第380話 黒の先へ

「大丈夫か?」

「……だいじょうぶ、なのです」



 ユニスはそう言いつつも昨日から寝ずにギルドのベンチで一番台を見守っていたため、今も迫りくる眠気と戦いこくりこくりと船を漕いでいる。そして眠気覚ましにメディックをかけているユニスに声をかけていたカミーユは、剣呑な様子で一番台を睨み付けている娘にも目をやる。


 そんなアーミラの周りには無限の輪のクランメンバーも全員揃っていて、努が黒門から出るのを今も待っているようだ。そのことに関してはギルド内で注目が集まっているものの、一番台に対する関心は薄い。


 何せもう努がダンジョンに入ってから既に二十四時間が経過しようとしているため、勝利の目は皆無であるからだ。暇な探索者はちらほらと見てはいるが、最前線の者たちは既にダンジョンへ潜っている。そんな中、紅魔団のアルマだけは寝起きなのか欠伸をしながらも黒門付近で同じように待機していた。


 神台市場の方では努の生死に賭けていた者や死ぬところを見たい野次馬などが集まっているが、一般の観衆や迷宮マニアは既に興味を失い二番台のステファニーに注目していた。彼女は昨日からずっと百階層に潜り続け爛れ古龍の攻略法を探っているようで、三番台にはロレーナの姿も窺える。



(何としてでも立ち直らせねばならんな。しかしどうしたものか……)

「う、動いたのです!!」



 ある程度努の臆病さも知ってはいたカミーユがそんなことを思っていた時、ユニスが狐耳と尻尾を全開に立てて大きな声を上げた。それと同時に神の眼には何故かアンデッド化したエイミーがアップで映り、その遥か後ろの背景で豆粒のような大きさの努も映し出される。



「な、何でエイミーなのです! あっちを映すのですよ!! 邪魔なのです!」

「……うん、なんかごめんね?」



 既にギルドへと帰還している本物のエイミーはそう謝りはしたが、何処か納得はいっていない様子だった。そして少しの間エイミーの戯れ映像が流れた後、すぐに視点は切り替わる。そこには血武器によって瀕死になるほど重傷を負わされた努と、もう目前に迫っている黒。



「お団子! 作ってるのです!」



 生命を感じさせる煌びやかな緑の気が詰まったバリアのお団子が服の中に詰まっているのを見て、心配そうな顔をしていたユニスは一転して息巻いた。それと同時にオーバーヒールの効果で努の身体は再生する勢いで回復していくが、それを邪魔するように大盾が飛来する。



「ぐぅぅぅ……!!」



 自分の姿をしたアンデッドが努を追い詰めている映像に、ガルムは怒りを噛み殺すような声を漏らして歯軋りする。それでも努はすぐに殺されるようなことはなかったが、その胴体に短剣が飛来して突き刺さり地を転がる。


 そしてアンデッドの二人が努へ止めを刺す直前に黒が落ち、一番台の映像は真っ黒になった。それでも何かを残そうと手を伸ばしていた努が飲み込まれていくのを見て、クランメンバーたちの何人かは息を呑んだ。


 ユニスは戦いが終わったことを見届け悲しそうに首を振り、アルマは寄りかかっていた壁から身を離して黒門へと向かう。



「アーミラさん」

「……根性見せたのは認めてやる。ケツ蹴るくらいにしてやるわ」



 あれから寝て起きたことによりある程度の冷静さを取り戻していたアーミラは、ダリルの言葉に凶悪な笑顔を返すくらいの余裕はあった。それに朝刊で努の逃げっぷりを確認していた分もっとみっともない死に様を晒すと予想していただけに、最後の最後で立ち向かったことは評価に値した。


 そんなアーミラの言葉もあってか、無限の輪のクランメンバーたちも努を暖かく出迎えようと準備を始める。エイミーは替えの服を腕に抱え、ガルムは念のため門番と一緒に警護へと回る。ハンナは何か言葉を準備しているのかそわそわとした様子で、ディニエルはポニーテールを結ぶゴム紐を取って髪を下ろしていた。



「……こんなに遅かったか?」



 だが一番台の映像が漆黒に飲み込まれてから三十秒近く経過しても、一向に変化が訪れない。普通なら死んでから数秒経てば番台が入れ替わるはずなのだが、二番台には今もステファニー率いるアルドレットクロウのPTが爛れ古龍と戦っている姿が映し出されている。


 そのまま一分が経過すると、一番台の真っ黒だった映像が夜明けを迎えるように明るくなっていく。その今までに見たこともない現象にギルドの探索者たちはざわつき始め、神台を見慣れているギルド職員も目を丸くしていた。


 そして変わらず曇天の古城が徐々に浮かび上がると共に、地面へ無造作に転がっていた努はむくりと上半身を起こした。そして左手で自分の身体を触って確認した後、杖を右脇に挟んで支えにして起き上がる。その姿をアンデッドであるガルムとエイミーは何食わぬ顔で見つめている。


 それは努が腰に装着している細瓶に入ったポーションを飲もうが変わらず、特に動きを見せる様子はない。それどころか所在なさげに立ち尽くしている爛れ古龍すらも反応を見せていない。



『……ア、ァ、あー、あー、あー。あ、これ見えてる? 動いてるってことは見えてると思うんだけど』



 すると努は神の眼を見つけると途端に陽気な顔になり、無事な左手を振った。そんな一番台の異様な光景に、最前列で見ていたユニスは完全にポカンとした顔をしている。



『いぇーい。ガルム、いぇーい』

『…………』

『……!』

『エイミー、その前にこれ抜いてくれる? これこれ』

『!!』

『あぁ、よかった。痛くはなかったわ。ありがと、それ貸してくれる』



 ハイタッチを要求する努をガルムは酔っ払いでも見るような目で見つめていたが、渋々といった様子でそれに応じた。するとそれを見ていたエイミーもすかさず手を挙げてハイタッチを要求してきたが、努の要求に応じて胴体に刺さっていた双剣の片割れを抜いて渡した。



「え? え?」

「どうなってるっすか?」

「…………」

「こ、これはまた……とんでもないことをしているようだね?」



 まるでPTメンバーかのようにアンデッド二人と接している努が映る神台。何故こんなことになっているのか説明が出来るような者はギルドに誰一人としておらず、ただただ困惑するばかりだった。


 そして双剣の片割れを地面に置いた努は自分を容易に潰せそうな大きさの爛れ古龍を見上げると、唐突にスキルを口にした。



『エアブレイド。おっ、振り向かないぞ。よーし、それじゃあ今からこの爛れ古龍を地道に削っていこうと思いま――』



 そう努が口にしたところで一番台の映像は唐突に途切れた。それと同時に二番台の映像も電源を落としたように真っ暗となる。



「げひっ!」

「…………」



 すると唐突に黒門が開き、蛙が潰れたような声を上げながら努が床に顔面から着地した。それをギルドにいた者たちはただ見ることしか出来ず、シンと静まり返る中で努の痛みに呻く声だけが響く。


 そして何故か努に続いて出てきたステファニーやルークたちが努の上にのしかかる形となって、痛みに悶えている彼に止めを刺した。



 ▽▽



 端的に言えば努が行ったのはバグの利用である。ただそろそろ二年近く迷宮都市で神のダンジョンを攻略している努は、『ライブダンジョン!』で確認していたバグやハメなどが使い物にならなくなっていることを確認していた。特にそれが顕著だったのが九十階層主の成れの果てである。


 必ず石化させる攻撃を回避することによりエラーが起きて成れの果ての挙動が止まってしまうという『ライブダンジョン!』で起きたバグ。だがこの世界において石化攻撃の回避は出来ても挙動が止まるようなことはなく、その他の細かいバグも全て現実的な基準に落とし込まれているようだった。


『ライブダンジョン!』で発見されたバグは利用できない。しかし何百ものバグ事例を把握している努は神のダンジョンの裏側がわかりやすい。そして彼が一番に目をつけたのはこの世界独自の仕様である、二十四時間後に探索者だけをダンジョンから退出させる黒だった。


 その黒は傍から見れば探索者を殺す恐ろしい未知のものに見えるが、運営への怒りによって冷静になった努から見ればただの仕様に変わりはない。そして運営が追加した爛れ古龍の血で殺された者をアンデッドに変える仕様。これを逆手に取り努は自らがアンデッドになることでモンスターとなり、黒を越えることを考えた。


 もしリレイズに等しいお団子レイズが使えるのならそれで黒を越えようと考えてはいたが、蘇生する対象がいなければ発動しないためこれとは別案にした。


 自分がアンデッド化するためには恐らく死ぬ必要があるが、生き残っているのは自分一人なので本当に死んでしまえばすぐにギルドへと還される。そこで努は今までも稀に起こっていた誤判定の死亡を利用することにした。探索者が明らかに死ぬような状況である場合には死んでいなくても身体から光が出るため、その仕様を利用して死亡判定を受けてアンデッド化が進むのではないかと仮定する。


 ただ完全なアンデッドになってしまえばそれもまた終わりなため、努は聖属性の装備や聖水、ホーリーなどで左半身を保護することで半身がモンスターという状況を維持した。そしてお団子オーバーヒールを複数スタックし、モンスターの半身を残すことによって身体が回復する余地を残しながら黒の圧力での即死を免れた。


 そうして黒を越えてしまえば完全に探索者が死んだと想定される状況が生まれる。後に残るのはモンスターしか存在しない。そのため回復して難を逃れた努もモンスター判定を受けてアンデッドのガルムやエイミー、爛れ古龍にも同族扱いを受けた。


 フェンリルがモンスターピラミッドの頂点に立つ九十二階層のように特殊なダンジョン構成でもない限り、モンスターは探索者だけを狙い同士討ちはそうそう起こさない。その仕様を利用し努は更に二日徹夜する勢いで爛れ古龍を倒そうとしたのだが、どうやらそれを神は許してくれなかったようだった。



「僕死んでないはずなんだけどなー」



 努は生き残ったにもかかわらずダンジョンから強制的に排出され、同時に百階層へ潜っていたアルドレットクロウのPTも巻き添えを食らう形で排出された。


 そしてギルドで自分が仕様の裏をかいてあのような状況まで持っていったことを説明した努は、疲れたようにため息をついて目頭を揉んだ。



「なんか色々言いたそうにしている人がいるところで悪いんだけど、一度寝させてもらってもいい? 久々に徹夜したからしんどいんだよね」

「わ、わたしだって徹夜してるのですぅぅぅぅーー!! いいからもっと詳しく説明するのです! みんなちんぷんかんぷんなのですよ!!」



 神のダンジョンから戻ってきたので身体的には問題ないが精神的には追い込まれ非常に疲れていたのか、努はユニスの声も気にせず半分気絶するような形で眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る