第350話 神台での愉悦

「はっ……つ、疲れたぁ……」



 大樹の内部で遊び回り今はぐてんと地面に寝転がっているフェンリルの子供から目を離さないようにしながら、すっかり汗だくになっていたダリルは疲れたように息をつく。並みのモンスターよりは強靭である子供の遊びに付き合うのは下手な戦闘より重労働であり、ガルムの厳しい訓練を思い出すくらいだった。


 だがそれでもひょんなことでも運悪く死んでしまうことがあるフェンリルの子供からは一時も目を離さなかった。そのおかげか今は疲れ切って動くことがなくなったので、一先ず安心である。



『……ワゥ』



 それに彼女もまさかダリルが自分よりスタミナがあるとは思っていなかったのか、若干敬意を示すような態度を取るようになった。彼としてはそれが結構嬉しかったりもした。クラン内では何かと世話を焼かれることの方が多いため、まるで後輩でも出来た気分である。



「食べる?」



 少し気を良くしたダリルはマジックバッグからフェンリルでも食べられそうなものを探し、オーリが作ってくれたドライフルーツを手に取った。すると彼女は興味を示したような顔つきですくっと立ち上がり、小走りで駆け寄ってきた。


 差し出しているものが食べられるか確認するようにすんすんと鼻を鳴らし、ぱくりと口に含む。じんわりとした甘みのある干し林檎の切れ端をがじがじとかじって飲み込むと、すぐにおかわりをねだるようにダリルの手へ頭を擦り付けた。



「あんまり食べるとお腹壊すかもしれないし、ほどほどにね」



 そうは言うもののダリルの顔はダンジョンの中とは思えないほど緩み切っていた。そんな彼の気持ちを知ってかその後も子供は甘え、高価な部類のドライフルーツを手に入れることにも成功していた。


 地面にこんもりと盛られたドライフルーツをちびちびと食べている子供の隣で、自分も軽食であるサンドイッチを頬張る。疲れた身体に沁みるような濃い目の照り焼きチキンが挟まったサンドイッチをぺろりと平らげ、水筒に入った水を飲んで喉を潤す。


 すると子供も飲み物が欲しそうな目を向けてきたので、マジックバッグから適当な入れ物を出してそこに水を注いであげた。そんな風にして食事を共にした一人と一匹は大分リラックスした様子で、子供に至っては野性を忘れたようにごろんと仰向けになっている。



(でも、ダンジョンを出たらこの関係もまたなくなっちゃうんだよなぁ)



 ダリルは哀愁に満ちた目でゴロゴロとしているフェンリルの子供を見つめる。ダンジョンを出た後もひょっこりと付いてきたらいいのにな、なんてことを思いながらため息をつく。いっそのことクランハウスに何かしらの動物を迎え入れるのもいいかもしれない。努の許可が出る可能性は低いだろうが、それでも提案してみようかと思うくらいには魅力的だ。



(……またあのワインを買ったら説得出来ないかな?)



 あの柔らかな雰囲気の時に提案すればあっさりと認めてくれそうな気はするが、そのために自分が数千万近くのワインを買っていっても努は怪しんで飲まなさそうだ。そうなるとあの交流会のきっかけであるゼノに話を持ち掛けてまた開かせるのが無難か。


 あそこまで心を開いた様子の努をダリルは見たことがなかったし、聞く限りではガルムやエイミーなども同じだったようだ。それにあの状態の努に対しては全員が好印象を抱いていたようだし、話を持ち掛ければ協力してくれそうな気配はある。


 どうにか自然にワインを飲ませて酔わせることは出来ないものかと迷走している間に、体力を回復したフェンリルの子供は退屈そうに尻尾を静かに動かしていた。そんな彼女に気づいたダリルはそれからしばらく一緒にセーフポイントである大樹の内部で遊んだ。


 先ほどまでは隙を見て大樹の外に出ようとする素振りを見せていたが、子供は自分のことを認めてくれたのかもうしなくなった。そんな彼女を褒めるように頭をよしよしと撫でていると、その白い耳がアンテナのように立った。そしてこちらを見て一吠えした後に大樹の出口へてくてくと歩いていく。



「ディニエルさんの矢かな」



 ダリルもその垂れた犬耳で矢が木に刺さるような音を察知していたため、ゆっくりと歩く子供に付いていく。そして先にモンスターが待ち伏せしていないか入念に確認した後、刺さっている矢にダリルは問題ないことをハンドサインで伝える。すると遠くから足音、それが四人と一匹のものであることを聞き分けたダリルはホッとしたような顔になった。



(あっちも上手くやったみたいだ。よかった、これで嫌な気分を味わいながら次の階層に進まなくて済む……。それに初めてのコリナさんにもあんな気持ちになってほしくないし)



 努のPTで九十二階層を突破した経験は四回あるが、その全てが胸糞の悪いものばかりだった。なので今回はそんな思いもしなくて済むと思い、ダリルは安心したようにフェンリルの子供を撫でた。いきなり撫でられたことに彼女はきょとんとした顔をしたが、しょうがないなぁと言わんばかりに低い声で鳴いた。



「おぉ! 子供も無事っすね!」

「これで他のセーフポイントを探さずに済みましたね。よかったです」



 そしてハンナたちも特に怪我を負った様子もなく無事に帰ってきた。その光景を見てダリルは気が抜けそうになったが、一先ずセーフポイントから子供を出さないよう徹底しながら四人の帰りを待っていた。とはいえ彼女は今のところ反抗期なのか母親の姿を見て駆けだすようなこともしなかったので、その心配もなかった。



「ダリルー!」



 こちらも無事だということを確認して心底安心したような顔をしながら、ハンナが嬉しそうに駆け寄ってくる。だがその後ろにいるコリナが一瞬で全身の毛が逆立ったように身震いし、大きく目を見開いている姿が視界の端に映った。



「ハン――」



 コリナの異常な様子に気づいて声を出そうとした直後、その背後から白い影が飛び出す。それはハンナを通りすがりに氷で強化された爪で無残にも切り裂き、一目散にダリルへと突進してきた。



「……え?」



 何が起きたかわからないといった顔で、身体を真っ二つにされたハンナの上半身が地面に落ちる。そして光の粒子に変換されて彼女が消えていく中、ダリルは左足で子供を押し飛ばすとその身で突進を受けて縦に回転しながら跳ね飛ばされた。


 そのまま大樹にめり込む勢いで背中からぶつかり、息が詰まるような衝撃を受ける。そんなダリルの前には白目を剥いたフェンリルの親が荒い息を吐きながら、狂ったような叫び声を上げた。



 ▽▽



(大変そうだなぁ)



 あまり目立たない格好で久々に一人きりの外出をしていた努はいつものようにベンチへ座ってスキル練習を行いながら、ランページエレファントと同様に正気を失ったフェンリルと対峙しているコリナのPTが映る二番台を他人事のように見ていた。


 ランページエレファントはその名の通り暴走する象であるが、そのモンスター本来の性質は極めて温厚であり子供を守る時くらいにしか好戦的になることはない。では何故九十二階層では初めから森を荒らし回っていたのか、それはその象に寄生しているモンスターが原因である。


 人間の髪ほど細い尺取虫のような見た目をした寄生虫、『ライブダンジョン!』では名すら付けられなかった設定上の生物は九十二階層の生物ピラミッドから唯一外れた存在だ。その生物は宿主が死んだ場合最も近く、それでいて健康体であるモンスターを次の宿主に認定して取り付く。


 そして気づかぬうちに寄生されたフェンリルは徐々に脳を乗っ取られ、セーフポイントへ着くころにはランページエレファントと同様に暴走する獣と化してしまった。その結果についてはおおよそ予測していた努は屋台で買った肉まんを片手でもぐもぐと食べながら、二番台の様子を観察して色々とメモを取っていた。



(この世界だと九十二階層の面倒臭さは一層増してるだろうな。ライブダンジョンより妙にリアルさがあるからフラグ管理も変わってそうだし)



『ライブダンジョン!』で後々のアップデートによってテコ入れされた一つである九十二階層には、フェンリルを中心としたストーリーが組み込まれていた。そして普通に進めていくとその子供が死ぬことがほとんどで、喉に骨がつっかえたような気持ちで次の階層に進まなくてはいけなくなることもこの世界と一緒だった。


 勿論そんな後味の悪いまま階層を進めなくてはいけないことは納得がいかないし、何か新アイテムが手に入るかもしれないということで、当時の最前線組にいた努も親子が救われるルートを模索することになった。だがその模索は困難を極めた。


 そんな細かいことに気付けるかと叫びたくなるような仕掛けや、重要と思わせて何でもない暗号などプレイヤーに理解させる気がないギミックの数々。リアルタイムに左右される仕掛けに運が絡むものなど、検証班となってひたすらに手を動かしていた努としては時間が経つごとにストレスが溜まる仕様ばかりだった。


 それでも多数のプレイヤーによって一週間ほどで親子救済ルートは開拓され、それから数日で最短ルートの構築までは開いてその情報は拡散されて周知された。しかしその情報があっても並みのプレイヤーにまるで攻略させる気がないその面倒くささと、得られるアイテムもただの称号だということでため息をつくしかない結果に終わった。


 大した実入りもなくただただ時間を浪費したという結果に辿り着くことがほとんどである、アプデによって追加されたものの検証。だがそれを努は性懲りもなく何年もやり続けていた。その理由は至って明解だ。



(みんな慌ててる、慌ててる)



 神台に映るクランメンバーたちは勿論だが、それを見ている観衆も思わぬ事態に慌てふためいている。更にフェンリルまで暴走するといった事態を目の当たりにした迷宮マニアや情報員などは血眼になる勢いで神台を見つめていた。


 自分しか知り得なかった情報が公開された時に驚く周りの反応を見て、内心悦に浸る。今思い返せば中学生の時に友人が誰を好いているかなど、学校内の情報を知るのも好きではあった。だがそれを更に加速させたものはもはや言うまでもなく『ライブダンジョン!』だ。


 MMOというインターネット上の世界では攻略情報などはあっという間に広まるし、早々情報隠蔽など出来るわけがない。だがそんな中でも短い時間の間だけは、その貴重な情報を自分だけで握り締めることが出来る。限定された僅かな時間の間その愉悦に浸ることと、情報公開した時の反応を見ること。それが好きだからこそ努は七面倒な検証を行っていた。


 ただこの場に関して言えばそこまでの愉悦に浸っているわけではない。そもそも現時点で苦労して手に入れた情報ではないのでそこまでのカタルシスはないし、更に言えばハンナが死んでいることについてもあまり手放しで喜べることではない。



「あーあ」



 とはいえ結局のところは他人事なため、努が辛い状況の中にいるPTを見る目は対岸の火事を見るものだ。ランページエレファント討伐によって多少は消耗しているPTメンバーに、万全な状態で暴走しているフェンリル。それを倒した先には親を殺されて覚醒する子フェンリルに、漁夫の利を狙うであろうモンスターたち。恐らくPTを立て直すことは出来るだろうが、この最悪な状況で彼女らはどう動くのか。


 だが何も希望がないわけではない。『ライブダンジョン!』の攻略に基づくならばこの状況は最悪だが、ゼノの妻であるピコが提言したモンスターの死に関する情報。もしそれが使えるのならまだ希望はあるかもしれない。とはいえそれは蜘蛛の糸を手繰るようなものかもしれないが。



(コリナ、頑張れ!)



 周りがフェンリルの暴走に驚いている様子と、追い詰められているPTメンバーたち。そんなPTのヒーラーをしている彼女に希望の欠片も湧かないような言葉を投げかけた努は、ちょっぴりご機嫌なまま神台を見続けていた。その表情は一人きりで神台鑑賞をする理由が計り知れるものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る