第352話 思いがけない展開
ダリルたちがフェンリルとの戦闘を開始してから、迷宮都市にぽつぽつと雨が降り始めた。そして二時間もすると本降りになり、外を出歩く者が少なくなる。神台を見ていた観衆も各々雨を凌げる場所へ避難し、予約席では雇われの白魔導士たちが上空にバリアを張っていた。
そんな中で頭上にバリアを三角に組み立てて雨を逃れていた努は、神台でダリルたちの戦闘を見届けていた。屋根などが一切ないその付近に一人ベンチに座っている彼は、肩を震わせている。
「いやぁー、面白かったなぁー」
努はねっとりとした笑みを浮かべたまま思わずポツリと呟く。もしかしたらこうなるかもな、そうなったらこんな反応をするかな、といった予想をコリナたちはまごうことなく突き進んでいったので、努としては大満足だった。
もちろん最初は我慢していた。子供が鳴いた途端に攻撃の手を止めたディニエル、フェンリルを怒った様子で殴りつけたハンナ。その時は内心いいぞいいぞといった具合だったが、まだ人目があったこともあり表情は控えていた。しかしまるで歩くごとに地雷を踏み抜いていくような様を見ている内に、どんどんと表情を堪えることが難しくなっていた。
そして雨が強くなって周りに人がいなくなってからは、一人で神台を見ながら爆笑していた。流石のガルムやエイミーでも先ほどの努を見ていたなら彼を軽蔑していたかもしれないほどに、努は腹を抱えてげらげらと笑っていた。
『ライブダンジョン!』で救済ルートを探していた時、その世界にのめり込んでいた努もフェンリルの待遇には少しだけ悲しむことがあった。とはいえその小さな感情は恥ずかしさもあって表には出さなかったし、それは周りも同様だった。むしろゲームに悲しむ方が馬鹿だとか、そもそもシナリオを考えた運営がクソだとかといった風潮が流れるだけだ。
だがこの世界の人間は違う。自分と違ってとても素直で神のダンジョンでの物事には打てば響くように反応してくれる。それが楽しくて仕方がない。別に努は『ライブダンジョン!』の開発をしていたわけではないが、まるで運営のような気分でその様子を楽しんでいた。
なので親を殺された子供が覚醒した時に珍しく心が擦れた様子になっていたハンナには、おっ?と前のめりになったし、九十二階層の理不尽に発狂している姿には思わず爆笑してしまった。あのPTの中でもハンナの反応はとても素直で面白い。
そして努が一番笑っていたのは、フェンリルの子供が自殺をした時だ。それは今までのような運営目線のものではなく、プレイヤーとしての驚きもあってのことだった。
『ライブダンジョン!』では子供が自殺することなどなかった。どれだけ友好的なイベントをこなそうが親を殺せば問答無用で襲い掛かってくる犬畜生、それがプレイヤーでもある努の認識であったが意外にもそれは裏切られた。それも愉快な原因となって努は目に涙を浮かべるほどだった。
(ライブダンジョンの面倒な正規ルートも当てはめられるとは思うけど、この世界独自の抜け方も面白そうだなー。ゼノの奥さんも九十二階層について色々と考察していたけど、あの方法での攻略も出来る可能性はあるだろうし)
フェンリルたちは他のモンスターと比べて死ぬごとの学習スピードが速く設定されているようなので、それを応用すればいずれ生存ルートに辿り着ける可能性がある。とはいえコリナたちのあの様子ではもう九十二階層に潜る気力など皆無だろうが、人数的に余裕のあるアルドレットクロウが検証してくれるかもしれない。
もしPTメンバーの誰かがこの現場に居合わせていたら殺されても文句が言えないほどラッコのように笑い転げていた努は、ようやく落ち着いた様子で目に浮かんでいた涙を拭った。
(コリナも予想以上に活躍してくれたし、百階層を先行させるのも問題ないな。むしろ先を越されそうで怖いまであるから慎重に進めないと)
自分が才能を見込んで育てたので当たり前ではあるが、コリナは現状で最強の祈祷師であることに間違いはない。あまり臆病になって百階層を彼女に任せすぎでもすれば、先に突破される可能性も有り得るだろう。そうなりかけた場合の対処方法を改めて考え直しながらも、努は傘でも差すようにバリアを展開して神台市場から離れた。
道端にある神のダンジョン内がランダムに映し出される画面の小さな神台を横目に、石が敷き詰められた道に所々出来ている水たまりを避けながら歩き続ける。
シェルクラブを筆頭に今では様々なモンスターが召喚されて街中を闊歩するようになったが、特に大型の場合は道を壊してしまうことが多い。迷宮都市の人口上昇による敷地拡張のためには仕方のないこととはいえ、道の破損に関する苦情は増えてきている。
「はいちょっと待ってねー。……はーい、ではどうぞー」
最近では迷宮都市の治安維持という役割に位置している警備団が、バーベンベルク家の騎士団と協力して道の舗装工事をしている姿を見ることも多くなった。こんな雨の中でも馬車や大型モンスターの交通整理をしながら修復作業に励んでいる者たちの横を通り過ぎ、屋台が立ち並ぶ区間を歩く。
人混みが発生しやすい中で金銭のやり取りが行われるこの場所では、一昔前までスリが横行していて今でも多少のいざこざが起きやすい治安の怪しいところでもある。特にこの世界へ来た当初のもやしっ子代表のような見た目をした努ならば、まさに格好の獲物と認識されていてもおかしくはなかっただろう。
ただ努も無限の輪を結成してからはこの世界にも馴染みはじめ、ガルムを筆頭としたクランメンバーたちに鍛えられそこら辺のゴロツキ相手ならば苦もなく撃退するぐらいの能力は身に着けていた。ただそれでも努は喧嘩などろくにしてこなかった生活を長年送ってきたこともあり、つい最近までは王都から来た孤児に舐めた目で見られる程度の空気感しかない人間だった。
「あっ、ここ、こんにち、は……」
「……どうも」
しかし九十階層での逆転劇に加え、初めて死線を潜り抜けたということもあって今では無知な孤児でも手を出すのを憚るような風格も備わっていた。更に今では王都の孤児を取り仕切るまでになったリキたちによって情報は伝えられているため、むしろ見かけられた場合は欠かさず挨拶をされることが多くなっていた。
小道の影から雨でずぶ濡れになるのも構わずこちらへ走ってきて挨拶をしてきた孤児に、努はため息を吐くのを何とか堪えて言葉を返す。既にリキたちへ孤児たちに挨拶させることを止めるように通達はしているが、人伝で情報を伝えるしかないこの状況では真意が伝わらないことが多々ある。
それに努に対して孤児たちが勝手に忖度している面もあるため、今でもこのように挨拶をしてくる孤児は絶えない。いっそのこと神台で自分が告知してやろうかと考えるくらい面倒に思っているが、対する孤児たちに悪意はない。だからこそ厄介なことになっているので努は孤児が離れてからため息をついた。
(そのせいで何故か警備団から事情聴取もされたし……本当に神の眼使って告知しておいた方がいいか?)
孤児一人一人の力はとても弱いが、それ故に彼らは徒党を組んでその身を守っている。だが今では神のダンジョンによって覚悟さえあれば容易に力を手に入れることが出来るため、警備団は集団で何をしでかすかもしれないリキたちの動きは徹底的にマークしている。そのためリキと接触してある程度の関係性を築いている努も注視されることになり、たまに話を聞かれることもある。
(そろそろこっちのPTも一先ずは完成しそうだし、余裕が出来たらやってみるか)
中々突破が難しい九十一階層でPTの自然な動きを模索していたが、ようやく自分の存在も馴染んできて基礎力も付いてきたのでそろそろ本格的に攻略を開始しても嫌な詰まり方はしないだろう。それにそろそろアーミラ辺りが痺れを切らしそうな気配がするため、これからは階層ごとに対応していく形で問題ない。
久しぶりの一人きりな休日でも相変わらず神のダンジョンについての思考が止まらない努は、結局忙しない様子で考え事をしながらクランハウスへと帰った。
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