第342話 家族との相対

 大型犬と同程度の体格をしたフェンリルの子供が突然現れてPTメンバーが騒然としている中、リーレイアのフード部分に入っていたサラマンダーは迷惑そうに目を細めながらのそのそと出てきた。そして少し泥で汚れている白いフェンリルの子供と目が合う。


 サラマンダーは挨拶でもするように頭を上下に振る。するとフェンリルの子供はそれに釣られるように目を動かしながら、後ろのふさふさとした尻尾をパタパタとした。そんな尻尾が足に当たっているリーレイアは何とも言えない顔をしながらも、そっと下から抜け出して立ち上がる。



『ワウッ!』



 するとフェンリルの子供はぴょんぴょんと飛び上がって彼女に前足を当てる。リーレイアの肩上にいるサラマンダー、それと彼女自身にも遊んでほしそうにその目は輝いていた。


 そのあまりにも純粋な目に見つめられたリーレイアは自然と手を伸ばし、落ち着かせるように頭を撫でた。するとその子供は気を許したような顔でハッハッと舌を出して息を整え始めた。



「あれってフェンリルの子供……ですよね? 親と離れているところ、初めて見ましたけど」

「かわいい」

「近づいても大丈夫っすかね……?」



 九十二階層は何度か攻略したことがあるが、フェンリル親子は基本セットだ。それでも一応単体の親は見たことがあるが、子供が単体でいることを見たことは一度もなかった。



「……これは、大丈夫なのでしょうか?」

「うーん? でもいいんじゃないですか? 喜んではいるみたいですし」



 リーレイアの近くにいたコリナに対してもフェンリルの子供はそこまで警戒することはなく、喉元を撫でられて気持ちよさそうに目を閉じている。そんな二人を見てダリルとハンナもおずおずといった様子で近づいていき、フェンリルの子供と触れ合った。



「何か犬っぽいっすけど、しっかりとしたモンスターですね」

「一家に一匹いたらスタンピードも怖くなさそうっすね!」



 よく見れば白毛に付着していた泥は段々と霜を帯びていき、乾燥してパラパラと落ちていく。フェンリルは氷竜よりも強力な氷魔法を行使でき、その子供も例外ではない。更に触れるとわかるそのしっかりとした筋肉や鋭い牙などを見るに、モンスターの中でも強い存在だということはわかる。



『キュウゥゥ……』

「何故……」

「その目と雰囲気ですよ、絶対。直したらどうですか」



 しかしディニエルが近づくと怯えたような鳴き声を上げて狼耳を伏せてしまったので、初めてフェンリルの子供と単体で接触したことも考えて彼女は触れるどころか近づけもしなかった。そんな残酷すぎる現実を前にディニエルは絞り出すように呟き、ダリルは彼女のカッと見開いた目と狩人のような雰囲気を感じてそう忠告した。


 ディニエルから隠れるようにリーレイアの背後にいるフェンリルの子供、性別で言うとめすである彼女は命令を待つ忠犬のような佇まいでおすわりしている。そんな彼女を褒めるように顔の横を撫でつけたリーレイアは、前から感じる小姑のような視線に返す。



「そんな目で見つめられても困りますよ」

「…………」

「こんなことは初めてなのですから安全策を取るのが無難でしょう。ダリルで我慢してはどうでしょうか」

「えっ!?」

「半分冗談ですが、出来れば協力して頂けると助かります。このままではディニエルがダンジョン探索に支障をきたすかもしれないので」

「絶対嫌ですよ! それに誰でも関係ないと思うのでハンナさんでもいいと思います!」

「変に巻き込まないでほしいっす。あたしはいざとなったら逃げるっすよ」



 ハンナが遠い目をしながら突っ込みを入れて自分は逃げられると主張するように青翼を動かし、コリナはリーレイアの傍にいるフェンリルの子供から出ている冷気を物珍し気に観察している。そしてディニエルは拗ね顔で索敵のための矢を上空に放ち、ダリルは半分迷ったような顔で彼女を見ていた。


 だがそんな弛緩した空気をぶち壊すかのように、凛々しい遠吠えが辺りに響き渡った。一瞬で背筋が凍ったような顔をしたハンナは、錆び付いたようにぎぎぎと首を動かす。



「……これ、フェンリルっすよね?」

「多分、そうですね」

「……恐らく子供の怯える声が聞こえたのでしょう。戦闘になる可能性があるので準備を。今までと違い弱っていないので警戒を。ですが初めに様子は見ましょうか」

「ん」

「迅速の願い、守護の願い。祈りの言葉」



 そんなリーレイアの指示を聞いてコリナは素早く支援スキルの重ねがけを行い、ダリルは気合いを入れるように大盾を握り締める。そして北西の方角の森が浸食されていくように凍り付いていき、白の地面を滑るようにして白狼であるフェンリルが姿を現した。その目は完全に我が子を狙う敵を見るようなもので、その圧倒的な殺意を前にコリナはごくりと生唾を飲む。



「こちらに危害を加える意思はありません」



 そうリーレイアが口にしたがフェンリルの凶悪な表情が緩まることはない。五人PTとフェンリルの間で緊迫とした空気が張り詰め、その尋常ではないプレッシャーを前にリーレイアやハンナ、コリナは冷気も合わさって手先などが震えている。



『ワウッ!』



 だがそんな殺意すら混じる空気の中で、フェンリルの子は楽しそうに鳴きながらリーレイアの周りをぐるぐると走っていた。そしてリーレイアの腰に付けているマジックバッグを甘噛みして引っ張っている光景を見てフェンリルの目は丸くなったが、それでも警戒心を解いてはいない。



『ビャー』



 すると訳知り顔をしたサラマンダーも毒気が抜かれるような間の抜けた鳴き声を上げた。そんなサラマンダーにフェンリルは勘繰るような視線を向けて顎を上向かせ、下らないとでも言いたげに鼻を鳴らす。



『ビッ、ビビビャ!』



 その舐め切った態度にサラマンダーは怒っているようだが、それでお互いの空気は大分弛緩した。そしてリーレイアは自然と構えていたレイピアを下ろすと、敵意はないことを示すように両手を上げながらフェンリルへと近づく。そんな彼女のマジックバッグに喰らいついている子供も軽く引きずられながら付いてくる。



「貴方のお子さんはこちらで一旦保護する形となりましたが、先ほども申した通り敵意はありません」



 リーレイアの言葉にフェンリルは少しだけ理解を示したような顔をした後、子供の首元をぱくりと優しく咥えて持ち上げる。そしてもう離れるんじゃないぞと言いたげに唸った後、凍った地面を滑るようにして去っていった。



「……取り敢えず、無事には終わりましたね」

「ですが成果はそこまでといったところですね。ただフェンリルの親子、特に子供とこういった関係になったことは初めてですから、何か変化があるかもしれません。もう少し探索を進めたらランページエレファントに接触してみましょうか」



 そんな相談をダリルとリーレイアはする中、ディニエルはがっくりと肩を落とした後にモンスターが少ない方向を指差す。



『ワウッ!』

「…………」



 だがそれから十分後にはまたふりふりと尻尾を振ったフェンリルの子供と、何やら気まずそうな顔をした親が現れた。



 ▽▽



 どうやらフェンリルの子供は初めにぶつかったリーレイアに好意を抱いたらしく、母親に彼女らの傍につくよう我儘を捏ねたらしい。そのような雰囲気を首を振るサラマンダーから感じ取ったリーレイアはそのことをPTに話した後、またとない機会ということでフェンリル親子と共に九十二階層を探索することになった。



「子供をこちらでかくまえるというのはかなり大きいですね」

「あんまり乱暴に動くとめちゃくちゃ睨まれるっすけど、死んじゃうよりはマシっすから! だからそんな睨まないでほしいっす!」

『…………』



 努と何度か素材集めのために九十二階層を探索した際にも、ディニエルやハンナはフェンリルの子供を助けようとしたことはあった。だが子供に対して近づくだけでもフェンリルから警告するように唸られ、それでも尚近づくと敵認定されてしまう。そのため子供をこちらでどうこうすることは出来なかったのだが、今までにないイベントが起きた今日に限ってはディニエル以外なら触れても問題なかった。


 それに九十二階層の裏ボスにも位置しているフェンリル親子の戦力は相当なもので、これまでの中で一番探索が捗っていた。ピラミッドの頂点に君臨しているフェンリルは火竜すら雑魚のように狩り、子供も丁度中間くらいの強さは持っているのでそこまで過度に守る必要もない。


 今では段々と戦闘の連携も取れるようになってきていて、コリナの支援回復についても既に受け入れていた。そして動き回るハンナに対しても氷魔法を当てないよう範囲攻撃を控える姿も見られている。


 ただモンスターの素材についてはフェンリルたちが食べてしまうためその余り物となってしまうが、魔石に関してはそこまで興味を示さないので利益も確保できた。そんな調子でコリナたちPTは順調に九十二階層を進んでいたのだが、午後の時間になってから一つ問題に直面していた。



「これ、一回帰っちゃったらこの関係もリセットですかね……?」

「そうでしょうね」

「こんなに仲良くなったのに、何か残念ですね。それにまたあんな都合よくこの子と会えるでしょうか?」



 膝に顎を預けてすっかり懐いた様子なフェンリルの子供の頭を撫でているコリナに、リーレイアは微妙な表情で考え込む。するとその横からダリルがひょっこりと顔を出した。



「一応ある程度の場所は記録していますけど、また同じことが起こるかは検証しないとわからないですね。でも一度出来たことですから、出来ると信じて一度帰還した方がいいと思いますよ。ダンジョンに残るとしても準備が心許ないですから」

「えぇ。こちらとしてもギルドで身支度も済ませたいところですしね」

「そうっすねー。まぁ最悪続行でもいいっすけど、ずっとは嫌っす」



 無限の輪は現状午前中に神のダンジョンへ潜り、午後過ぎには一度ギルドへ帰ることがほとんどだ。資金や時間に余裕がない場合は携帯食などを持ってそのままダンジョンへと潜ることもあるが、それでも生理現象は避けられない。


 神の眼自体は操作出来るので神台に映る心配はないためその辺で済ますことも出来るが、あまり望ましくはない。それに何の理由もなく神台を占有することは観衆からも嫌われるため、一度ダンジョンを出て番台を開けることも探索者界隈では常識となっている。


 ただダンジョン内でそのまま探索を続けることは効率が良い場合もあるため、アルドレットクロウなどの効率を重視するPTは強行軍に出ることがある。とはいえ最近はギルドの設備が強化されて快適になり、観衆からの無粋な推測を避けるためも帰ることが大半となってきている。


 そして元々アルドレットクロウに在籍していたハンナはそんな経験もしているため、嫌そうな顔はしていたが出来ると返事はしていた。そんな彼女からダリルは気まずそうに目を逸らしながらも、自身のお腹に手を当てた。



「僕は結構お腹が空いているので帰りたいです」

「……それじゃあ、一度帰りましょうか」



 そんなダリルの言葉に乗ったコリナがそう言うと、他の三人も頷いた。そしてフェンリル親子と共闘しながら帰還の黒門へと辿り着くと、彼女たちはモンスターということもあって途中から近づいてはこなくなった。


 おすわりの体勢で遠巻きにこちらを見てきているフェンリル親子。そんな彼女らに手を振ってさようならをした五人は黒門を潜ってギルドへと帰還した。

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