第351話 子の裏切り

「くっ、そ……!」



 フェンリルがその場から掻き消えたかと思えば氷の牢獄が足下から瞬時に発生し、ダリルの動きを封じその上から全体重がかけられた前足で踏みつけられる。その素早さと魔法が組み合わさった波状攻撃を前にダリルは何とかクリティカル判定を避けることしか出来ず、防戦一方となっていた。



「フェンリルっち、どうしちゃったっすかぁ!? 何でいきなり、こうなったっすか!?」

『キャン!』



 ダリルに攻撃し続けるフェンリルを前に蘇生されたハンナと子供が抗議するような声を上げるが、白目を剥いている彼女が攻撃の手を緩めることはない。それどころかダリルへのヘイトが薄らいだ途端に実の子供へも攻撃しそうな気配すらあった。


 努はフェンリルが寄生虫によって暴走状態にあることを知っているが、彼女たちからすればいきなり暴れ出したに過ぎない。そのためハンナは勿論リーレイアやディニエルもどのように対処すべきか迷って動きを止め、コリナはダリルの回復をしながらフェンリルにも祝福の光などを当てて落ち着かせることが出来ないか試していた。


 そんな中で一人フェンリルと対峙しているダリルは地面を這うように迫りくる氷の波を横っ飛びで避け、その体勢から地面に手をつけ更に勢いをつけて追撃の氷撃から逃れる。



(今まで戦っていたフェンリルは怪我を負っていたとはいえ、万全だとここまで強くなるのか! 魔法がとにかく厄介だな!)



 これまで努はどれだけフェンリルが怪我をしようが回復スキルを当てることはなかったし、彼女が厄介なことも知っていたため魔法なども率先して撃たせるように仕向けていた。そのためダリルたちが戦っていたのは魔力切れでほとんど魔法が撃てず、身体的にも弱っていたフェンリルに過ぎない。


 子供を背に追い詰められた獣もそれはそれで厄介ではあるが、コリナの回復によって万全の状態で魔法もそれほど使っていないフェンリルの力はダリルの想像を越えていた。その見違えるような動きには戦闘経験のあるハンナたちも驚いている様子だ。



「原因はわかりませんが、フェンリルにこちらの意思が通じないことは確かです。祝福の光を使っても意味がなかったので、一先ずあれの動きを止めなければダリルと子供が危ういでしょう。ハンナ、装備の準備を急いで」

「でもっ」

「何も殺せとまでは言っていませんよ。ですが戦わなければこちらが全滅しかねませんし、撤退するにしてもあの子供が正気を保っていない様子の親に近づいて殺されることも有り得ます。私だって気は進みませんが、戦うしかありません」



 そんな中、フェンリルと戦闘すること自体が初めてでそこまで思い入れもないコリナは冷静に指示を出していた。彼女の言葉にハンナは泣きそうな顔をくしゃりと歪め、リーレイアとディニエルは武器を握る手を強める。そしてダリルを援護するように攻撃を始めた。



『キャン!』



 ディニエルの放った矢がフェンリルに命中すると、子供が止めてと言わんばかりに悲痛な鳴き声を上げた。その声を聞いたディニエルの瞳は大きく揺らぎ、思わずその手が止まる。そんな彼女を蛇のような横目で一瞥したリーレイアは、サラマンダーと共に前へ出てフェンリルへと細剣を振るう。


 蘇生されたことによって亜麻色の服を着せられていたハンナは、装備を整えつつも未だに迷っていた。だが氷魔法による寒さでどんどんと動きを鈍らされて追い詰められていくダリルを前にして、変に迷っている時間もない。



「何なんっすか……何なんっすか!! いい加減に目を覚ますっすよ!」



 彼女はもうたくさんだと言わんばかりな声を上げながら無色の魔石を砕き、横合いから飛び出してフェンリルの顔を魔力によって増強された拳でぶん殴った。その拍子に牙に付いていた氷が砕けて舞い、そのままいくつかの細い木をなぎ倒しながら吹き飛ばされていく。



「代わるっすよ! ある程度は動きも見られたっすからね!」

「お願いします……すぐに復帰するので」

「顔色かなり悪いっすから、コリナに早く治してもらうっすよ!」



 鎧に氷が張り付いて凍傷を負っているダリルは尋常ではない寒さで震えたまま、ハンナの言う通りに退いた。そしてコリナがマジックバッグに入れていた魔道具を使用して準備していたたきぎの傍に寄って身体を温める。



「手袋外しますね」



 凍傷に関しての処置はそこまで慣れていないものの、経験がないわけではないコリナは手先が痺れているであろうダリルに代わって黒の手袋を外す。特に変色などはしていない手を見て少しホッとした後、彼女は自身の両手でそっと包み込んで温めた。それと同時に迅速の願いも使用してフェンリルと対峙しているハンナに支援しながらも、寒さで震えている彼の手を温め続けた。


 自身の手である程度の時間ダリルの手先を温めたコリナは、用意していたぬるま湯に浸けさせて体温を取り戻すように勧めた。それと同時進行でPTメンバーたちへの支援回復もこなしているコリナは、感情の赴くままに魔流の拳を使いすぎているハンナを見咎めていた。



「ハンナ! 出来れば魔石は火か炎を使って下さい! フェンリルにはその方が効くと思いますし、自身の身体を温める作用も望めますから! リーレイアはその調子でお願いします! ディニエルは火矢を中心とした攻撃で氷を溶かして下さい!」



 おおよそ冬将軍への対策を応用する形でコリナは指示を出しながら、ハンナから出ているうっすらとした死の気配を観察する。避けタンクであるが故に一撃でも受ければ死に直面するハンナは、常に死の気配が漂っている。しかしその気配には僅かな違いがあり、それを見ながら蘇生の祈りを展開しなければならないためハンナの動きを追う必要がある。


 そのため傍から見るとギョッとするほどにコリナは眼球を動かして彼女の素早い動きから目を離さないようにしながら、祈祷師としての支援回復も欠かさずに行っていた。更にPTメンバーへの指示も冷静さを欠いておらず、それに従うにつれて焦りを見せていたハンナやディニエルの動きも普段と同じように近づいていく。


 コリナも努と比べれば圧倒的に人間としての情が深いため、フェンリルに対しても同情はしている。しかし何度もフェンリル親子の悲惨な最期を見せられ、今日こそはそれを解決しようと臨んでいたPTメンバーに比べるとそこまでの気持ちはない。だからこそ彼女はPTメンバーの中で唯一、第三者視点で間違えていない判断と指示を下すことが出来ていた。


 九十二階層の裏ボスに位置するフェンリルは確かに強敵ではあるが、このPTメンバー本来の実力であれば決して倒せない相手ではない。もしコリナも冷静さを欠いていたのなら危うい勝負になっていたかもしれないが、ヒーラーが冷静で実力もあれば多少タンクやアタッカーがしくじってもフォローが出来る。


 事前に回していた願いや祈りが次々と叶い、ハンナやリーレイアに支援が行き渡る。更に破邪の祈りを祈りの言葉で時間短縮させて叶え、ハンナに当たりそうだった爪での斬撃を、フェンリルを怯ませることで未然に防ぐ。



「聖なる願い、祝福の光、迅速の願い……っと。ダリル、そろそろハンナと交代します。準備はいいですね?」

「は、はい!」

「……もう少し温まった方がいいですか?」

「だ、大丈夫ですよっ」



 少しからかうような笑みを浮かべてくすくすとしているコリナに言い返すと、彼女は気を取り直したようにフェンリルの方を見据えた。



「ではあと二分以内を目標にヘイトを取って下さい。ハンナ! そろそろ交代です! 攻撃を抑えめで、避けることに専念してください!」



 九十階層を越えるまで長い試行錯誤の末に階層更新を果たしてヒーラーとして成長したコリナ、更に祈祷師を想定されて慣らされてきたPTメンバーも合わさって戦闘は着実に安定化していく。


 九十階層で垣間見た努と同じような空気を彼女の傍で感じたダリルは、身が打ち震えるような気持ちだった。九十一階層で彼女の実力は理解していたつもりだったが、この階層でも自分は助けられている。自分たちの方が先に階層更新をしているので彼女を先導する立場であるはずなのに、これではこちらの立つ瀬がない。



「コンバットクライ!」



 自分も負けてはいられないと改めて奮起したダリルは槍のような赤い闘気を放ち、フェンリルからのヘイトを稼ぐ。そして階層主戦のように長い戦いとなることを予感して青ポーションを飲み、彼はスキルを多めに放ってハンナと交代した。



 ▽▽



 それから二時間ほど森の中で戦闘を続け、コリナたちPTはフェンリルを追い詰めていた。子供の泣き声を振り切ってディニエルが本格的に攻撃を開始してからはみるみるうちにフェンリルは傷つき、今までと同様なら足を引きずるような同情を誘う動きでもしていただろう。


 しかし今のフェンリルは寄生虫によって無理やり動かされているため、たとえ身体が限界を迎えようが関係ない。その結果身体は弱っても一向に止まる気配がなく、余裕を持って戦闘不能に追い込むということは不可能だった。そのため今は後ろ足二本と前足一本を折って動きを無理矢理止めていた。


 もうそこまで動く様子はないのでこのまま逃げることは出来そうだが、まだ動けないわけではない。このまま放置すれば恐らく近づいた子供が親に食い殺される結末が待っているだろう。そして周りにも戦闘が終結に向かいそうなことを察したモンスターたちが集まってきている。



「止めを刺すしかありませんね。私がやります」

「いえ、コリナに万が一のことがあっては全滅もあり得ます。私がやりましょう」



 他のPTメンバーよりはフェンリルに思い入れがないコリナは、モーニングスターを手に持ち率先して声を上げた。そんな彼女に対してリーレイアはそう言うと、他に出る者はいるか確認するように周囲を見回す。目を泣き腫らしているハンナは沈鬱ちんうつな顔で死に体のフェンリルを見るだけで、ディニエルも同様だ。ダリルも暗い顔をしていたが、彼女に一つ尋ねた。



「僕が、子供に説明してきてもいいですか?」

「あちらはもうこちらを敵と認定して警戒している様子ですが」

「僕なら最悪噛まれても死にはしませんから」

「……好きにして下さい。とはいえ周りにモンスターが集まっていますから、手短にお願いします」

「はい」



 ダリルは残念そうに返事をするとセーフポイントからこちらを警戒している子供へと歩いて近づいた。すると子供は尻尾を逆立たせて凶悪な唸り声を上げ、これ以上近づくなと言わんばかりに吠える。しかしそれでもダリルはそのまま近づいて、子供の前で片膝をついた。



「原因はわからないけど、君の母親は僕たちを襲った。しかもあの様子だと、君も襲うだろう。だから僕たちは君の母親に止めを刺すよ」

『グゥゥゥ……!!』

「ごめん。僕の力が足りなかった。こんな結果になって、本当にごめん」



 今にも顔に噛みついてきそうな子供に懺悔するような形で許しを乞いたダリルは、そう言い残すと決意に満ちた顔でリーレイアの下に戻った。



「お願いします。僕じゃ、無駄に苦しめる結果になりそうですから……」

「えぇ、わかっています。介錯は私に任せて、ダリルは子供の方を気に掛けておいて下さい。逆上して襲ってくる可能性もあるので」



 据わった目付きでそう答えた彼女は火の精霊結晶をレイピアに纏わせて止めの準備を始める。その様子をハンナとコリナは悲壮な目で見つめ、ダリルとディニエルは遠くから子供に気を配っていた。


 そして数分もしない内に大して動けない様子のフェンリルへと近づき、その脳天を一突きしてその生命を終わらせた。



『ガアァァァァァ!!!』



 母の命が失われた瞬間を目の当たりにした子供は、周囲にいたモンスターたちが逃げ出すほど迫力のある咆哮を上げた。母が死ぬとその力は子に引き継がれる。『ライブダンジョン!』でもそういったシステムになっていて、氷魔の力を継承した子供を中心に氷の地面が形成されていく。



「……次は子供、ってわけっすか。ふざけた階層っすね、ここは」



 大分擦れた様子のハンナはもう疲れたと言わんばかりにため息をついた。ディニエルも珍しく悲しそうな表情のまま弓を構え、コリナはヘイトを取るであろうダリルに支援をかける。


 凍った地面が足下まで近づいていたダリルも悲しそうな目はしていたが、その大盾から手を放すことはなかった。そしてすぐにでも飛び掛かってくるであろうフェンリルの子供を迎え撃とうとしたが、彼女はその場で高く飛び上がった。


 親と同じように踏みつけてくる気かとダリルが大盾を上に構えた時、子供の真下に鋭利な氷柱が瞬く間に形成されていくことに気付く。子供は自分の方ではなく真上に飛び上がっていた。



「待っ――」

『グゴッ』



 ダリルはその意図に気づいた途端に大盾を投げ捨ててその場から飛び出したが、子供はその氷柱に向かって顔から落ちた。最後に惨い擬音を立てて口から尻まで氷柱の串刺しになった子供。そんな彼女を前に呆然としたダリルは、すぐに振り返った。



「そんなっ、コリナさん!! 回復を!!」

「……残念ですが、即死しているかと」

「うっ、そ。何で……」

「ああああぁぁぁぁ!? もうこんな階層いやっすぅぅぅぅ!!」



 ハンナの振り絞るような叫びが木霊こだまする森の中、コリナたちPTはフェンリル親子の討伐に成功した。もう彼女たちが階層を突破する邪魔をするものはもういないだろう。

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