第356話 ハンナのお世話

 その夜にアーミラはクランハウスではなく実家へと帰っていった。恐らくフェンリルの姿に影響されてカミーユの姿でも見たくなったのだろうと思ったが、努はもう殴られたくなかったので何も言うことはなかった。



「しかし、ハンナやダリルがあそこまで落ち込んだ理由も今ならわかる気はするな。あのフェンリルというモンスターは今までのモンスターとは明らかに違うようだった」

「共闘できるモンスターっていうのは今までいなかったしね。ただアルドレットクロウも九十六階層の仕組みに気づいたみたいだし、こっちも急がないと」

「……そういえば、九十六階層も何やら特殊そうだったな。あれもツトムが見つけたのか?」



 九十六階層の情報だけは何も知らされていなかったガルムは、藍色の犬耳を立てて努に尋ねる。すると努はいやいやと手を振った。



「あの仕組み自体はハンナがきっかけで見つかったんだよ。ほら、魔流の拳を使うために魔石使うでしょ? それでハンナが魔石を現地調達していたら竜の石像が反応しているのにディニエルが気づいてね、その後は先のことを考えて色々情報を隠蔽しながら進めたんだよ」

「なるほどな」



 結局のところ仕組みを知っている努がそうなるように誘導した話ではあるが、筋は通っているためガルムは特に疑う様子はなかった。それからリーレイアも会話に入ってきてフェンリルのことについて話し合っていると、二階から汗ばんだ淡い白色の前髪を分けているコリナが下りてきた。



「ハンナの具合はどうですか?」

「明日の夜を越えれば一先ずは安心でしょうね。特に悪い病気の兆候もないですから」

「そうですか、お疲れ様です」

「後で私が世話を代わります。コリナも十分に休んで下さい」

「あ、わたしも代わろっか?」

「いえ、エイミーは明日の探索もあるのですからお気になさらず。私とディニエルで代わりますので」

「え」



 いきなり巻き込まれたディニエルは思わず声を上げたが、流石に世話をしない選択肢はないのか責めるような目をしたリーレイアから視線を逸らすだけだった。


 その後は病気のことが話題となったのでクランリーダーである努がその時の対応について話しながら食事をしていると、隣に座っているエイミーがにししといたずらっ子のように笑った。



「それにしてもハンナが病気にかかるのは意外だったね。この中じゃツトムが一番病弱そうなのに」

「病弱とまではいかないけど、確かにこの中じゃ僕が一番病気には弱いだろうね」

「最近はちょーっと鍛えてるみたいだから、探索者になった頃よりは強くなったとは思うんだけどね~」

「それでもまだコリナには対人戦で勝てないけどな」

「……ツトムさんは、その、攻撃がまだ遠慮がちですからね。それさえ改善すれば私もすぐに負けてしまうと思いますよ」



 二の腕をつついてくるエイミーの手をやんわりと避けながらそう言うと、引き合いに出されたコリナは曖昧な笑みを浮かべてフォローしてくる。



「本当に貧弱ですよね、ツトムは。よくそれで今まで生き延びてこれたものです」

「そりゃあガルムに負けないくらい腹筋バキバキのリーレイアさんに比べればねー。僕なんかじゃとてもかないっこないですよー。腕も僕より太いんじゃないですかねー」

「口だけは達者なようですが、本当によくそれで生き延びてこれましたね。ここがスラムだとしたら殺されても文句は言えないでしょうに」



 自分の腕を捲りながらリーレイアに軽い嫌味を返すと、彼女は獰猛な蛇のような目で睨み付けてきた。すると努は緑髪の人は怖いねー、とダリルにいきなり振って彼を困らせていた。


 それから食事が終わると全員手洗いうがいなどを済ませたが、結局エイミーたちはハンナを心配して様子を見に行ったようだった。努は少しだけどうしようか迷いはしたが、一先ず保留にして早めに就寝した。


 翌日になると実家に帰っていたアーミラは何事もなかったかのようにクランハウスへと来ていたため、努たちは朝早くから沼階層を更にいやらしくしたような九十三階層へと足を進めた。


 コリナたちはハンナが病欠しているため各々の時間を過ごすことになり、女性三人が交代で彼女の世話に当たった。ダリルも何か手伝おうとはしたが女性たちにしか出来ないことが多かったので、その間は孤児院に顔を出したりオーリの仕事を手伝っていた。



「うぅ~、頭がくらくらするっす~」



 元々鳥人というのは体温が人間よりも高いため、ハンナも風邪などで更に熱を出してしまうと体力の消耗が激しくなって発汗量もかなり上がってしまう。そのため水分補給には気を配る必要があるし、あまりにも体力消耗が激しい場合には癒しの光などのスキルを使うのも有効だ。


 ただスキルを使用した病気の治療に関してはまだ研究が不完全であるため、むやみな回復は避けた方がいい。それにスキルに頼りすぎた結果として体内に抗体が出来ず死亡してしまった例も確認されているため、コリナはスキル使用をなるべく控えていた。


 スキルを使うこと以外にも出来ることは沢山ある。幸いにもハンナのようなタイプの鳥人を看護していた経験のあるコリナはその点を理解していたため、スキルを使わずに甲斐甲斐しく世話をしてその苦しみを和らげていた。そのおかげかハンナは二日で熱が出切ったようで、それからは顔色も大分良くなった。



「もうしわけないっす……」

「大丈夫ですよ。気にせず休んでくださいね」



 汗で濡れていた身体と翼をタオルで綺麗に拭かれて服を着せられたハンナは、しょんぼりと眉を下げて舌足らずな言葉で謝る。そんな彼女の頭を撫でつけて横にさせたコリナは、新しく替えた布団を丁寧にかけた。


 その翌日には完全に熱は引いてある程度食欲も戻ってきたが、ここで無理をすればまたぶり返す可能性が高い。しかしそこまで本格的な世話の必要もなくなったため、今日はリーレイアが中心で世話をすることになった。



「おー。中々涼しいっす」

「あまり風は強めないで下さいよ」

「でも翼がむず痒いっすから、もうちょっとだけ強くしたいっす。あー、早く飛びたいっすねー」



 リーレイアはシルフを呼び出してハンナの翼に風を当てたり、サラマンダーに曲芸をさせたりしながらも世話をしていた。彼女も誰かを補助する手際はいいのでハンナは特に不自由も感じることなく一日を過ごした。


 その翌日にはもういつものような元気を取り戻していたが、病み上がりのため休みを貰っていた。この日の世話係はディニエルだったが、彼女はリハビリも兼ねてストレッチをしているハンナを前に本をずっと読んでいた。



「……ディニエルって、誰かを世話したことあるっすか?」

「…………」

「ないんっすね」

「なら羽繕いしてあげる」

「ぜったい嫌っす。痛くしそうっすもん」

「…………」



 こんな様子のディニエルもハンナが熱で意識が朦朧もうろうとしていた際には世話の手伝いをしっかりしていたが、今となってはその必要がないことをわかっているのか何もしなかった。そしてそれを特に自分から言い出すこともせず、彼女は本に視線を戻した。


 それから夕方には念願の浴場でハンナは身体や翼をしっかり洗うことが出来た。残念ながら湯舟には長い時間入れなかったものの、ここ数日の汚れや疲れを洗い流せた気分だった。そして髪を拭いて湯冷めしないようにすぐ部屋に帰ったハンナは、ごろんとベッドに寝転がると眉を顰めた。


 もう風邪で休んでから五日が経った。コリナたちの看護と休日によって体調も以前より良くなった気がするが、一つ気になることがあった。



「それにしても師匠は相変わらずっすね。明日しれっとリビングで挨拶でもしてきそうっす」



 ガルムやエイミー、ゼノなどは途中で様子を見に来てくれたが、努だけは一向に姿を見せなかった。とはいえ半ば予想していたのでハンナは特にショックを受けた様子はなく、明日会った時に頭突きをお見舞いしてやろうと考えていた。



「これだけ休めるなら私も病気になりたい」

「いや、結構しんどいもんっすよ? 部屋でじっとしてるの」

「いや、最高だけど、部屋でじっとしてるの」



 もはや世話する気など欠片もなさそうなディニエルと駄弁っていると、コンコンと部屋の扉がノックされた。全く動く気配がない彼女に代わってハンナが扉を開けると、そこには料理をトレーに乗せて運んできた努が立っていた。



「おっ、もう大分元気そうだな」

「お、おっす」



 先ほど話題に上げていた努がいきなり現れたことにハンナが驚いて立ち尽くしている中、彼は部屋に入ってトレーを机に置いた。



「もう色々と食べられるみたいだから夕食持ってきたよ」

「あれ、え? 何でわざわざ師匠が持ってきたっすか?」

「あー、食品関連の商人をしている知り合いが丁度ミルニ村に行く予定があったからさ、そのついでにハンナのことを色々と聞いてきてもらったんだよ」

「……あ」



 努が持ってきたトレーに乗せられている料理はどれも見覚えがあった。ごろごろとしたじゃがいもと鶏のむね肉やもも肉がごった返しとなった煮物に、青々とした根野菜のおひたし。迷宮都市ではゲテモノ扱いされているヤタラ蜘蛛の素揚げ。村で暮らしていた時によく母親が作ってくれた料理と似通ったものがそこには多く並んでいた。



「栄養配分も考えてオーリがアレンジしているものもあるけど、レシピはほぼ同じみたいだよ。ハンナは特にこの素揚げが大好物なんだってねー」

「な、なんっすか! なんか文句あるっすか!?」

「まぁまぁ、そんな大声を出すなよ。一応病み上がりだろ?」

「もう平気っすよ! 明日からはダンジョンにも潜れるっす」

「そう、それなら良かったよ」

「……今日は気持ち悪いくらい優しいっすね! 師匠も病気になったっすか? あたしが看病してあげてもいいっすよ!」



 対抗するようにぴょんぴょんと跳ねて顔まで届きそうなハンナの頭を、努は呆れたようにため息をつきながら手で押さえた。



「クランメンバーが病気になったら多少の心配はするよ。まぁ、元気が戻ったようで何よりだ。明日からは期待してるよ」

「あっ! これが噂のあれっすね! でもあたしは獣人じゃないっすから、全然効かないっすからねー! ダリルみたいにはならないっすよー!」



 そうは言うが頭に乗せられている手を振り払う様子もなくそのまま見上げてくる彼女に、努は再度ため息をつくと手を鉤爪のように立ててわしゃわしゃとした。ハンナの青い髪があっという間に乱れる。



「ぎゃー!! 何するっすか!?」

「随分と元気そうで何よりだ。それなら冷めないうちにそれを食べて、明日に備えてさっさと寝とけ」

「言われなくたってそうするっすよ! 師匠のばーか!!」



 ぼさぼさになった頭を押さえてそう叫んだハンナに追い出されるように、努は部屋を出ていった。


 それから彼女はぶつくさと文句を言いながらもぺろりと夕食を完食し、下に降りて努におかわりを要求してまた部屋まで運ばせた。



「何でクランリーダーがクランメンバーにこき使われなきゃいけないんですかね」

「それがクランリーダーの役目だからっす」



 何気なしにハンナがそう言うと、努はいつもと何処か違うような笑みを浮かべた。何か懐かしいものを見て思わず漏れたような笑み。そんな努を見てハンナがどうしたのかと首を傾げると、彼は取り繕うような顔で空の食器を纏めた。



「これでもう満足ですか」

「満足っす。なんか今日はあたしが師匠みたいっすね」

「はいはい」



 そして腹ごしらえを終えて努に食器を下げさせ、照明も落とさせて就寝の準備を済ませたハンナは布団を深めに被って顔を半分覗かせた。



「たまには病気になるのもありっすね」

「やかましいわ」



 努は嫌そうな顔でそう言い残すと、トレーを片手に部屋の扉を閉めた。

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