第389話 百階層の境目

 その後も努は色々な説得の方法を考えていたものの、ガルムからの真剣な頼みもあってか軽い調子で言い出すことは出来なかった。



(もし帰る時もガルムにあの調子で来られると面倒そうだな)



 ここに来て初めてエイミーと同じような気持ちを味わいながらも、いつの間にか探索者同士の間に割って入り報酬トラブルの対処をしているガルムを見つめる。



(もう少し気楽に……っていってもガルムがレオンみたいになるのも嫌か。それでエイミーとか口説きだしたら笑うしかない。前のだらしないミシルくらいがいいかな。ハンナとダリルがララ、リリ役で)



 レオンやミシルのようになったガルムを想像した努は口元を隠しながら笑みを浮かべた。そんな彼から微かに漏れた笑いを堪える声に二つの犬耳と一つの猫耳は同時に反応したが、特に何か言うことはなかった。



(まぁ、これならこれで最善を尽くせばいい。臓器蘇生の阻止に不安は残るけど、失敗したとしてもやり直せる。……僕の失敗で終わらせるつもりはないけど)



 そんなことを思いながらも努はマジックバッグから九十階層で手に入る装備を出して歩きながら着替え、貴重な森の薬屋のポーション瓶を入れたホルスターを腰に巻いて備品の準備も整えた。


 彼の準備具合を見てアーミラは笑みを深め、周囲の探索者やアルドレットクロウの情報員などは無限の輪が百階層に潜ることを確信してざわつき始める。そしてギルドの受付でPT契約を済ませるため列に並んで自分たちの番になると、スキンヘッドの男性が担当している受付の奥からカミーユがひょっこりと顔を出した。



「また百階層に挑むみたいだな」

「百階層の先があるかないかは――」

「今日で突破するつもりだよー」

「ほう?」



 自慢気に話そうとしていたアーミラの脇からにゅっと出てきたエイミーの言葉に、カミーユは面白そうに眉を上げてその後ろにいる努に視線を向ける。すると彼は嫌そうに手を振ってスキンヘッドの男性にPT契約を早く済ませるよう催促した。



「いいじゃねぇか。もしかしたら百階層が最後かもしれねぇだろ?」

「もし百階層が最後だとしても、まだ雪原階層の調査すらろくに進んでないんですからみんな神のダンジョンに潜りますよ」

「そうだろうけどよ、終点が見えてるか見えてないかは重要だぜ? 神のダンジョンの先を我先に見たい探索者は結構いるしよ」

「……まぁ、新規は大事ですけどね」



 しみじみとした様子でそう言った努に、スキンヘッドの受付はステータスカードでPT契約の処理を進めながら意外そうな顔をした。



「お? ツトムならてっきりそんな奴らいてもいなくても同じ、とでも言うと思ったんだがな」

「周りに被害を出すような害虫探索者は排除するべきでしょうけど、無害な夢追い虫をわざわざ潰す必要はありませんよ。その中から成長したら益虫とか、みんなの目を引く蝶々なりが出てくるかもしれませんしね」

「……探索者がその考え方もどうかと思うけどな」



 真面目な顔でエイミーを見ながら割と失礼なことを話す努に苦笑いを返しながら、彼は五人のPT契約を済ませて魔法陣の方へ手で誘導した。



「……私も益虫になれるよう善処するとしよう」

「どんな善処だよ」



 後ろでこっそり話を聞いていたガルムにそう突っ込みながら魔法陣への列に並び、最後にはPTメンバーと顔を合わせて頷いた後にそこへ立つ。



「百階層へ転移」



 その言葉と共に努たちの視界は暗転し、百階層の地へと転移された。



 ▽▽



 努の指定した階層が知れ渡った途端、周囲の探索者たちの大部分は慌てて一番台近くの席を確保し始めた。そんな中、ギルド長であるカミーユは努たちがPT契約を終えた辺りから既に一番台の見やすい受付に席を作っていた。


 席作りのために受付を一つ潰すなど完全に職権乱用であるが、神のダンジョンの行く末が決まる瞬間を見逃したくないのかほとんどの探索者たちはもう受付から離れて席に陣取っているため文句を言う者はいなかった。



「ん、今日は潜らないでいいのか?」



 カミーユは特等席を確保したところで珍しく一人だけで一番台を眺めていた少年に話しかけた。ハーフエルフの影響で見た目だけはまだ少年であるアルドレットクロウのルークは、カウンターから覗き込むようにしていた彼女と視線を合わせる。



「ステファニーが少し体調を崩しているからね。彼女無しで突破は無理そうだし……」

「だからといってルークが百階層に挑まない理由にはならないだろう。ユニークスキル持ちを追い越すような気概はもう消えてしまったのかな?」

「もう娘に抜かされてる人には言われたくないですね」

 神のダンジョンが開放された当初から迷宮都市に在住していたルークは、当時のギルド長の妻であると同時に探索者としても大成していたカミーユとの付き合い自体は地味に長い。そんな彼はカミーユの軽い挑発を受け流しながらも後ろに目を向ける。



「それに……気が気じゃないのは僕だけじゃないみたいだしね」

「…………」

「まぁな!」



 ルークの見る先には相変わらずの無表情である紅魔団のヴァイスと、その狼耳で二人の声を聞き取り素早く移動してきた金色の調べのレオンがいた。一年ほど前ならばこの面子が揃えばギルド内で騒ぎになっていただろうが、今となっては注目している探索者は一部に過ぎない。


 そんな古参たちを特等席に招待したカミーユは一番台に映し出されている爛れ古龍とPTメンバーに支援回復している努を一瞥した後、改めて三人を見回した。



「今となっては懐かしい面子、なんて言ったら失礼になるかな?」

「カミーユさん、それを言ったらもうお終いじゃねぇか?」

「僕も一緒にされるのは納得いかないですけど?」

「おいおい、古株同士くらい仲良くしようぜ」

「変異シェルクラブの時、仲間外れにしたのはそっちでしょう」

「……到達階層に応じて誘ったまでだ。他意はない」



 唐突なヴァイスの言葉に三人はお互いに顔を見合わせた。この中で九十階層を突破している者はルークだけであり、他の三人はまだ攻略の目処も立っていない。その中でも金色の調べに至ってはもう中堅クランとの入れ替わりも噂されるほどで、レオンも笑っている場合ではなくなっていた。



「……あの調子ならば、無限の輪が百階層を攻略するのもそう遠くはないだろう」

「ツトムは気乗りしていないようだったが、四人は今回で突破するつもりらしいぞ?」

「……それは、驚きだな」



 本当に驚いたのか若干たどたどしく言葉を発したヴァイスは、意外そうな顔で見てくるルークの視線を遮るように腕を組んで一番台を見上げる。



『コンバットクライ』



 ガルムは鬼気迫るような顔で赤い闘気を放ち、爛れ古龍の血武器を一身に受けている。だが初見の時よりも攻撃の捌き方は洗練され、よりダメージを受けにくい形で忠実なタンクを務めていた。


 ダリルは血の分身に狙われるアーミラの補佐に回っているが、以前よりも板についていて安定感があった。そんなダリルの守りを信じてアーミラも全力で血の分身を攻撃できているため、前回よりも倒す速度は上がっている。


 そして前回の功績もあって臓器の筋切りだけでなく破壊も任されるようになったエイミーは、水を得た魚のように動き回っている。そんな彼女に支援スキルを飛ばす努は時折指示を出しながらもガルムとダリルに回復スキルを適宜当てていた。


 無限の輪は以前にも増して順調な滑り出しを見せていた。だがルークはカミーユの発言を聞いても懐疑的な目をしていた。



「確かに皆良い動きをしているようだけど、流石にこれで突破は無理なんじゃないかな? 問題は味方のアンデッド化と終盤の回復だろうし、今回だけで対策が済んでいるとは思えない。……まぁ、それでもツトムなら何とかするかもしれないっていうのが怖いけど」

「私も万が一ではあると思うのだがね。それを起こしてしまう可能性も否定は出来ない。だからこそルークたちも見に来たのだろう? もしかしたら今日で神のダンジョンが続くのか、終わるのかが判明するのだからな」

「あぁ」

「…………」



 そう言われてレオンが何とも言えない顔で沈黙している中、爛れ古龍の再生していた肝臓が再び破壊される。そして前回の敗北を決定づけたアンデッド化の兆候が爛れ古龍から見られた時、努はいち早く動き出した。

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