第565話 女殴ってそうな顔
(これ当たったらポーション飲めるかも怪しいな。もう帰りたい。今からでも謝って手を取り合うことは出来ないですかね)
初めはいつものような牽制程度だったエイミーから放たれる双波斬は、撃つスキルを見せた途端にこちらを害する意思のあるものに変化した。それを努はフライによる空中機動で避けてはいたが、モイの時とは比較にもならない攻撃の圧に冷や汗が額から流れ落ちる。
双波斬というスキルは努の放つ赤いヒールなどと違って応用が効かない。双剣を振るうことで出される風の刃の大きさや速度などは多少変えられるが、一直線に飛ぶだけで軌道を変えることなどは出来ない。
なのでエイミーは自身の機動性によって至る所から双波斬を飛ばして努の逃げる方向に合わせつつ、それに緩急を付けることくらいしかしていない。それはフライを会得した一般人でも避けることのみに集中すれば凌げそうなものだ。
だが努はアンチテーゼを用いた回復スキルでエイミーを攻撃もしているため、その単純な風の刃を避けることに思考力を奪われるのは思ったよりも厄介だった。それに加えて地面の苔や木などのオブジェクトを利用しての回復スキル打ち消しなど、突拍子もない行動をしてくるエイミーのペースに持ち込まれ始めていた。
努は自分が一つでもミスを犯せばPTが崩壊するプレッシャーはむしろ心地良いとすら思うが、自分の命が脅かされる対人戦においては貧弱と言わざるを得ない。
じりじりと崖の端に追い詰められるような圧力から早く解放されたいと無意識に願い、少々精神力を込めすぎな大波のヒールを繰り出す。
だがエイミーは地面の苔をマントのように切り取りそれに身を隠すことで凌ぎつつ、ひょっこりと左手だけを出して赤い気に一瞬触れていた。
その隙を狙い打った飛ばすヒールをマリモみたいな状態のまま素早く回避し、置くスキルはブーストによる不自然な挙動で見えているかのように避けられる。そして赤いヒールを受けてじんわりと日焼けでもしているような感覚になった左手を彼女は不思議そうに見ていた。
(どういう感性してるんだ。化け物が)
普段なら絶対にしないであろうマリモ状態だろうが精彩の放つ動きを見せるエイミーに、努は毒づきながらアンチテーゼの制限時間の把握が乱れないよう一息つく。
命がかかった、という前提さえなければ対人戦も苦手ではない。実際こうしてエイミーに挑むまでは割と自信があった。それこそ支援回復でもするように当ててしまえばアンチテーゼ下ではそれが攻撃になり、それによる痛みも起きないので自分の感性を殺すことなく存分に当てられる。
今となってはスキル操作の技術も全体的に向上したとはいえ、白魔導士の中では今でも上位に入る自信はある。双波斬などと違って応用性の高いヒールを攻撃として扱える今の自分ならば、速攻を決められパニックを起こして瞬殺でもされなければ戦えると思った。
そうならないための盤外戦術である煽りも上手くいき、エイミーは想定通り初見のアンチテーゼに対して慎重策を取ってくれた。こうなってしまえばあとはいつものように支援回復をするだけで追い詰められる。
そこまでは完全に努の掌の上であったが、そこに乗ったエイミーの思いもよらぬ暴れっぷりと殺すことも厭わない気迫には手を焼かれっぱなしだった。
この世界で起きたディニエルとの対峙やモイとの実戦などで多少は鍛えられたとはいえ、探索者の中でも上位の双剣士であるエイミーとの実戦は荷が重かった。
「ハイヒール」
最大15分の効果時間であるアンチテーゼの効力があと1分で尽きる。セーフポイントの隅で自分たちと同じように模擬戦をしているガルムとハンナを視界の端に捉えながら、努は残念そうにため息をつく。
想定ではこの時間内にエイミーの体力を半分ほど削る予定だったが、結果としては先ほどの威力偵察と撃つヒールを何発か当てただけだ。
アンチテーゼは使用したスキルの回復量と対象人物の体力に応じた威力となり、そこにVITによる減退が加わる。ただ他の攻撃スキルよりもVITによる減退率は少しだけ甘い。ガルムや自分で検証して得た推測としてはそんなところだ。
なのでVITの低いエイミーに対してアンチテーゼは有効打になるが、大波ヒールが掠り撃つスキルを何発か当てた程度では大して削れていない。
「!!」
「エクスヒール」
そしてアンチテーゼの効果が切れると同時、努の周囲に張り巡らせていた赤いヒールは本来の緑色へと移り変わっていく。その好機を見逃さなかったエイミーは地面を思い切り踏み締め、苔マントをはためかせながら弾丸のように跳ぶ。
「アンチテーゼ」
そしてエイミーが設置されていた緑色のスキルに触れたと同時、努は再び進化ジョブに切り替えた。その宣告で周囲にあった緑の気は迎え撃つように赤へと染まり、彼女は驚きの表情を浮かべながら苔マントに身を包んだ。
先ほどヒールに触れたエイミーの回復量だけでは進化ジョブの条件は満たせない。白魔導士の進化条件は一定量の回復量と他人を回復する二つを満たさなければならない。
ただ努はアンチテーゼ中に自身にも赤いヒールをかけて体力を半分以上削り、エクスヒールによって回復量を確保していた。そしてエイミーが少し回復したことで進化条件を満たし、再びアンチテーゼによる攻勢を開始した。
確かにその自傷によって努はエイミーに届きうる矛を再び手にした。だがその切り替え時に彼女を近づけてしまったことに変わりはない。
エイミーを癒したヒールは一転して赤く染まり襲い掛かる。だが彼女はまるでピザ職人が生地でも回すように苔マントを優雅に振り回し、周囲の赤いヒールを全て打ち消した。
「エアブレイズ」
あの苔マントにこのまま回復スキルを消されては不味いと判断した努は風の刃を放つが、相手を殺さず武器だけを落とさせるなんて真似は余程の実力差がなければ難しい。
そんな見え見えの狙いを看破したエイミーはそれを前に進みながら避け、右手に持つ双剣の片割れを振り上げる。
「双波斬」
「バリア、バリア」
相手の表情が見えるくらいまで近づかれてしまっては双波斬を完全に割けることは難しい。バリアでは彼女の放つ風の刃の前では一秒も持たないが、その僅かな時間が努の命を逃がす猶予となる。
だが先ほどまでと違いこの距離で双波斬を撃たれ続ければ、努はいずれ被弾することとなる。その距離で避けるには双剣士との死戦の数が足りない。
「レイズ」
その状況を打破するために努は初見殺しの一手を放った。同じPTメンバーが死んでいなければ打てず、アンチテーゼの効果時間により蘇生も出来なくなる諸刃の剣。
努が墜落するまで双波斬でなます斬りにしようとしていたエイミーにとって、それは苦し紛れの一撃に見えた。ヒールと同じように反転しているからか黒い流星のような見た目をしたレイズ。
「……!」
だがそれを苔マントで受けようとしたエイミーの目は、その黒い流星がそれを貫通しているのをゆっくりと捉えた。
「うに゛ゃっ」
その一瞬で確認したエイミーは異様な反射神経で身体を海老ぞりにして、直撃だけは避けた。
「レイズ、ハイヒール」
視界の端でガルムが生き残っている様を見て話が違うぞと思いながらも、努は追撃の手を緩めない。他の回復スキルと違い唯一オブジェクトを貫通するレイズと回復スキルを組み合わせ、剣呑な目に変化したエイミーを追い詰めていく。
先ほどの黒いレイズに掠っただけで身体の重さを実感していた彼女は、あれにだけは当たってはいけないと感じてか見てから避けられるよう距離を取る。
だがこの異様に疲れが窺える今の状況ではこちらがなます斬りにされると思ったのか、エイミーは空を蹴るようにして上空に上がるとそのまま努目掛けて滑空した。
玉砕覚悟など真っ平御免な努は彼女を見据えながら後ろに飛んで迎撃する。だが進化ジョブではない今のステータスではAGI差でいずれは追いつかれる、
「レイズ、ハイヒール、バリア、フラッシュ」
そんな彼女を妨害するように赤いヒールでの迎撃に加えて障壁に閃光なども織り交ぜたが、死の間際まで追い詰められた猫に止めを刺すことは叶わなかった。
バリアを飛び蹴りで突き破り遂に努へ肉薄したエイミーは死に物狂いで組み付いた。そのまま二人はきりもみ回転で急降下していく最中、最後の言葉を交わす。
「レイズ」
「そう……は」
黒いレイズとエイミーの身体を突き抜けると、スキルを唱えようとした彼女の呂律が回らなくなる。それでも最後の悪足搔きで腹を一刺しされて捻り込まれた努は、声にならない叫びを嚙み殺す。
フライの制御もままならなくなったエイミーが落下死しないよう努は何とか抱えていたが、腹に埋め込まれるようにして刺された痛みに耐えかねてたまらず不時着した。その際に彼女も投げ出されるように転がり、努の腹に刺さっていた双剣の片割れが血の残痕を残す。
(ポ、ポーション……)
これが自分の身体から流れ出ているとは思えない出血量で、白いローブが真っ赤に滲んでいく。この様子では数分後には昏倒するだろうと思った努はポーチ型のポーション用マジックバッグを手探る。
「ない……?」
だがそこにあるはずのマジックバッグはなかった。
もしかして何処かに落ちているのかと辺りを見回した後、努は腹を手で押さえながら恐る恐るエイミーの下へと近寄る。そしてうつ伏せの状態で倒れている彼女の肩を右手で掴んで転がす。
「おい……」
仰向けになったエイミーの手にはいつの間に盗られていたマジックバッグがあり、それは双剣により切り裂かれていた。それを目にした努は殺意の滲むような目でエイミーを見下ろす。
「大人しく、そうなっとけ馬鹿がっ……!」
マジックバッグは損傷した状態でその内容物を引き出すことは出来ない。未だに出血が止まらない腹を押さえて絞り出すように言った努は、立ってもいられなくなり腹を押さえながら地に膝をつく。
「……まだ、勝ってはいないか」
そんな努にフライで近くに着地した後に駆け寄ったガルムは、まだ意識を保っているエイミーも確認しながら自身のマジックバッグから緑ポーションを取り出す。
「アンチテーゼの解除は間に合わないか?」
「無理……もう引き分けでいいからポーションくれ。痛い……」
アンチテーゼの効果時間が切れるまであと5分はある。それまでこのじくじくとした熱い痛みと戦えば勝ちにはなるか。ただこの大怪我と出血量では粒子化しない保証もない。何よりこの痛みがどうにかなるならもう負けでもいい。
それがダリルの発言なら鼻で笑って突き放しそうなものだったが、子犬が泣くような悲痛の滲み出る彼の言葉を受けてガルムは躊躇なく森の薬屋の緑ポーションを渡した。
「……それでも、番狂わせか」
あの努がエイミーと大健闘の後に引き分けたなど、恐らくどのクランメンバーに言っても信じないだろう。数日彷徨った砂漠でオアシスでも見つけたかのような顔でポーションを受け取って飲む努に、ガルムはよくやったと頷いた。
「いや、ポーションすごっ。もう治って――いててて! 触ったら痛いのかよ!」
「大人しくしておけ」
これまで緑ポーションの効能を自身で確認する機会はなかった努は、回復スキルとさして変わらない速度で治っていく感覚に驚いていた。
「というか、よくハンナあの短時間倒せたね」
「バッファーの練習も兼ねさせての騙し討ちをしただけだ。後で謝らなければな」
オブジェクト貫通のレイズを使うにはPTメンバーの誰かが蘇生対象になっていなければならなかったので、ガルムは自らそうなることを望んだ。ただ努とエイミーの決着については自身の目で見たい気持ちも強かったため、ちゃっかりハンナをその対象にしていた。
「騎士道精神の風上にも置けないね。ま、予定通りレイズ使えたから言うことないけど」
「痛みにさえ負けなければ完勝も有り得たのがな」
「いや、実質勝ちでしょ。エイミーどしたー?」
自分の怪我が治ったや否や動けないエイミーを調子に乗って転がし苔に顔を埋めさせた努を、ガルムは流石に止めた。
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