第355話 上層部の怠慢
「ふぅ……」
アルドレットクロウの情報員、その中でもユニス推しである男は目覚ましのレモン水を飲んで一息ついた。深く被っているフードでその顔つきは窺えないがその声から疲れは窺える。
そんな男の後ろにも同じような服装をした情報員たちが並んでいて、屋台のレモン水を注文している。大分異様な光景だが既に住民や警備団も慣れているのか、特に反応する様子はない。
そしてレモン水を飲み終えて金属製のコップを返した男は、神台を視界の端に入れながら露骨にため息をついた。
(上層部の馬鹿どもめ。まさか一軍にむざむざとあんなことをさせるとは思いもしなかった)
九十六階層の隠し通路などと、あるかも確定していないものを一軍に五日間も探させるなど不毛すぎる。ステファニー率いる今の一軍が五日間神のダンジョンでしっかり活動をすればどれだけの利益が出るのか。恐らく他の者が見てもアルドレットクロウの活動資金の稼ぎ頭であることはわかるだろう。
特に最近ではスポンサー企業の活動も活発になり、今ではエイミーに続き個人にスポンサーが付く例も出始めたばかりだ。アルドレットクロウにもステファニー個人に対するスポンサー依頼は絶えない。今はクランを挟んでの契約となっているが、いつクランメンバーが独立することになるかはわからない。
そんな状況の中で観衆たちが見ないであろう退屈な隠し通路探しに一軍を起用することを、上層部は誰も疑問に思わなかったのか。それに隠し通路の情報は重要度の低い方に分類されていた。情報員たちが九十六階層を神台で観察して得た有益な情報は、他にいくらでも出ているはずだ。
今までも上層部の選択には疑問を持つことはあったが、自分たちが用意した情報が蔑ろにされることはなかった。そのため今回の暴挙は情報員として看過できず、この数日で上層部を徹底的に調べ上げた。
するとどうやらスタンピードでの死亡騒動を利用して反発派の支持を得て成り上がった者たちが、上層部の中に何人か潜り込んでいたことがわかった。今回の決定はその者たちが会議で主導を執っていたようだった。
会議の内容を記した議事録も大分改ざんされている様子だったので、上層部の友人に聞いてみたが酷いものだった。どうやら王都で城勤務だった者が自慢気に王が逃げる隠し通路やらの構造を説明し、その勢いに周りも流されて隠し通路の捜索が決められたらしい。流石は王都出身なだけあって、根回しだけは得意なようだ。
(あまり現場の仕事ばかりしているわけにもいかないな……)
自分は探索者たちが映る神台を観察しての情報収集が本業とはいえ、しっかりとクラン内の情勢にも気を向けて他の者たちと協力していれば今回のようなことは防げたかもしれない。
彼は日夜問わず神台を駆けずり回っているただの情報員ではあるが、アルドレットクロウが結成する前からその活動していたのでとにかく顔は広い。その人間関係を駆使して様々な者たちと結託して既に上層部の件については手を打っているが、彼の暗い雰囲気が晴れることはなかった。
それからは結託しているクランメンバーと共にギルドへと向かい、神台を見ながら九十一階層で素材集めをしている一軍メンバーのビットマン、ドルシア、ルークの帰還を待った。そして三人がギルドの黒門から帰ってきた途端に声をかけると、ルークは目を丸くした。
「あれ? どうしたの? 君がここに来るなんて珍しいね」
彼は元々ルークにスカウトされてアルドレットクロウに入ったため、古くからの知り合いでもある。そしてとぼけた顔でそんなことを言ってきたルークの頭を小突く。
「何をとぼけている。アルドレットクロウの上層部が今不味いことになっているのはお前も薄々気づいているだろう。いつまでも神のダンジョンで現実逃避をしていないで、クランリーダーとしての責務を果たせ」
「……えっ? いや、僕は」
「話は聞くな。とにかく一度クランハウスへ連れて行け」
連れてきた女性の秘書に脇の下から持ち上げられ、ルークは何かを言う暇もなく連行されていった。ビットマンは少し驚いた様子だったが情報員と秘書の顔は知っていたため、特に心配もせずルークを追いかけることはなかった。
「ビットマン、ドルシア。休憩が終わった後は九十六階層に潜り、この方法を上から試してくれないか」
「……私はそれでも構わないが、そちらは大丈夫なのか?」
「こちらのことは気にするな。既に手は打ってある」
「わかった。すぐに試してこよう。ドルシアも構わないか?」
「はい」
物言わぬ人形のような目ですぐに答えたドルシアは、特に何も言わず準備を始める。それから二人はすぐに九十六階層へと潜って情報員が渡したメモに従って攻略法を試していき、二番目に提示されていた方法で今までと違う変化が如実に現れた。
アルドレットクロウの情報員、それも神台に関する者たちの競争は激しい。そもそも神台というものは迷宮都市に住んでいれば誰でも見ることが出来るため、やろうと思えばすぐに迷宮マニア程度にならばなることは可能だ。
それに迷宮マニア程度と彼は表現しているとはいえ、その者たちの能力を見誤っているわけではない。現に迷宮マニアから情報を調達することはあるし、今後更に増えるであろう見込みもある。膨大な数の視聴者たちが迷宮マニアへとなり、いずれは情報員の立場をも脅かす存在になることは明白だ。
だからこそ情報員たちは死ぬ気で神台を観察し、その情報を精査して探索者たちに役立てるかを誰よりも真剣に行っている。羽振りの良い時代はもう数年と続かないだろうし、今のうちに能力をつけておかなければ取り残される未来は見えていた。
それに努の露骨な隠蔽工作に対しても情報員たちは闘志を燃やしていた。観衆にわかるほど隠蔽をして批判されることを恐れないその度胸、それに今までに見たことがないほどその隠蔽は巧妙でもあった。誰よりも神台を見ている自分でさえほとんど情報が得られなかったことには度肝を抜かれたし、それは他の情報員たちも同じだった。
しかしこれは情報員の価値を示す良い機会だと考え、努を批判して匙を投げた迷宮マニアと違い情報員たちは死に物狂いで調査した。
そんな者たちが一丸となって収集し精査された情報は実を結び、それから何度か帰還してくるビットマンたちと擦り合わせが行われて九十六階層の攻略法が判明した。
それからは上層部の意向を完全に無視した一軍の動きを神台で見たアルドレットクロウの職員たちが動き出したりはしたが、既に根回しなどの手を打っていたので妨害をされることはなかった。その後九十六階層の攻略法はビットマンとドルシアの検証によって解析が進められ、クランハウスではその情報をまとめた書類が順次作成されていった。
(……珍しい組み合わせだな)
その際に情報員の男はユニスとロレーナが一緒に昼食を食べている光景をギルドで目の当たりにし、一瞬何もかも忘れたように二人を見つめてしまった。しかしそれも束の間のことで自分の仕事に集中した。
「帰ってきたか」
そして九十六階層の調査を終えて帰ってきたステファニーとソーヴァに、情報員の男はそう声をかけた後に考察と検証を経て得た攻略法を伝えたのだった。
▽▽
「おや? たしかアーミラさんは御大層な心積もりを持っていないはずでは?」
「……殺すぞ」
九十一階層で黒門を守っているゴブリン軍隊を練習の成果もあり何とか突破した努たちPTは、続く九十二階層もあっさりと突破した。九十一階層で基礎的な力と連携力は鍛えていたのでフェンリルを助けようとさえしなければ突破出来る確信が努にはあり、その予想通りに事は進んでいった。
ただ子を守るために自分の命すら捨てる強い母の姿には、自身の環境もあってかアーミラは強く心を動かされていたようだった。そしてそんなシチュエーションになるようにフェンリルを仕向けていた努は、殺意の籠った目で睨んでくる彼女を面白そうに眺めていた。
「あ」
しかし一番台に映っているアルドレットクロウのPTが九十六階層で石像の竜に魔石を食べさせている光景を見て、努は耳まで真っ赤なアーミラをからかうのを止めて食い入るようにそれを見つめた。
(気づいたのか。隠し通路ずっと探してたら楽だったのに)
九十六階層の基本的なシステムには気づいた様子のアルドレットクロウを、目を線のように細めながら見つめる。九十六階層は端的に言えば古城の防衛戦のようなものだ。北南にある竜の防衛兵器を利用し、外から迫るモンスターを倒していって最後に出るボスモンスターを倒せば階層突破の鍵が開く。
ただ『ライブダンジョン!』では存在した防衛戦を伝える説明書きが、この世界にはなかった。そのためこのシステムを努は入念に隠蔽し、無限の輪から情報が漏れないように徹底した。そのおかげでアルドレットクロウの一軍は九十六階層の進め方がわからずにピタリと階層更新が止まった。
(まぁ、本番はこれからだからしばらく心配はいらないだろうけど)
古城階層の九十一階層では軍隊を相手に攻戦、九十六階層では古城での防戦という今までにない戦闘方式を強いられる。そのため九十一階層と九十六階層は今までの戦い方が通用しないので、慣れるまでに時間を要する。
明日からステファニーたちは本格的に九十六階層の攻略を開始するだろうが、古城を守りながらの戦闘には苦戦することだろう。だが元軍人であるビットマンという存在が気掛かりではあるので、あまりのんびりとは出来ない。自分たちも早急に階層更新を進めていくべきだろう。
(九十二階層の攻略も問題なかったから、九十六階層まではサクサク進める。攻略が遅くなってたダリルたちの尻を叩くにも丁度いい時期だろうし、ハンナの風邪が治ったら本格的に意識していこうかな)
クランメンバーが病気で休んだことはこれが初めてのことだったので心配ではあったが、ハンナは軽めの風邪だったということは既に医師の診断でわかっている。それに元看護士のコリナも看病してくれているので数日もすれば元気になるだろう。
「おいボケコラカス。何ぼーっとしてやがんだよ」
「あぁ、僕もフェンリルの熱い親子関係に胸を痛めていたんだ――いってぇ!! お前バリア突き破るとか、どんだけ強くやったんだ!?」
「死ね」
難なくバリアを突き破って頭にげんこつを落としてきたアーミラは、全く悪びれる様子もなくそう吐き捨てるだけだった。
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