第464話 ソシャゲの手法

(もうお前とはやっていけそうもない。破局だ破局)



 刻印士のレベルが一気に40になったことで新たな刻印がいくつか刻めるようになったので、努はステータスカードに映っている模様を敗者の服に模写して刻んでいた。だがそれらにいくら刻印油を塗っても乾いたスポンジのように吸い込むばかりでちっとも成功しなかったので、レベルとの破局を宣言しながら空になった瓶をしまった。


 せっかくの休日なのに午前中から二度とやらんわこんなクソゲーの精神に包まれた努は、胡乱げな顔のまま自室を出て洗面所で切り替えるように顔を洗う。そして鏡を前にしょうもない、と言わんばかりの特大ため息をついたのを最後に、数時間かけて刻印油を溶かしただけの午前中とは決別した。



(実際、このレベル帯から苦行になってくる感じはあるな。刻印の形も複雑になってきて模写に時間かかるようになってきたし、刻印油の消費激しい割には成功率も微妙。レベルの上がり幅も鈍くなってくるし、先の五十まで見ても強そうな刻印ないしな)



 自分のように低乱数を引いて刻印油を溶かしただけの時を過ごしてしまうことは、生産職の中では割とあることだろう。それがゲームなら爆死しましたとスクショ付きでSNSに上げれば済む話だし、努としても同じような感覚なので実際に萎えはするが慣れたものでもある。


 だがそれが実際の仕事となればそうもいかないだろう。期日までに納品しなければならないのに確率が偏って刻印油溶かしただけで作成できませんでしたとなれば、その生産職の信頼は地に落ちる。それにレベルの鈍化やアルドレットクロウの圧力など、複数の事情が混じればその安定重視の選択肢を取るのが当然なのかもしれない。


 そんなことを考えながらクランハウスのリビングで作り置きされていたサンドイッチをいくつか貰ったところで、自分と同様に若干油臭いユニスが二階から降りてきた。刻印油によってか毛並みも荒れて捨て犬のような見かけをした彼女は、努と目が合った途端に何故かしたり顔になった。



「ツトムの刻印、短縮できるところばっかだったのですから修正してやったのですよ。この通りにやればいいのです」



 いつぞやに作成したハンナの刻印装備とユニスが手書きで作成したであろう刻印の図面を両手に持ってバンと眼前に出された努は、少しだけ興味深そうな顔をした。ただその図面を見て彼女が言いたいことを理解した途端に、興味なさげな表情に逆戻りした。



「いや、これですら刻印する場所余ってるんだからそもそも短縮する必要ないよね?」

「……でもこれで刻印する手間は少し省けるのですよ」

「確かに刻印の紋様で同じ場所を見つけてそこを繋げるようにすれば書き数は短縮できるけど、それよりも新しく開放された刻印を無心で模写した方が早いよ。それに正解はいずれ誰かが導き出したらすぐに出回るし、これも最適解じゃないからね。こことここ、左右で繋げると水圧耐性の紋様になるから組み合わせが違う」

「そんなわけっ! ……いや、これだと、えーっと……あるかも……しれないのですねぇ?」



 図面を手に取った努の指摘をすぐさま否定しながらも一応確認はしたユニスの言葉は、どんどん尻すぼみになっていく。そして最後には返してもらった図面と睨めっこしながら小首を傾げることに収まった。


 確かにその小学生でも時間をかければ解ける間違い探しとクロスワードパズルを組み合わせたようなことをすれば、複数の刻印を短縮した形で書き込むことができる。そうすれば小さな装備品に刻印する際にはスペースを確保できるし、生産職に言わせると見栄えもよくなるらしい。


 ただそれで得られるメリットは、努が調べて検証したところでは現状それだけである。もし短縮することで刻印油の消費が抑えられたり、刻印の成功確率をまとめることなどができればそれをする価値はあるが、努が検証した限りでは確認できなかった。


 それでも恐らく十個の刻印を一つの装備に施す際にはこの小技にもこだわる必要性は出てくるだろうが、レベル四十程度では趣味の脳トレのようなものでしかない。そんな細部よりもまずはとにかく物理レベルで殴るほかない。



「レベル10の白魔導士が撃つヒールの早撃ち練習にこだわっても微妙でしょ」

「……その例だと確かにそうなのですが、でも本業の刻印士はまず各素材の彫り込みに慣れることからって言ってたのです」

「それならその人の言う通りにすればいいんじゃない? 僕は刻印士が本業じゃなくて、あくまで探索者だからね」

「……んぅー」



 妙な唸り声と共にユニスのぼさぼさした狐耳がアンテナのように立って硬直する。そんな彼女の妙に油ぎった狐耳と、自分よりよっぽどきっちりと描かれている図面に視線を落とす。



「その様子だと刻印装備はいくつか作ってるよね。見せてくれる?」

「……別にいいのですが、ちょっと待つのです」



 そう言うとユニスは階段を駆け上がってエイミーの部屋に行ったようだったので、努もあくびを一つ漏らしながら自室にサンドイッチだけ置いてきて彼女の帰りを待った。そしてどたばたとした足取りで何着か持ってきた彼女の刻印装備を確認する。


 刻印士ならば誰もが通る敗者の服から、今では珍しい草原階層の宝箱から出る草風のローブにまで生意気にも刻印している。潜っている階層に比例して装備品が強化される鉄板の刻印を筆頭に、無難なステータス強化の刻印から一人PTでのみ効果を発揮するマイナーな刻印まで一通り施している。


 それに加えて元々手先は器用なのか、衣服の状態も悪くない。自分が刻印を始めた当初は何着も敗者の服を駄目にしていたが、見た目の出来だけなら人にもよるだろうがユニスの方が上手いという者もいるだろう。



「これだけ綺麗に刻めるなら技術は十分でしょ」

「……んぅ―?」



 心底感心したような顔でそう言いながら刻印装備を返してきた努に、ユニスは疑いもあってかそれで口を押さえたが若干の喜びは漏らした。背後の尻尾は風に揺れているかのようにうねる。


 そんなユニスの様子を窺いながら努は彼女が捨てるように置いていった図面も手渡す。



「こういった正確な図面も後々には生きてくると思うし、目の付け所自体は悪くない。この調子でいけば刻印士としていい線いくんじゃない?」

「いや、逆にツトムがここまで言うのは怪しいのです。何か裏があるはずなのです」

「それならさっきも言ってた本業の刻印士のいうことを参考にすれば? 僕は勿体ないと思うけど」

「……まぁ、参考の一つに加えてやってもいいのですがっ」



 刻印装備を顔の前に寄せて表情を悟られないようにしているユニスがそう言い捨てたのを皮切りに、努は身を翻して自室の方に戻っていく。



(少なくともレベル20くらいまでは大した壁に当たることなく上がれるし、楽しい時期だしな。レベル30辺りまでいってくれればあとは勝手にハマってくれるだろ)



 そもそも帝都でも薬師をしていたところからして、ユニスは明らかにサブジョブを活かす適正がある。なので2レベで飽きたハンナよりはまともに続けるだろうし、それに成果もついてくれば楽しくレベル上げを進めてくれるだろう。


 そして30レベル辺りでしっかりとした壁にぶち当たる時には、自分が刻印士として明確な成果を出せる頃でもある。そこで一種の正解ルートを見せてあげれば多少の苦行を押し切って越えてくるだろう。



(……今までかけてきた労力を無駄にしたくなくて引き返せなくなる、の間違いかもしれないけど)



 そして40から50レベルにまで育ててしまえば、結構な時間と労力をつぎ込んできたそれを捨ててしまうのも惜しくなってくる頃合いだ。そうなってしまえば勝手に刻印士として良くも悪くも名が売れていくだろうし、多少叩かれたところで今更止めることもできないだろう。



(薬師は現状だと森の薬屋の下位互換にしかならないしな。他のサブジョブだったらよかったのに)



 ポーションについては既得権益もあるが、スキルで作ると味が致命的になるというところがとても大きい。恐らくレベルを上げれば改善はするのだろうが、現状では現実のポーションを調合する技術が合わさらなければ使い物にならない。それにステータス向上系のポーションについては薬師がこぞって開拓しているため、金で買った方が早い。


 爛れ古龍戦で見た毒運用については開拓の余地はある。だが意味もわからず三年も迷宮都市から離れたことで探索者としての立ち位置は微妙になっている彼女を、自己責任だとこのまま放置するのは何だか寝覚めが悪い。



(午後は理論値くらい出させてくれよ)



 努はそう願いながら探索者兼、刻印士として覇権を取るために今日の休みも刻印のレベル上げに費やした。

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