第338話 人柱の計算違い
「オーリ~、時間あったらマッサージして~」
「夕食の後でよろしければ」
「おねがーい」
クランハウスへと帰った途端にエイミーは疲れた声でオーリに頼み、力尽きたように白い猫耳をぺたんと下げた。無限の輪の中でも一、二を争う体力を持つガルムも今日は目が回っているような足取りで何とか椅子に座って休み、アーミラは既に床へ身を投げ出している。
「もうなんもかんがえたくねぇ」
「いくら毎日掃除してくれているといっても、床は不味いでしょ。ほら立って」
「な、何事っすか?」
「あ、おかえり」
そんな惨状を見つけて困惑している様子のハンナに、努はケロッとした様子で挨拶をした。エイミーたちは努に九十一階層での立ち回りを解説されながら一日中ダンジョンに潜っていたため、精神的に大分疲れていてもう頭が働いていない様子だ。特に努と同じPTだということで内心張り切って頑張ってしまったガルムは、もはや頭がショートしたように項垂れている。
その中で『ライブダンジョン!』のことになると異常な精神耐性を持っている努だけは疲れた様子はなく、知恵熱を出してぐったりしているアーミラをソファーに寝かせていた。そして帰る途中に一人だけ神台も見ていたのでコリナたちが九十二階層へ辿り着いていることも知っていた。
「そっちはもう九十一階層越えたんでしょ? 凄いね」
「ふふん、これもコリナのおかげっす。正直に言うとあたしは師匠よりもやりやすかったすよ!」
「そうですね。コリナはもう祈祷師の中でも飛び抜けていますし、何といいますか、ツトムと違って人間味のある支援回復をしてくれますから」
「ツトム、ドンマイ」
「……まぁコリナもヒーラーとして一人前になってきたからね。そういうこともあると思うよ。うん」
からかうようなハンナとリーレイアの言葉とディニエルの慰めるような一言に、努は一瞬ムッとしたような表情をしたがすぐにそれを隠すように言葉をまくし立てた。
「ツトムさん、気にすることないですよ!」
「何だ? その遠回しに物を言ってくるような顔は」
「ちょっ!? 尻尾は止めて下さい!」
だがまぁまぁと気を遣うような顔で近づいてきたダリルのご機嫌な尻尾には我慢出来なかったのか、怒りを発散するように掴もうとして避けられていた。それにそもそも前のPTメンバーたちがそう思うように仕向けたのは他の誰でもない自分なので、いくらヒーラーのこととはいえそこまで感情を表に出すことはなかった。
九十階層を突破してから九十九階層までの間、努はPTにコリナが入った時に彼女が上手く感じるように下手な立ち回りを演じてきた。そうすることでコリナが百階層の攻略に相応しいヒーラーだとクランメンバーに認めさせ、人柱にするために。
ただそのためにはコリナにも頑張ってもらう必要がある。いくら努が活躍できる場所を用意したところで、コリナが駄目なら成り立たない。しかし彼女の死期を悟る目や精神力は初めから見込んでいて、尚且つ一流の祈祷師になれるよう指導もしてきた。そのためコリナが九十階層を自力で突破し、その時のPTメンバーから認められることは想定済みだ。
そうなってしまえば後は初見の階層に苦労しながらも、絶妙に下手な立ち回りをしてきた自分と比較させるだけだ。ヒーラーが上手いかどうかの判断は他人との比較で決まることがほとんどだ。特に同じ階層をヒーラーだけ入れ替えて潜れば、その差は残酷なほどにわかる。
努は九十一階層から九十九階層までを攻略する間、立ち回りを試すことを建前にして二流祈祷師のような動きを気づかれないよう徐々に再現していた。階層を更新出来るレベルでクランメンバーからも文句は出ない範囲を維持し、迷宮マニアからも指摘されないよう神の眼に映るタイミングさえ考えて行ってきた。
そんな後に本人の実力も付いてきたコリナが入れば、その差は明確に現れる。そうなれば他人の評価を上げることなど容易いことだ。現に新聞記事に寄稿している迷宮マニアですらコリナの実力を過大評価している。
(これ、意外と腹立つもんだな)
結果に関しては大方計算通りだった。だが一つ誤算があるとすれば、自分の感情だ。自分が下手なヒーラー扱いをされることは本当に久しぶりだったため、努は思いのほかムカついていた。それにクランメンバーからの評価ということもその一因だっただろう。
「……あっ、お風呂入ってきますね」
(でもコリナは少し気付いてはいるみたいだな。それ自体はあまりよくないんだけど、でもよかったわ。コリナにまで何か言われてたら我慢出来なかったかもしれないし)
そんな中で一人だけ不安そうにこちらを見ているコリナ。こちらの意図には気づいていないだろうし、そもそも仕込みの確証も得ていないため何も言ってはこない。だがその目は何かを物語っていた。
(まぁ、仕込みは成功だな。ハンナとかダリルには思いのほかイライラしちゃったけど、結果はちゃんと出てる。この調子でどんどん階層更新してくれればコリナの株は上げられるし、一軍を仕切る能力も認められる)
九十九階層まで自分は死なずに辿り着けた。後は自分が唯一殺された経験のある百階層のみなので、そこに対しては完璧な準備を整えて挑みたい。そのためにはどんな手でも使うと決めている努は、コリナの視線に気付かないフリをしてお風呂へ入りに二階へと上がっていった。
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