第401話 冷めた宣告

「自室で装備を整えろ。それが終わったらクランハウスの外で待っててくれ」

「で、でも」

「早くしろよ……」



 追いすがるようにしがみつこうとしてきたエイミーに対して努は感情的になるのを何とか抑えようとしたものの、その声からは彼女に対する失望の念が滲み出ていた。それを感じ取ったエイミーは白い猫耳をしんなりと萎れさせたが、早々とした足取りで部屋を出ていった。



(今にでもリーレイアが用紙を盗まれたことに気付いてもおかしくない。今すぐ出ないと不味いことになる。くそっ、災害にでも遭った気分だ)



 緊急時のために用意していたマジックバッグをベッドの下から引き抜こうと努はしゃがみ込んだが、その前にガルムに準備させておいた方がいいと判断してすぐに立ち上がり部屋を出た。そして彼のいる部屋に早歩きで向かい、小さく声をかけながらノックした。



「どうした?」

「不味いことになった。詳しくはギルドに向かいながら話すから、悪いけど外出の準備をすぐにしてもらえる?」

「……わかった」

「準備が終わったら外で待っててくれ」



 努の表情で事態の重大さを察したのか、ガルムは兵士のような素早さで寝間着を脱ぎ捨てて丈夫で吸汗性の高いインナーを着込み始める。努もすぐに自室へ戻りダンジョンに向かうかのような装備を整え、最後に緊急用のマジックバッグから遺書に近いものを取り出して机の引き出しへと入れた。



「あれ? ツトムさん、今から出かけるんですか?」

「あぁ、魔道具の業者たちにちょっと用事があってね」



 そして部屋を出て階段を降りようとすると、丁度お風呂に入ろうと上がってきたダリルと鉢合わせした。努が道を譲るように左へずれると彼は会釈をして通り過ぎる。



「よく洗えよ」

「……余計なお世話ですよっ」



 そのすれ違いざま、からかうようにダリルの頭を指先でくしゃくしゃとした努は返された言葉を受け流すように手を振った。それが別れの挨拶などと思ってもいない彼はいつもいじられている時と変わらない調子でそう言って二階の風呂場へと向かっていった。


 リビングではソファーで新聞紙を顔に被せて寝転がっているアーミラが、静かな寝息を立てていた。オーリと見習いの者がキッチンで洗い物をしながらたわいもない雑談をしている声も僅かに聞こえる。そんな中、努はクランハウスの天井を見上げた。



(悪いな)



 黄昏れたのも一瞬のことで、努は約二年間住んだクランハウスを後にした。


 外に出ると既に準備を整えていたエイミーとガルムが玄関の照明に照らされながら立っていた。既にエイミーから事情は聞いたのか、彼の顔は険しい。



「少し話しながらギルドに行こうか」

「……あぁ」



 ガルムの表情は暗い。つい先日努の事情については本人から説明されているので理解はしているものの、元の世界に帰還することについてはまだ心の底から納得しているわけではない。


 そんなガルムを見て努はおどけたように肩を落としてみせた。



「まぁ、もうどうしようもないよ。別にエイミーのせいってわけでもない。僕もいきなりのことで余裕がなかったせいでこんな形になったんだ。今はとにかく時間がないから一先ずギルドまで向かうけど、二人には歩きながら話したいことが――」



 そんなことを言いながら努がクランハウスの門から足を踏み出した瞬間、後ろから氷が弾けたような音がした。すると彼はいきなり左足が地面から引っ張られたように転倒した。



「あ……?」



 そして自分が転んでしまったその原因を、努は目の当たりにした。



「ぐっ、ああぁぁぁぁ!?」



 努の左ふくらはぎには麻痺毒の塗られた矢が突き抜け、矢羽は赤く染まり始めていた。それを認識したと同時にあまりにも激しい痛みで思わず叫び声が漏れる。そしてクランハウスの割れた窓からか細い悲鳴と、努を撃った犯人に対して責めるような言葉が聞こえた。



「ディニエル! 何も撃つことは……!」

「こんな夜更けにこそこそと、盗人が逃げ出そうとするのが悪い」



 ぶわりと脂汗をかきながら努が振り向くと、開け放たれた窓から心底冷えた目で弓を構えているディニエルをゼノが手で制していた。風呂上がりでまだ髪を乾かしてもいないリーレイアはどちらに味方するべきか探るような目で様子を窺っている。コリナとハンナはまだ状況に付いていけていないのか呆然とした様子だ。



「……メディ、ック、ハイヒール!」



 その隙に努は激痛に耐えながらも、矢に毒を塗られていることを考慮して回復する。その強烈な痛みからか回復スキルは些か過剰に作用し、緑色の気が夜空へ広がった。



「盗人だって……? 一体何のことだ? それにしたって、くそっ、いきなり撃つなんて」

「白々しい。エイミーがあの用紙を盗んでツトムの部屋にまで届けたことは、イーグルアイを使ってこの目で確かめた。それにこの四人も用紙がなくなったことは確認しているし、そんな状況で貴方は二人を引き連れて外に出ようとしている。怪しいにもほどがある。貴方たちは一体何を隠している?」



 ディニエルは恐らくクランハウスの廊下や部屋に矢を事前に仕込み、矢を介しての視界共有が出来るスキルであるイーグルアイを監視カメラのように使い盗みの状況証拠を掴んでいたのだろう。その追及にエイミーは怯んだように白い尻尾を下げ、ガルムは依然として厳しい表情をしたままだ。


 その様子を見てリーレイアたちもディニエルの主張が正しいことを理解したようだった。窓を乗り越えて外に出たディニエルに続いて、多少の装備をした四人もまさかとは思いながらも努たちと向き合う。


 確かに先ほど彼女に説明された通り状況証拠は揃っているし、追及されたエイミーの様子も何処かおかしいことは明白だ。ガルムも完全に押し黙っている。



「そんな推測だけで、僕を撃つ理由になるのか? 無限の輪のクランリーダーの僕を、お前たちが?」



 だが努はその理論立てられたディニエルの厳しい追及を前にしても、弱気な態度は見せなかった。むしろ普段はほとんどクランメンバーに見せてこなかった怒りの感情を前面に押し出し、足から血が流れることも構わずに一歩踏み出した。



「お前たちの様子からして、あの用紙がなくなったことは本当なんだろう。長い時間をかけてようやく突破した百階層のドロップ品が無くなったんだ。焦る気持ちは僕にもわかる。だけどさ、わざわざ初めから僕を撃つ必要性まであったのか? あの用紙がなくなったって声をかけられただけで僕が逃げたのならまだ理解できる。だけど、今回は何の忠告もない完全な不意打ちだろ?」

「え、えっと。師匠。そこまで深刻な感じじゃ、ないっすよね?」



 ハンナは段々と空気が張り詰めていることを感じていたが、まだ努が冗談で異様に怒っているフリをしている可能性を模索していた。自分が今までどれだけ馬鹿をして迷惑をかけたとしても、彼がここまで怒りを見せたことはない。ちょっと手の込んだドッキリなのかな、というのが彼女の素直な気持ちだった。


 すると努は少し呆れた顔をしながらも笑顔を見せたので、彼女も安心したように気を抜いた。



「なぁ。ハンナは僕が誰かに不意打ちで足を撃ち抜かれても、まぁまぁここは穏便に、なんて言って許すような奴だと思ってるのか?」

「……えっと」

「そんなわけないだろ。お前たちは今、ディニエルを筆頭に僕の敵になろうとしている。そのくらいは、理解してるよな?」



 自分がPTを組めないほどの悪評を迷宮都市に広め、それを意図してはいないにせよ現実への帰還方法を奪おうとしていたミルルに向けていたような目で、努は五人を睨み付けた。


 その今までに見たことがない努の言い表せないような迫力を前に、コリナはただただ震え上がった。ゼノも言いよどむように口を閉ざし、ハンナは好奇心に駆られて付いてくるんじゃなかったと後悔していることがありありと伝わる表情をしている。リーレイアは顔に出るほど動揺はしなかったが、背中を百足むかでが這っているかのようなおぞましさを感じていた。


 そんな中、イーグルアイで状況証拠を自身の目で確認していたディニエルだけは努の強気な態度もただのペテンにしか見えていなかった。そして後ろで努の雰囲気に呑まれている四人を冷静にさせようと声をかけようとしたが、彼はその前に問題の追及先をずらした。



「それに、ゼノ。お前は、不意打ちを止められる場所に立っていたのに止めなかったよな? ディニエルが毒矢を番えて放つまでの間になら、お前は止められるほど近くの場所にいた」

「いや、それは……」

「にもかかわらず、僕が撃たれた後で自分だけは止めようとしたんだ、みたいな態度で保険もかけてきたよな? それで許されると思うなよ。お前はディニエルが僕を撃つことを黙認した共犯者だ。流石にこれだけで警備団から罰則を与えることまでは出来ないだろうが、僕個人で出来ることなんていくらでもある。ピコ共々、覚悟しておけよ」



 努からの底冷えた宣告に、ゼノは慌てて弁解するように前のめりになった。



「つ、妻は関係ないだろう!? 確かに、私はツトムの言う通り黙認した形になってしまったのかもしれない! それは本当にすまないと思っている! だがまさか、ディニエルが撃つとまでは本当に思っていなかったのだ! だから射撃を止められるほど注視もしていなかった! それは紛れもない事実だ!」

「あ、あのっ……! まずは矢を抜いて治療しませんか!? そのままでは回復できませんから!!」



 その会話へ割り込むようにコリナは努の足に突き刺さった矢を取り除いての治療を提案したが、彼は首を横に振って彼女の動きを手で静止させた。



「まだ、近寄るな。別に全員が敵とまでは思ってないが、そこまで信用もできない」

「そ、そんな……」

「リーレイアはどっちの味方なんだ? ディニエルの復讐に加担するような動機はないはずだけど」

「……復讐、ですか?」

「これは推測に過ぎないけど、ディニエル個人の復讐だと僕は考えてるよ」

出鱈目でたらめを」



 ディニエルは吐き捨てるように言いながら弓を構え直そうとしたが、明らかに余裕のないゼノの様子を窺って動くのは止めた。ここで無理に実力行使へ出ようものなら逆に立場が危うくなりそうだからだ。



「もしディニエルが推測した通りに僕がその用紙を盗んだっていうなら、初めから撃つ必要がない。まずは普通に用紙がなくなったことを伝えて、僕たちが出かけるのを控えさせてじっくり探せばいい。だけどディニエルはまず僕を撃った。それは何故? 僕が考えるに、九十階層でコケにされた仕返しだと思ってる」

「ダンジョンでコケにされた借りは、ダンジョンで返す。そうでなければ何の意味もない」

「本当にそうか? 何せ百年も生きてきたエルフ様だ。二十年ぽっちしか生きてない人間からコケにされたのは、相当屈辱だったんじゃないか? 流石に殺すまではいかないにしても、それこそ一発足を射抜いて泣かせてやろうと考えるくらいには」

「……違う」

「違うのかなぁ。それが正義の名のもとに行える絶好のチャンスが今日訪れたんだ。もし勘違いだったとしても言い逃れ出来るだけの状況証拠もある。一片足りともそんな気持ちがなかったと言えるのか? それなら初めに僕を撃った理由を言ってくれよ」

「……あの様子からして、お前がエイミーに盗みをさせた。親友が悪い男に騙されているのは我慢ならない」



 そのディニエルの声はとても静かなものだったが、本音に近いものを感じられる程度には重みもあった。そんな言葉を前にしてエイミーは衝撃を受けたように尻尾を逆立てる。



「じゃあ仮に僕がディニエルたちの持っていた用紙が欲しかったとしよう。それを、リーレイアに用紙を預ける話を聞いていた僕が今日盗めとエイミーに指示するか? 完全に警戒されてる中、そこまで無駄に危険のある真似を僕はしない」

「…………」

「ディニエル。残念ですが――」



 リーレイアが彼女に声をかけようとしたその瞬間、間を切り裂くように警笛が鳴り響いた。

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