第367話 臓器の壊し方

「今のところは拍子抜けといったところだが……」

「なーんか不気味っすよね」



 初めに爛れ古龍のヘイトを取ったゼノは今も無傷であり、その隣を飛んでいる避けタンクのハンナは相手の動きを観察することに努めている。だが爛れ古龍は今のところ空中に退避すれば悠々と避けられる腐食のブレスしか打ってきておらず、動きも亀のように鈍い。



「パワーアロー」

「サラマンダーブレス」



 しかしディニエルの骨を穿つ矢とリーレイアの精霊魔法によって攻撃されるにつれ、爛れ古龍の骨からどろりとした赤黒い血が流れ落ち始めた。炎を受けても固まる気配がないその血は爛れ古龍の全身をどす黒く染める。それと同時に変化が起きた。



「あれは……」



 血みどろになった爛れ古龍の左胸付近に血が渦巻くと同時、生命が脈打つ音をコリナは確かに聞いた。その音は死の気配を読み取れる彼女特有の幻聴ではなく、虚空だった爛れ古龍の左胸で確かに脈打っていた。


 巨大な心臓が生成されたと同時に爛れ古龍は先ほどの怨念が篭ったものとは対照的に、母の腹から生まれ落ちたかのような力強い咆哮を上げた。それと同時に鮮血とも見える赤い血が周囲に飛び散ったが、その一部が斜め上にいるゼノの方へと明確に向かう。



「くっ!?」



 その赤い血は空中で瞬く間に凝固して槍のように尖りゼノの鎧へと襲い掛かる。手盾で顔面への直撃だけは防いだが彼は空中にいるため衝撃に耐えきれず後退した。



「血を操れるっぽい。取り敢えず撃つ?」

「……少し様子を見ましょう。まずは攻撃を見極めます」

「過度な様子見をしても面倒くさい気配がする。多分あの様子だと心臓以外も再生しそう」



 爛れ古龍の周りにはまるで見えない血管でも通っているかのように赤い血が巡り、その細い赤線によって僅かだが龍の輪郭が見えるようになっていた。そして身体内部ではまた一部分に黒い血が集まり始めていて、先ほどより急速ではないものの同じように再生してくる気配があった。



「ハンナが機能しなければ戦えるものも戦えません。そのためにもある程度攻撃は出し切らせなければなりませんから」

「それならまずあれを何とかするしかないか」



 リーレイアの考察を聞きながらディニエルは目にも止まらぬ手捌きで矢を放ち、今もゼノを執拗に狙う爛れ古龍の血槍を破壊した。粉々に破壊された血槍はそのまま粉状のまま地面へと落ち、再生するといったことはなかった。しかし今も健在の血槍は初めの勢いを落とさずゼノへと向かう。



「破壊しなければいけないとは、面倒だねっ! コンバットクライ!」



 破壊しなければずっとつけ狙ってくる血槍が減ったことによって剣を抜く余裕が出来たゼノは、まだ向かってくるそれをショートソードで何本か切り捨てながら銀色の闘気を放つ。それと同時にコリナが事前に回していた治癒の願いが叶いゼノの怪我が癒える。



「本体も来るっすよ!」



 コンバットクライを受けた爛れ古龍は先ほどよりも速い動きでゼノの方に走り込んできた。時が経つほどに不可視の血管の数も増え続け、心臓が鼓動するごとに全体へと血液は循環する。それと比例するように速さを増した爛れ古龍は空中にいるゼノを叩き落とそうと前足を振り上げる。だがそれはまだ初期状態のマウントゴーレムのように鈍かった。


 当然のようにゼノは骨の周りに血液が循環しているだけの不気味な前足を避ける。しかしその前足が地面を叩いたと同時に血管が弾け、その拍子に鮮血が舞い上がる。



「そんなことだろうと思ったよ!」



 前足を振り下ろした地面から吹き上がるように出てきた血は棘状のまま身体を貫かんと迫るが、それを予想していたゼノは空中移動を駆使して避けていた。すると尖った氷山のように突き出た血の結晶はすぐに融解し、爛れ古龍の下へ液体となって戻っていく。



「ディニエル。あの血が通っている場所を攻撃するのは控えて下さい。まずは心臓を狙ってみます」

「ストリームアロー撃ったら大惨事になりそう。ツインアロー」



 血管を破壊してしまえば先ほどのように溢れた血がヘイトを買っているゼノに襲い掛かることだろう。ディニエルは冗談半分に言いながら目を研ぎ澄ませ、スキルを使用して同時に矢を二本放った。忘却の古城に破裂したような音が響く。


 普通の弓術士が放つツインアローならばただ二本の矢が飛ぶだけだが、ディニエルの放った矢は一本目と二本目が綺麗に並びながら今も爛れ古龍の心臓へと向かっている。数十年の経験とエルフとして成熟した身体能力、それと弓術士のスキルを理解しているディニエルだからこそ撃てる二連矢。



「あ」



 ただ無数にある血管を全て避けることは難しかったのか、途中でいくつか千切れ飛ばしてしまい矢羽が血で濡れる。しかし勢いは衰えないまま第一射が心臓に突き刺さり、続いて第二射が同じ場所に追撃する。



「面倒くさい」



 途中からイーグルアイを使用して矢の視点も観察し、ディニエルは修正を加えながら次々に矢を放つ。時折混ぜられる属性矢、特に雷魔石が使用された矢を放つ時は落雷と聞き間違えるほどの轟音が響き渡る。



「相変わらずえげつないっすね……。スキルなしであれっておかしいっすよね? 弓を引くモンスターみたいなもんっすよ」



 力強すぎて普通に撃った矢の軌道すらほぼ見えない様を眺めていたハンナは肝を冷やしていた。普段のやる気ないキャラからしてどうにも細身で力がなさそうに見えるが、腹筋バキバキのリーレイアですら引くのに苦労した強烈な硬さを誇る黒弓の弦をディニエルは造作もなく操っている。それは弓を扱う高い技術もあるだろうが、そもそもの筋力がなければ話にならないだろう。


 ハンナも女性探索者の中では筋力に自信がある方だった。実際アルドレットクロウにいた時は脚力で負けたことがほとんどないといってもよかった。


 しかし無限の輪に来てからはその自信を喪失しつつある。ステータス的に一番非力であるコリナですら看護師を務めていた際に仕事で鍛えられていたからか、男の努より強いのだ。それに純粋な力で言えばアーミラが無限の輪で一番のため、一昔前までの女性が非力という時代は一体何だったのかと考えてしまう。



「ハンナ、そろそろ把握は出来ましたか?」



 知らぬうちに筋肉のことで頭が支配され始めていたハンナは集中出来ていなさそうだったので、まだ余裕のあるコリナは近づいて声をかけた。するとハンナはギョッとしたように青翼を広げたが、すぐに爛れ古龍へ視線を戻した。



「攻撃は今のところすぐタンク代わっても大丈夫そうっす。……だけどあのままってわけではなさそうっすよね」



 爛れ古龍の攻撃パターンをおおよそ把握していた。今のところ爛れ古龍本体はそこまで怖くはない。問題は血を操っての攻撃だが冷静に見てみるとワンパターンなものが多い。


 基本的には血しぶきの形のまま突き刺そうと迫ってくることがほとんどで、そこまでの飛距離や追尾性能もない。厄介なのは初めに見せた自動追尾の血槍くらいだ。それにゼノは攻撃に当たればどのくらいダメージを受けるのか検証しているため敢えて受けているが、彼も避けようと思えば避けられる範疇だろう。


 しかし百階層の階層主がこの程度で終わることなど有り得ない。現にその兆候はハンナでも感じられる。血管の増加と臓器の再生。恐らく時間が経てば経つほど強くなっていくのは想像が出来た。


 そんなハンナの言葉にコリナは頷くと、目を細めて爛れ古龍が再生しているであろう部分を見つめる。



「恐らく今はあの形からして、肝臓を作っているのだと思います」

「肝臓……?」

「お肉で言うところのレバーですよ。少しえぐみがありますけど美味しい部位です」

「あ、何か栄養あるやつっすよね? あたしは苦手っすけど」



 ハンナはレバー特有の血生臭さを思い出してかうえーっと舌を出している。



「あの階層主は心臓が作られてから血による攻撃を始めました。……これは予想ですけど、多分何かが再生するごとに能力が付与されていくみたいな感じだと思います」

「んーと、じゃあ肝臓が再生したらどうなるっすか?」

「正確にどうなるかはわかりませんが……肝臓の役割で一番目立つのは解毒でしょうか。毒類が効かなくなるとかですかねぇ?」

「毒……それなら大丈夫じゃないっすか?」

「実際に再生されてからでないとわかりませんから、今回はどの部位が再生されたらどのようになるかの検証が急務ですね。心臓を破壊出来れば一番良さそうではありますけど、あの調子だとすぐには難しそうです」



 ゼノからヘイトを奪わない範疇でディニエルとリーレイアは心臓に攻撃を加えているが、傷こそ与えられるものの力強い脈動を止めるまでには至らない。ゴムのように弾力がある筋肉で構成された巨大な心臓を破壊出来れば恐らく血での攻撃も出来なくなるのだろうが、その機能を止めるには相応の時間がかかりそうである。



「ただ、今回は私も少しは力になれるかもしれません」

「お? 珍しいっすね。コリナがそこまで言うの」

「魔物ごとの違いはあると思いますが、臓器に関しては普通の人よりは知っています。見た目からしてあの階層主の臓器も私が判別できる範疇にありますし、それならやりようはあります」



 コリナは自分の知識が百階層の攻略に役立つかもしれないことが嬉しいのか、嬉しそうな笑顔で言った。



「私は凄腕の外科医さんみたいに人は治せませんけど、近くで見ていたおかげで構造自体は良く知っています。壊すことだったら、私にも出来ますよ」

「お、おっす」



 そんなコリナの言動と表情にハンナはドン引きといったところだった。

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