第564話 恨みっこなし

「模擬戦? ……何やら裏がありそうだねぇー」



 早朝のガルム訓練には参加せずクランハウスの庭でハンナと柔軟を兼ねた瞑想をしていたエイミーは、努の提案に白眉を訝しげに上げた。そんな彼女の横で玄関から靴を脱がずに何とかして忘れ物を取るような体勢をキープしていたハンナは、飛び跳ねるように身体を起こす。



「ならあたしが付き合ってあげてもいいっすよ!」

「ハンナは加減を知らないから嫌だよ」

「あー、なるほど。じゃあせっかくの頼みだしお付き合いしてあげるよ、お付き合い」



 胡坐をかくような形で股割りをしていたエイミーは、また以前のような優しめの対人練習か何かだと思い軽やかに立ち上がる。



「場所はダンジョン内にする?」

「そうだね。だからといって殺す気で来られるのは困るけど」

「わかってますとも。じゃあご飯食べたら早めにギルド行こっか?」

「よろしく」



 エイミーとそんな約束を交わした努は、拗ね顔のハンナに模擬戦の見学と指南をお願いした。すると彼女はみるみるうちに機嫌を直し鼻歌混じりでクランハウスのリビングへと向かっていった。


 そして努、エイミー、ガルム、ハンナの四人は他の者よりも早めに探索支度を終え、ギルドへと向かった。



「ガルムの盾でバッってやるやつ、いいっすよねー。あたしも進化ジョブああいうのが良かったっす」

「進化ジョブを一度も使わずにここまで階層が上がっているのがおかしいのだがな」

「一回試してはみたっすけど、あたしにバッファー? は無理っすよー。頭回らないっす」



 ギルドの受付に並ぶガルムを隣から見上げているハンナは、その身長差もあってかキリンでも見るように顔を上向かせている。



「エイミーも進化ジョブデバッファーっぽいけど、最近は使ってる?」

「精神力回復するだけでも大きいしね。ま、やれないこともないよ」



 元々ヒーラーの努に合わせて感覚で支援スキルの秒数把握までしていたエイミーなら、デバッファーもこなせなくはない。これから使い慣れていけば双剣士としての伸びしろがあるだろう。



「朝刊のユニス見た?」

「なんかめっちゃ叱られてたらしいね」

「器用なくせして変なところでコケるのは相変わらずだね。それもコケ方が派手で凄いんだよね」



 そんな彼女と軽い雑談をしながらPT契約を済ませて魔法陣に乗り、森階層へと転移する。


 森階層は中央に存在する巨大樹の内部に必ずセーフポイントがあるのでわかりやすく、神のダンジョン内での戦闘訓練においては使われやすい階層だ。特に警備団などが好んで使うのでたまにぞろぞろとギルドに並んでいる光景も見られる。



「あれ、神の眼なし?」

「神の眼あるとエイミーやる気出しそうだし。フライ」



 ただ最近は探索以外の映像も需要が高い昨今の神台市場では模擬戦の風景も歓迎されるため、今は天空階層で対人訓練を行うのが流行りである。なので拍子抜けしたような顔をしているエイミーとハンナに努はフライを付与する。



「それに、無限の輪最弱の僕にエイミーが負かされる映像を届けるのもどうかと思うしね」

「……?」



 そんな努の発した言葉の意味をそのまま受け取らないように、エイミーはゆっくりと小首を傾げた。だがいくら咀嚼したところで小馬鹿にしたような発言にしか受け取れず、当人の彼も何処か侮るような表情をしている。


 そしてその言葉に何か裏があるわけでもないと思ったエイミーの瞳はアーモンド型に絞られていき、背後の白い尻尾は膨張したように逆立った。



「へぇー。ツトムがそれだけ大口叩くってことは、私に勝てる算段でもあるんだ?」

「まぁね」

「ユニスみたいに大コケしても知らないよ?」

「そうはならないと思うけど」



 そう皮肉げに返した努は巨大樹に向かって空を飛んでいき、ガルムも見下したような視線をくれた後それに続いた。そんな二人の会話を聞いていたハンナはわくわくといった様子で青翼を動かしている。



「随分と舐められてるっすね?」

「……ふーっ」



 努は自分が痛い目に遭いたくもなければ、人に攻撃スキルを向けるのも躊躇するような精神性の持ち主である。オルファン対策での対人訓練に付き合った際それを再認識していたエイミーは、落ち着くように低く息を吐いた。



「まぁ、戦ってみればわかるか」



 色々と思うことはあるがそれは一旦飲み込んだエイミーは、からかうように見つめてくるハンナの脇腹をくすぐった後に巨大樹の方へと飛んだ。



「距離はこのくらいでいい?」

「いいんじゃない? 天空階層のあれと同じくらいだし」



 セーフポイントに着いてからは戦闘時の初期位置など模擬戦のルールについて努とエイミーはいくつか確認した後、宣誓のために近寄る。



「変に痛めつけるまではしないけど、さっきの発言の責任分くらいは許容範囲だよね? 今、撤回するなら前みたいに手心を加えてあげるけど?」

「多少は本気でやってもらわないと参考にならないからね。エイミー倒せるならアーミラもいけそうとか、そういう基準にもしたいし」



 発言の撤回をしないどころか呑気そうにのたまう努に、エイミーはこれで心残りがなくなったとにっこりした。



「……宣誓。ガルムが乱入してくるまでに泣かせます」

「宣誓。恨みっこなしで」



 お互いにセーフポイントでの宣誓を交わして距離を離し、立会人のガルムが剣を宙に放る。それが地面に触れて模擬戦の火蓋が切って落とされた。



「アンチテーゼ、ハイヒール」

「双波斬」



 元々進化ジョブに設定していた努は即座に赤い気を壁のように展開し、エイミーは足元にブーメランでも放るような低姿勢で斬撃を放つ。



(あー消えないんだ。警備団のパラライズとかに近い感じか)



 双波斬をすり抜けた赤いヒールは多少散ったものの、他の攻撃スキルなどと違い相殺することがない。警備団に数多く在籍している状態異常で罪人を拘束するデバッファーに近いものを感じ取ったエイミーは、努を中心に旋回して様子を窺う。



「ヒール」

「ブースト」



 そんなエイミーの進行方向に突如として現れた置くヒール。それを彼女はスキルによる強制的な動きによって回避し、狙いを付けられないよう走り続ける。



「双波斬、双波斬、双波斬」



 最悪死んでも構わない威力を込めた、目にも止まらぬ三斬撃。だが事前に張っている薄いヒールの膜でその挙動を察した努は宙に浮かびながらするすると避けていく。



「ハイヒール」

「っ! ブースト、ブースト」



 そんな彼から撃ち出された弾丸のような赤い気を、エイミーは身体を空中で捻って避けた。そしてその隙を狙いつけて置かれたヒールを踏まないよう、スキルの挙動で位置をズラして着地する。



(普段の支援回復してる感じで攻撃してくると。それに今までみたいに攻撃を怖がってる素振りもなし。確かにこれなら丸まるだけの亀さんからは卒業だね)



 努の対人戦は自身の被弾を極端に恐れることもそうだが、何よりも有効的な攻撃スキルを相手に放てないのが致命的だった。ヒーラーとしては神憑り的な強さを見せるのに、対人戦になるとまるで武器を初めて持った王都の箱入り娘みたいな立ち回りになる。


 だが先のオルファン戦とアンチテーゼによってそれが解消されたのか、今の彼が放つスキルには相手を倒すという気概が感じられる。普段の目に見えない気遣いのような支援回復が反転し、自分を害そうと迫ってくる。



(これの威力がわからないのもなー。神台で食らってるモンスター見た感じ、遅効性の毒っぽいから突っ込んでもいいんだけど……)



 付与術士のスキルもその当人が死んでしまえば解除されるため、被弾覚悟の短期決戦を狙うのも悪い手ではない。


 ただそれを見越したからこそ、努は戦闘前に珍しくあれだけ煽ってきたと推測も出来る。


 アンチテーゼを自分の身体がどれだけ耐えられるのかは知る由もない。それこそエクスヒールでも食らえば一撃なのかもしれないし、実際は何発か耐えられるかもしれない。



(……ツトムならやりそうなもんだよなー。あれも作戦のうちか)



 恐らく努は既にガルムでアンチテーゼが対人でどれだけの威力を持つのか検証を済ませている。VITの低い双剣士ならば仕留められると計算したからこそ、自分が短期決戦を仕掛けるよう事前に仕向けてきた。



「岩割刃」



 ならば同じような戦闘法をしてくる警備団を想定した立ち回りをするまでと、エイミーは双剣を地面に突き立てた。そのまま白線でも引くようにして地面に切り込みを入れ、巨大樹の内部にある苔を引っぺがす。



「んにゃー!!」



 それをちゃぶ台でも返すように探索者特有の力で投げ飛ばすと、その苔は膜のように張られていた赤いヒールを飲み込んだ。


 状態異常系の攻撃スキルは双波斬などで相殺は出来ないが、その代わりにこうした苔や木などにはすんなりと吸収されていく。そのことについては努も知ってはいたが、地面をめくりあげて投げ飛ばしてくるとは思わなかったのか冷や汗でもかいた顔をしている。


 その反応も相まってエイミーは天然の絨毯のように広がる足場の苔や周囲に生えている巨大樹の枝を盾に、じりじりと詰めていく慎重策を選んだ。

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