第378話 折れたとしても
「今日はこれくらいにしておきましょうか。……事前に想定していたよりも有意義な時間を過ごせました。感謝しますわ」
努が逃走して未だ一番台の映像が途切れないまま二時間が経過してから、ステファニー、ユニス、ロレーナの三人はお通夜のような空気でヒーラーの意見交換会を始めた。そして神台市場からどんどんと人がいなくなっていく中で一時間ほど意見を交換した後にステファニーはそう締め括ると、決心を固めた様子でその場を去ろうとした。
「……ステファニーはこれからどうするのです?」
「百階層の攻略に臨みます」
「……ツトムのことはどうするのです?」
「認めたくはありませんが、あの様子ではしばらく出てこないでしょう。どうやら本当に死にたくないようですわね」
「…………」
今も一番台の映像にはアンデッド化したガルムとエイミーが暇つぶしに戦っている様子と、既に完全復活を遂げた爛れ古龍の姿しか映っていない。意図的に神の眼を自分から遠ざけているであろう努の姿は一度も確認できず、しかもギルドでは既に他のPTメンバーたちが強制帰還させられているという情報が流れてきている。
初めの三十分は何か意図があっての撤退だと誰しも信じていた。だが一時間、二時間と過ぎていく内にその希望は打ち消され、他のPTメンバーの帰還が知らされてからはたちまちブーイングの嵐が起きて観衆たちは神台市場から足早に去っていった。
それと同時に努が観衆たちの言う通り逃げ出したという現実を、ステファニーも認めざるを得なかった。既にPTメンバーは蘇生不可であり、爛れ古龍も完全復活を遂げている。それでもなお努が古城で息を潜めている理由は、死にたくないという一心なのだと。
この中でステファニーだけは努がコリナを育てて百階層へ先行させている事実に気づいてはいたが、その意図まではわからなかった。それには自分が考えもつかない
「では失礼しますわ」
失望しなかったといえば嘘になる。だがそれでも尚、ステファニーは観衆たちのように努を軽蔑し切り捨てることは出来なかった。
ツトム様への妄信は解け失望もしたことは事実だが、努もまた人間だったのだという話なだけのこと。だからこそ自分が完璧な人柱の役割を引き継ぐ。それこそが努への手助けになると同時に彼の探索者生命を繋ぎ止められると考え、ステファニーは早足でギルドへと向かっていった。
「……ロレーナは、どうするのです?」
ステファニーが身を
ロレーナはユニスとは最近になってダンジョン探索を終えた夕方一緒に食事をすることが増えているため、少なくともステファニーよりは仲が良い。だからこそユニスがかなり感受性に富んだ性格であることはある程度知っているため、彼女を無為に傷つけないよう言葉を選んで話し始める。
「私はツトムに助けがいると思ったら助けるし、いらないなと思ったら助けないかな。……でも正直なところ私も判断には迷ってはいるよ」
九十階層を守る成れの果てで攻略が明確に詰まり同時にシルバービーストにも様々なトラブルが発生して気が滅入っていた時、ヒーラーの師匠である努は本当に何もしてくれなかった。
その時はギルドで努とすれ違う時にわざと落ち込んでいるアピールでため息をついてみたりしたのだが、完全に無視を決め込まれていた。そしてステファニーやユニスに対しては助言をしていると周りから聞いた当時は、すれ違った時に飛び蹴りをお見舞いしてもいいんじゃないかという心境になっていたことは事実だ。
結局その後は自力でクランメンバーたちと話し合いを重ねてもがき苦しみながらも、シルバービーストの抱えていた孤児の保護とダンジョン攻略の兼ね合い問題を解決した。そしてその後は九十階層も何とか攻略できたため、今思い返せば努の手助けは確かにいらなかったのだろう。あれは九十階層の攻略だけでなくクランとしての在り方が問われる問題でもあったので、もし努が手助けをしていれば余計に拗れていた可能性も否定できない。
結果としてはシルバービーストが自力で解決できてクランとしても成長できた。だがその助けるか助けないかの判断はとても難しいように思える。
今までの輝かしい成果とあの小憎たらしい人柄のせいですっかり忘れていたが、努は探索者たちが必ず通る死の経験が極端に少ない。それこそ金の宝箱から黒杖を手にした時くらいしか死の経験をしていることが確認されていないため、死への恐怖が一般人と変わらないことは推測できた。ただ探索者たちからすれば死の克服は当たり前の通過儀礼なため、その認識が完全に抜け落ちていた。
死というものは生物が共通して持つ恐怖である。その克服が出来ない者は必然的にダンジョンへ潜ることを続けられず引退していくため、今も探索者を続けている者で死を恐れダンジョンに潜れない者は存在しない。
ただその常識は努に対しては適用出来ない。彼は優秀すぎるがために誰もが迎えるはずの死を一度しか経験していない状態で百階層まで昇り詰めてしまったのだ。だからこそ努のこれから先は読めない。今まで死を克服出来なかった人々のように探索者を引退してしまうかもしれないし、案外
努がどちらに転ぶかは誰にもわかりようがなく、だからこそロレーナは迷っていた。ステファニーのように百階層の道へ進み共に歩むべきか、ユニスのように彼を死から立ち直らせる準備をするべきか。
「ユニスは、ツトムが帰ってくるまで待ってるんだよね?」
「それは……わからないのです」
ユニス自身はそう言っているが努が帰還したら間違いなく様子を見に行くだろうなと思ったロレーナは、背中を押すように進言する。
「もしかしたら慣れない死でツトムは気が滅入ってるかもしれないしさ? それなら私もお見舞いしに行くから、その時は一緒に行こうね」
「……です」
「まぁ、あのツトムなら引退まではしないでしょ?」
「そ、それが一番心配なのですよぅ! 何なのですか! みんな勝手に期待して、勝手に失望して、好き勝手言って……ツトムが可哀想なのです!!」
「そうだね。でもちょっと落ち着こうね」
目に涙を溜めながらそう訴えるユニスを前に、ロレーナは苦笑いを浮かべながらハンカチを渡して慰めた。そして激情に任せたユニスの言葉を何分か聞いてあげた後、金色の調べのクランメンバーに後を任せるとロレーナもシルバービーストの下へ帰って行った。
▽▽
無限の輪のクランハウスにあるリビングで着々と夕食の準備が進められている中、いつも埋まっているはずの席は空席のままだった。ガルムは普段なら努が座っているはずの空席を所在なさげに見つめていて、エイミーは気を紛らわせるようにフォークの先端を親指でポチポチと触っている。
アンデッド化して五分が経過したと同時にギルドの黒門から帰還させられた二人は、その後死亡したダリルとアーミラと合流してからおよそ三時間は一番台を見ながら努の帰りを待っていた。その後も努が帰ってくるまでその場で待とうとしたが、ギルド長であるカミーユと門番から帰ってきたらこちらで保護するから一度クランハウスへ戻れと言われ現在に至っていた。
そして夕食の準備が整い始めたところで、クランハウスの玄関が激しめに開け放たれた音が響いた。続いてどたどたとした足音と共にリビングの扉が強めに開けられ、みるからに不機嫌そうなアーミラが顔を覗かせた。その後ろには誰の姿もなく、席についていたハンナが思わずその場で飛び跳ねるくらい大きな音を立てて扉が閉められる。
そんなアーミラを前に食事の配膳をしていた見習いの者は目に見えて緊張した様子になり、絶対に粗相があってはならないと思ったのか慎重に作業を進めるようになった。コリナやハンナもそれに
「怒りの表現の仕方がまるで子供のようですね」
「……あ?」
「子供のようだと言ったのです。扉を壊す勢いで閉め、そうやって周りを委縮させる。やっていることは数年前と同じですが、結局あの時から何も進歩していないのですか?」
「…………」
冷めた目つきのままそう言われたアーミラは反論できず黙り込む。そして龍化している時と同じようにギョロつかせていた目を閉じた後、深々と一呼吸置いてからいつも座っている自分の席へついた。
「……今のは俺が悪かった、わりぃ」
「だ、大丈夫です」
「扉壊したらだめっすよ」
謝ってきたアーミラにコリナとハンナは各々反応し、見習いの者は安堵の息をついた。だが見開かれた彼女の目から怒りは消えていなかった。
「でもよ、俺は今でも収まりがつかねぇ。ツトムの野郎、いつまで引き籠ってやがるんだ?」
「この調子ではダンジョンが崩壊するまで残っているかもしれませんね」
「何なんだよ、クソがっ!!」
その表情に若干の嬉しさが滲み出ているリーレイアにまるで気づいている様子のないアーミラは、ただ苛立ちの声を上げながら歯軋りする。
九十階層の一軍選抜でリーレイアに負けてから、アーミラは努とPTを組むために修練を積んできた。ただ自分の思ったようにPTが選ばれはしなかったものの、結果的には努と同じPTに入れた。そのことをアーミラは誇りに思っていたし、百階層もヒーラーであり指揮者としても信用できるツトムなら背中を任せられると思っていた。
だが結果として自分は見捨てられたのだ。その時こそわからなかったが、死に戻りでギルドに帰ってから真実を知らされた時は怒りで気が狂いそうになった。母が尊敬し、自分も暴食竜との戦いでその実力を認めていた。そう思っていた努が今も自分の命惜しさに敗走しているなど、情けないにもほどがある。そんな者を自分が尊敬していたのかと思うと反吐が出る。
「帰ってきたら絶対ぶっ殺してやる」
「確かにあそこで貴方たちを見捨てたのはいけませんでしたが、やるにしても半殺しに留めた方がいいと思いますよ。それにもしかしたらツトムにも何かしらの事情があったのかもしれませんから」
「仲間を見捨てる事情なんてあるかよ。馬鹿馬鹿しい。あそこで逃げるなんざ男じゃねぇ」
「…………」
出来ることなら何か口を挟みたい。だが初めに殺されて爛れ古龍の手駒と化してしまいPTを追い込んでしまったエイミーは何も言うことが出来ず、それはガルムも同様だった。現状に責任を感じて黙り込んでいる二人をよそに、アーミラはリーレイアに乗せられる形で愚痴を吐き出していく。
「いつまでも下らない愚痴を垂れ流さないで。ご飯が不味くなる」
そんなアーミラに対して辛辣な言葉を投げかけたのは、意外にもディニエルだった。突然口を開いたディニエルを一同は思わず見つめるが、すぐにアーミラが眉間に皺を寄せて言葉を返す。
「……愚痴だ?」
「愚痴以外の何物でもない」
「あいつが悪ぃって言うことの何が愚痴なんだよ。ただの事実だろうが」
「確かにツトムが今も百階層に一人で籠っていることは問題。それは誰に糾弾されても仕方のないこと。だけど百階層で最善を尽くしたといえない貴女がいつまでも生産性のない愚痴を垂れ流すのは不愉快でしかない。貴女がそこまで怒るほどツトムに勝る仕事をしていたとはとても思えないから」
「……何だと?」
「一番台を見ていた私としては、最後に逃げたこと以外にツトムを責める理由が見当たらない。むしろあの不条理な状況の中でよくあれほどPTを率い、完璧な支援と敵の妨害を続けていたとすら思う。ツトムはヒーラーの枠を超えた活躍をしていたと評価できる」
最後の逃走こそとても褒められる行為ではないにせよ、それに至るまで努がヒーラーの役割以上の立ち回りを見せていたことは事実だ。想定していなかった血の分身が出てきても支援を崩さず続け、PTリーダーとして臓器の破壊も並行して進めた。その後エイミーとガルムがアンデッド化する事態にもすぐに対処し、爛れ古龍のヘイトを受け持ちながら味方の支援と敵の妨害までしながら立ち回っていた。
「それに比べて貴女はツトムの指示にただ従ってアタッカーとしての役割を果たしていただけ。それなのによくそこまで彼に対して怒りを向けられるのか理解に苦しむ」
「……もし、これが外のダンジョンだったらどうすんだよ。見捨てられた俺たちは死んでた」
「生きるか死ぬかでしか出れない階層主と、いつでも撤退が可能な外のダンジョンを比べている時点で論点がずれている。仮に外のダンジョンだったとしても、迷宮制覇隊のクリスティアが勧誘するような人が撤退の判断を間違えるとはとても思えない」
「ならあいつが正しいっていうのかよ!?」
「別に全て正しいとは言っていない。結局のところ最後に逃げ出したことは事実だし、帰ってきたら一発殴るくらいの権利はある。だけどこの場でツトムを責めるようなことを言ったところで何も残らない。隣の奴が喜ぶだけ」
そう言って彼女をいたずらに助長させたリーレイアに軽く睨みを効かせたディニエルは、視線を窓の外へやった。
「ここで何を言おうともツトムは帰ってきたら皆から糾弾されるのに違いはない。それに死を克服出来ずに折れている可能性も否定できない。そうしたら探索者を引退するなんて言い出しかねない。それだけは全力で止めなければ色々と困った事態が起こる。貴女もそれは望んでいないはずだけど?」
「…………」
自分にあれだけのことをぬかしておいて探索者を引退など、到底許されることではない。だからこそディニエルは努にこのまま折れてもらうわけにはいかなかった。少なくとも自分を再びアタッカーだと認めさせるその日までは。
「嵐で折れた木をそのまま放っておけば根まで腐り落ちる。だけど適切な処理をすれば再び枝を生やして育つ。ツトムにもそうなって貰わないと困る」
「おぉ、珍しくいいこと言うっすね?」
「あんな人でもこのクランのリーダー。みんなで一発ずつぶん殴った後、立ち直らせてあげることがクランメンバーとしての務めだと私は思う」
「えぇ……? それこそ根元まで折れて再起不能になっちゃいそうですけど?」
「中途半端に折るのは良くない、最後まで折ってあげないと。その役目はアーミラに譲ろうと思う」
ディニエルにそう振られたアーミラは剣呑な顔つきのまま黙り込むと、怒りを飲み込むかのように前へ出されていた水を一気飲みした。
「……俺は、まだ許したわけじゃねぇ。だけどよ、ぶん殴る順番は俺からで頼むわ」
「回復はコリナに任せるといい」
それから夕食が出揃って食事が進んでからは悪かった空気も何処かへ飛んでいき、アーミラからも笑顔が見えるようになった。
「……ありがと」
すると食事の途中でディニエルの傍にエイミーはそそそと近づき、小さくお礼を言ってから魚のムニエルを半分彼女に渡した。それをやんわりと突き返したディニエルは代わりに普段そこまで触れないエイミーの尻尾を堪能した。
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