第347話 ピコさん!

「昨日の師匠、大分緩かったっすよねぇ。あんな隙だらけの師匠初めて見たっす。それに今思い返すとあたしもあたしで酷かったとは思うっすけど、まさか肩車されるとは思わなかったっす」

「普段は何処か気を張っている感じがしますけど、昨日はそんなことありませんでしたしね! 僕はあのツトムさんの方がいいなぁ」

「……その代償として計数千万Gはするワインが全て空になりましたが、喜んでいる人は多かったですから良かったのではないですか。ツトムも良い息抜きにもなったでしょうし、ダリルも褒められて随分とだらしない顔をしていましたしね」

「してませんっ」

「まるで兄弟でも見ているようで微笑ましかったですよ?」

「コ、コリナさんまで……。止めて下さいよ」

「ツトムも人間なんだと改めて思った」



 コリナたちのPTは昨日突発的に行われた交流会の思い出を話していたが、話題は珍しく酔った様子のツトムに集まっていた。努はたまに誰かの付き合いで飲むことはあるが、あんな気持ちよさそうに酔っている姿は初めてだった。そして普段とは違う対応をされたクランメンバーは各々そんなことを言いながら、混み合わない早朝にギルドでPT契約を済ませると円卓に座る。


 その後も昨日の宴会についての話でハンナを中心に女性陣は盛り上がっていたが、時間が経つにつれてあせあせとした様子を見せるダリルにハッとしたリーレイアは話題を切り替えた。



「九十二階層についてですが、どうしますか? 期限はあと三日ですがまだあの子供を救える手立ては未だ見つかっていませんが」

「私の方で色々と考えてきたけど、そういうことではない気もする。あの子供はもはや死ぬ運命の中心にいるといってもいい。常識的な方法でそれを変えるのは恐らく無理」



 フェンリル親子を大層気に入っているディニエルでもそう断言してしまうほど、二日間での子供救出作戦は失敗続きだった。当初は親さえ味方に引き込めて協力体制を築けたから後は流れで大丈夫、なんて思っていたがそれは大きな間違いだった。


 子供の戦闘力はそこらのモンスターに負けるものではないが、それでも九十二階層においては丁度ピラミッドの中間にいるようなものだ。そのため状況次第では食虫植物に頭を突っ込んで死ぬこともあり、その時は流石に親を見つめてどんな教育をしているのだと責めるような視線を向けたこともある。


 PTメンバーの誰かが少しでも子供を見逃せば、彼女はひょんなことであっさり死んでしまう。例えばたまたま上空を飛んでいた雷竜が気まぐれに放った雷撃が何故か子供に直撃したり、ランページエレファントから逃げるモンスターの群れに意気揚々と吠え出して敵を増やし対処に遅れている間にいつの間にか死んでいたりと、どんどんリーレイアの目つきがキツくなるほど理不尽な死に方が多い。


 ディニエルの言う通り普通の方法でそれを越えるのは厳しいと体感でPTメンバーも分かっている。だがその方法にさっぱり見当も付かないので沈黙しながら腕を組んでいると、そんな重い空気が流れている円卓に手を置く者がいた。



「随分と九十二階層のことでお困りのようね」

「ピコさん!!」

「……ダリル君、そんなに大声で名前を呼ばないで。恥ずかしいから」

「あっ、ごめんなさい」



 迷宮マニアの中でも広い知識を持っていることで知られ、ゼノの妻でもあるピコは恥ずかしそうな顔でダリルにそう言った。彼女はピコという可愛らしい名前が地味な自分に合っていないことを自覚しているため、あまり名前で呼ばれることは好きではない。



「……あぁ、ゼノの奥様ですか」

「おぉー」



 ピコとは随分と前に一度挨拶をしてもらったきりだったリーレイアやハンナは珍しそうな目を向け、ディニエルは澄ました顔でいつの間にか頼んでいたジュースをストローで飲んでいる。



「ピコさんは私が呼びました。ダリルも何度かお世話になっているみたいでしたけど」

「ゼノさんにワインを飲みに連れて行ってもらった時にお世話になりました! その時にダンジョンのことも色々話してくれて、勉強になってます」



 コリナは努から優秀な迷宮マニアという紹介とゼノのことで、ダリルはゼノと食事をする際に何度かピコとも席を共にしていたのである程度の関係性は出来上がっている。そんな彼女は素知らぬ顔でジュースを飲んでいるディニエルの前に位置取ってかがみ、その眠たげな目を真っ直ぐと見つめた。



「ディニエルさん。フェンリルの子供を救いたいと思っているのは貴方だけではないわ。何十人もの迷宮マニアたちも同じ思いを持っているし、私も今日はそのためにここへ来たの。あんなに可愛い生物が殺される未来はどうしても避けたい。だから少しだけ話す時間を頂いてもいいかしら?」

「……そう。好きにするといい」

「ありがとう。リーレイアさんとハンナさんも、いいですか?」

「構いませんよ。確かに迷宮マニアからの意見も聞いておきたかったところですから」

「いいっすよー」



 三人の許可を取ったピコは一言礼を言って席に座ると、すぐにマジックバッグから資料をいくつか出した。



「フェンリルの子供を救う方法を今回は二つに纏めています。一つはセーフポイントを利用すること。もう一つはモンスターの変質を利用した方法」

「……九十二階層のセーフポイントが判明したのですか?」



 リーレイアが驚いたような顔で尋ねるとピコは首を横に振ったが、明るい声でいくつかの写真を取り出す。そんな話の中わからない表情を出さないように努めていたハンナは、隣にいたダリルにひそひそ声で尋ねる。



「……セーフポイントってなんっすか?」

「……えーっと、モンスターが近寄ってこない場所ですね。あぁ、でも確かにそれならいけるかも……」



 ダリルが盲点だったと思っている間にリーレイアとピコの会話は進んでいく。



「九十二階層は森階層と似ていることが多い。ほら、この森のセーフポイントの大樹と、九十二階層にあるこの大樹、形が酷似しているでしょ? 森階層と違って九十二階層には他にもこれを越える大樹があるからわかりにくいけど、この内部はセーフポイントである可能性が高い。セーフポイントなら黒門付近と違ってモンスターも入れようと思えば出来るから、フェンリルの子供を避難させることも可能だと思います」

「……なるほど」

「他にもいくつかセーフポイントとおぼしきものの見当はつけてあるから、恐らく一つくらいは当たると思います。これが期限内にやれる方法の中でも一番だろうから、まずはセーフポイントの確立を進めてほしいです」

「……森階層には大樹以外にもセーフポイントはあったのですね」



 森階層のセーフポイントが大樹だということは知っていたが、他にも黄緑色の草原にぽっかりと穴のように空いた青色の密集地帯や、ドーナツ型の湖などは知らなかった。自分の勉強不足を恥じるような顔をしているリーレイアを、ピコはフォローするような言葉をかける。



「森階層のセーフポイントなんて、それこそ最古参の探索者しか利用したことがない。それも神のダンジョンが出来て二年くらい経った時には、女性探索者たちの影響力も大分上がっていたからね。セーフポイントを利用してダンジョンにずっと籠るPTも随分と少なくなったから」



 神のダンジョンが出現した当初は既に名を上げていた探索者は男ばかりであり、生理現象をそこまで気にすることもなかったのでセーフポイントがよく利用されていた。その時には排泄行為を敢えて神台に映してPT内で爆笑するなど、男子校のような馬鹿ノリもよく起こっていた。


 しかしアイドルのエイミーや男女共に実力を認められているカミーユを筆頭に、他の女性探索者も実力をつけてきたためそういった下品な行為は嫌悪され排除された。そのためセーフポイントを利用するようなPTはもうほとんど存在せず、その情報価値も下がっていた。



「それにリーレイアさんは優秀だったからこそ、沼階層までは特に手間取ることなく進めましたよね? 自分に活用出来ないような情報は何の意味もありませんから、恥じる必要はありません。このPTの人たちは全員そのようなものでしょうから、何も問題ありませんよ。そういった役に立たないことの方が多い知識を集めるのが迷宮マニアの仕事でもありますから」



 リーレイア、ダリル、ハンナ、コリナは古参ではないので森階層に関しては大した苦労もなく突破しているし、ディニエルも初めから強かったため同様である。そんな者たちだからこそ森階層のセーフポイントについては知る必要すらなかった。



「そ、そうっすよね!」

「……ハンナさんはもう少し勉強をした方がいいかもしれませんけどね。セーフポイントすら知らないってどういうことですか」

「いや、あたしも多分使ったことはあるっすよ!? 確かに今思い返せば休憩してる時モンスターに襲われなかったっす。でも他の人が……ね?」

「いつまでも他人任せじゃ駄目ですよ」

「ダ、ダリルが意地悪っす……」



 青翼をしょんぼりとさせているハンナを横目にして苦笑いを浮かべているピコは、続いてもう一つの方法を話した。とはいえこちらの方法は推測にすぎないため軽い調子で話した。



「シェルクラブが変異して強力になったことは知っていると思いますけど、どうして変異したかは知っていますか?」

「シェルクラブの需要が高まって急激に多く狩られた時に変異していたと聞いていますが」

「はい。多く狩られたモンスターの変異については他にも女王蜘蛛や腐れ剣士なども該当します。特に短期間で多く狩られたモンスターについては確実に変異し、今まで通じていた戦法などが通じなくなるんです。そして迷宮マニアが観察した限りでは、フェンリルの子供はその変異速度が早いように感じました」

「……なるほど。とにかく死なせて子供を変異、というよりは成長と言った方がわかりやすいでしょうか?」

「はい。ですがこれは時間がかかるでしょうから、あくまで参考程度にお願いします。ツトムさんからもあまり時間はかけられないことは聞いていますからね」

「なるほど、わかりました。とても参考になるお話、ありがとうございます。情報料についてはどういたしますか?」

「いえ、ツトムさんから既に頂いてあるので大丈夫です。それにフェンリルの子供を救いたいというのは本心ですから、こちらとしても応援しています。他にも気づいたことがあれば適宜お知らせしますので」



 そう笑顔で言ったピコは次の仕事があるとのことで、別れの挨拶もそこそこにギルドを出ていった。



「目標は、決まりましたね」

「はい。まずは九十二階層のセーフポイント確認ですね」

「おーっす!!」



 そうしてコリナたちPTは目標も決まったということで、意気揚々と九十二階層へ向かった。

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