第589話 本当にみんなやってるんですか?

「……随分と豪遊しているな?」



 ギルド第二支部にある食堂で努がバニラアイスにフルーツブランデーをかけたものを召し上がっていると、カミーユは空のコーヒーカップを見下ろしながら声を掛けた。それにスプーンを咥えながら目で応じた彼は、どうぞどうぞと着席を促した。



「ここは洒落てるやつもあっていいですね。貨幣も魔貨統一なんで足下見られてる感じもなくなりましたし」

「お陰様でな。しかし朝から優雅にデザート三昧とは、随分と暇になったものだな?」



 カミーユはそう皮肉げに言いながら、既に魔貨で購入した食券をテーブルの上に置いて着席する。それに努は心外なとアイスクリームをすぐに飲み込んだ。



「ようやくまともな休日が来たってだけですよ。もう刻印したくないし、中堅の探索者たちと関わるのもお腹一杯です。しばらくは引きこもりまーす」



 ウルフォディアを突破できない元最前線組が根こそぎ帝都へ遠征に行ったことで、今も上位台に映っている中堅探索者たちがすぐに逆転されるという芽も摘まれた。なので努の中堅探索者たちへの刻印装備サポートもようやく終わり、先日それを告げてきたところだ。


 中堅探索者たちはそれを残念がったが、無理に引き留めることはしなかった。努が身銭を切って赤字状態であることは誰もが想像できたし、彼が最前線組や生産職のヘイトを一手に持ってくれたからこそ伸び伸びと活動ができたことも理解していた。



「私も探索者から色々と聞き及んでいたが、お互いに随分と入れ込んでいたようじゃないか。刻印装備の融通以外にも色々手を回していたんだろう?」

「他は暇つぶしに同業者として話聞くくらいでしたよ。あとはちょっとした各種族のヒール実験には付き合ってもらいましたけど」

「またステファニーみたいになっても知らんぞ?」

「……あれ、もしかして僕にも原因あります?」

「だろうな。詳しくは二階で話そうか?」



 カミーユは飲み物が席に届けられたタイミングで二階を指差し、努をギルド長室へと誘導した。それに彼はおかわりの珈琲を貰いつつ付いていく。その通りすがりで紺色の制服を着た警備団員に会釈し、白魔導士により対獣人用の防音が済まされたギルド長室へと足を踏み入れる。



「わざわざ白魔導士常駐してるんですか?」

「あれは私服の警備団だよ。ズブズブの誰かさんには協力的だからな」

「ならオルファンの時から融通して欲しかったもんですね。……にしても豪華になりましたね。普通に生活は出来るんじゃないですか?」



 ギルド長室は以前と比べるとかなり上等な会議室のような内装になっていて、まだ奥の部屋まである有様だ。スタンピードが起きた側の土地で価値が暴落していたとはいえ、その広大な土地面積と大企業によって建てられた豪華な上物には驚くばかりである。



「で、アルクロはまだしもどうしてロイドまで帝都への遠征に付いて行ったんですか?」



 たまたま今日は空いていたとカミーユが言っていたとはいえ、ギルド長がそこまで暇なわけもない。彼女の対面に座りコーヒーカップを机の上に置いた努は、早速本題に入った。



「詳しいことまではわからないが、帝都の状況がロイドにとって不測の事態であることは確かだろうな。魔貨の価値確立は彼の至上命題のはずだが、それを他人任せにしてでも帝都に行かなければならないほどの理由があったらしい」

「そこまで故郷思いにも思えないんですけど」

「いくら帝都にある神のダンジョンが遅れているとはいえ、ミナが絡んだところでスタンピード如きが脅威になるとは思えん。じゃあ何かと聞かれると私は返答出来かねるが」

「ま、神関連でしょうね。ロイドが帝都の神のダンジョン100階層初攻略者なら、僕と同じように何らかの接触があってもおかしくはないですし」



 ロイドは自分と同じように異世界出身ではないにせよ、迷宮都市より後から出現した神のダンジョンにも初の100階層突破者には何かしらの特典はあったのだろう。


 その特典か何かは知らないが、ギルド長であるカミーユは恐らくその恩恵に預かっている。でなければギルド第二支部で突然高品質な神台やら、複数の黒門や魔法陣が作成できた説明がつかない。


 そんな努の推理を聞いていたカミーユは、肯定とも否定とも取れない涼しい顔で炭酸水を飲んでいる。



(そうなると迷宮都市と帝都の神のダンジョン、同じ神運営じゃないな? でも僕の帰還条件に帝都のダンジョンも絡んでたらしいし、そういう条件付けが出来るほど下の位みたいな扱いなのかね。それなら協力してこっちの神運営引きずり出せる余地はあるか)



 進化ジョブの仕様や神のダンジョン内の禁忌などが違うとはいえ、レベルやジョブは共通しているので絶対に関係はしている。だが現地にいたエイミーから聞いた一時代古いような不便さからして、帝都のダンジョンを運営している神はシステムだけは同じで予算の少ない子会社のような扱いなのかもしれない。



「その辺りの事情を私の口から言うわけにはいかないが、こちらでツトムが有利になるような前交渉は済ませておく。カードの切りどころは慎重にな」

「……そこまで言ってくれるならもう勿体ぶらずに情報出してくれません?」

「ロイドの詳しい情報は口外しない契約だからな。それにツトムだってそんなに私の口が軽かったら困るだろう?」

「そりゃそうですけどね」



 だが遠征したロイドが数十日後に帰ってきてギルドとの前交渉が終わるまで焦らされるのも、努からすれば微妙なところだ。なので彼は思いついたように口を開く。



「そういえば、竜人と神竜人って何か身体構造の違いってあるんですか?」

「……? 大差ないと思うぞ? 竜人たちが言うには厳かな雰囲気が確かに感じられるらしいが、特別何か変わっていることはない。龍化でもすれば別だが」

「最近ヘッドマッサージに凝ってるんで、よければ受けてみません? 神竜人にはしたことないので何か変わるのか気になるんですよね」



 ダンジョンの神に関する高尚な話から一転して突拍子もない話題に飛び、カミーユは狐に化かされたような顔をしている。そしてゴマでも擦るように背後へ回ってきた努を目だけで怪しげに見やる。



「なんだ、搦め手でも仕掛けてくれるつもりか? しかしギルド長がその程度で与するなんて思われるとは、随分と舐められたものだな」

「先に舐めてきたのはそっちでしょうが。お陰様でコリナからの信頼が地に落ちたんですけど? エリアヒール、ヒール」



 頑張って怒ってきたコリナを場違いに思い出しながら、努は施術の準備でもするように緑色の気を展開してそれを指先に集中させた。そしてカミーユの長い赤髪を掻き分けて頭皮に指を這わす。



「……探索者たちが言ってたのは、これか」

「刻印士の次は施術士で一山当てますかね」 

「これなら私も通うな。身内限定で開業してくれ」



 ゼノ工房や中堅探索者たちに実験がてら24時間働けますかヘッドマッサージをしていた努は、その成果を存分に発揮した。頭だけがそのまま天に召されてしまうような心地良さ。そしてその手が徐々にうなじを通って首の赤い鱗に迫ると、彼女の肌は期待するようにぶるりと震えた。



「ちょっとでいいんで、教えてくれませんかねー」

「……はぁ。金と快楽で身を持ち崩す愚かな探索者を何人この目で見てきたと思っている。欠片も言うわけがないだろう」



 確かに努の施術は恐ろしいほど心地良くはあったが、その程度でおいそれと口を滑らせるほど甘っちょろいわけではない。カミーユはそれ以上の言動は冗談で済まないとわからせるような声で告げた。彼が触れているのが龍の首であることを自覚させるように。



「えー?」



 だが努はそんな威圧にも甘えるように返しながら、その首をハープでも扱うようになぞった。そんな想像もしていなかった彼の態度と手玉に取られてしまいそうな手技に、カミーユはだんだんと汗ばんできた。



「ツ、ツトム? もしかして酔ってるのか?」

「ちょっとアルコールは入ってましたけど、酔うほどじゃないですよ」

「……わかった! まずはコリナの前で悪ふざけをしたことを謝ろう! な? 私が悪かったよ。ツトムの行いを軽んじるような真似だった!」

「ですよねー。僕も金と快楽でなびくような真似はしてないんですよ。それをコリナにこいつなびく奴なんだ……って思われたのは癪でした」



 うんうんと頷きながら首にかけて肩を揉み始めた努の手は、カミーユの汗で少し濡れていた。そのことを自覚した彼女は耳まで赤くしながら身じろぎしてその手から逃れようとはしている。だが無理に離れることもしなかった。



「流石にロイドのことまでは言えないが、事前交渉はその分頑張っちゃおうかな!! それで手を売ってはくれないか!」

「おぉー」

「…………」

「…………」



 感心するように努は相槌を打ったものの、未だにその手が止まることはない。そして肩を揉んでいた手がそのまま上着でも脱がすかのようにするりと落ちた。



「はい、おしまいです。お疲れ様でしたー」

「…………」



 にこやかにそう宣言して一歩離れた努を、カミーユは思わせぶりな受付嬢でも見るような目でねめつけた。



「……こういうことを、中堅探索者の女性たちにもしていたというわけか。道理で信者みたいになっていたわけだ」

「人にもよりますけど、ここまでえっちな感じには一人もやってませんよ。それに女性には半分くらい断られてたんで、主な実験対象は野郎でしたよ」

「いや、本当にえっちな感じだったんだな!! 私の気のせいじゃなかった!!」

「古参の探索者に脅されたらあぁやって誤魔化すしかないなと思ったんですよ。いやー怖かった」



 撫でていたら突然毛を逆立てて牙を剥いたフェンリルのようなものだったので、そうなったらもう尻尾の付け根を全力で叩くほかなかった。そんな弁明にカミーユは露骨に残念そうなため息をつく。



「大した気もないのにそうやって期待させるような素振りを見せるのはよろしくないな」

「あー……」



 がっくりと肩を落としながらそう忠告した彼女に、努は考えるように上を向く。



「確かに三年前まではどうせ帰るつもりだったんで避けてましたけど、今となってはこの世界に骨を埋める覚悟もしましたしねー。前と違って一切そういう気がないわけではないですよ?」

「……え?」



 そんな彼の素朴な答えにカミーユは目を丸くする他なかった。そしてつまるところどうなのかと答えを催促しようとした時、努はやらかしたような顔で口へ手を当てた。



「あ、でも探索者関連の人とどうこうなるつもりはないですよ? 多分、探索活動が一段落ついたら適当な人と結婚でもするんじゃないですかね」

「…………」

「……じゃ、そういうことで」

「おい待てコラ」



 その問答から少し経つとバリアの割れる音に派手な破壊音が続いて響き、外にいた警備団員は慌てて中に突入した。


 だがそこには外回りでたまに見かける男女のもつれみたいな現場が広がるばかりだった。そして暴れるギルド長を警備団員数人がかりで何とかして押さえ、服を破かれた努は保護された。

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