第463話 夫婦漫才

「あー、こんな状況で依頼してくれるのはありがたいですけど、現状では難しいですね」

「……何故?」



 ガルムとさして変わらないほどの背丈に、港町で生まれ育ったかのように精悍せいかんな肉体をしているドルダンという男は、努からの予期せぬ答えを前に納得できない様子で呟く。


 ボサッとした派手な青色の髪も相まって努からすれば海外のギャングとでも相対しているような気分だったが、話の内容が刻印に関するこというのもあってビビり散らかすことはなかった。


 カミーユの着ている水着のように深海の底まで辿り着ける刻印装備が欲しい。ドルダンの話はそれに尽きた。そして彼の在籍しているクラン内にあるアルドレット工房にも大分前から依頼をしているものの、法外な請求を次々と追加してきて一向に受ける気配がないという内部事情も明かされた。


 そんなクランの内情も聞かされた努からすれば、これは今まで散々酷評されていた刻印士としての名を上げる絶好の機会ではあった。アルドレット工房の圧力よりも自らの本能が求める深海を優先する魚人の依頼はしばらく絶えないだろうし、それらを成功させていけば刻印士としての信頼と経験値も積み重なる。


 だがそれでも努は依頼を申し訳なさげに断ってきた。勿論ドルダンも努の状況については織り込み済みで、互いにメリットがあると考えて依頼していただけに断腸の思いが垣間見える彼の様子には困惑していた。


 するとアルドレットクロウの四軍で魚人であるドルダンとの繋ぎ役となっていたカミーユは、しょうがないなぁと言わんばかりに首を振った。



「私のことを特別だと想ってくれるのは嬉しいことだが、ツトムの利益になる仕事ならば気にしないぞ? それに相手も男だし、な?」

「自意識過剰がすぎる」

「……あぁ、それなら女の魚人も呼ぶが?」

「いやだから、そういうことじゃないです」



 随分と久しぶりに通されたギルドの奥にある応接室で怪しい笑みを浮かべている彼女と、何処か得心のいった顔をした彼に努はそう弁明した。



「カミーユにあげた深海装備については、身内のノリで作ったらたまたま上手くいったってだけなんですよ。同じような物はそうそう作れません」

「ご謙遜を」

「本当に謙遜ってわけじゃないんですよ。……現物持ってきたので、並べるの手伝ってくれます?」



 ただカミーユから話を聞いた時から深海に関することで魚人が口だけで納得してくれるとは思っていなかったので、努は彼女にプレゼントした水着作成に必要であろう刻印油をマジックバッグに入れて持ってきていた。



「……待て。まだあるのか?」

「あと半分くらいです」

「これだけあるなら、一つくらいちょろまかしてもバレなさそうだな」

「僕のレベルじゃあの水着に実質これだけかかる予定だったんですから、それで勘弁して下さい」



 ゼノが独自のルートでかき集めてくれた141から151階層相当の刻印油が入った瓶は、手伝いを申し入れられたドルダンが引くほど多く机からはみ出て床にまでずらりと並ぶほどだった。それに加えて無限の輪の一軍がギルド長のためならと少し時間を割いて取ってきてくれた、現状では最高峰である159階層の刻印油まで揃っている。



「実際、これだけの刻印油を準備してもレベル30じゃ三つの刻印は成功しない計算だったんですよ。そこらのスポンサーなら吹っ飛ぶ金額ですし、その間は成功するまでひたすら刻印油塗らなきゃいけないんで拘束時間も長いんです。だから割に合わないんですよ」

「……つまりあれは、私に対する愛の結晶というわけか?」



 そんなコストと手間をかけるほど自分を想ってくれていたのかと顔をにんまりさせているカミーユに、努はしょうもなさげに鼻で笑った。



「いや、水着と評して激レア装備渡したら面白そうっていうただの悪ノリですね。それが思いのほか早く出来ちゃって僕自身困惑してるんですよ。おかげでレベルめっちゃ上がったんでありがたいですけど」

「素直じゃないのはその口か?」

「実際に愛とやらで刻印確率上がるなら結婚しますけ――」

「ほう!!!!!」

「……反応が早すぎて怖いんですけど。だから僕はレベルと結婚して刻印確率上げてるんですよ」

「……さっさと破局してしまえ」



 室内であるにもかかわらず地面に唾でも吐きそうな顔で毒づくカミーユに、努は苦笑いしながらせっせと刻印油をマジックバッグにしまっていく。するとドルダンはニッと凶悪な笑みを浮かべた。



「夫婦漫才はもう終わったのか?」

「悪ふざけは終わったので、ここからが本題ですね。まぁ、ある程度見通しはついてるんでしょうけど」

「あんたに作ってもらえるなら最善ではあったがな。そういう不利益があるなら仕方ない。それなら散々こき下ろしてたあのツトムでも作れるのに、お前らは作れないのかとアルドレ工房に発破でもかけるさ。あの爺どもがどう返してくるのか楽しみだ」



 仲間の魚人たちと協力して何とか依頼料金をかき集めたにもかかわらず、後から追加料金がかかるとごねて手をつける気配もなかったアルドレット工房にドルダンは怒り心頭のようだった。



「たまたまとはいえ作られた事実は変わらないので、交渉材料にはなると思いますよ。ただレベル50でも三つ目の刻印は順当に行けば手こずると思うので、想定以上に刻印油を消費する可能性はあります。その時はあまり責めてあげないでください。僕の融通できる範囲で刻印油渡しておくので」

「……そいつはありがたい申し出だが、いいのか?」

「こういう形で僕に依頼するだけでもアルドレット工房への牽制になるとは思いますけど、ちょっとドルダンさんにばかりリスク押し付けちゃってる感じもありますしね」

「リスクでいうなら、あんた自身が一番大きかったんじゃないか?」

「……いやー、僕より刻印油貸し付けてたゼノの方が肝を冷やしてたと思いますよ? 下手すればこの刻印油全部溶かしてた可能性があったんですから。僕は人の金で刻印してただけですから、気楽なもんでしたよ」

「…………」

「すみません、ちょっと見栄張りました。今だと気楽なもんではないですね」



 その言動に軽く引いている様子のドルダンを見て、努は目を上向かせながら冗談だというように笑って自前の刻印油を差し出した。


 元の世界に帰ってからはこの世界の貨幣も多少は意識せざるを得なくなったので、言うほど気楽なものではなかった。だがそれでも探索者にかかわることについては、以前のような感覚のまま臨むようにしている。


 物欲センサーはゲーム内に限らない。実際この世界に帰るためにとにかく金を稼がねばならない状況になった時、プロゲーマーになって収入を得た直後の努は金を使うべき時に使えなかった。そして度を過ぎた節制によって多少の金こそ貯まったが、ストレス性胃腸炎で二週間ほど活動を休止せざるを得なくなった。


 それからはこの世界にいた時と同様、自分自身に投資することを厭わなくなった。手軽なインスタントではなく健康的な食事のデリバリーを頼み、座ってゲームしながらでもできるペダル運動を取り入れ、騒音の多かったボロアパートから引っ越してまともな睡眠を取った。


 いわゆる健康的な食事、運動、睡眠。それらは単純すぎて鼻で笑ってしまうような自身への投資だったが、努にはそれで十分だった。他の人や企業などに投資すればもっと早く目標金額を達成できたのかもしれないが、『ライブダンジョン!』の知識を応用出来た世界とは違うので手を出さなかった。


 そして努はプロゲーマーとしての仕事だけでマジックバッグの中身を満タンにしていた。ただ当初は世界大会の莫大な優勝賞金で稼ごうとしていたし結果は出したものの、その過程である配信稼業の方が思いのほか上手くいったことが大きかった。



(三年前の遺産があったとはいえ、よくこんな頭おかしい水着作成に数億も貸してくれたもんだよ。流石に全部溶かしてたら気楽とは言えなかったな)



 そんな経験もあったので以前よりかはGの価値についても改めていた努は、ゼノのリスクの持ちようには感心していた。以前ならばたかがゲーム内通貨であるGをいくら溶かしたところで何の良心も痛まなかったが、今はその手段こそ変わらず取るが僅かながらの良心とその重みは芽生えるようになった。


 だからこそ努はリスクを取ってくれたゼノ工房には多少の色をつけて返すために、40レベルになった刻印士としてこれから作る刻印装備は優先的に回す予定だった。これからはそれで手が埋まるの予定なので、努はドルダンの依頼を引き受けることは出来なかった。



(しばらくは低乱数引くハメになりそうだから博打は打てないけど、40レベル相当の刻印装備はそこまで市場に流れてない。しばらくそれで禊みそぎしてレベル50までいったら、刻印五つに挑戦するんだ……)



 それが安定するようになれば無限の輪の一軍にその刻印装備を着させ、一番台を目指して攻略を進めてもらう。そうなると恐らくアルドレット工房も黙ってはいないだろうが、それは努としても装備での殴り合いは望むところである。



「ルークさんがクランリーダーを辞める前からアルドレットクロウはきな臭くなってる。あんたも気を付けろよ」

「どうも」



 アルドレット工房の目的が何かはまだ断定できていないが、生産職に謎の天井があることは明確だ。しかもそれは恐らく生産職の単純な腕の問題ではなく、人の思惑によるものだろう。そもそもジョブが確立される前から活躍していた職人全員が無能揃いというわけもない。技術的には問題ないはずだ。あるのはアルドレットクロウの人為的で、驚異的な抑え込み。


 そこにほんの少しでも穴を開ければ、若い世代の生産職たちはそこから漏れ出る光を求めて群がってくるだろう。



「それじゃ、お疲れ様です」

「夫婦漫才だとさ」

「…………」

「おい」



 そうなることを期待してドルダンに私物の刻印油を投資した努は、カミーユから逃げるように応接室を出た。

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