第353話 突破おめ
「ハンナさん、絶対熱が出てますよね」
「あたしならだいじょうぶっすよ~」
「今日の探索は休みましょう。昨日階層の更新もしたんですから」
「だいじょうぶっすよ~」
その翌日、ハンナは誰が見ても明らかに顔が赤く足下が覚束ない様子だった。どうやら昨日の出来事が余程精神的に響いたようで、体調を崩してしまったようである。結局朝食もろくに食べられない様子だったので、彼女はコリナにおんぶされて二階へと連れて行かれて寝かされた。
努はそんな二人を若干気まずそうな顔で見送りつつ、神妙な表情をしているダリルやディニエルを前に果肉入りのオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。すると隣にいたアーミラが訝しそうに顔を覗き込んできた。
「なぁ、もしかしてこれで俺らも休むなんてことはねぇよな?」
「……いや、到達階層負けてるこっちが自粛する必要はないかな。ハンナと同様に体調を崩した人がいるなら別だけど」
「はっ! こっちにそんなやわな奴はいねぇだろ」
そんなアーミラの物言いにダリルはすっと目を細めたが、特に何も言わず朝食を食べ進めていた。すると努は隣に座っていたアーミラを諭すような目で見つめた。
「アーミラ、実際に九十二階層に潜ってもいないのにその物言いはよくないだろ」
「あ? まぁ、それはそうかもしれねぇけど。でも俺はダリルみてぇな辛気臭ぇ顔にはならねぇだろうし、ハンナみたいにはならねぇよ。俺はそんな御大層な心積もりは持ってねぇからな。それはお前だってそうだろ? 俺は新聞記事で散々見たぜ、お前がフェンリルをろくに回復しないで観衆から叩かれてたの」
「別に僕だって好きで回復しなかったわけじゃない。多分記事を書かれたのは最初の方だと思うけど、あの時は初見だったからランページエレファントだけでも相当苦戦していたんだよ。それなのにあのフェンリルまで全快の状態で敵に回った時は、必ず死亡者が出る予感があった。だから回復は……しなかったんだよ」
すらすらとした口調の間で途中何か引っかかったが、努はそのまま言葉を続けた。
「それにダリルたちの気持ちがわかってるなら、やわな奴なんて言葉は正しくないでしょ。別にハンナを馬鹿にしたつもりはないんだろうけど、ダリルたちからすれば嫌な風に聞こえるかもしれないだろ? お前は誤解されるような言い方で損をしすぎ――」
「あ、あの。ツトムさん。大丈夫ですよ。僕もちゃんとわかりましたから」
「うるせぇバーカ。辛気臭ぇ顔で出しゃばってくんじゃねぇよ、犬っころ」
「アーミラが本当に誤解だけでこうなったとはとても思えない。少し黙っていた方がいい」
「あぁ!?」
それからディニエルとアーミラがあーだこーだ言い合いをし始めた中で、努は喉に骨がつっかえたような気分だった。
昨日はつい現実に立ち戻って他人事のように笑ってしまったものの、流石にそれで苦しんでいる者の姿を目の前にすると笑えない。とはいえこの世界でそれがあまり褒められないことだとわかっていたからこそ、昨日は一人きりになれる時間と場所をわざわざ作って神台を見学しその様子を楽しんでいた。
そんな自分が今更ハンナたちに罪悪感を覚えるのは虫が良すぎるし、先ほどアーミラを諭すように話した言葉も自分の罪滅ぼしのために言っているようにしか思えない。そんな考えが話している途中で浮かんでしまった努は、良い人アピールのようなことを無意識にしている自分に気づいて言葉に詰まっていた。
(どっちが現実なんだか……)
それからもクランメンバー同士がざわついている中で朝食が終わり、各々二階へ上がってギルドへ向かう準備を始める。ローブを着るだけの努はいつものように一番乗りで準備を終え、リビングに戻ってオーリが準備してくれた備品の確認を行っていた。
「あの……」
「ん?」
するとダリルが後ろから突然声をかけてきた。細瓶に入ったポーションの本数を確認しながら振り返ると、彼は何故かポロポロと涙を落としていた。そのことにギョッとするとダリルは気づいたように袖で涙を拭いた。
「あっ、すみません……」
「いや、どうしたの?」
「……ツトムさんも、心も痛めていたんですね」
「へ?」
言葉の意図がわからず間の抜けた返事をした努を気にせず、ダリルは涙腺が決壊しているのか未だに泣き止むことなく話し続ける。
「僕はさっきの言葉で、あれが演技だったんだと知りました。ツトムさんだって好きでフェンリルを回復させなかったわけじゃなかった……。でも僕は、ツトムさんならそんなことも平気でするだろうと思ってました……」
「おい」
「でも違ったんですね。僕はそれを知らずにツトムさんを責めましたし、新聞の記事でも悪い人みたいに書かれてました。本当に酷いのは、僕の方でした。確かにあの状況でフェンリルと戦うことになっていたら、僕たちでは間違いなく勝てなかったでしょう。でもツトムさんは皆から酷評されても、僕たちを生かすために残酷な方法も厭わなかった」
「それはお前の妄想だぞ、ダリル」
努は心の底からそう言ったが、ダリルはそれを見て優しそうにふっと笑うだけだった。
「……ツトムさんなら、そう言いますよね。でも僕はそれを理解したいと思いました。本当に今まで、責めるようなことを言ってすみませんでした! 九十一階層の攻略、頑張って下さい!」
「おい、ちょっと待て。まだ話は終わってないぞ」
「大丈夫ですって。大丈夫です」
「一体何が大丈夫なんだ? ふざけるなよダリルこら。何一人で勝手に話を完結させてるんだ?」
そうは言ったがダリルは特に気にする様子もなく立ち去ろうとしたので、努は全力で彼の肩に掴みかかって止めた。しかしじゃれつく子供をいなすような顔でそのまま難なく歩を進められる。立場的には下に見られることは多いがダリルの身体は努よりも大きく、力の差もまさに大人と子供と言っても差し支えない。
そんな状況をすぐに察した努はがっしりとダリルの腰に掴みかかり、脇目も振らずに叫んだ。
「ガルムー!! この馬鹿を止めてくれー!!」
そんな声がクランハウスに響いて十秒もしない内にガルムは階段から飛び下りてきたが、何故かダリルに抱き着いたまま引きずられている努を見て珍しく困惑した顔をするだけだった。
▽▽
その後努は何とかダリルの誤解を解いた。とはいえ結局根本的な解決には至らないまま、今の固定PTとギルドへ訪れていた。
「そういやお前、ダリルにも勝てねぇんだよな。……っーことは俺にも勝てねぇわけか」
「もし力づくで来るなら僕はガルムとエイミーを護衛に付けるから勝てるよ」
「情けねぇ奴だな」
「勝てばいいんだよ、勝てば」
ギルドの受付に並びながら凶悪な顔つきのアーミラと真っ向から煽り合いを繰り広げた後、それから少し経ってPT契約を済ませると自己主張の激しい兎耳を持つ女性に向かって軽く手を挙げた。
「突破おめ」
「かるっ!? えぇ!? ……えぇ!? 略す必要ありました!?」
「九十一階層はあれよりしんどいから頑張れ」
「ちょちょちょ、それだけー!? あれだけ苦労して突破したのに! いや、一般観衆も今更か、みたいな顔してましたけどねっ!? だからこそ身内はしっかり反応するべきじゃないですか!?」
「いや、もう前祝いはしたし」
「…………」
心底不思議といった顔を作って話していた努は、無言でぷるぷるとした拳を前にしているロレーナを見てまぁまぁと手をやった。
「冗談だよ。まぁ、前祝いでも言った通り突破するのは時間の問題だと思ってたから」
「どうですかねー」
「実際クランとしてのシルバービーストは微妙だったけど、色々と解決したみたいだしね。それを聞いてからは大丈夫だと思ってたよ」
「へー」
腕を組んでそっぽを向いているロレーナは完全に拗ねモードだ。だがあまりガルムたちを待たせるのも申し訳ないので、努は別れの挨拶もそこそこにその場を立ち去ろうとした。すると後ろから何やらタンスの角に小指をぶつけて悶絶するような声が聞こえてきた。
「っ~~~~」
振り返るとユニスが声にならない叫びを上げ、その場にしゃがみ込んでいた。突然の出来事に努も意味が分からず困惑していると、涙目になっているユニスが立ち上がって左手で指差してきた。
「何でバリア張ってるのです!? おかげで突き指したのです!!」
「いや、お前みたいな無法者から身を守るためだけど」
「私はただ声をかけようとしただけなのです!」
実際ユニスは軽く努の背中をつついてこちらに気づいてもらおうとしていただけだが、バリアが張られていることを知らなかったため不意の突き指をするハメになった。
「あ、本当だ。バリア張ってある」
コンコンとノックするように努の肩を叩いている変わり身の早いロレーナの手を軽く払いつつ、努はため息をついた。
「あまりPTメンバーたちを待たせると探索に支障が出るかもしれないから、僕はもう行くよ。ロレーナ、そこの馬鹿をよろしく」
そう言って努は指を押さえているユニスにヒールを送った後、猫目でじっとこちらを見てくるエイミーから目を逸らすように一番台に映るアルドレットクロウのPTを眺めていた。
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