第379話 神運営への怒り

 努は百階層での戦闘が詰んだことを認識させられたと同時に、見ないように心の内へと追いやっていた爛れ古龍に殺されたトラウマが一気に噴き出してしまった。それは一年近く共に過ごしてきた戦友たちを見捨ててしまえるほどの恐怖であり、彼は自分の死を認識してからは爛れ古龍のヘイトをなるべく取らないように立ち回り始めていた。


 そして爛れ古龍の脳が完成してしまう直前を見計らい、命惜しさにその場から必死になって逃げ出した。自分だけが狙われないよう事前にヘイトを抑え、神の眼まで操作して神台を見ているクランメンバーを出し抜く狡猾な手口を使用してまで。


 神の眼にこそ努の姿は映っていなかったが、彼は恐怖によって叫びだしたくなる口を必死に押さえ何度も転びながら一人古城内部へと逃げおおせていた。そしてその後はスキル使用によるヘイト増加を恐れて何もせず、どうしようもない現実を前に古城の奥底で息を殺して身体を震わせることしか出来なかった。


 脳が完成する前に努は爛れ古龍の前から姿を消したため、彼はヒーラーだという認識をされないまま身を隠すことに成功している。そしてアンデッド化している二人のヘイトは主に臓器へ攻撃を仕掛ける者を重視しているため、スキルでも使わない限りヘイトを稼ぐことはない。


 そのおかげで努は何もしなければ狙われないという状況の中、古城内部の狭い隙間で幼虫のように丸まって無為な時間を過ごした。その間にダリルとアーミラは死に、爛れ古龍は完全体へと再生していく。時間が経てば経つほどもうどうしようもない現実が圧し掛かり、心は既に折れていた。



(……トイレ行きたいな)



 だがそのまま四時間が過ぎた時、努は尿意をもよおし始めていた。その生理現象に気づいてからは努を絶え間なく襲っていた恐怖感は徐々に薄れ始め、他のことを考えられるくらいの平静さを取り戻すことが出来た。


 そしてあることないことを考えて恐怖を紛らわしながら時は過ぎ、外の様子をそっと観察してまだ自分が狙われていないことを確認してから用を足した。それからは音を立てないように時折移動しながらも、ゆっくりとした時間を過ごす。



(というか爛れ古龍を調整した奴マジで腹立つな。もし僕をこの世界に呼んだ奴と同じなら許せない。改悪にも程があるだろ。まだ運営の方が調整上手かったわ)



 そして古城に引き籠ってから半日以上が過ぎた頃には死の恐怖にも慣れてしまい、努は平常運転に戻り始めていた。それどころか今まで感じていた強烈な恐怖の感情は爛れ古龍を生み出した者への憎悪へと変換され、今はただ神のダンジョンに対して強い憤りを覚えるだけになっていた。


 人間は良くも悪くも状況に慣れてしまう生き物であり、それは努も例外ではない。初めこそ寝食を忘れてプレイしていた『ライブダンジョン!』も、日が経つにつれてそこまでの情熱を保ってはいられなくなる。物事によって慣れる速度にバラつきはあるが、過呼吸になるほどの恐怖だとしてもそう長くは続かない。



(死ぬって言っても結局蘇るからな。まぁ痛いのは嫌だけど)



 それに努は元々一度死んでいる身のため、死が未知なるものではない。もし本当に一度も死んでいなかったのなら未知なる恐怖に今も震えていたかもしれないが、生き返れるという解答は既に出ている。


 探索者にとって神のダンジョンでの死は怪我と変わりはしない。死ぬほどの怪我をしても尚立ち上がれる精神力を持ち、再び立ち上がって挑戦できるかが神のダンジョンの探索者に必要な唯一の資質である。



(でも僕がPTメンバーを見捨てたってのは多分バレてるし、何かしらの成果は持ち帰らないと色々不味そうだな。取り敢えず、古城の探索でもしてみるか……)



 ただ死の恐怖に対する耐性は出来たにせよ、そこから一歩踏み出す勇気が生まれたわけではない。死ぬ覚悟が出来たのならここですぐに死んでまた百階層に挑むことが今取れる最善策と頭では分かっていたが、その手段を自分から選択できるほどの勇気は努になかった。そのため爛れ古龍の前に飛び出すことはせず、現実逃避するように古城内部を探索し始めた。



(まぁ、何もないよなぁ。コリナたちにも事前に調べさせてはいるし)



 そもそも『ライブダンジョン!』での古城は背景グラフィックだけで中には入れない仕様であり、更に先行していたコリナたちも調べているので特にギミックのようなものは存在しない。もしかしたら自分が死んだ当初の装備が宝箱となってドロップしているかもしれないと考え探索を続けたが、そういったものは見当たらなかった。



(時間わからないのが痛いけど、確かダンジョンに潜って二十三時間後には黒が降ってくる兆候があるはず。ただ今から寝られはしないかな。久々の徹夜だ)



 普段ならば無意識に把握している時間感覚で分かるのだが、一度パニックに陥ってしまったので今ダンジョンに潜って何時間経っているのかはもうわからない。そのためダンジョンの終わりを知らせる黒の兆候で時間を割り出すしかなく、睡眠を取っている余裕はないだろう。


 神のダンジョンは一度入ってから二十四時間以上は潜ることが出来ず、もし留まっていれば空から押し寄せる黒によって圧死させられる。たとえ地面を掘って籠ったり海中に潜って逃げたとしても、二十四時間経てば問答無用で圧死させられる。それは探索者を絶対に殺して神台の番台を回す退場装置のようなものであり、モンスターには効果がない。


 その情報は他の探索者から聞いているし、実際に努も八十階層に挑んだメルチョーの神台で見たことはあった。そのため二十三時間後にその兆候を知らせる黒い雪が降ることは知っているので、今からぐっすり眠りでもしなければ気づかぬうちに圧死させられる事態は避けられる。


 そんなことを考えながら努は手慣れた調子でマジックバッグから双眼鏡を取り出し、古城内部から外を覗き見る。



(ガルムとエイミーも何故か仲良いし、爛れ古龍も既に完全体。しかも血武器装備して周囲にまで浮かせて禍々しい感じするし、あれは『ライブダンジョン!』と一緒の認識だと不味いだろうな。あー、でもダリルとアーミラはアンデッド化してないのか。それは助かる……といってもここから何をしても勝てる未来は浮かばないけど。多分あの時の状況からして、血系の攻撃で殺されるとアンデッド化するんだろうな。ダリルとアーミラはあの完全体になるまでには殺されたっぽいし)



 キャッキャウフフという擬音をつけてもいいくらいガルムとエイミーはぬるい模擬戦をしているので、生前の二人には是非とも見習って頂きたい。それにその背後に佇んでいる爛れ古龍はもはや努の知るそれではない。運営が気合いを入れてリメイクした裏ダンジョンのレイドボスもびっくりの豪華具合であり、今時のスマホゲームの最終ボスにいそうな外見をしていた。


 そもそもアンデッド化したエイミーに狙われただけで一分と持たない上で、あんなトッピング全マシマシばりの爛れ古龍を相手に自分一人で勝てる未来など浮かびすらしない。たとえユニークスキル持ちをかき集めた探索者ドリームPTだとしても攻略不可能な自信すらある。


 それこそ再び突き付けられた現実に心が折れてもおかしくない状況。だがその現実を見ても努は特に落ち込んだ様子も見せずに双眼鏡をしまうと、顎に手を当てて考えながら歩きだす。



(調整の仕方が稚拙なんだよ、馬鹿が。百階層でこれなら裏ダンジョンの階層主はどんだけ強化しなきゃいけないんだ。装備追加するにしてもどんどんパワーインフレして初心者突き放す結果になるだろうが。課金ないんだからバランス考えろバランス。それにもし百階層で終わりだとしてもこの仕様は有り得ない。何だこのクソ階層主。これが最後の階層主? レイズは出来ない、味方はアンデッド化、唐突に復活する臓器。探索者に担保していた蘇生をモンスターが使ってどうするんだよ。今までやってきたことを覆されるプレイヤーの気持ちがわかるか? 陣営変わってから『ライブダンジョン!』を集金装置にしか見てなかったクソ運営よりもたちが悪い。こんな子供が考えたような調整が許されるわけがない。もしフレンドがいたら絶対に暴動を起こしてるわ)



 絶望的な状況でも逃げ出さず努が歩みを止めない理由は、爛れ古龍を改悪したであろう神――というよりは運営の怠慢極まりない調整にある。爛れ古龍から透けて見えていた自分への殺意を返すように、努は『ライブダンジョン!』が終わりを迎え始めた頃に運営へ向けていた憎悪に満ちた顔で天井を睨み付ける。



(このままで終わると思うなよ。クソ運営が)



 自分が長い時間を捧げてきた『ライブダンジョン!』を改悪されたことに対する憎悪を糧に、努は後ろ向きな思考のまま運営に何か一矢を報いるために歩みながら考えを巡らせた。



 ▽▽



 努が百階層に入ってから二十三時間を過ぎ、忘却の古城にはダンジョンの終わりを知らせる黒色の雪が降り始めて五十六分以上は経過していた。そしてどう足掻いても逃げられない黒が落ちてくるタイムリミットが刻々と迫っている中、初めに動いたのは神の眼だった。



『……?』



 アンデッド化したエイミーの前をふわふわと漂い始めた神の眼を前に、彼女は生前のように可愛らしく首を傾げてそれに触れようとする。だがそれを察知したかのように神の眼はその手を避け、その場で反復横跳びでもするような動きで彼女を挑発した後に後ろへ下がっていく。



『……!!』



 その動きを見て闘争本能にでも火が付いたのか、エイミーは神の眼を追いかけ始めた。それと同時に古城から努がそっと姿を現し、爛れ古龍に気づかれないよう慎重に近づいていく。


 もし身体能力に大きな差のあるエイミーと戦闘になってしまえば、努はその速さに付いていけず三手ほどで詰まされてしまう。スキルを使えればある程度戦いにはなるものの、そうすればスキルによるヘイトでガルムと爛れ古龍にも気づかれてしまうのでそれも出来ない。


 だからこそ努は神の眼を猫じゃらしのように利用し、まずはエイミーを遠くへ追いやった。だが努がスキルを使えば彼女もすぐに自分を狙ってくるため、それは誤差にしか過ぎないかもしれない。


 それでも使える手は何でも使う。もう既に後退の道がないことは空から迫る黒を見ればわかること。ここまで来たら後はこの世界で積み上げてきたものと『ライブダンジョン!』で培いフレンドと共に築き上げた英知と共に、愚かな運営に一矢報いる僅かな可能性に賭けるしか道はない。



「あれもあれで怖いもんだな」



 あと一分二十秒後に自分を圧死させるであろう黒に対し、震えた声でそんな感想を呟いている努の背にマジックバッグはない。価値のあるポーションや装備を残したマジックバッグは既に古城へ置いているため、終活はもう済ませている。だがそんな彼は先ほどと違い、身体の半身を黒と白で分けるモノトーンのような装備を身に着けていた。



「レイズ」



 もしかしたらレイズが使えるかもしれないと思い念のため放ってはみたが、蘇生する対象が存在しないため不発に終わる。お団子レイズを使う案を不採用にした努は一つ深呼吸を挟んだ後、手にしていた杖を前に構える。



「オーバーヒール。バリア。オーバーヒール。バリア」



 誰か一人を全回復させることの出来るオーバーヒールをバリアで包んで保管、その行動をした直後に全てのモンスターがスキル動作によるヘイトを確認して努の存在に気づく。



『……シールドスロウ』



 その途端にガルムは遠距離スキルであるシールドスロウを、身体の周囲に血武器を漂わせている爛れ古龍は一吠え。それと同時に血武器が一斉に射出され、努を射抜かんと迫る。



「ホーリー」



 お団子オーバーヒールを脇に抱えながらホーリーで左半身を覆った努に、飛来した血武器が殺到する。フライで浮かんで何とか急所である頭を避けたものの、太ももや胴体に槍を模った血武器が次々と突き刺さる。致命傷を受けた衝撃で努は空中で吹き飛ばされ、右足が肉片となり千切れる。



「…ホー……リー」



 地面に落ちた頃には努の身体は穴だらけになり、死亡判定の光が浮かび始めていた。だが同時に割れたお団子オーバーヒールにより回復も同時に進んだことで死亡せず、身体が消失することはなく留まった。


 普段ならばヘイトを気にして使う機会がほとんどないオーバーヒールだが、一人を完全回復させるというその力は絶大だった。死亡判定を受けるほど死にかけだった努の身体は五体満足となって息を吹き返す。


 だがそれでも再生した努の右足は既に自由が利かなくなっていた。右足を見てみれば、既に健康的な血色は失われて灰色がかっている。誤判定ではあったが死亡判定の光が出てしまったことにより、アンデッド化が進行しているのだ。オーバーヒールにより再生した箇所は既にアンデッド状態となっている。


 その中で左半身だけが無事なのは事前に着込んでいた聖属性装備と事前掛けしていたホーリーのおかげである。それを認識したと同時に飛んできた大盾を不格好な片足飛びで避けるが、その先から殺意に満ちた目をしたガルムと神の眼を持ってすぐに戻ってきたエイミーの追撃。



「バリア」



 エイミーが双剣を構える前に進行方向へ多大な精神力を使いバリアを置く。すると彼女はびたーん! とガラスに顔をぶつけたようにその場で止められた。先行していたエイミーのそんな姿を見たガルムは戻ってきた大盾を前に構え、そのまま突進してバリアを突き破る。



「エアブレイズ」



 人に対して全力でスキルを使うことを何かと拒んできた努も、モンスターが相手ならば問題はない。ガルムに対し全ての精神力をかけて巨大な風の刃を放ち、その反動を利用して努は後方へと退避する。


 だがバリアに頭を打ち付け初めこそよろめいていたエイミーも、それを紙のように切り捨てて双剣の片割れを投擲した。それは弦で放たれた矢のように唸りを上げ、努の胴体に突き刺さる。そしてエイミーが更なる追撃をかけようと勢いよく近づき、ガルムはその間に努の目前へと迫っていた。


 しかしそれよりも先に迫るのは、空から落ちてくる黒だった。


 既に右脳までアンデッド化が進んで思考能力がほぼ失われていた努は、それでも並々ならぬ執念の思いを賭けて左手を空に伸ばす。だがその手を黒は無情にも飲み込むと同時、指先からローラーで潰していくように圧をかけていく。



(越えろ! 越えろ!)



 だが激痛の走る手の先など気にせず心を内で燃やしていた努の視界は、黒に包まれて真っ黒になった。

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