第370話 古参の二人

 無限の輪の一軍PTが百階層に挑んだ翌日の早朝。体力作りのためにタンクを中心としたクランメンバーたちの走り込みが始まる。


 基本的にタンクは毎日参加し他のクランメンバーはまちまちの参加率である走り込みで大体トップを走っているガルムは、前を走っている――周回遅れの努を見つめていた。とはいえいつもより自分に追いつかれるまでの時間は長く、息の切れ具合からしてそこまで無理をしている様子もない。



(百階層に向けての気合は十分といったところか)



 何せここで打ち止めになるかもしれない百階層。そんな場所を一番初めに攻略出来たのなら、迷宮都市で未来永劫語り継がれるなんてことも有り得る話だ。神のダンジョンに対して執着を見せている努からすれば気合も入ることだろう。



(ただ……今日は何も反応がないようだな)



 普段なら自分の走る音が聞こえた途端に振り返ってきてしっしと手を払ったり、来るなとでも言いたげな顔で見てきてからペースを上げることが多い。何気に走り込みの参加率も高いのでそれはもはやコミュニケーションの一環となっていて、ガルムの他にダリルやリーレイアも努を周回で抜かすためにハイペースで走っていた。



(これはこれで寂しいものだな)



 走り込みで身体的に疲れて追い込まれている時の努は普段と違い良い意味で馬鹿っぽいノリになるため、転んだフリなどをしてくる彼に呆れながらも真顔で抜き去ることが多かった。しかし今日はどのようなことをしてくるのかと楽しみにしていたところも少しあったので、内心残念に思いながら努と並んだ。



「…………」

「…………」



 こうしてわざと並んでみればいつもなら嫌味の一つでも言ってくるものだが、努はまるで意に介していない顔でぼんやりと前を見ながら走っているだけだった。疲れすぎて頭が働いていない様子もないので、どうやら何かを集中して考えながら走っているようだ。



(……邪魔をしては悪いか)



 幸運者騒動や異例のスタンピード、無限の輪設立とギルド職員から探索者への復帰など紆余曲折うよきょくせつはあったが、自分は今も変わらず努とPTを組んでいる。しかし百階層で終わりとなればこの先はどうなるのか。


 無限の輪のクランリーダーとして努は百階層を攻略して結果を見てから方向性を決めると言っていたが、ガルムとしてはもし百階層で終わりならばどうなるのか気になっていた。努はあまり外のダンジョンに出たがらないため、もしかしたら探索者を引退することも考えられる話ではある。


 なので努と話してそれとなくこれからの展望を探りたいという気持ちはあったのだが、彼は何か深く考えているようだったので話すのを諦めてそっと追い抜いた。しかしその後もガルムは僅かな期待を込めて走る速度を落としつつちらちらと様子を窺っていたものの、努が気づく気配はなかった。



「あれ、ガルムさんが見える……?」



 それならばもう仕方がないので走り込みが終わってからにしようと大きく息を吸って足を速めた時、気の抜けたような声が後方から聞こえた。努の様子を窺って走る速度を落としていたので、重鎧を着込んだダリルが追い付いてきたのだ。



「あ! ツトムさーーん!!」

(あの馬鹿者がっ……!)



 そして無邪気に努を呼ぶダリルの声をガルムの犬耳は正確にとらえていた。内心でその愚かな行為を叱責したが、今から止められるわけもないので前を走りながら犬耳を僅かに後ろへと傾ける。



「ツトムさん? あれ、もうバテちゃってます?」

「……ん? あぁ、別に大丈夫だけど」

「何か考え事ですか?」

「まぁ、そんなところかな」

「いよいよ百階層ですもんね! 僕も色々と考えましたよ!」

「そうだね」

(心ここにあらずとはこのことだな。声をかけなくて正解だった)



 声のトーンからしてあまりダリルを歓迎しているようにも思えないので、自分の判断は正しかったとガルムは少しだけしたり顔になった。だがそんな努の様子にも特に気付いていないダリルは何の躊躇もなく話を続ける。



「昨日のディニエルさん、何か凄くなかったですか? 動きが何と言うか、凄いキレてましたし、最後まで諦める様子もなかったですし」

「あぁ、あれは確かに驚いたね」

「ツトムさんが焚きつけた……せい? おかげ? ですね?」

「おかげでしょ。あれでディニエルの弱点が一つ改善されたわけだし」

「ちょっとやりすぎだとは思いましたけどね」

「結局あれはただの意趣返しみたいなものだったから、そんな難しく考えてやったわけじゃない」

「それはそれで問題ある気はしますけど……でもツトムさん、随分と体力つきましたね?前だったら話しかけても答えられなかったのに」

「いや、ただ単に無視していただけだけど」

「えっ!?」

(…………)



 段々と声のトーンが上がってきた二人の話し声に聞き耳を立てていたガルムは、何とも言えない顔をしながらも傾聴を続ける。



「でも、遂に百階層ですよ。もうこれで神のダンジョン終わっちゃうんですかね?」

「もうその話百万回は聞いたわ」

「百万回は嘘ですよね」

「言葉のあやってわかる?」

「はいはい、わかりますわかります。それでツトムさんはどうするんですか? もし百階層で終わりだったら。ちなみにディニエルさんはツトムさんが探索者を止めるって言ったら許さないって昨日言ってましたけど」



 最も気になっていたことを素で質問してくれたダリルに、ガルムはよくやったと内心で言いながら耳を傾けている。そんなことを知ってか知らずか、努はお茶を濁すような口振りで答えた。



「それはその時にならないとわからないよ。まぁ、もしもの時のためにある程度準備はしてるけど」

「準備?」

「いきなりクラン解散! じゃあみんなさよならってわけにはいかないからね。特にガルムとエイミーはギルド職員辞めてまで来てくれたわけだし、取り敢えず一生食うに困らないGゴールドくらいはあげないと割に合わない。……まぁ、アイドルのエイミーはいらなそうだけど」

「……解散しないに越したことはないですけどね」

「ダリルは誰かのヒモになる未来が見えるから何もあげないよ」

「何でですか! というかヒモなんかにならないですよ!」

「そういう奴が……って、流石にもう疲れてきたわ。もう話は終わり。さっさと先にいけ」



 流石に走りながらこれだけ喋るのは堪えたのか、努は段々と荒くなってきた息を抑えながら野良犬でも追い払うようにしっしと手を払った。そんな動作にダリルはムッとした顔をして睨んだが、ガルムに追いつくために努を追い越した。



「ガルムさーーん!!」

「…………」

「え、ガルムさん!?」



 ダリルはペースを上げて追いつこうとしたが、ガルムはそれ以上に走る速度を上げた。絶対に追いつかせる気がないガルムの走りにダリルは追いつけず、二人の姿はすぐに努から見えなくなっていった。



 ▽▽



 そんな朝の走り込みが終わるとクランメンバーは各々オーリと見習いの女性が準備していた朝食を食べる。その際に最終確認でコリナと百階層の攻略法について確認し合っている努を横に、エイミーは一つ気になっていたことがあった。



(ツトムが少し汗臭い……。今日はシャワー浴びてないのかな)



 いつもなら朝の走り込みが終わると真っ先に二階の浴場へと直行しているはずだが、百階層に挑む今日に限って入っていないようだった。努としては一度部屋に帰っていつものように装備を整えてシャワーを浴びる予定だったのだが、走っている時と同じように色々と考え込んでしまった結果入るタイミングを失っていた。



(……これはこれでいいけどね)



 努は結構な綺麗好きなので汗をかいたまま放置することはほとんどないため、汗で黒髪が少し濡れている努を横に若干ムラッとしたものを感じた。



「すー……あっ!?」



 これはいけないと少し落ち着くためにエイミーは深呼吸したが、それで余計に匂いを意識して盛大に自滅した。そんな彼女を周りの者たちは訝しんでいたが、当人の努はコリナと話すことを優先してかそれを指摘することはなかった。



「いやー、百階層だね。ハンナちゃん」

「……? そうっすね?」



 突然ハンナへ問いかけることで何とか誤魔化しながらも、エイミーは若干目を回しながら搾りたてのオリーブオイルがかかったサラダと赤身魚のマリネをばくばくと食べる。



「何だかんだでツトムの初見突破記録もかかってるからね。今回はかなり手強そうだけど何とかして頑張りたいところだよ」

「あ、そういえばそうっすよね。それでさっきのは一体何だったっすか?」

「それは、あれだよ、ハンナ君。誰にでも叫びたい時はあるものだよ」

「今日のエイミーはちょっとおかしいみたいっすね。百階層でやらかさないことを祈っとくっすよ」

「祈っとく」

「余計なお世話だけどありがとう! もう祈らなくていいよ!」



 コリナの祈る姿を真似て祈祷を捧げてくるハンナとディニエルへやけくそ気味にお礼を言うと、二人はすぐに祈ることを止めて食事を再開した。最近特によく食べるようになったディニエルを横目に、エイミーは困ったようにため息をついた。



(やれるだけのことはやってきたし、ツトムがいるから大丈夫だとは思うけどね……)



 今までも努の腕は信用していたが、九十階層での四人蘇生を見てからはもう疑いようもない。あの活躍を見た時は本当に脳が痺れたのかと思ったし、死ぬリスク覚悟で成れの果てへ向かっていける勇気も見せてくれた。未だに死んだところを見たことがないのは不安要素だったが、あの状況で絶望しない精神力があるのなら何の問題もないだろう。


 努とPTを組むために毎日一歩一歩ではあるが、どの双剣士より努力もしてきた。そして努の指導もあってか今ではアイドルという評価抜きにして探索者としての実力で認められるようにもなり、えげつないアタッカーたちに後れを取ることなく喰らいつけた。百階層でやらかすようなことはないだろうし、PTとしても通用するだろう。



「それじゃあ、そろそろギルドに行こうか」

「りょーかい!」



 そして朝食も終わりPTメンバー全員が準備を済ませると、努が出発する旨を告げた。それにエイミーは気合満々な声を上げ、高揚した気持ちを抑えるように胸へ手を当てた。

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