第345話 お前のID控えたからな

 ゼノがマルトーを筆頭とした様々なワインを持ってくると聞いたオーリは、少しだけ考える素振りを見せた後すぐに厨房へと入っていった。どうやらワインに合う料理を作ってくれるようだ。



「ほう。マルトーのワインか」

「え、もしかして平民にたかる気ですか?」

「貴様……そもそも俺はマルトーなど飲み慣れている!」

「私はちょっとだけ飲みたい気分です」



 オーリの淹れるお茶を気に入っているバーベンベルク家の二人はたまに探索者稼業を終えた後クランハウスへ一休みにくるが、今日に限ってたまたま来ていたようだった。そしてスミスの趣味でもあるワインの話題が出て彼は意気揚々と出てきたが、軽い冗談を言われて不機嫌になっている。



「ゼノの様子からして結構な数持ってくる様子だったので、よければスオウさんもどうぞ」

「まぁ、ありがとうございます」



 軽く手を合わせて嬉しそうな笑顔を浮かべているスオウとは対照的に、スミスは据わった目で努を睨み付けていた。そして決闘でも申し込むように指差した。



「……待っていろ、愚民めが! そのゼノとやらが持ってくるワインが霞むものを持ってきてやる!!」



 そう言い残してスミスはサーフボードのような形の障壁に乗り、空いている窓からクランハウスを飛び出していった。その突拍子もない行動に努が若干呆気に取られていると、スオウは申し訳なさそうに金色の眉を下げた。



「兄がすみません」

「いえ、スオウさんが謝ることではありませんよ。……スミスは、ワイン愛好家かなにかですか?」

「はい、地下に自前のワインセラーを大量に保持しているくらいで、父よりも好きですね。とはいえその中身は以前売ってしまったのでもうないはずですけれど……」

「……それってスタンピードの時ですか?」

「はい。資金面で苦労していた時に全て売ったのだとか。ですから取りにいくといっていましたが、本当にあるのかも怪しいですね……。何処かに隠していた様子もありませんでしたし、伝手はあるのでしょうけどお金だって今はそこまで余裕がないのですから、マルトーを越えるワインを買っていたとも思えません」

「……はぁー。スミスがワインを買いにいきそうな店ってわかります?」



 何だか可哀想なことを聞いてしまった努は同時に嫌な予感もしたのでその店を聞いてみると、スオウは意外そうに目を見開いた。



「それでしたら一つ心当たりがありますけど……もしかして行くおつもりですか?」

「あの性格と現状を聞かされた後だと、何かしらのトラブルが起きる未来しか想像出来ませんからね。それにスタンピードについては僕も助けられていますから、そういうことなら協力はしますよ」



 予想以上に強化されていた暴食竜が命懸けで放った攻撃を最小限の被害で防いだことと、その後も障壁魔法へ不信を抱いて当たりの強い民のために自分の嗜好品を売って今では探索者までしている二人の行いに関しては努も思うところはあった。


 そして努は外に向かう準備と買い物用のマジックバッグを持ち、ガルムと帰ってきたリーレイアにスミスの事情を話して協力を願って外に出た。その際にもはや仕事のような内容を頼まれたリーレイアは微妙な顔をしていたが、好きなワインを買ってくれるということで手を打った。



「私はあまりこの近辺には来たことがないな。リーレイアは地形を把握しているか?」

「えぇ。迷宮都市に来たばかりの時は護衛依頼も請け負っていましたから」

「それは頼もしい限りだ」



 完全装備しているガルムとリーレイアは富裕層向けの店が多い街中を歩きながら、結構な頻度で見かける警備団の見回りに目や手でのサインで挨拶をしている。そんな二人の間にいる努は行き交う人々の高品質そうな服装をぼけっと眺めながら、スオウに言われていた目的地へと向かう。



「あ、いた」



 もしそこにスミスがいなければワインを適当に買おうとでも思っていたが、彼は案の定その店の外にいた。特に騒ぎとまではなっていないが、外から店内のワインを眺めているスミスは貴族ということもあって注目はされていた。



「あれってバーベンベルク家の……」

「よくワインなんて買えるもんだな。探索者としても成功していないのに」

「恥ずかしいとは思わないのかしら?」



 スミスにギリギリ聞こえるくらいの声量で文句を言っているのは、金の装飾をこれ見よがしに身に着けたいかにも成金といった具合の夫婦とその取り巻きだった。そんな悪い注目もあってか努は一つ咳払いをすると、側近のような立ち振る舞いが出来るリーレイアを前にしてスミスの下へ向かった。



「何をしておられるのでしょうか。スミス殿」

「な、何だお前。何故ここに、しかも何だその口調は? 気持ちが悪いな」



 リーレイアに並んで畏まった言葉を投げかけてきた努に、スミスは動揺したような目を向ける。そんな彼をリーレイアは店へとやんわり誘導し、店内にいるドアマンとアイコンタクトを取って扉を開けさせた。



「僕の友人を悪く言っていたのは、ルートニア商会とクラウン工房。あとは幹部辺りの妻たちかな。ふーん、なるほどね。あとは誰かな……」



 スミスが店に入ったことを確認した努は文句を言っていた者たちが身に着けていた紋章で見当をつけ、当てつけのように喋りながら他の者たちも指差して言い当てようとした。


 突然指差されて当て擦りのように物を言われた夫婦は予想していなかった出来事に固まっていて、取り巻きの者は自分たちの護衛である屈強な男に頼るような目を向けた。だが護衛の男はすぐに首を振ると乾いた笑みを浮かべて努の方に歩み寄った。



「……ツトムさん、その辺にしてもらえやしねぇか? あんたの友人を悪く言ったことは悪かった。この通りだ」



 だがレベル四十前後の探索者でもある護衛の男は、当然努とガルムの顔と実力は把握している。一般的な探索者が相手ならば強気に出ることも出来るが、そもそものレベル差が圧倒的なガルムがいる前では仕事もこなせそうもない。


 自分たちの護衛隊長である男が頭を下げたことに成金の夫婦は更に表情を強張らせる。そんな護衛の男に努が何かを言おうとしたところで、ガルムがその首根っこを掴んで軽く持ち上げた。



「その謝罪を受け入れよう。こちらとしても大事にするつもりはない」

「あ、あぁ。それは助かる」

「お前らの顔は控えたからな」

「ツトム、もうやめておけ」



 努はIDでも記憶するようにその顔と特徴をメモに控えた後、完全に小物のような捨て台詞を吐くとガルムに引きずられる形で店の中へ入っていく。そんな二人を成金たちと護衛は嵐でも去った後のような顔で見送った。


 そしてその一部始終を見ていたドアマンから何処となく同情するような目を向けられつつも、努は衣服を正して落ち着いた様子で店を見回す。


 様々な銘柄のワイン瓶が木棚に並んでいるカウンターが特徴的なその店では、努の歳を平気で越えるような高級ワインがいくつも取り揃えられている。店内にいる客も大商店の幹部や有名な料理店のシェフなど、金回りの良い成功者たちばかりだ。そして外にいた小金持ちと違い努のことも良く知っているため、軽く挨拶をする程度の友好さを見せてくるだけだった。


 そんな者たちと挨拶を済ませてカウンターへ向かうと、既にリーレイアの手配でいくつかワインを選んでいる最中だったようだ。努もその中に入っていくとスミスは全く意味がわからないといった顔を向けてくる。



「彼女から説明は聞いたが、一体どういう風の吹き回しだ?」

「スオウさんにそそのかされただけですよ。だから気にせずワインを買い戻すといい」

「ツトム、私はこれでお願いします」

「……絶対値段だけ見て決めただろ」



 リーレイアが手を向けた数百万Gはするワインを見て努は顔をしかめつつも、マジックバッグから滅多に使わない金貨を何枚か取り出して彼女に渡した。その後もスミスがコレクションしていたワインの残っていた物を店主に聞いて全て買い戻し、後日屋敷へ送るように手配した。


 以前に自分が売り払ったワインたちがどんどんと戻ってくるという夢のような出来事。だがスミスの表情は晴れない。



「……俺に情けでもかけているつもりか?」

「へぇ、僕にそんな情があると思います?」

「ないな。だからこそ余計に意味がわからなかったが、今思いついた。俺に惨めな思いをさせるためだろう?」

「そのためだけに数千万も使わないわ。馬鹿にするのも大概にしろ」

「ではまさか本当に、妹にそそのかされたのか? 馬鹿な男だ。スオウはお前に気など一片もないというのに」

「お前な……」



 矢継ぎ早に酷い言葉を投げかけてくるスミスに努は呆れたような顔で頭を押さえた後、話を聞けと言わんばかりに障壁をこんこんと蹴った。



「別にお前がただワインを欲しがっているだけなら、僕も放っておいたよ。でもこのワインはスタンピードでの被害を補填するために仕方なく売ったんだろ? 僕もスタンピードについては助けられた部分もあるし、これは元々お前の物なんだから買い直すのは当たり前のことだろ」

「それをしてお前に何のメリットがある? ……もしかして俺に気に入られたいがためか!? 俺を買収出来るなどと思うとは不敬甚だしいぞ!」

「お前の見当違いは一体いつまで続くんだ……」



 努は長いため息をつくと、人々が行き交う店の外に目を向けた。



「今は前回の反動で起こっていないけど、これから先もスタンピードは起こる。その時にはまた障壁魔法の力が必要になるし、迷宮都市に住んでいる人たちの協力も不可欠だ。そのためにもバーベンベルク家にはある程度持ち直してもらわないと困るんだよ。ワインを買ったのはその一環だ。それに僕は、そういう話が嫌なんだよ」

「……そういう話?」

「あー、あれだよ。夫が自分の趣味で集めていたものを家計的な事情で売らなきゃいけなくなった話とか?」



 自分の大切な物を他人に捨てられるといった話は努もネットで見かけたことはあるが、そういったものは想像するだけでも嫌だった。そんな話を努はこの世界風に例えて話した。


 そんな話を聞いたスミスは少し考えるように固まると、ゆっくりと努の目を改めて見つめた。



「……それは、結局のところ俺に同情しているのではないか?」

「…………」



 スミスの言葉に努も考えるように腕を組んだ後、そーっと目を逸らした。そんな努の様子を見て彼は呆れ返ったように金髪を掻き上げると、そのまま下を向いて首を振った。



「馬鹿者が」



 だがそんな彼の表情は悪くないものになっていた。

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