第366話 百階層の始まり

 それから数日が経過すると無限の輪の両PTとも九十九階層の攻略は済み、いよいよ百階層へと続く黒門を目の前にした。だがまだ見ぬ百階層には多大な注目が集まることは誰でも予想出来たため、無限の輪は貴族や警備団からの要望で潜る日時を指定することになった。


 そのため攻略は二日後の夕方からとなり、今回はコリナ率いるPTを一軍として百階層の攻略に挑むことが発表された。そのことについては探索者や迷宮マニアも賛否両論といったところだったが、コリナがあまりにも実力不足だと言われることはなかった。



「百階層か……。これで神のダンジョンも完全制覇ってことになるのかねぇ」

「そうなると俺らのほとんどは用無しになっちまうよ」

「そうなったら本格的に家業つがせるからな」

「うへぇ」



 探索者たちと契約しているスポンサーの要望に合わせて装飾などを作製する職人である父の言葉に、その弟子であり迷宮マニアでもある息子はうんざりといった顔をした。もし百階層で止まるのならば今までのようにスポンサーが大量に依頼してくることはなくなるし、新しい情報が入らなくなった迷宮マニアも苦しくなるだろう。



「えー、きっと百一階層もあるってー。ねー?」

「ねー」

「まだ屋台の方も続けたいしねぇ。最近ダリル君もよく買ってくれるし」

「ね!」



 装飾職人の妻とまだ小さめの子供は顔を合わせて同調する。そんな家族の他にも神のダンジョンに関する様々な仕事に就いている者たちはそのことについて良く話し合っていた。


 それに今回は数字のキリのいい百階層ということもあって、神のダンジョンの未来については迷宮都市に住むほとんどの者たちが議論していた。そこで打ち止めかその先があるのかで迷宮都市の未来が大きく変わることは子供だって想像は出来る。



「あーあ、勘弁してほしいよホント」

「明後日休みてーな」



 明後日は朝から一般の者も巻き込んで神台の観客数がえげつないことになることは予想される。人がごった返しになるであろう現場でトラブルが起きないようにするのは一苦労のため、今もパトロールをしている警備団の者たちは大体の者が憂鬱そうな顔をしていた。


 それから二日後の攻略までに神台市場を初めとした迷宮都市のありとあらゆる場所が活気づき、迷宮マニアたちも気合いを入れて無限の輪のPTについて解説し百階層ではどうなるかを予想していた。


 一番台の周りには普段よりも多く観客席が設けられることになり、ほとんどが短髪の作業員たちは人が少ない深夜や早朝にシェルクラブなどを利用しつつ仕事を進めていく。今回はバーベンベルク家も協力して上空にドーム型の観客席を設置するようで、スミスはその構築のために眉を寄せながら図面を片手に作成していた。


 神台市場の周辺にある屋台は百階層で客足が増えるのを見込んで普段よりも多く食材を発注して仕込んでいき、食材を運送する者たちが行き交っていた。そして料理をするために必要な魔石の売買も盛んに行われ、魔石換金所の少女は屈強な男たちに檄を飛ばしていた。


 ドーレン工房では新たに設置される席や柵などが急ピッチで作られ、森の薬屋では段々とポーション作りが洗練されてきた弟子の隣でお婆さんが指示を出している。二日後の百階層攻略に向けて迷宮都市の者たちは着々と準備を進めていた。



「……では、行きましょうか」



 そして二日後、各々が特別に早々と仕事を終わらせた夕方。絶大な注目を集めている一番台に映っているコリナは、緊張した面持ちでPTメンバーにそう言った。そして遂に開かれた百階層へと続く黒門を見て観衆たちは湧いた。



 ▽▽



「下は凄い騒ぎだね」



 障壁魔法の全体的な構造はスミス、席の色分けや細かな装飾などはスオウが担当して上空に作り出された特別な観覧席。その席の最上部近くに座っている努は緊張感のない声でそう言った。その言葉を聞いたスミスは振り返って尖った視線を向ける。



「私が招待していなければ貴様もあの場所にいたのだ。感謝しろ」

「はいはい。スミス様には感謝していますよ」



 努のうやうやしい態度に彼は一つ舌打ちを零したが、観衆たちの歓声で神台へと視線を戻した。努の両隣に座っているガルムやエイミーも神台に目が釘付けとなっている。



(忘却の古城……)



 この世界に初めて来た時に飛ばされた場所。それを神台越しに見て背筋にちりちりと火の粉が当たっているような感覚に襲われながら、努も神台から目を離してはいない。


 まるで闘技場のように中央が開けている建造物の中心にいることに、コリナたちは多少混乱しているようだった。だがすぐにコリナが迅速の願いや守護の願いをかけてからは皆落ち着き、まずはここの探索を済ませようと動き出す。



「…………」



 だがその中でいち早くディニエルがその長耳で風切り音のようなものを察知して上下に動く。彼女は鋭い目で曇天を見上げた。


 初めは遠くに小粒の黒い物が空に見えただけだった。しかしそれはみるみるうちに大きさを増し、急速にコリナたちの方へ降りてきているように見えた。



「上から来るっ!」



 ディニエルの声にPTメンバーも反応して空を見上げ、自分たちの方へ降りてくる生物を確認した。その途端に咆哮が全体に響き渡る。その怨念すら感じられる咆哮に全員竦み上がりはしたものの、万全を期した暴食竜を目にした経験からかそのままパニックに陥ることはなかった。



「さーて、百階層の階層主はどんなもんなんっすかねぇ?」



 ハンナはにひひと楽しそうに笑いながら準備運動でもするように屈伸し、予め無色の魔石を右手で砕いて魔力を馴染ませ拳を打ち合わせる。



「聞いたかね!? あの咆哮を! 暴食竜にも引けを取らない恐怖を感じる! あれが階層主で間違いないであろうな!」



 ゼノは上空から迫る生物を指差しながら、神の眼に向けて実況レポーターのような勢いで喋りかけている。



「契約――ノーム」



 この中では竜人ということもあってか一番恐怖を感じていたリーレイアは事務的に土人形のノームをゼノに契約させつつ、肩に乗っているサラマンダーのつるつるとした喉元を指先で撫でて平静を取り戻そうとしていた。



「ふぅー……」



 コリナは滲むような緊張と僅かな期待が入り混じった武者震いのような息を吐きながら、首から下がるタリスマンを握り締めていた。それを一瞥したディニエルは声をかけることを止めて常人ならば引けもしない硬さをした弓の弦を試すように引き絞り、姿形が判別できるまでに近づいてきた階層主を見据えた。


 そして巨大な竜の体が大地に降り立ち、瞳のない目をコリナたちへと向けた。遠目から見れば巨大な竜の骨格模型のような姿形をしているそれを見て、ハンナは荒野階層のことを思い出しながら口にする。



「スケルトンの、竜っすかね?」

「いや、スケルトンというよりは死体にも見えるがね。随分と骨が生々しく見えるのだよ。コンバットクライ!」



 爛れ古龍は遠目から見れば荒野階層の裏ボスであるデミリッチと共に出現するスケルトンドラゴンと似ている節はある。だが化石のように骨が乾いているスケルトンと違い、爛れ古龍の外郭を成すそれは死体から肉を削ぎ落した直後のように生々しかった。


 ハンナとゼノが外観について言葉を交わしている間に爛れ古龍は準備を整え、えづいて吐くように腐食のブレスを吐き出した。その吐くような動作からして当たりたくはないブレスを飛翔の願いによる効果で空中に飛んで避け、瞬く間に沼のような粘性を帯びた地面を見てゼノは口元を引き攣らせた。



「当たればただでは済まないだろうね」

「ゼノ、溶けないように頑張ってくれっす」

「不吉なことを言うものではないよ。だが気を付けた方が良さそうだ」



 ゼノのそんな言葉と爛れ古龍の攻撃を神台で目の当たりにした観衆は、各々興奮したように話していた。果たしてこれから無限の輪のPTはどうするのか、爛れ古龍はどのような力を持っているのかを迷宮マニアたちも議論している。


 努の近くに座っているスミスやスオウもすっかり夢中になっていて、それはアーミラやダリルも同様だ。ただガルムとエイミーはあることに気付いて視線を横に向けた。



「……ツトム?」

「え、どうしたの?」



 隣に座っている努の顔は下向き、肩は震えていた。そのことに気付いた二人が思わず声をかけると、彼はハッとしたように顔を上げた。



「いや、あれだよ。あの竜の攻撃? がさ。何かゲロでも吐いてるみたいで気持ち悪かったから」

「あーね。確かにそうかも!」

「……そうか」



 明るい様子でそう言った努にエイミーとガルムは納得したように頷いて視線を神台へと戻した。それでも僅かな違和感を二人共持ってはいたが気にしないでと手を振る努に押され、今は百階層の戦闘を見逃さないよう神台に集中した。

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