第387話 引退の民

(あれで百階層の活動休止でもしてくれれば楽なんだけど、あの様子じゃちょっとした気の迷いくらいにしかならなそうだな。もう前みたいなことにはならなそうだ)



 以前のように発狂せずただ涙を堪えていた様子のステファニーを振り返ってそう思いながらも、努は自室で手慣らしにヒールをバリアで囲っては消してを繰り返していた。


 努は爛れ古龍の異常な強化具合やダンジョンから強制的に退出させられたことからして、百階層には今までにはない何かがあるのではないかという期待を持っている。そして死の恐怖についてもある程度は許容出来るようになった今となっては、もう人柱は必要ない。


 その中で最も意識せざるを得ないのは、ステファニーただ一人。だからこそ精神的に折れてくれれば楽だったのだが、彼女は既に信者からの脱却を済ませていたのでそこまでのダメージはなかったのだろう。



(こうなったらもう実力で勝負していくしかないか。もう『ライブダンジョン!』みたいに死んで学ぶ手段も取れるから負ける気はしないけど、不安の芽は摘んでおきたかったな)



 半日近く死の恐怖を直視しなければいけない状況に追い込まれたことにより、死に対しての耐性はある程度出来上がっている。今も死にたくないという気持ちこそ変わらないが、追い込まれればそれも仕方がないと許容できるくらいにはなった。


 そうなってしまえばもう今までのように死を絶対に避ける縛りプレイのような立ち回りをしなくて済むので、たとえ爛れ古龍が裏ダンジョン級の強さだとしても攻略法は見いだせるだろう。



(あと何回か挑んで情報を取ればあの爛れ古龍でも攻略は出来る。問題はその後だよなぁ……。百階層で帰れるのかが気掛かりだ)



 あの入念な強化の様子からして百階層を攻略した後に何かがあることは予想できる。現実に帰る道が開けるか、まだそこに至らないか。努としては正直どちらの道が開けたとしても嫌なことに変わりはない。


 もし帰る道が開けたのならもう二年近くの付き合いになる仲間たちと、夢のような世界から離れなければいけない。もし帰る道に至らないのなら不意に現実へと返されるのかもしれない恐怖や、こんな夢みたいなぬるま湯に浸かっていないで現実に戻らなければならないという焦燥感などが解消されないまま生を過ごすことになる。


 ただもし現実に帰れる道が開けた時は、それじゃあ今までお世話になりましたと言ってすぐに帰るわけにもいかない。自分が抜けても無限の輪は回るようには既にしてあるものの、それはあまりにも無責任というものだ。


 だからこそ努はダンジョン探索で稼いだ資金を元手に『ライブダンジョン!』の知識を活用して莫大なGを稼ぎ、土地や不動産などの資産を築き上げて最後にはクランメンバーたちに譲渡する準備を整えていた。少なくとも一生食うに困らない程度のGを全員に渡せる資金は既に揃っている。


 それにクランメンバー各々に合わせた遺産も考えてある。例えばハンナには一気に渡してしまうと間違いなく破滅する未来が見えるため、毎月口座に一定金額だけ振り込むような形で資産を譲渡するようにしている。エイミーにはもう資産自体が必要ないため、化粧品や美容品を作るのに必要なダンジョン産の素材などを譲渡する予定だ。そういった具合で九人それぞれに適した遺産は準備している。


 百階層まで自分を連れていってくれたクランメンバーへの報酬を払っても尚余った資産については、森の薬屋のお婆さんやカミーユなどお世話になった人達に譲渡する予定だ、その他細かい相続条件も全て書面に記してギルドの金庫に保存してあるため、変な争いが起きることもないだろう。


 自分のヒーラー代役に関しては当初選ぼうとしていたものの、残ったクランメンバーが用意した方がトラブルが起きないと思い準備しなかった。その代わり自分のヒーラー人生を詰め込んだ技術書は残してあるし、この先のヒーラー界隈については三人の弟子たちが開拓してくれることだろう。もう自分が前線に出る必要はない。



(皆が『ライブダンジョン!』引退する時もこんな感じだったのかな)



 最後まで『ライブダンジョン!』に残っていた努は、受験、就職、結婚など様々な理由で引退を決意したフレンドたちから引退品を貰うことが多かった。そんな彼らを送り出す心境としてはアイテムなんていらないから引退しないでくれとしか思わなかったが、いざ自分が引退する立場になって初めてフレンドたちの気持ちがわかった気がした。


 ネトゲに引退は付き物であり、誰しもゲームを止める日は訪れる。しかしこの世界にいる探索者たちはこれからもダンジョン探索を続けていくのだろう。それは努が求めていた引退のないネトゲのようなもので、それもまた楽しいのかもしれない。だが自分は結局のところ現実から目を背け続けることの罪悪感には耐えられない。



(まさか運営の終了以外で引退する日が来るとは思わなかったけど、これはこれで良かったかもしれないな)



 努は自分で『ライブダンジョン!』の引退を決意することは出来なかった。もしそうしてしまえば今まで自分が費やしてきた時間と、引退したフレンドたちに託されてきたアイテムや思い出が全て無駄になってしまう気がしたからだ。


 だがこの世界に来て、少しは報われたのかもしれない。少なくとも二年前に一人で『ライブダンジョン!』をプレイしていたあの時と違い、引退を前向きに捉えられている。



(これで帰る道がなかったら笑うしかないけど、それならまた裏ダンジョンに現実を見据えて頑張るんだろうな。少し引退が先になるだけだ)



 いつぞやにハンナから渡された立派な青い羽根。密かに職人へ頼んで既に羽根ペンに加工されているそれをくるくると回しながら、努は黄昏れたような顔で今も同業者との話で賑わっているクランメンバーたちの声を聞いていた。

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