第489話 暴虐無人
「ほらよ」
アーミラはマジックバッグから大剣を出すついでに、緑色の液体が入った瓶をダリルに放り投げた。彼は一瞬警戒したものの両手で受け取り、それが正規店のラベルが付いた緑ポーションであることを確認する。
「後で負けの言い訳にされても困るからな? さっさと飲んで構えろや」
「…………」
黒い尻尾を逆立てていたダリルはアーミラの売り言葉に困惑したような顔をしたが、それを振り切るようにポーションを飲み干した。それにより多少の打ち身や内臓の損傷などが治っている間に、彼女は腰骨が砕けてまともに立てない重騎士の近くへ威嚇でもするようにブレスを吐く。
「こいつらはまだ俺の獲物だ。大人しく待っとけ」
「…………」
新品の亜麻色の服とその汚らしい髪や顔つきが妙に不釣り合いな浮浪者たちは、アーミラの警告を受けて少年からそそくさと距離を取った。
その様子を見ていたモイがハッとしたように周りを確認すると、気付かないうちに不気味なほど亜麻色の服で統一された者たちが遠巻きに集まっているのがわかった。それらは死肉のおこぼれを狙うハイエナのようなものだ。
「今ならあんな雑魚ども蹴散らせるだろうが、手足一本ない状態ならどうだろうな? 素っ裸にひん剝かれるだけで済めばいいな」
「っ……!」
同性とはとても思えない物言いに黒魔導士の少女はキッとアーミラを睨み付け、モイはその未来を幻視したのか現実逃避するような目で手にしている双剣を見下ろしている。そんな脅し文句をのたまう彼女をダリルは真顔で見つめる。
「……一体何がしたいんだよ」
「てめぇこそ一体何がしてぇんだか。もしかして孤児を全員救えるとでも言うつもりか?」
「……そうだよ」
「理想論だな。ツトムなら鼻で笑いそうだ」
そもそもダリルだけで何とかできるのなら一人でこの場に来ていただろう。それなのに自分をこの場に連れてきたのは、孤児を切り捨てられないことを彼自身が理解していたからだ。だからこそ自分がしくじるであろう後始末の保険を立てた。そんな知性と冷徹さも持ち合わせなければ孤児団体の運営が上手くいかないことを、彼は身を持って味わっているからだ。
それなのにいざその時が来たら見捨てられない。そしてとぼけたように何がしたいと尋ねたりしてくる。気付かないフリをしていても心の底ではわかっているはずだ。良い環境を用意すれば救える者もいると同時に、どうしようもなく救えない者もいることを。
「理想を語るなら力を示せよ。単純な話だろ?」
その力を示すために自分もここにいる。努があそこまで対人戦に嫌悪感を示しているのなら、オルファンの対処にも困っていることだろう。盗賊を自身の手で殺めたくはないが、周囲の安全は確保したい。努の心情としてはそんなところだろうか。
その点自分は荒事にも慣れているので万が一盗賊を殺したとしても大した負担にもならないし、今はタイミング良く無限の輪の一軍も出払っている。オルファンを無力化すれば多少の評価は得られるし、戻る切っ掛けにもなるだろう。
「まぁ、今のてめぇにそんな力があるとは思えねぇがな」
そして何よりも、最近は派生のユニークスキルが発現したこともあって力を持て余している。その力を全てぶつけられる者と真っ向から戦えるのなら、多少の面倒も買えるものだ。そのついでに無限の輪のリーダーである努に恩も売れて、旧友の悪縁も斬れるなら尚のこと良い。
大剣を上段に構え、翼の揚力を利用して低空飛行でもするように大盾を構えているダリルに迫った。そして大剣とは思えないほど軽々しく振られるアーミラの猛撃を、彼は大盾で真正面から受け続ける。
「パワー、スラッシュゥゥゥ!!」
「ディフェンシブ!」
スキルの力も乗った必殺の一振り。それに対抗するようにダリルもスキルを使いVITを上昇させて衝撃に備え踏ん張る。大剣と大盾が交差するとまるで魔法が拮抗しているような音が響き、孤児たちが身震いするほどの衝撃が走った。
その衝撃の中心にいたアーミラは振り切れなかった大剣を引くと、多少大盾がへこんだ程度で済んでいるダリルを見やる。
「流石に押し切れねぇか」
「…………」
「なら仕方ねぇ。奥の手を出すしかねぇな?」
そんな言葉とは裏腹に早く奥の手を披露したい様子のアーミラは綴る。
「神龍化」
そのユニークスキル名と共に、アーミラの長髪が熱を上げていくように白く染まっていく。仙骨の辺りからは蜥蜴のように尻尾が生え、背中の翼は血管を浮き出させながら更に膨れ上がる。
そんな神龍化での変化でダリルの目を引いたのは、大剣を持っていた彼女の右手がまるでドラゴンの前足のように大きく発達していたことだ。それはまるでモンスターの腕を無理やり人に移植したかのような歪さがあった。
「すぅー……」
「……! コンバットクライ!!」
この一帯を焼き尽くさん限りのブレスの予備動作を孤児たちに向けて放とうとしたアーミラに、ダリルはすかさず穿つような赤いコンバットクライを放つ。龍化時に限っては有効なその赤い波動を浴びた彼女は口端を上げた。
「エンチャント・アース!」
西瓜の種でも吐くように放たれた細かなブレスを、ダリルは地面に大盾を突き刺し遮蔽物のように利用して防ぐ。しかし想定以上にその威力が強く、地面に刺した大盾が使い物にならないと判断した彼はマジックバッグから新たな大盾を取り出す。
そして大盾がブレスを受け切れず弾け飛んだ瞬間、アーミラは強靭な翼を振るって一足飛びで近づいた。
「パワースラッシュ」
「っ!」
ダリルの顔を龍の手の影が物理的に覆う。巨大な手で握り締められた大剣が振り被られ、万全の状態で大盾を構えている彼を薙いだ。
地面に踏み止まろうとしたダリルの足は浮き、一瞬でその場から搔き消えた。人知を越えた一振りによる風圧はアーミラの後ろにいた孤児すら吹き飛ばし、地面を転がっていく。
廃墟の壁に叩き付けられたダリルの大盾はぐしゃぐしゃになり、重鎧は衝撃を抑えきれずに砕けていた。重騎士の高いVITが真正面から受けても防げなかったその攻撃に彼は身震いしながら立ち上がろうとするも、もはや致命傷に等しい状態では不可能だった。
「やっぱり死なねぇか。当たれば深淵階層でも苦労しなかったんだが
異様なほどの汗をびっしょりとかいていたアーミラは龍の手を地面に下ろして足で踏んづけると、そこから勢いよく右手を引っこ抜いた。彼女の右手が抜けると同時に龍の手は光の粒子に包まれて霧散を開始する。
それから神龍化を解除して髪色が戻っていき息を整えている間でも、ダリルは身じろぎをするくらいしかできなかった。どうにか力を入れようとするも破損した鎧が擦れる音を響かせるだけだ。
「これでもうお守りはいなくなったわけだが……随分と呑気なもんだな。エンチャント・ファイヤ」
そんな満身創痍のダリルを見て助けようともしなければ、仕掛けてもこない孤児たちをアーミラは冷めた目で見やる。そしてマジックバッグから無骨な大剣を引き出して刀身に炎を付与した。
もう決着がついたと思いきや未だに戦う気しかない雰囲気のアーミラが振り返ってきたのを見て、うんざりするほど実力差を見せつけられて完全に戦意を失っていたリキは降伏するように両手を上げる。
「ま、待てっ! 俺た――」
「死ね」
そう言葉では告げたものの実際に殺す気はないのか、無抵抗なリキに構わずその右腕を大剣で叩き落とした。
「あっ――ぎゃああぁぁぁ!? ああああああああ!!!」
自身の腕が斬り落とされたことを認識したと同時、真っ赤な刀身を断面に押し当てられて火傷による止血を行われたリキは絶叫した。いくら神のダンジョンで死ぬことに慣れているとはいえ、拷問に近い行為を経験することはほとんどない。
その度し難い痛みに悶絶している間に右足も斬られてからその赤い刀身で止血されたリキは、ショック死するのではないかと思われるほどの過呼吸に陥っていた。そんな彼の有様を見て顔を青くした黒魔導士の少女はばっとアーミラに杖を向ける。
「メテ――う、ふぐううぅぅぅ……!!」
杖をかざして短い詠唱が終わらぬ内に、アーミラは間合いに踏み込み大剣の腹で死なない程度の力を込めて少女の顔面を叩いていた。それに怯んでいるうちに彼女から押し倒され、先ほどのミーサと同様にナイフでの口封じを施される。
「やめろぉぉぉぉぉ!!!」
「はっ、威勢が良いな」
リキは手足を失い、重騎士はもはや立てない状況では自分が前を張るしかない。それでも恐怖で動けなかった感情を振り切るように叫んだ大剣士の少年に、アーミラは笑みを深めた。
決死の覚悟で大剣を振るう少年にアーミラは真っ向から付き合ったが、数合で決着はついた。彼女の攻撃を受け切れずに腕があらぬ方向に曲がってしまった少年は苦悶の表情で地に膝をつく。
「で? 残りはお前だけなんだが、足掻きもしねぇのか?」
「……私なんかが、貴女に敵うわけない」
「そりゃそうだ。なら潔く自害でもするか?」
そう言われたモイはだらんと持ち下げていた双剣を見つめた後、靴紐を結ぶようにしゃがむと自身の足の腱を深く斬った。その後左腕にも深々と双剣を突き立てた彼女の奇怪な行動に、アーミラは感心でもするように息を漏らした。
「ある意味で思い切りはいいな。それなら後はあいつらに喰い散らかされて仕舞いだな」
「……その前にこれ、あの人に返しておいてもらえますか」
事が終わった後のおこぼれを狙っている亜麻色の服を着た集団を見やったアーミラを前に、ぺたんとその場に座り込んでいたモイはマジックバッグから緑色の杖を差し出した。
「……あぁ、ツトムの杖か?」
「はい」
「はっ。今更罪滅ぼしのつもりか?」
「そうですね」
「なら何で事前に返さなかったんだよ。無限の輪のクランハウスにでも送っとけば済んだ話だろ?」
「貴女からすればゴミみたいな存在でも、私にとってリキは大きな存在でした。彼どころか二番手の人でも、裏切れば死んでしまうと思うくらいには」
「……へー」
途中から怪訝そうな顔で空を眺めて話半分だったアーミラは、雑な相槌と共にモイを抱えるように持ち上げた。
「そんなに返してぇなら、自分で返せ」
すると彼女はそのままモイを亜麻色の服を着た集団の方に思い切り放り投げた。そして地面に落ちてゴロゴロと転がるモイに、亜麻色の服を着た集団はアーミラが来ないことを確認した後、金でもばら撒かれたかのように殺到する。
とにかく自分の利益を確保しようと多くの手が伸びてきたのを見て、モイの生気を失った目にも涙が滲んだ。
そしてモイが無理やり装備を剥ぎ取られている最中、他の倒れている孤児たちにも目がつけられてにじり寄っていく。
すると突如としてアーミラとダリルの間に割り入るように、上から何かが勢いよく降り立った。
「…………」
対人用にショートソードを引っ提げていたガルムは神妙な顔で彼女を見つめる。もはや虫の息のダリルや四肢を欠損している孤児たちに、乾いた血が張り付いている大剣を持ったアーミラを。
「ハイヒール」
「ダリル!!」
それから緑色の気が負傷していた者たち全体に着弾し、悶えるほどの痛みを癒していく。その後をついてくるように降りてきたミルルは慌てたようにダリルの下に駆け寄り、内臓が潰れて顔が土色になっていた彼の治療をすぐに始めた。
「……あー、それ。僕の杖なんですよねー。悪いんですけど返してもらえます?」
そして身体を丸めていたモイから丁度もぎ取るように緑色の杖を奪っていた浮浪者に、ヒールを飛ばしていた努はフライで距離を取りながらも気まずそうに話しかけていた。
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