第400話 差し出す

(詰んだくせぇー)



 ディニエルが不可思議な用紙をPTメンバーに渡して次の階層へと続くであろう黒門を観察している様子を見て、努はこのまま全て投げ出したくなるような気持ちになっていた。


 あの用紙はどうやら一度鑑定しなければ誰にでも見える言語に変換されないようで、今のところディニエルたちは日本語で書かれている内容に気づいていない様子である。だが帰ってきたらすぐエイミーに鑑定を依頼することは間違いなく、彼女も親友に対して嘘をつくことはないだろう。


 仮に嘘をついたとしても今朝のエイミーですら怪しんでいた様子からして、ディニエルに虚偽の鑑定を見抜かれる可能性が高い。それがわかった途端に彼女は他の鑑定スキルを持つ者に依頼し、全てが露呈することになるだろう。


 そうなれば一体どうなってしまうのか。様々な可能性はあるだろうが、努には悪い想像しか出来なかった。それと同時に現実への折り合いを今ここでつける算段も浮かぶ。もし現実に帰ったとしても二年後に帰されたとしたらもう自分の居場所は残っていないだとか、もう既に散々考え尽くしたことが再びぶり返してくる。


 そうした未来への不安で一杯になっていた彼の頭に、そっと小さなものが添えられた。それがユニスの手だとわかるまで、努は少しの時間を要した。



「別に百階層で終わりなわけがないのですから、そんな酷い顔をしなくていいのですよ? 神のダンジョンはこれからもきっと続くのです! だから元気出すのです!」



 これから先に待つ悪い未来について努が想像している間、彼が尋常ではない様子に陥った理由をユニスもまた考えていた。そして努が神のダンジョンの終わりについて憂慮しているのではないかと彼女は推察し、見当違いの慰めをかけながら彼の頭を撫でていた。


 ユニスが一体何のことを言っているのか努にはわからなかったが、その必死そうな作り笑顔をこちらに向けていることからして自分を何とか励まそうとしていることはわかった。



「……お前さぁ。いやっ、ほんっとうに、なんというか……」

「お、元気出たのです? ならよかったのです!」

「くくっ……」



 見当違いもいい所なユニスの雑な慰めに思わず笑ってしまった努を見て、自分の言葉が功を奏したと思ったのか彼女は満足そうに喜んでいた。その姿がますます滑稽に思えて努はひとしきり笑った後、疲れたように息をついた。


 別にユニスから雑な励ましを受けたところで未来は何も変わりはしないし、根本的に何かが解決したわけでもない。だがそれでも確かに、自分の背負っていた重荷が軽くなった気がした。



(もう未来については悩むだけ悩んだ。あとはもう、初見モンスター相手に挑むくらいの気持ちで行くしかないか)

「うぎゃあ!?」



 努はそんなことを考えながらユニスのひょこひょこと動く狐耳を両手でぐしゃりと握り潰した。



「な、なにするのですぅ~~!?」

「僕に触った仕返しだ、馬鹿野郎が。頭を触られるのは嫌いなんだよ」

「なっ……! 嘘つけです! さっき安心したような顔してやがったくせに! ほーら、なんならまた撫でてやってもいいのですよ~?」



 赤ちゃんでもおちょくるように手をひらひらとさせているユニスに、努もまた挑戦的な視線を返す。



「ならお互いやってみるか? お前が降参する姿が目に浮かぶけどな」

「はぁーーー!? そんなに言うならやってやるのですよ!! お前には前から一方的にやられてばっかでずるいと思ってたのです!! 今日こそけちょんけちょんにしてやるのです!!」



 それから二人はコリナたちが百階層から帰ってくるまでの間、そんな調子で頭撫でバトルを繰り広げていた。そしてコリナたちがギルドの黒門から帰ってきてエイミーたちが迎えていた頃には、ユニスが耳を真っ赤にしながら机に突っ伏す形で決着がついていた。


 まるでイチャつくカップルでも見るような目で見つめてきたミルウェーを無視して努は席を立ち、帰ってきたコリナたちにまずは祝福の言葉を送った。そしてディニエルの持っていた用紙についてはその場で特に触れることもなく、ギルドで探索者たちからの祝いや記者からのインタビューなどを受けさせた。


 それが一段落つく頃にはもう夕方となりコリナたちの疲れもピークに達していたので、努は五人を連れてクランハウスへの帰路についた。



 ▽▽



「そういえば、変な紙もドロップした。百階層の次に進むために用意されたものなのかもしれない」

「多分そうですよね。ステータスカードみたいな不可思議さを感じましたし。それに黒門の光も一つ増えて二つになってましたし、あと1PT突破したら開けるかもしれません」

「あとでエイミーに鑑定してもらうから、それで何かわかるかもしれない」

「へー、それは楽しみですね」

(んー、た、楽しみだなぁ……)



 その日の夕食時にディニエルたちの会話を聞きながら、努は半ば諦めたように内心で呟いた。それにその話を聞いているエイミーとガルムも、何処かぎこちなさが窺える。


 正直なところ、鑑定結果をエイミーが偽ろうが偽るまいが結果は変わらないだろう。なので努は一体皆にどうやって説明したらいいだろうな、といったことを考えていた。



「じゃあ、鑑定しますかー」

「よろしく」



 そして夕食を食べ終えたエイミーはディニエルに渡された用紙を鑑定し始める。ふむふむ、ほーん、などと声を上げながら彼女は鑑定を進めていく。



「んー。全部の字を鑑定できたわけじゃないから何とも言えないけど、多分これは百階層の先に進むために必要なものみたいだね」

「そうなのですか。ならば紛失しないようにしなければいけませんね」

「なーんだ。つまんないっすね~」



 そんなエイミーの鑑定結果にリーレイアたちは各々の反応を見せたが、ほとんどの者たちは彼女が嘘をついていることを見抜けはしなかった。ただその中で嘘とまではいわずとも、若干の違和感を覚えていたディニエルが口を出す。



「ツトムたちは、このステータスカードのようなものはドロップしなかったの?」

「あぁ、僕は見なかったけど」



 ディニエルは一度エイミーの真意を探るように目を覗き込んでみたものの、それでも確信は持てなかったのか今度は努に尋ねる。だが彼もまた嘘をついている様子は窺えなかった。


 実際努は嘘をついていない。確かに努はその用紙自体は知っていたが、百階層攻略の時点でドロップしたことは確認していない。そんな屁理屈を脳内で思い込むことによって、努は嘘をつく時に起きる僅かな挙動の不審を起こさずに悟られることはなかった。



「なら、この用紙はリーレイアが保管しておいて」

「私ですか?」

「そんなに重要な物なら、万が一にも紛失したらいけない。何かを守る経験は貴女が一番積んでいるはず」

「別に構いませんが、たとえ紛失したとしても私だけに責任を押し付けないで下さいね。PTメンバー全員で警護するくらいの気概は持っていただきたいですし、連帯責任ですよ」

「それでいい」



 しかしディニエルに嘘を見抜かれるまではいかなかったものの念のため用心するくらいの僅かな警戒心は持たれ、その用紙はリーレイアの下で預けられることになってしまった。


 これでもしアルドレットクロウかシルバービーストが百階層を突破してもあの用紙がドロップするのなら、その秘密が露呈した途端にそれを返してはもらえなくなるだろう。それにディニエルが念のため他の者に鑑定を依頼する可能性も考えられる。



「百一階層は何があるっすかね~?」

「えー、それよりも僕はフェンリルまた行きたいですけどね。一段落ついたことですし」

「変異シェルクラブも何回か狩ってみてぇな。あと最近じゃ、火竜も変異する兆候アリって話だしよ」

(もう後戻りは出来ないな)



 これからのことについて目を輝かせながらわいわいと騒いでいる皆を一人見つめながら、努は内心呟く。ここでクランメンバーに全てを正直に打ち明け、自分の家族に会いたいから帰りたいだとかで同情を引く手もありはした。だが家族に会いたいなどといった理由はただの建前であり、努の本心ではない。


 一番の理由はこのまま現実逃避を続けても自分の精神が耐えられそうにないからだ。『ライブダンジョン!』をプレイして数年が経過した時から、そのことは脳裏にチラついてはいた。


 たかがゲームに何千時間も費やすのは馬鹿げている。他の家庭よりはある程度自由な教育方針だった親からは口にこそ出されなかったものの、そういったことを考えていることは努に伝わっていた。


 何処かで区切りを付けなければいけないことを知りながら、プレイヤー離れによってどんどんと寂れていく世界を見つめ続けた。それからPTすらろくに組めないような状態になってからはついに見切りをつけ、現実に置いていかれないように行動を始めた。そして最後に自分一人で百階層を攻略することで終止符を打った。


 そのことは家族も喜んでいたし、『ライブダンジョン!』は引退したものの他のMMORPGをプレイしていたフレンドたちからも歓迎された。それにもう終わってしまった黄金時代にしがみつくことを止めた時は、努自身も晴れやかな気持ちにはなっていた。これでようやく自分は前に進めるのだと。



(説得するしかないか……)



 そんな過去のことを思い出しながら結論に至った努は自室へと帰り、現実逃避でもするようにベッドへ横たわっていた。しかしいつまでもそうしているわけにはいかないと立ち上がった直後、慌てているようなノック音が部屋に響いた。



「ツトム!」

「エイミー……?」



 何やらやけにテンションが高い様子のエイミーは部屋に入って扉を閉めるや否や、媚びるような目をして近づいてきた。



「わたし、ディニちゃんに嘘をついてまで秘密を守り通したよ! ね? わたしはツトムの味方でしょ!? これでちゃんと証明できたよね? わたしはツトムを絶対に裏切らないって!」



 いつもの健全なテンションの高さとは違う、何処か無理をしているような高い声。まるで犯罪でも犯してきた時に起きる一時の高揚感に支配されているような様子のエイミーを前に努が思わず沈黙していると、それではまだ成果が足りないと思ったのか彼女は懐からとんでもないものを出した。



「それに、ほら! これだって鑑定しなかったし、ツトムのためにちゃんと取ってきたよ! これが手元にあれば秘密がこれ以上バレることもないし、多分こっちは新品! これなら一人の承認でツトムは帰れるから便利でしょ?」

「お前……」



 いつの間にリーレイアからバレずに盗み出したのか、エイミーの手には不可思議な用紙が握られていた。仲間からの盗み、それも翌日にはバレるような愚行を冒した彼女に努は目を見張った。



「ほ、他にやることはあるかな? わたし、ツトムの指示に何でも従うよ! これを今から鑑定して帰還の許可申請だって出すしさ! それにこれからもっと探索者として強くなるよ! スキルだってこれからもっと修練を重ねるし、ディニちゃんみたいな避けタンクも兼ねた立ち回りだって出来るようになるよ!」



 しかしそんな自分の愚行にすら気づけないほどに、エイミーもまた追い込まれていた。


 エイミーは一番初めに努の重大な秘密を知ることが出来た。そしてそれは彼との距離を縮めるチャンスだと捉え、これまで彼女なりに色々と頑張ってきた。


 しかし今まで自分から追ってしまうほどの恋をしてこなかった彼女に、努の秘密を上手く使って距離を縮めるなどということが出来るはずもなかった。努の前ではそもそも頭がぼんやりしていつものような振る舞いも出来ない状態になる彼女にとって、その秘密は劇薬に等しかった。


 これまでにないチャンスを手にしているはずなのに、何処かボタンを掛け違えているような空回りしている感覚しかエイミーにはなかった。努の態度もむしろ以前より何処か冷たさすら感じた。


 そして今は自分だけが持っていたその秘密がクランメンバー全員に知れようとしている。それにより完全に追い込まれてしまったエイミーは、もう全てを捧げるしか道はなかった。



「だ、だから……だから……さ?」



 まるで命乞いでもするように膝をつき、ぽろぽろと大粒の涙を流しながらエイミーは言った。



「だから、お願い……。わたしを、捨て……ないで……」

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