンスターと至近距離で一刀波を発動して斬撃を持ったまま斬り付け、振り下ろすことで更に飛ばす二撃のスキル。それと曲芸のように飛び上がり幕を割くように放つ大振りの一刀波。
それに努が作成した一刀波OTP刻印装備も合わさることで、ラルケは独自の大剣士としてその才能を開花させていた。だが急激に育ったその花は強化された170階層主という嵐こそ乗り越えたものの、既に萎れ始めていた。
「やーめた! 探索者やーめた! いっち抜けたっ!!」
上位の神台に映れば全てが上手くいくんだとラルケは思っていた。だが実際にこの立場に立った感想としては割に合わないとしか思わなかった。
数多くの観衆の目に晒されながら探索活動をするだけでも精神は擦り減り、何かミスを犯せば誹謗中傷は当たり前。そんな場所でも虎視眈々と狙う下の者たちの突き上げは止まらず、探索の間に研鑽を重ねるしかない。
そんな中で宝煌龍の名を口にしてしまったラルケからすれば、突然数億の借金を抱えさせられたに等しかった。それを返すためだけに死に物狂いで戦い抜いた。だからもうこの重すぎるプレッシャーから解放してくれ。今の心情としてはそれに尽きた。
「ヒール、メディック」
飛行船の床板に刺さった大剣に縋りついて嘆いているラルケ。そんな彼女にステファニーは両手に緑の気を纏わせて近づいた。
「ラルケ、まだ降りることは許されませんわよ?」
そして頬を両手で押さえつけて治療してくるステファニーの言葉に、ラルケは呆然と目を見開く。
「な、んで……?」
「確かに貴女は私たちやアルドレットクロウに借りを返したと思います。アタッカーとして見事な活躍でした」
「ならっ……!」
「ですが、ツトム様はそうはいきませんよ?」
ステファニーはそう言って彼女の持つ大剣を指でなぞった後、その刻印装備を妬まし気に掴んでラルケを眼前に引き寄せた。骸骨船長を怒らせても女神みたいな笑みを浮かべていた彼女とは思えない凄みに、ラルケの目から大粒の涙が零れる。
「これは貴女には到底見合わない物です。それを授けて下さったツトム様への借りを、これで返したとでも?」
「あぁ……あぁ……!」
悪魔の手を取って富を得たところでハッピーエンド、なんてことは有り得ない。その摂理にラルケは絶望の涙を流した。
「さぁ、理解したならお立ちなさい。帝階層の攻略に移りますわよ」
「はい……」
だが悪魔と取引を交わしてしまった後でもハッピーエンドを目指すために、ラルケはステファニーの手を取った。そんな二人をディニエルたちは遠巻きに眺めている。
「カルト宗教のやり口に近い」
「退路を断って追い詰めたところで、救済の手を差し伸べる形か。追い詰めたのは何処の誰なんだか」
「キョウタニツトムと、その一派」
「ツトムも、まさかあぁなるとは思ってないんじゃないか……?」
そんな一派二人に、ディニエルたちの声が届くことはなかった。
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