第487話 刺客の来訪
努が大量に生産しストックしていた刻印装備の中でも上振れた刻印数の物を厳選し、ゼノ工房でアレンジされた教会服の圧倒的な性能。それにPTメンバーのポテンシャルもあってか努たちは深淵階層の難敵である黒鎌をものともせず、三日ほどで149階層まで足を進めていた。
そのペースはダンジョン内で寝泊まりし強行軍で進んでいた中堅クランたちに追いつくほど早く、最前線組がいない現状では安定して神台の一桁に乗るくらいには昇り詰めていた。
「えーーーー!? 明日から二日も休むんですか!? なんっ――」
ただ翌日からは週末なのでいつも通り休むことを努が告げた途端、クロアは信じられないと言わんばかりに目をかっ開いて声を上げた。しかし一桁台に映している神の眼があることを思い出したのか、人の目を憚るように口を閉じる。
そんな様子を見て神の眼の映りをエイミーに任せた努は、それでも目だけは彼女を追って離さないクロアの前で軽く手を叩いて意識を引かせた。
「クロア、少しは神の眼から意識を離して休まないと精神的に持たないよ。それに刻印装備にも気を遣いすぎてるみたいだし」
「そうなのです。少し前から動きに焦りが見られるのですよ」
「……何だお前? エイミーの突っ込み待ち?」
先輩面でクロアへの指導に介入してきたユニスもまた、一桁台に映ってからは細かいミスが目立っている。とはいえ彼女は一桁台に乗って緊張しているわけではない。単に刻印士のレベル上げが想定以上に早く進みゼノ工房で頼りにされていることもあってか、最近は寝る間も惜しんで装備を納品している弊害が大きいのだろう。
「ほら、新作の宣伝チャンスだよー」
「……まぁ、いいのですが」
そんな彼女を手のかかる子供のように回収していったエイミーを見送った後、その様子をポカンとした顔で見ていた彼女に向き直る。
「単純に慣れない環境で疲弊してるから、休息が必要ってだけだよ。黒鎌の対処も良かったし、実力が不足してるわけじゃない」
「でも私だけ舞い上がってるのは……」
「それについては仕方ないんじゃない? 無限の輪でも特にコリナは神の眼が気になってしょうがない時期があったし」
「……え。あのコリナさんが?」
観衆からは物理的に頼れる姉御みたいな扱いを受けていることがどうもイメージと噛み合わないが、類に漏れずそんな認識のクロアに努は含み笑いを漏らす。
「それに僕も刻印装備の生産に時間かけなきゃいけないから、どちらにせよダンジョン探索を休む日は必要なんだよね。もう在庫もほぼ無くなっちゃったし」
「あー……。そうなんですね」
「それでみんな師匠好みの服装ってわけっすね」
さっきまでエイミーがデザインしユニスが刻印した新作の装備をモデルとして紹介していたハンナは、いつの間にかに着替えを済ませてこちらに寄ってきてそんな小言を呟く。
「……いや、そんなに嫌なら他の装備にしてみれば? 中堅クランのお古ならいくらでも市場に流れてるだろうし、その中から好きに着ればいいんじゃない?」
「んー。でも性能は落ちるっすよね」
「そりゃあ、お古だからそうだろうね」
「その割には面倒くさそうっすね」
「そっすか」
「面倒臭そうな時だけあたしの口調真似るの、割とムカつくっすけど」
「……結局のところ、何が言いたいわけ?」
まどろっこしい物言いのハンナにそう尋ねると、彼女は満足したようににんまりと笑った。
「みんな同じ装備っていうのもつまらないじゃないっすか。だからこそ今他の装備にしたら、神台で映えること間違いなしっす!」
「はぁ」
「映えたらあたしの動きはもっと良くなるっすよ! 150階層でも活躍できるっす!」
「それならユニスの作った装備着れば解決するんじゃない? ゼノ工房に頼めばハンナの要望も聞いてくれるだろうし」
そんな声は少し距離の離れている狐耳を立てたユニスに聞こえてはいたのか、若干のしたり顔が垣間見えた。するとハンナはシルフのようにぴょんと跳ねてフライを使い、努の肩に捕まって耳に顔を寄せる。
「……でも、ユニスの刻印装備はまだ師匠より一歩遅れてるっすよね? だからゼノ工房で作った装備に師匠が刻印してほしいっす」
「レベル高い刻印四つ施すの、地味に手間かかるし刻印油も消費するんだよ。だから事前に時間かけて作っておいたんだし、これから予約分の刻印装備も生産しなきゃいけない。それに天空階層も見越して生産しなきゃいけないから、そんな暇はないよ」
「えー。いいじゃないっすかー。……ほら! 刻印士の一番弟子に師匠が刻印装備送るの、なんかロマンじゃないっすか?」
「レベル2の分際でよく言えたもんだな」
今が刻印士の繁忙期であることは誰でもわかることなので、もし自分がハンナの立場だったら多少気に入らない装備でも黙って着るだろう。それこそ一人だけ海パンみたいな露出度ならば別だろうが、教会服はそこまで見た目が悪いわけではないし個人に合わせてカスタマイズもできる。
にもかかわらずそんなワガママを平気な顔で物申せるのは、ある意味で才能でもある。それこそ他の三人くらい分別があればとてもそんなことは言えない。それはハンナの欠点であるが、長所でもある。
「その装備ってもうゼノ工房にあるの?」
「さっきあたしが着てたやつっすよ。見てなかったんっすか?」
「それじゃあそれ、帰ったらゼノ工房に送っといて」
「……え? ってことは……そういうことっすよね?」
ハンナには刻印士としての価値が認められていなかった時から文句も言わずPTを組んでくれた恩もあるので、努は彼女の我儘を請け負った。すると膨れっ面だったハンナの表情はみるみるうちに喜色へと変わり、むずむずした顔で尋ねてくる。
「えー、まさか受けてくれるとは思わなかったっす。言ってみるもんっすね」
「愛嬌のある我儘は誰にでも効くと思うよ。度が過ぎなければね」
「……な、なんっすか~。今日はやけに褒めるじゃないっすか~。なんか裏とかないっすよね? 実は弱体刻印とかはなしっすよ~?」
「150階層でふざけられる余裕はないしね」
「そうっすよね~」
「あとはその装備をゼノ工房に送れるかだね」
「?」
頭に疑問符でも浮かんでいるような顔をしているハンナに、努はちょいちょいと彼女の後ろを指差す。その先にはひそひそ話だろうが余裕で聞こえる聴覚を持つユニスが、冷えた目でこちらを見つめる姿があった。
「説得できるといいね」
「な、なんだかんだ大丈夫っすよね?」
「ユニスにとって度が過ぎなければ大丈夫なんじゃない。知らんけど」
「ユ、ユニス~?」
「…………」
それからハンナの問いかけにガン無視を決め込むユニスの機嫌は、努の見た限りで治ることはなかった。
――▽▽――
(意外と来ないもんだな。探りを入れた感じこの週末なはずなんだけど)
クランハウスでゼノ工房から仕入れた様々な装備に刻印を施す作業をしていた努は、オルファンの残党が一か八かの賭けに出てこないことに肩透かしでも食らった気分だった。
135階層で役目も果たせずそれ以降は刻印士の潮目が変わったこともあり、オルファンはアルドレット工房から完全に切られた。それどころかオルファンの中でもまだまともな者たちを引き抜かれる始末で、その規模は半数まで減った。
リキはこれまで下剋上をすることで孤児の支持を得てきた。ダリル、ツトム、アルドレット工房。しかし今ではその掲げる目標がなくなってしまった。未だにツトムを仮想敵にはしているものの、既に勝負がついたのは明らかだ。
それを理解しているまともな者ほどアルドレット工房との引き抜きに応じ、リキたちに匹敵するレベルのあったルイスたちも見切りをつけた。弱者を切り捨てるような組織で利益すら得られなければ、人はどんどんと抜けていく。その類に漏れずオルファンは半数から更に数を減らし、もはやクランともいえない孤児の集まりに成り下がった。
そこまで追い詰められて正常な判断もできない餓鬼が考えることなど、一発逆転の手しかない。そんな悪足搔きを効率的に刈り取るために努はバーベンベルク家に協力を依頼し、人質になりそうな非戦闘員のオーリたちが住むクランハウスに障壁魔法を張り巡らせた。それでのこのこと襲撃してきた残党を捕らえて警備団に任せれば、少なくとも数年は出てこれない。
(あの狸がブレインにでもなったか? 未だに尻尾すら見せてないし)
しかしそれを愚かな選択だと進言できるブレインがまだオルファンにいるのなら別だ。その候補として挙げられるのは、ダリルがオルファンを想って送り出したミルルしかいないだろう。そうなると焦りに焦った雑魚を狩る作業とは違ってくる。
(……今度はしっかり潰さないといけないかもな)
ダリルだけでなく様々な情報を集めてみてもミルルが彼を利用している節はないようで、むしろ身を粉にして働いている良いパートナーだという。だが努としてはそもそも彼女がダリルと関われるほど這い上がってきていたことが意外であったし、同時に侮れないと思った。
幾度も死ななければならない神のダンジョンの洗礼を乗り越え、まともなPTを組めない状況でも探索者を何年も続けていた。だからこそオルファン設立時にダリルの傍にいる機会を得た。そこまでのことができた彼女の根底は何か。
それが自分への復讐にならないように努はミルルの目的をエイミーへの憧れにすり替えた。だが今でもエイミーが帰ってきたのに接触していないことからして、彼女への憧れは既に薄れている。
(何で被害者の僕が犯罪者の逆恨みを考慮しなきゃいけないんですかね)
うんざりしそうな心境ではあるが、それを考慮しないほど楽観的でもない。そんな面倒な気持ちで一杯のまま刻印作業を黙々と進めていると、突然クランハウスの呼び鈴が些か乱暴に鳴らされた。もう日が沈んでいる時間帯で、何か物品が届けられる予定もない。
「私が出る」
「よろしく」
いつでも戦闘ができる装備のまま新聞を読んでいたガルムが足早に玄関へと向かい、努もバリアを重ね掛けしながら付いていく。そして警戒した面持ちのまま外に出ると、呼び鈴を鳴らした者は被っていたフードを取って顔を晒した。
「あぁ! ガルム! ダリルを助けてほしいの! お願い!!」
「……あ?」
パッと見た第一印象でそれが誰なのかいまいちわからなかった。しかしその丸々とした狸耳と顔の既視感が重なって、努は彼女が今まで尻尾も見せなかったミルルであることを理解した。
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