第488話 地力の差

「……随分と物騒な格好だね」



 ミルルからオルファンの潜伏場所を聞き出していたダリルは、そこに息を潜めるように集まっていたリキたちに声をかけた。そんな彼にリキは苦虫を嚙み潰したような顔をしたものの、一転して嘲笑する。



「負け犬が。俺たちの場所を突き止めた、とでも思ってんのか? お前は俺に釣り出されたんだよ。ツトムを釣りだす餌としてな」

「……あぁ。そういうこと」



 恐らくミルルにそう提言されてそれにミーサも同意したからこそ、リキは自分が罠を仕掛けた側だと思っているのだろう。だからこそ亜麻色のスラム街の辺鄙な場所でも戦闘態勢で待ち構えていた。彼の後ろにいるミルルの悲しそうな目がそれを物語っている。


 そもそも彼女はダリル自身が決行する作戦に反対していた。バーベンベルク家の協力を得ている努に任せた方が明らかにリスクは低く、余計な手間を増やすだけにも思える。ただ努に負担をこれ以上かけたくないというダリルの気持ちもあの記事を見た後では理解出来たので、無理に止めることも出来なかった。



「おまけにギルド長の娘までついてきやがった。運がいい」

「…………」



 そんなダリルの後ろで状況を傍観するように見ていたアーミラは、リキの物言いに対して非常に無関心だった。ゴブリンの鳴き声でも聞くような態度でポケットに手を突っ込んだところで、禁煙一週間目ということもあり舌打ちを漏らして腕を組む。



「待ち構えてた割に不意打ちもしてこないなんて、随分と律義だね」

「負け犬如きにそこまでする必要はねぇよ」

「まるで対人訓練みたいだ。懐かしいね」



 しみじみと呟きながら無骨なショートソードをだらんとさせているダリルに腹でも立ったのか、中央にいたリキは腰に引っ提げていたロングソードを抜いて一気に距離を詰めた。


 勢いを乗せて繰り出された刺突。それをダリルはショートソードで円弧でも描くようにして器用に受け流すと、前のめりになったリキの顎を小盾で軽く小突いた。


 アタッカーの中では比較的VITの高いジョブの剣士であるリキに、その程度の攻撃は物理的にあまり効かない。だがいくら威力がそこまでないとはいえ的確に顎を捕らえたその打撃は脳震盪を引き起こし、彼は大きな眩暈と共に膝をついた。



「負け犬にすらも負ければいい加減敗北を認められる?」

「……こっ、ころせぇ!!」



 立ち上がろうにも目が回ったように中々立ち上がれないリキの叫びに乗じ、他の孤児たちも仕掛ける。大きさだけならアーミラに匹敵する大剣を持つ少年は距離を詰め、帽子を被った少女は目を剥いて杖を向けた。


 大剣を振り上げて脳天に降り下ろさんとした少年の攻撃を小盾で受け、重心を斜めにズラして衝撃を流す。大剣が地を割ると同時にダリルはショートソードの柄を持ったまま少年の顔面を殴り飛ばした。



「ぶっ」

「く、クリムゾンバーン!」



 大剣士の鼻頭は潰れたように折れておびただしい鼻血がこぼれ出す。それを目の当たりにした黒魔導士の少女が慌てたように放った炎の光線。


 それを屈んで避けて光線が止んでから立ち上がる勢いのまま突進する。黒魔導士を守ろうと前に出る大柄な重騎士の孤児。ひしゃげたような金属音と共に重い衝撃が走り、重騎士はよろめいて体制を崩す。後ろにいた黒魔導士が慌てて離れたところに尻餅をついた。



「くっ、くそっ、このっ、止めろっ」



 ダリル以上の重装備を着込んでいる重騎士は、亀が裏返されたかのように倒れたまま何もさせてもらえない。以前ならば地面に倒れたところで勝負ありと判断して手を差し伸べていたのに、今はショートソードで叩き伏せるのみだ。



「ブリザードクロス!」

「ぎゃああぁぁぁ!?」



 黒魔導士の放った氷系スキルが詠唱されている内に、ダリルは重騎士の首根っこを片手で持ち上げて盾とした。硝子にヒビでも入っているような音。無防備な重騎士の顔面に氷の双槍の余波が伝わり、目玉が凍り付く。


 その重騎士をミーサから治療されていたリキの方に投げ飛ばして飛び道具にすると、ダリルは追撃で放たれた氷の双槍を小盾で正面から打ち払いながら距離を詰める。


 黒魔導士との間にいたモイの双剣での攻撃を完全に無視しての体当たり。馬車にでも轢かれた勢いでモイが宙に吹き飛ぶ。



「エクスプ――」



 スキルの詠唱途中で黒魔導士の少女はダリルに口を塞がれるように掌底を叩き付けられる。初めて兄妹に殴られたような顔をしていた彼女を見たダリルは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに鳩尾を突き刺すような蹴りを放った。



「うぉえぇぇぇ!!」

「……ハイヒール」



 それこそ以前にダリルから受けていた対人訓練とも、オルファンのリーダーが変わった後にリキが無理やり勝負を仕掛けた実戦の時とも様子が違う。一切の容赦が感じられないダリルに白魔導士のミーサも目を剥いていたが、それでもこちらにはヒーラーがいる。



「この状況で、貴方一人で勝てると思ってるの?」

「もし僕が勝つつもりなら、ノーラの代わりにミーサが転がってただろうね」

「……ヒール」



 強烈な蹴りを受けた腹を押さえて震えながら転がることしかできない黒魔導士のノーラ。そんな彼女に緑の気を飛ばしたミーサは苦々しい顔のまま言い返す。



「……その時にはもうリキが回復してたわ」

「模擬戦ならそういう言い訳も受け付けるよ。だけどツトムさんたちはこんなに甘くない。手加減してる僕一人にこんな手こずってるのに、襲撃なんて成功するわけがないだろ。容易く制圧されて警備団に突き出されるのがオチだ」

「今更あんたの説教なんて聞きたくもないわ。そんなに偉そうなこと言うなら、なぶり殺しにしてやってもいいけど?」

「負け犬にも劣る雑魚の集まりじゃ無理だろうね。それを証明するためにわざわざミーサを狙わないようにしてあげてるんだけど、わからないかな? あ、もう勝てない自覚が出来たなら助かるんだけど」



 随分と皮肉めいたダリルの物言いに孤児たちは返し言葉も忘れて襲い掛かり、随分と使い込まれた無骨な大剣に寄りかかっていたアーミラは鼻で笑った。



 ――▽▽――



 結果としてリキたちは六人がかりで白魔導士の精神力が切れかけるほどの長期戦を仕掛けても、ダリルを倒すことはできなかった。



「流石にポーションまで飲むのはだりぃわ。殺すぞ」

「アーミラ。これは僕がやることだ」



 そして青ポーションを口にしようとしたミーサを見かねたアーミラは、いい加減にしろと言わんばかりに背負っていた大剣に手をかけて前に出る。しかしその動きを察知していたダリルはそっと彼女の手を上から押さえた。



「一時間近く見学する身にもなってみろや」

「……それは本当にごめんだけど」

「何で……。そんなに、強いんだよ……」



 六人の中でもダリルと同じ重騎士で体格もレベルもそこまで変わらない少年は、戦いの途中から既に心が折れていた。同じ境遇、同じ条件でこちらの方が人数で勝っているにもかかわらず、勝てる気すら湧かなかった。それどころか一方的に地面へと転がされて盾にされる始末で、着ていた装備も損傷して半分使い物になっていない。



「そりゃあ、腐っても無限の輪にいた奴がてめぇら如きに負けるわけねぇわな」



 うざそうに大剣の柄を離してダリルの手を払ったアーミラは、小馬鹿にするようにせせら笑う。


 そもそもダリルは犯罪クランの撲滅に貢献したガルムの下で、非常に厳しい訓練を潜り抜けている。それから加入した無限の輪では80階層主の冬将軍を相手取るために大手クランと合同の模擬戦を行い、その後もクランメンバーと対人訓練を重ねてきた。


 独特の戦闘センスを持つ双剣士のエイミー、弓術士全一のディニエル。ギルド長に匹敵する龍化持ちのアーミラ、遠近隙のない細剣使いのリーレイア。魔流の拳を継承し近接戦が飛び抜けているハンナに、そんな者たちにも何とか喰らいつき実力を上げていたゼノ。そして終盤では近接戦の才が開花し始めていたコリナ。


 そんな化け物たちを相手取ることが出来ていた時点で、ダリルの対人性能は迷宮都市の中でも相当高いレベルにある。それこそ無限の輪の中では最弱と自虐している努ですら、容赦しなければ六人相手取ることも出来ただろう。現に嫌悪感を見せたとはいえ本気を出した途端にモイを瞬殺している。



「まぁ、元教え子相手にしちゃあ根性も見せてる方だろ。てっきり途中で、やっぱりあの子たちと戦うことなんてできないよぉ! とでものたまうかと思ってたが」

「……今のってもしかして、僕の真似? すごい声だね」



 そこまで聞く機会のないアーミラの声真似にダリルは思わず素の感想を漏らした。すると彼女は冷や水でも浴びせられたような顔をしたまま、無視して話を進める。



「……でもよ、結局負けを認めてねぇだろ。特にあの白魔導士は」



 以前にダリルとの真剣勝負に勝っていて威勢の良かったリキですら今は実力の差を痛感して意気消沈しているが、その中で唯一納得していないのはミーサだった。そんな彼女を見てアーミラは三日月のように口元を歪める。



「おかしいとは思わねぇか? あのツトムですら身体張って、あんな面まで晒したんだ。それなのにあいつは無傷ですまし顔。おかしい。おかしいよなぁ!?」

「っ!」



 オルファンに何度も実力差を体感させるために残していた回復役のミーサ。そんな彼女にアーミラは突然素手のまま肉薄し、ダリルは焦りながらも間に身体をねじ込んで彼女を守った。



「回復役が厄介なんて馬鹿でもわかる。実戦ならスキルが厄介な奴を真っ先に口封じするのが基本だろうが。今からてめぇの口に手ぇ突っ込んで、舌を引っこ抜いて喋れなくしてやる」

「アーミラ! 止めろ!」

「意地でも負けを認めねぇんだ。その心意気に免じて俺が本気で潰してやるよ。龍化」



 その言葉が響いた途端に彼女の鱗は輝き背中から長い赤髪を押しのけて翼が生え、その目は爬虫類が狩りでも始めるように変容していく。それに対抗するようにダリルも彼女に大剣を抜かせないために両手を組んで力を入れ、上腕や背中が膨らんだように躍動した。



「はーーっ!」



 黒魔導士のスキルであるクリムゾンバーンに似たような赤い光線をブレスとして鎧に向けて吐き出した彼女に、ダリルは思い切り頭突きして中断させる。


 単純な力比べならばダリルもアーミラに負けてはいない。むしろ大剣士としてのアドバンテージを活かせない分、彼の方が有利まである。それは幾多もの模擬戦での経験で把握している彼女は舌打ちを漏らし、その後も足での攻防や翼を駆使して打開しようとする。


 だがダリルとしても彼女に大剣を抜かせてはならないことは重々承知のため、ブレスなどで多少の痛手を伴おうともそう簡単に離しはしない。



「僕に任せるって言ってくれたじゃないか!」

「……お前もわかってんだろ? あいつらがやろうとしてること」



 赤い瞳でこちらを見透かすように見つめてくるアーミラの問いかけに、ぎくりとしたようにダリルの垂れた犬耳が動く。


 二人が争っている間にミーサは青ポーションを飲んで仲間たちを回復させ、再三負かせたにもかかわらず敗北を認めずに戦いの準備を進めている。ダリルは彼女のように見ずともそれを鋭敏な聴覚だけで察してはいた。



「手を差し伸べた奴に感謝するどころか、むしろ引きずり込むことしか考えられねぇ。そういう輩に手を差し伸べた結果がこれだろ?」

「……それでも、それが僕の望みだ」

「あいつら、お前の配慮もわかってねーぞ。単純にボコられたでも思ってやがる。そんな奴ら、救う価値があんのかよ?」

「……育った環境が悪かっただけだよ。あの子たちも含めて、同じような境遇の子たちが、もっと救われることが……」

「それなら無限の輪で孤児院に支援してた時の方が、よっぽど救われてただろうよ。てめぇが餓鬼の世話するよりも、てめぇが探索者として稼いで孤児院に寄付した方が大きいだろ」

「そんなことは、そんなことはさ、とっくの前から考えてるよ。……僕がせっせと寄付してたお金は、孤児院で正当な運用がされてなかったんだよ」

「それでもオルファンが失敗したのは明らかだろ。なら次の手を捜せや。いつまで引きずってんだ、よっと!」



 アーミラはそう言いながら目を血走らせながら突っ込んできたリキの攻撃に合わせて、彼とダンスでもするように立ち位置を変えた。そしてリキのロングソードにダリルの手首を狙って打ち据えさせ、右手の自由を確保すると背負っていた大剣を抜いて思い切りぶん回す。


 リキを一刀両断するような横凪ぎ。ダリルはその斬撃から彼を守るためにアーミラの手を離して身体で庇った。片手でのスイングとはいえアタッカーなら容易に死ぬその攻撃を受けてダリルの身体は浮き、その衝撃で吐血する。


 その隙にアーミラは一直線に白魔導士のミーサの下へと向かった。



「パワースラッシュ」

「ひっ」



 その詠唱が乗った大剣での一撃が死の気配を帯びていることは嫌でもわかったのか、重騎士の少年は身体を丸めて弱点を守ることしかできなかった。残っていた鎧の上からでも腰骨が砕け散り、壁まで吹き飛ばされる。


 そのタンクすら一撃で沈めた破壊力を見せつけられたモイの膝はがたがたと笑い、双剣を持つ手も死の恐怖で震えだす。完全に戦意喪失している者たちを無視してアーミラはマジックバッグから小さめのナイフを取り出すと、重騎士にスキルを放とうとしていたミーサの瞬く間に距離を詰めた。



「ハイヒ――んぅーー!?」

「あ? 多少斬れたか? それくらいで喚くな。これからもっと酷い目に遭う」



 ナイフで物理的に口封じをされて既に血の味がし始めているミーサは、そんなアーミラの言葉を聞いて痛みと恐怖で涙が滲んできた。そんな彼女を見下ろしているアーミラは弄ぶようにナイフを上下に動かして歯に当てて音を打ち鳴らしている。



「少しはマシな面になったな。で? 降参でもするか?」



 その問いかけにミーサは本気で首を縦に何度も振る。それにアーミラもうんうんと頷く。



「その機会を捨てたのはてめぇ自身だ。精々後悔しろ」

「んがっ、ぎっ」



 命乞いする彼女の顔を見て満足したのかアーミラはミーサの口内をかき混ぜるように刻むと、唾液と血液が混じりねとねとしたナイフをポイ捨てした。



「アーミラァァァ!!」

「これで回復役も……いねぇか。久々の真剣勝負とでもいくか?」



 気付けばオルファンの人数が一人消えていたものの、彼女はそもそも初めから手は出していなかった。それよりも激昂しているダリルだ。久々に戦闘で高揚するような気持ちが沸き上がり、アーミラは刻印の入った純白の大剣をこの場で初めてマジックバッグから出した。

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