第349話 ランページエレファント

 力に物を言わせてその場で回転し蔦を引き千切ったランページの喉元に、フェンリルは透明な氷で伸ばしている牙を突き立てた。しかし岩のようにゴツゴツとした体表を食い破るまでにはいかず、僅かに刺し傷を負わせた程度に留まった。


 瞬時に振るわれた長鼻をひらりと避け、木枝が粉々に砕ける音が響いた。フェンリルは息つく間もなく氷柱をランページの真上に発生させて次々と落とす。既に先ほどの一斉攻撃でボロボロになっていた耳を執拗に狙われ、ランページは少し怯んだ様子を見せた。


 流石は九十二階層の裏ボスというだけあってか、フェンリルの強さはランページに劣らない。実際に一対一ならばフェンリルは高い確率で勝つことが出来るだろう。とはいえそれは探索者が神のダンジョンに連続して潜れる二十四時間のうちでは不可能だろうが、強さで言えば魔法を使えるフェンリルの方が多彩である。



「ふっふっふ、カウントフルバスター。そろそろ溜まるっすよ!」

「攻撃を合わせます。フレイム・エレメント。ウインド・エレメント。コリナ、少し下がっていた方がよろしいかと」

「は、はい!」

「ツインアロー」



 コンボ数が上がるごとに威力が上昇するカウントバスターは既に百近くまで到達し、強力な攻撃を解放する準備は整っている。それに合わせてリーレイアはエレメントという精霊術士の基礎的なスキルを使い、炎と風の精霊結晶をレイピアに纏わせた。八十レベルになって同時に三つのエレメントや精霊を行使出来るようになった彼女は、騎士さながらの顔つきで細剣を眼前に構える。


 ランページも決して弱いわけではない。その全てを破壊する強靭な力と耐久性は驚異に値するし暴走を止めるのも一苦労なのだが、そんなランページを彼女たちは既に何度も狩っている。それに努が最後に通しで行った階層ごとの攻略法をリーレイアは叩き込まれているため、その対処は万全だった。


 この四人PTだけでもランページを狩る力と知恵はあるにもかかわらず、今回はフェンリルも明確な協力態勢にある。まさに鬼に金棒な相手にランページは完封されており、もはやただの固いサンドバッグと化していた。


 フェンリルがランページを翻弄している間にハンナは左手で炎魔石を砕き、コンボ数が溜まって薄く光っている右手に魔力も滾らせながら眼前へと潜り込む。リーレイアは風により増強された炎を纏う細剣を銃でも構えるように向け、ディニエルはストリームアローの第一射を上空へ放つ。



「カウントフルバスター!」

「サラマンダーボール」

『ビッ』



 スキルによる攻撃で百コンボを決めると放つことが出来るカウントフルバスターと魔流の拳の合わせ技。それをアッパーする形で放つとハンナの右拳は爆発的な威力を持ち、数トンはあるであろうランページの巨体が浮いた。まるで爆発でも起こったような衝撃が起こって少し離れていたコリナの髪がたなびく。


 ハンナがその衝撃ですっ飛んでいく間にサラマンダーが小さな火球を吐き、それをきっかけに細剣の周りにあった炎の結晶精霊が共鳴するように光り出す。そして龍化したアーミラのブレスと同じような熱線がランページの少し柔らかな腹面を焼き焦がした。


 その上からは雷撃のようなストリームアローが降り注ぎ、上下から挟まれる形でランページは無慈悲な攻撃を受けるしかなかった。そして先にリーレイアの細剣から放たれた熱線が収まり、ランページは第二射である数えきれない矢の暴力によって地面に叩き付けられる。ぐぐぐっとその場で何とか立ち上がろうとするものの、事前に放たれていたストリームアローの圧倒的物量とフェンリルの氷柱も合わさって身動きが取れていない。



「ヒットアロー」



 そしてようやく矢の流星群が止んだかと思えば、既に青ポーションを飲んでいたディニエルが一本の長い矢を手に持ち一足飛びでランページへ飛び掛かっていた。


 九十レベルを越えて手に入れたディニエル曰く弓術師が使うスキルではないというヒットアローは、自身の手に矢を持ってそのまま敵に叩き付けるというものだ。わざわざ近づかなければいけないし隙も生まれるため彼女はあまり使いたがらないが、威力は申し分ないので相手に大きな隙が生まれた際には使用している。



「えい」



 普通ならば矢を手に持って相手に叩き付けるよりも、弓で撃ち出した方が遥かに威力は出る。そしてディニエルの緊張感がない掛け声も相まって見た目は弱そうだったが、スキルの補正によってその矢は深々とランページの鼻に突き刺さった。その明確な痛みにラッパが地面に叩き壊されたような悲鳴が上がる。


 それを見たフェンリルもランページの鼻穴に鋭利な牙を差し込み、そのまま引き上げるようにして内部から長鼻を食い千切った。更に追い打ちをかけるようにコリナが使用していた破邪の祈りが叶い、防御力を無視した一定威力の攻撃も入る。


 もしフェンリルのような知性があったのなら、完全に成すすべもないこの状況からの逃走を選んだだろう。しかしランページは高々と鼻を上げて叫び声と共に、木の幹のように太い足で地面を踏みしめた。そんなランページの前に舞い戻ってきたハンナは楽しそうに笑みを深めると、威嚇するように青翼を振り上げた。



「まだまだ行くっすよ~。無色の魔石ならいくらでも使えるっすからね~」



 じゃらじゃらとこれ見よがしに小魔石を手に持っているハンナは、ランページから見れば悪魔か何かにでも見えただろう。だが避けタンクという致命的に相性の悪い彼女を前にしても、ランページは無謀なる突撃をするしかなかった。



 ▽▽



 それから一度ランページが暴走してその場から離脱したものの、戦闘に関しては絶えず四人と一匹PTのペースだった。



「いっちょ上がりっすね!」



 その要因としては避けタンクであるハンナの活躍が大きいだろう。今回彼女は一度も被弾することなくランページのヘイトを取り続けて戦局を安定させていた。そしてコリナもその状況を見て体力回復効果もある祝福の光を中心に使ったため、彼女は体力を切らすことなく完封することが出来た。


 ドヤ顔で仁王立ちをしているハンナの前で倒れ伏しているランページは、もう既に息絶えている。そしてコリナに一度も被弾していないことを褒められたハンナがデレデレとしている中で、今までと違い大した怪我を負っていないフェンリルはリーレイアの方へそっと近づいた。



『…………』

「あぁ、食べても大丈夫ですよ。魔石は頂きたいですが」



 流石に今回は自分の力だけで倒したとは思えなかったようで、フェンリルはこれ食べていい? と言いたげに白い耳をピンと立て首を傾げていた。そんな様子を見てリーレイアが思わず頬を緩めながらそう言うと、礼でも言うように低く唸った後ランページの死体に牙を立てた。


 固いステーキでも食べるようにぐぐーっと顔をのけぞらせ、何とかランページの肉を食い千切っているフェンリルを横目にリーレイアは炎の小魔石をサラマンダーに与える。ディニエルは周りの索敵をしてモンスターが付近にいないことを確認した後、頑張ってランページを食べているフェンリルをジッと見ていた。



「やったっすね! これでもう、あんな思いはしなくて済むっす……」



 ハンナは喜びも束の間、嫌なことを思い出して少し萎えたような顔つきで下を向いた。


 初めて九十二階層を突破した時はそこまで余裕がなく、フェンリルとランページを争わせて漁夫の利を狙う形で突破することになった。だがその結果フェンリルの子は殺されて親も満身創痍といった状態になってしまった。その結果に四人が何とも言えない顔をしている中、努はついでにフェンリルも狩ることを提案した。


 その時ばかりはリーレイアもドン引きといった様子だったので、努はすぐに冗談だと誤魔化してフェンリル討伐を諦めた。だがそんな話をしている間に努たちの周りには、同じように漁夫の利を狙ったモンスターが目を光らせて集結してしまっていた。その目当てはランページの死体と死に体のフェンリルである。


 ハンナは当然フェンリルを守ることを主張したが、PTメンバーたちは長い戦闘を終えた反動で集中力と気力が完全に切れていた。この状況で大量のモンスターを相手にすれば全滅することは目に見えている。そういったことを努に忠告された後それでも死ぬなら装備賠償してね、と釘を刺された。


 考えなしに魔石を使いすぎたペナルティによって負わされた借金は、エイミーの協力もあって既に返済している。だがハンナは馬鹿だが知能がないわけではない。今ここで自分の意地を通すことと装備の損失を天秤にかけ、泣く泣く救出を断念した。


 そして結果的には他のモンスターたちによってフェンリルは生きたまま貪られることになり、ハンナは助けを求めるような悲痛の叫び声を上げる彼女を背に九十二階層を突破することになった。その記憶は今も彼女の頭にこびりついている。


 だが今回は違う。子供はセーフポイントでダリルが保護し、親もコリナが回復してくれたことによって元気だ。それに比べて努はフェンリルを回復したことは一度もなかった。今思い返せばあの時も余裕のありそうな努が回復さえしてあげれば、フェンリルはあのような惨い死に方をすることもなかったのではないか。


 ハンナが今更そんなことを思って努には血も涙もないのかと憤慨ふんがいしていると、コリナは青ポーションを口にした後そんな彼女にひっそりと話しかけた。



「……一応、ダリルの方が危険に陥っている可能性もあります。ダリル君なら大丈夫だとは思いますが、出来ればすぐに戻った方がいいかもしれませんね」

「あっ、そうっすね! なら急いでセーフポイントに帰るっすよ!」



 完全にダリルのことを忘れていた様子のハンナは盲点だったと言いたげな顔をすると、リーレイアとディニエルに大騒ぎでそれを伝えた。そしてガムでも食べるように固い肉をかじっていたフェンリルもそのことを伝えられると、ランページを氷漬けにして周囲をジロリと睨んだ。


 フェンリルの刺すような咆哮。それでランページの死体を狙っていたモンスターは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。そんな彼女の力強さにハンナはよくやったと言いたげに青翼をばさばさとさせた後、ディニエルの指示に従ってセーフポイントへと向かう。


 そんな四人に付いていこうとしたフェンリルは不思議そうな顔をして立ち止まり、その場に座り込んで後ろ脚で耳をてしてしと掻いた。そして顔をぶるぶるとして妙な痒みを振り払った後に四人の後を追った。

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