第362話 先の未来

(……どうしたもんかな)



 昨日のことを目覚めた途端に思い出した努は憂鬱ゆううつそうに小さくため息をつくと、現実逃避するように目を閉じて肌触りの良いシーツに包まった。


 九十九階層で百階層へと続く黒門を前にしてから意識はしていたが、爛れ古龍を相手に戦うことが現実的になってきてからは朝起きることが億劫になってきた。今攻略している九十七階層もいざ潜れば『ライブダンジョン!』との違いなどが見られて楽しいのだが、攻略が進むにつれて気が重くなっているのがわかる。



(あの時からもう一年以上経ってるし、大体忘れてるとは思うんだけど)



 現に爛れ古龍に殺されたという記憶はもう曖昧になり、恐怖も薄れてきている。どちらかといえば成れの果て戦で腹に穴を空けられた時の方が嫌な記憶に残っていた。



(それに百階層のPTメンバーもこのままじゃ想定外になる可能性もある。……まぁ、何故かメンバーは想定より良い方向に向かってるけど。昨日は久々に心の底から驚いたかもしれない)



 努は自分がコリナの立場ならという考えでPTメンバーを予想していた。そして自分が祈祷師としての立ち回りを教え、ヒーラーとして成長してきた彼女もおおよそ同じ選択をするだろうと思っていた。少なくともエースアタッカーであるアーミラかディニエルは取り合いになり、ガルムは取られるだろうなと。


 だがコリナは想定外、それも意味の分からない選択をした。恐らくアーミラには深い情が向いていると推測していたが、まさかディニエルにまでとは思っていなかった。それにタンクはゼノとダリルの交換を申し出るという暴挙。もはや真逆のことをされて目が点になった。


 もしかすると人柱にされていることを見越して、当て付けでわざとコリナ側が弱いPTになるよう仕向けてきたのかと思いもした。しかしリーレイアが裏で操っているような様子もないし、そうでもなければ気弱なコリナがそんなことを平気で出来るとは思えない。


 恐らく彼女の言った通りクランメンバーへの遠慮や同情でPTを選択してしまったというのが濃厚だが、それだけではないだろうと思ってもいた。コリナは自分が祈祷師に合っているPTを渡してきたことに唯一気づいていた節があったし、たまに探索者の死についての話題になると気を遣うような発言も見られた。ただ自分が本気で死にたくないのだと気づいている様子ではなく、ひび割れたガラス細工でも見ているかのような視線ではあるが。


 そんなコリナとの妙なすれ違いは自分が唯一死んだ経験のある百階層を目前にしていることもあり、努の心を絶妙に惑わせていた。果たして彼女は自分の思惑に気付いているのか、はたまたただの天然なのか……。


 そのままシーツに包まりながら不毛な考えを巡らせていると、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。それに気付いて部屋にある時計に目を向けると既に朝の走り込みや筋トレが終わっている時間で、努は思わず頭を抱えた。



「ツトム、大丈夫か?」

「……あぁ、問題ないよ。今日はただ寝坊しただけだから」

「そうか。なら構わないが」

「悪いね、すぐ下に行くよ」



 そう告げるとガルムは部屋の前から歩いて下へ向かったようだ。遠ざかっていく足音を確認してから大きなため息をついた努は、切り替えるようにぐーっと伸びをした後に立ち上がって洗面台で顔を洗った。


 そしてダンジョンの新聞でも読むかと思いながら部屋から出ると、努とほぼ同時に部屋から出た者がいた。扉の開いた音のした方向に目を向ける。



「……あっ」

「あ」



 長いクリーム色の髪を下ろしているコリナは肉食獣に見つかった兎のような目で努を見つめた。対する努も牙を剥いてくるかもしれない小動物を警戒するような目で見てしまい、お互い硬直したまま時間が過ぎる。しかしこのまま立ち止まっているわけにもいかないので、努は固まったまま挨拶した。



「おはよう」

「お、おはようございます」

「…………」



 まるでクランハウスで初めて寝泊まりした時のように緊張している様子のコリナと、努はどうやって話そうかと少し視線を彷徨わせた。すると彼女は



「あ、あの、ちゃんと考えてるので大丈夫ですっ! では!」

「え、ちょっと」



 そう言い残してコリナは逃げるように一階へ向かう階段へと走っていった。何やら危なっかしい足取りだなと思ったので声をかけたが、それが余計悪かったのか彼女は滑り落ちるように階段を降りていく。そして最後には盛大に尻餅をつき、たまたま近くにいたガルムは何事だといった顔をしていた。



「どうしたのだ?」

「いや、あー、昨日聞いてたと思うけど、百階層のことで少し相談をしててね。それで慌ててるみたい」

「……そうか」



 そろそろクランメンバーにも話そうと思っていたので丁度良い機会だと思いガルムに事情を話すと、彼は神妙な顔つきのまま腕を組んだ。そして休日の朝から騒がしかったからか、ハンナやリーレイアなども様子見にやってきた。彼女たちにも軽く説明するとハンナはキラキラと目を輝かせた。



「ついに百階層の話っすか! あたしはもう待ちくたびれてたっすけど、いよいよっすね!」

「コリナに何を吹き込んだのかまでは追求しませんが、あまりに続くようなら説明を要求しますから」

「近いうちには詳しく話すと思うよ」



 ジトっとした目を向けてくるリーレイアにそう返しながら欠伸を噛み殺し、努は朝食の席に着いた。その話を獣耳で聞いていたエイミーとダリルは食卓につきながら百階層の話題にうきうきとした様子で、ディニエルは何食わぬ顔で水を飲んでいる。


 それから寝ぼけた様子のアーミラと少し落ち着いた様子のコリナも集まり、朝食を食べながら何気ない雑談が始まった。ダリル、ガルム、ハンナは今日顔を出しに行く孤児院へのお土産について話し、リーレイアはアーミラに絡みながら気味の悪い含み笑いを漏らしている。


 ディニエルとエイミーは九十七階層のモンスターについて意見を交わし、それに努とコリナも混じるような形で時々相槌を打つ。その流れで話題は百階層のことになった。



「ねっ、もうPTは決まったの?」

「今回はコリナにある程度任せて決めることになってるよ。大分ヒーラーとしても安定してきたしね」

「へぇー! コリナちゃん凄いじゃん!」

「で、でも私一人じゃ決められそうにないので、今日ピコさんのところを訪ねて意見を聞こうと思いますが……」

「いいんじゃない? 昨日は僕も色々言っちゃったけど、コリナが色々意見を聞いてじっくり考えて出した結論なら従うし。それと、昨日は責めるようなことを言って悪かったよ」

「いえいえ……私が悪いですから……」



 そう謝るとコリナは恐縮したような顔で唇を引き結んだ。そんな彼女の頬をエイミーはつついたりしてスキンシップを図っていたが、生きた心地がしなさそうな表情は治らなかった。



「にしても、百階層の先はあんのか? もし先があるなら次は二百階層まであるんだろうけどよ」

「どうでしょうね。それこそ突破しなければわからないことですが、迷宮マニアも気が気ではないようですよ。もし百階層で打ち止めならば色々と問題は起こるでしょうから」

「ババァも気が気じゃねぇだろうな。ギルドの存続も危うくなるかもしれねぇし」

「ふむ、確かにギルドとしても先が続くのかは重要な案件だろうな。しばらくは問題ないだろうが……一年後には様々な問題が起きるだろう」



 アーミラとリーレイアの話を聞いてガルムは元ギルド職員としても気になったのか、軽い意見を挟んだ。



「もし百階層で終わりなら、上位の神台は固まっちゃいそうだよね。みんなも同じ階層ばかりだと飽きちゃいそうだし、スポンサーも減りそうかな~」

「迷宮マニアも新規の情報が出なくなったら厳しいでしょうね。あとは、大手クランもどうなるんですかね? 魔石はしばらく需要があると思いますけど、いつかは供給が上回るでしょうし……。エイミーさんはもし百階層で終わりの場合はどうするんですか?」

「うーん。わからないけど、外のダンジョンに行くのも面白いかもね」



 ようやく復活したコリナも先行き不安そうに話すが、エイミーは楽観的のようだ。ディニエルは眠そうな半目で話半分に聞いている。



(ライブダンジョンと同じなら裏ダンジョンがあるんだろうけど、そこまで同じかはわからないからな)



 クランメンバーたちが未知の未来について話し合っている中、努だけはそんなことを思いながら適当に相槌を打ちながら朝食を食べていた。

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