第418話 応援の言葉
「ちっちゃいねぇ~」
自分の差し出した人差し指を小さな手で握ってくる赤ちゃんに、カミーユが猫撫で声で語りかけている。そして無邪気な顔で笑う赤ちゃんを前にリーレイアも思わずにっこりとしていた。
「こう?」
「そうそう、そんな感じです」
「…………」
そしてそれはゼノの呼びかけで久しく集まっていたクランメンバーたちも、この場だけなら同じ気持ちではあった。ディニエルは赤ちゃんに興味があったのか不慣れな様子で抱っこの練習をしていて、逆に孤児院育ちで慣れていたダリルはそんな彼女に色々と教えている。
「アーミラも昔はあんなに可愛かったんだぞ?」
「黙ってろ」
赤髪をばっさりと切って以前よりも目つきが荒っぽくなっていたアーミラはそんな二人を下らなそうに睨みながらも、母の小言に舌打ちを漏らしていた。
一ヵ月ほど前にピコの出産は終わり、元気な女の子が生まれることとなった。とはいえ実際にはそこに立ち会ったコリナが死期の見えていたピコに緊急対処しなくてはならないほどの難産ではあったのだが、結果としては彼女の密かな活躍もあって母子ともに無事であった。
そして努とエイミーがこの場にいないとはいえ、元無限の輪のメンバーがここまで揃ったのは今日が初めてだ。それは元クランメンバーであるゼノに子供が出来たことと、コリナやリーレイア、カミーユの根回しがあったおかげで成立したといってもいい。
コリナは今も最前線に位置しているアルドレットクロウの一軍と神のダンジョン内で何とかして出会い、ディニエルにゼノのことを伝えた。伝えた当初彼女は渋っていたものの、ステファニーからの進言もあって今日ここへ足を運ぶことになった。
ダリルはあれからたまに孤児団体へと顔を出すようになったリーレイアから懇々と説得を受け、結構な気まずさと共にこの場へと居合わせていた。そして前と変わらないテンションで語りかけてくるゼノとは多少喋っていたが、ガルムとはまだまともに目すら合わせていなかった。
今はギルド職員として主にダンジョン調査員の仕事をこなし、たまに門番などもしているアーミラは半ば無理やりカミーユに連れられる形で来た。ただ、たまに仕事の話を元ギルド職員であるガルムとしたり、ゼノには酔った勢いで高いワインをたかったりなどの細い繋がりはあったので、彼の出産祝いに顔を出すぐらいの義理はあった。
「そういえば――」
「あー、そういや、新聞でお前の騒ぎは見たぜ。随分と難儀なこったな」
そしてギルド内で仕事をしている時には気持ち悪いぐらい話しかけてくるリーレイアからの言葉を遮るように、アーミラはコリナへ突っかかるように肩へと手を置いた。急に肩を叩かれて振り返った彼女はジトっとした目でリーレイアから睨み付けられていることに理不尽を感じながらも、それに答える。
「あぁ……取材断るの、面倒臭いんですよね……。結局、ガルムさんに頼ることになってしまいましたし……」
コリナが前職での繋がりを通じて医療と回復スキルの掛け合わせを学び、結果としてピコを救うに至った医療行為自体は秘密裏に行われた。しかし何処からかその情報は漏れだしてしまい、今では神から与えられたユニークスキルである死神の目は人命救助に使うべきである、という誰ともわからない主張が新聞に載せられることが多くなった。
「ギルドにも面倒なのが来たから、半殺しにしといたわ」
「ははは……冗談ですよね?」
「最近の門番はぬるいんだよ。ガルムぐらいの迫力は持ってほしいもんだ」
「あまりカミーユさんに迷惑はかけるなよ」
「へいへい。それじゃ、挨拶も済ませたし俺はそろそろ帰るわ。まだ仕事も残ってるしな」
ガルムからの小言を流したアーミラはそう言い残して帰る素振りを見せた。すると赤ん坊をピコに預けたディニエルが思い出したように言った。
「そういえば、ツトムが帰ってくる手段の手掛かりは何か掴めた? エイミーはまだみたいだけど」
唐突なディニエルの発言にアーミラだけでなくクランメンバーたちは表情を固まらせた。まるで時が凍ったかのような静寂が流れるばかりか、アーミラを筆頭に剣呑な空気すら流れ始める。
「うぅっ……」
「あっ、よしよーし」
そのしんとした空気を打ち破るように泣き出した赤子の声を聞いて、ピコは慌てたように目を泳がせながらあやした。そして赤子の泣き声が止んで来た頃に、ガルムは絞り出すように口にする。
「……残念だが、まだだ」
「そう」
「はっ、何が残念だよ。気色悪い。あんな裏切り者、一生帰ってこなくていい」
「裏切り者?」
吐き捨てるようなアーミラの言葉に、すぐさま反応した者がいた。リーレイアだ。
「私もそれには同感です。結局のところ、あの人は元の世界へと帰る目的を隠しながらも無限の輪を設立し、その目的が果たされたと同時にそれが露見しそうになったら逃げ帰るように去っていきました。差し詰め私たちはその目的のために利用されていたといってもいい。裏切り者だと呼ばれても仕方のない行為でしょうね」
「……それは」
苦しそうな顔でガルムが何か言おうとしたところを、リーレイアは人差し指を立てて止めた。ここでガルムがツトムのことを擁護したところで、むしろ事は悪化するだけだ。
ダリルの反応と行動は極端すぎたが、リーレイアも今となってはそのことに若干の腹は立っている。皆に託された手紙の文脈からして、恐らく彼は誰にもその目的を明かすことなく帰るつもりだった。だがエイミーの鑑定によって彼女にだけはバレてしまい、その対抗策として努はガルムに目的を共有した。
その秘密を共有する相手は選ぶべきだっただろう。特にディニエル、次いで自分には打ち明けるべきではなかったのかもしれない。だが少なくともコリナやゼノ、ダリルなどには共有してもよかったのではないか。
そうすれば無限の輪は今のようにバラバラにはならなかったのかもしれないと思うと、ただ努の言いなりになっていた、というよりは優越感すら感じていたようにすら思えるガルムには多少思うところはある。
そして努も最後はクランリーダーとしての役目を果たさずに逃げた。初めから彼が異世界のことを話せる勇気さえあれば、こんなことにはならなかった。この責任の半分は彼が担っていたといってもいいだろう。
「ただ、その別れ方が酷かったとしても、少なくとも膨大な資産と意思は遺して元の世界に帰った人と、クランリーダーがいなくなったからといって年単位で過ごしたクランを早急に脱退を決意した人たち、無限の輪からすれば一体どちらが裏切り者なのでしょうね?」
「……あ?」
皮肉めいた笑みを浮かべながら小首を傾げたリーレイアに、アーミラは迫力のある低い声を返した。そんな彼女を見てリーレイアはくすくすと笑った。
「確かにツトムが無限の輪を裏切った形で元の世界とやらに帰ったことは、到底許せない行為です。それを理由に皆さんが無限の輪を抜けたのも理解は出来ますよ。彼がいなければこれほどのメンバーは集まらなかったし、その維持すら難しかっただけのことでしょう。私だって初めは抜けようと思っていましたから、裏切り者の一人といっても差し支えないです。ただ――」
確かに努の問題も大きかったが、だからといって全てが彼の責任になるわけがない。今にも噛みついてきそうなアーミラを前に、彼女は底冷えるような真顔で告げる。
「貴女はいつまで被害者面を続けて停滞しているつもりですか? ギルドに骨を埋める気もなければ、神のダンジョンには未練がましく潜ってレベルも上げている」
「……それ以上喋んな」
「喋ったらどうなるんですか? 力づくで止めてみる? 酒と煙草にかまけて大した身体づくりもしていない癖に、出来もしないことを喚くな」
「話も聞けたところだし私は帰る。それじゃ」
完全に一触即発な二人の後ろをディニエルはさっと通り抜け、怯えているピコの抱いていた赤子に手を振った。そんな彼女のあっけらかんとした行動にピコが口をポカンと開けている中、隣にいたゼノも思わず苦笑いを浮かべながら尋ねる。
「ディニエル君は、もしツトム君が帰ってきたら無限の輪に戻るつもりなのかね?」
「さぁ、どうだろう。その時の状況と気分による」
「そうか……。なら今後も何かあれば誘っても構わないかね?」
「個人的な要件は気が向いたら行く。けれど今の無限の輪には価値を感じないから、探索者としての呼び出しは控えてくれると助かる」
「ははは……」
ディニエルの歯に衣着せぬ発言にはゼノも空笑いを禁じ得なかったし、竜人の二人もぎろりと擬音でも聞こえてきそうな目付きで彼女を睨んでいた。そんな彼女たちの視線にたじろぐ様子もなく、ディニエルは扉に手をかけた。
「二流からの脱却、頑張って下さいね」
「…………」
そんなディニエルに額へ青筋を浮かべながらも満面の笑みを作ったリーレイアは、ステファニーとPTを組んでいる彼女に向けて応援の言葉を送った。その言葉を受けてディニエルは一度振り向いた後、不気味なほど静かに扉を閉めた。
「……んんん~? なんか、ムカついてきたっすぅぅ~~~!! 誰が価値を感じないっすかぁぁ!! あたし、結構頑張ってるっすよぉぉぉ!!」
そして今更になってディニエルの発言を咀嚼し終わりカチンときていた様子のハンナは何やら喚きながら彼女を追いかけていったが、数分後に半べそをかかされて帰って来た。
「……ちっ」
「あっ、こら。すまない、邪魔したな。それに怖い思いもさせてしまってすまない」
「いえ、大丈夫です」
その後アーミラも舌打ちを残して早々にその場を立ち去り、カミーユもピコへ詫びた後に娘を追いかけていった。それに乗じてダリルもひっそりと姿を消していて、残ったのは無限の輪の者たちだけとなった。
「……そういえば、ダリルとは話しました?」
「……すまん」
今日の機会にダリルと仲直りの切っ掛けを掴むのだとガルムは事前に話していたが、結局一言も会話をしないままだった。そして不甲斐なさげに謝ったガルムに、コリナは先ほどの剣呑な空気を思い出して何ともいえない顔をするしかなかった。
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