第357話 お戯れ
「今日は鈍った身体を鍛えるっすよー!」
翌日には以前にも増して元気になった様子のハンナは、がつがつと朝食を食べた後にそう宣言した。もうフェンリルのことを引きずっていなさそうな彼女を見て、努は安心したような笑顔を浮かべていた。
(変に潰れてくれでもしたら大変だからな)
正直なところハンナがフェンリルの悲劇に影響されて体調を崩し風邪を引いたと知った時は、内心で盛大に舌打ちしたし馬鹿のくせに風邪は引くのかと思いもした。だがクランメンバーが病欠した際に責めるようなことを言うのは愚策であることを、努は『ライブダンジョン!』で学んでいた。
『ライブダンジョン!』をプレイしてから三年経ち、努が廃人の仲間入りをしていた頃。古くからのフレンドでクランメンバーでもあった者が、体調不良を原因にTA大会を辞退することをチャットで告げてきた。
だが努には彼が辞退する意味がわからなかった。その時には効率重視クランの中枢にいた努はクランの雑務に加え、TA大会に向けての練習内容や対策なども一人で考えてPTメンバーと共有し練習することも行っていた。クランの中で一番忙しいのは客観的に見ても間違いなく自分であったというのに何故彼が体調不良になり、それも辞退するまでに至ったのか。
三日三晩寝ないことも珍しくなかった努も風邪を引いて熱を出したことはあったが『ライブダンジョン!』にログインしないという日は一度もなかった。それも大会となったら尚更のことなので、甘いことを言っているフレンドを許せず徹底的に詰めた。何故お前は体調不良ごときで大会を休むのかと。
そんな努の苛烈な説得によってフレンドはTA大会に出場した。しかし結果としては惨敗に終わり、フレンドはその日を境にログインしてくることはなかった。勿論他にも引退する原因はあったのだろうが、努に責め立てられたことが決定打になったことには違いない。
それでもその当時はこの程度で引退するならあいつはどの道引退していたなどと思っていたのだが、効率重視クランを抜ける頃には自分がした行いを反省していた。
そもそも自分の立場に置き換えればわかることだった。廃人街道まっしぐらだった努に付いてきていたフレンドならば、TA大会の重要さは身に染みてわかっていただろう。それでも彼は体調不良で辞退することを選択した。そんな彼にのしかかる罪悪感はとてつもないものだっただろう。自分が好きで遊んでいるものだからこそ己の不甲斐なさを恥じ、体調不良によって精神も弱っていたかもしれない。
それに追い打ちをかけるようにクラン内で強い立場にいた努が牙を剥けば、罪悪感に押し潰されて引退することは容易に想像できる。だがそんな想像も当時の自分は出来ておらず、ただただ怒りをぶつけただけに終わった。もしあの時に自分がフレンドを責めずにフォロー出来ていたら、引退の未来は避けられたかもしれない。
そんな苦い経験があったからこそ努は病欠したハンナを責めることをしなかった。むしろ普段からすれば有り得ないような優しさと手間をかけ、彼女が楽に復帰出来るように努めていた。
「ふふーん。師匠のあれ、別に大したことなかったっすよ」
「え? あれって、その、あれですか?」
「そうっすね。やっぱりダリルが敏感すぎるだけっすよ~」
ただハンナが昨日のことで何故か盛大にイキり散らしていることと、エイミーからまた何かやったのかと言わんばかりの視線を向けられるのは納得がいかなかった。自分が過去を反省してあれだけ気を遣ったというのに、当人はあの調子だ。
「そもそもハンナは鳥人だろ。ダリルと違って頭から耳が生えてないんだからとやかく言うなよ」
流し読みしていた新聞を畳みながら内心で憤りを感じていたこともあってそう口にすると、ハンナは面白そうなものを見るような目付きで近づいてきた。
「もしあたしが犬人だとしても、あそこまではならないと思うっすけどね~」
「へー、それじゃあ試してみるか?」
「お? いいんっすか? 昨日も全然だったっすから、多分師匠が恥をかくだけだと思うっすけど~」
挑発的な上目遣いで見上げてくるハンナにチョップでも食らわせたくなったが、容易に避けてきて馬鹿にしてくると思い手をグーパーさせるだけに留まった。そして
ハンナのことについてはアルドレットクロウで彼女をマネジメントしていた女性から話を聞いているし、もう一年近く同じ屋根の下で生活もしているのでよく知っている。
ハンナはその底抜けた明るさと頭の弱さから来る隙も合わさって、異性だけでなく同性からも好かれている。だがゆったりとした服の上からでもわかる大きな胸は良くも悪くも異性を引き付け、村育ちで垢抜けない時期には色々と危うい場面もあったそうだ。
ただアルドレットクロウに入ってしばらくしてから、ハンナは寄ってくる男のあしらい方を学んでいた。どうやらハンナを無限の輪へ入れるための面接をした際に同席していた女性マネージャーが仕込んでいたようで、実のところ努も初めは身体目当ての男だと思われていたらしい。
ただ避けタンクとして名を馳せてからはその女性マネージャーも信用してくれたようで、ハンナのことについては色々と聞いていた。特に異性との付き合いに関しては詳しくと。
「え?」
よく手入れされているからか青くさらさらとした横髪から差し込むように手を入れると、ハンナはそれを予想していなかったのか驚きの声を上げた。
「犬人だとしても問題ないなら、耳を触られるのも問題ないんだろ?」
「べ、別に大丈夫っすよ~」
ハンナは下世話な視線を向けてきて身体目当てで口説こうとしてくる異性の対処には慣れている。たまに目線が怪しくなるダリルをからかうくらいの余裕は持ち合わせていて、一見すると異性との交流に手慣れた様子すらあるだろう。
「……ぅ、ぐっ」
しかしハンナは男性のあしらい方を知っているだけで、実際に手慣れているわけではない。そのことは女性マネージャーからも確認済みだ。そんな彼女が身近な存在とはいえ異性に入る努に真正面から耳を触られるという、普通の者でもドキドキはするような状況に耐えられるのか。
つまるところ努の撫でる技術など関係なしに、ハンナがこの状況に耐えられるはずもない。そんな予想が的中した努はからかうように笑いながら話しかける。
「今のハンナ、ダリルより酷い顔してるんじゃない?」
「そ、そんなこと、ないっす……」
「ほらダリル、見てみなよ。顔真っ赤だよね?」
「あ、はい。確かにそうですね」
ダリルの冷静な指摘を受けてみるみるうちに顔が赤くなっていくハンナから手を放すと、努は鬱憤が晴れたような顔で両手をひらひらとさせた。
「これに懲りたらあまり調子に乗らないようにね」
「う、うぅぅぅぅーーー!!」
ただただ甲高い叫び声を上げたハンナは途中で盛大にこけた後、駆け上がるように階段を上がっていって姿を消してしまった。その後努はギルドに行く際にエイミーから耳を軽く引っ張られることになったが、『ライブダンジョン!』でのこともあり後悔はしていなかった。
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