第322話 神との対面

 今日努が九十一階層に来たのはスライム対策をアタッカーとタンクに復習させるため、そして大分様子のおかしいステファニーと腰を据えて話し合うためだ。


 ステファニーはいつからかは知らないが、何故かおかしくなっていた。そして情報屋に少なくないGを支払って調べさせたが、彼女はどうやら自分にこだわっているということだけはわかった。


 そうなった原因は情報屋にもわからないようだが、そのこだわりが度を過ぎているのは確かだ。今では一軍PTですらステファニーの気を遣って努に関することは口に出さず、最近ではあのソーヴァがうっかり話題に出したところ詰められてタジタジになっていたという。


 他にもステファニーの部屋には壁や天井までびっしりと努の記事や写真が張り付けられているだとか、ツトムツトムと呪文のように呟きながらモンスターをエアブレイズで切り刻んでいただとか、完全に病んでいる行動ばかりしているという情報を聞いて努は結構引いていた。


 そんな情報ばかり出てくるステファニーには正直近づきたくなかったが、彼女は元自分の弟子であるし今のダンジョン情勢からしてここで話しておくべきと判断して今日ここに来た。とはいえステファニーの髪を振り乱している様子を見て、早くも引き返したい気持ちに襲われてはいたが。



「危ない気配があったら守ってくれ」

「了解です!」



 努は張り切っているダリルの大きな肩に手を置いた後、アルドレットクロウPTの前に降り立つ。まさか努がこの階層に来るとは思っていなかったのか、ルークとビットマンは不味いといった表情。ドルシアは何故か地面に片膝をついてかしずいていた。



「どうも」

「……あぁ」



 何かあったら止めてくれよと言わんばかりにソーヴァへ目配せをしながら挨拶すると、彼は神妙に頷きながら返事を返した。そしてステファニーに目を向けると、彼女は特徴的なピンクの縦ロールを両手でぐしゃりと握り潰して信じられないといった顔をしていた。



「あああぁぁぁぁ!? ツトム様ぁぁぁ!?」

「……ルークさん。ステファニーと一度話し合いをしたいのですが、お時間頂いてもよろしいですか?」

「あ、う、うん。構わないけど……」



 ルークはステファニーの荒ぶっている様子、そしてそれを前にしても怖気づいていない努に驚きながらそう言った。すると歓喜で今にも爆発しそうな様子のステファニーを、努は微妙な顔をしながら見つめた。



「取り敢えず、九十階層の突破おめでとう」

「あ……あぁ……」

「……もしもーし、聞こえてますかー」



 ギルドでの一件でステファニーが常軌を逸していることはわかっているので、努は敢えておどけた様子で手を振った。しかしそれから数分はステファニーが興奮しすぎて腰砕けになってしまったので、その間はドルシアに介護されていた。その様子をソーヴァは深刻そうな顔で見ながら努へ声をかけたそうにしていたが、ステファニーを気にして行動出来ないようだ。



「ハンナとリーレイアはモンスターが来たら引き付けよろしく」

「おーっす」

「わかっています」

「ダリルとディニエルは僕の傍についといてね」



 念のためダリルとディニエルを護衛に付けている努は、神の眼もこちらへ引き寄せて全体が映る場所に留めさせた。その様子を見てルークはちょっぴり焦った様子で近づいてくる。



「ツ、ツトム君? 神の眼を寄せる必要はあるのかな?」

「ステファニーはソーヴァですら退かせたって噂を聞いていますから、念のためですよ」



 今のステファニーは正直なところ、何を仕出かすかわからない爆弾のようなものだ。そのため自分が万が一彼女の地雷を踏んだ時には、病んでいる様子からして凶行に走ることも考えられる。


 だがもしステファニーが神台に映る前で凶行に走れば、今ですら不安定なアルドレットクロウのクラン情勢を引っ掻き回せる材料となる。アルドレットクロウの強さはその充実した設備と後方人材によるところも大きいため、クラン自体を崩壊させてしまえば無限の輪の後追いすらさせずに潰すことも出来るだろう。



「こちらも自衛はしますけど、問題になりたくなかったらそっちも頑張って止めて下さいね」



 とはいえそうならないようルークも死ぬ気で止めるだろうし、別にクランを崩壊させたいとも思っていない。なので彼に小さな声で告げた後に落ち着いてきた様子のステファニーへと近づいた。すると彼女は再び驚いたように身体をビクつかせたが、またしゃがみ込んでしまうことはなかった。



「少しは落ち着いたかな?」

「え、えぇ……。しかしツトム様は何故ここに……?」

「この前のギルドで会った時、ステファニーの様子がおかしいことはわかったからさ。今日はちょっと様子を見に来たんだよ」

「あ、あぁっ……!! あの時は、本当に申し訳ございませんでしたっ!!」



 ギルドで脇目も降らずに叫び散らして指を噛み千切ったことは記憶に新しいのか、ステファニーはがばりと頭を下げた。神台で努に褒められてからある程度正気を取り戻してからは、彼女もあの時のことは不味かったと感じていた。その勢いのまま膝をついて土下座までしようとした彼女を努は慌てて止める。



「そ、そこまでして謝らなくてもいいよ。あれには流石に驚いたけど、気にしてないから」

「ほ、本当でございますかっ!? わたくしのこと、お嫌いになってはいませんか!?」

「そこまで気にすることじゃない。僕が気にしているのはむしろ、ステファニーがあんな行動をするまでになった原因のことだよ。……多分六十五階層以降からなりふり構わずダンジョンに潜るようになったと思うんだけど、その時に何かあったの?」



 自分の記憶ではボルセイヤー戦のステファニーは前と変わっていなかったし、情報屋もその後から憑りつかれたようにダンジョンへ潜り始めたと言っていた。そして見た目を整えることや温かい食事、休憩すらすることを止めたのもこの時らしいので、六十五階層以降で何かあったのではと推測していた。


 そんな推測を元に探るような口調で尋ねると、ステファニーはその言葉を待っていましたと言わんばかりに目を輝かせた。



「やはりツトム様は、私のことを見守って下さっていたのですね!! 確かに私が捨て始めたのもその時期でした!! あっ、これです! ツトム様から授かったこれを実践するために、私は捨てたのです! とにかくこれを出来るようにするために!! 削って削って、あぁ、やはりツトム様は見ていてくれたのですね!!」



 ステファニーは嬉しそうに口を動かしながらマジックバッグから紙の束を手渡してきた。随分と使い古されて手垢でも付いていそうなその紙束を見てみると、そこには努が一年前に書いたヒーラー指南書と同じ文や図が彼女の字で書き記されていた。



「……この立ち回りを習得するために、他のことを捨てた?」

「えぇ、えぇ。ツトム様の期待に応えるために。辛い時もツトム様は見て下さいましたから、私は頑張れました。ね? ねっ? ツトム様は見て下さいましたよね? 朝と夜のご挨拶も毎日欠かさずして下さいましたし、いつも私だけを見て下さいましたよね? だから私は他の全てを捨て去って、ツトム様に少しでも近づくために努力してきました」

「…………」



 確かにステファニーには期待もしていたし、弟子の期間を終えた後でも見てきてはいた。だが毎日朝夜に挨拶などしていないし、いつも欠かさず見ていたというわけではない。しかしステファニーは心の底からそう思い込んでいるようで、その顔に噓偽りはない。


 ただその全てをそぎ落とした後に残ったような目は、あまり直視したくなかった。神台越しでステファニーを見ることは度々あったが、こんな瞳孔が開いたような目をしていただろうか。



「……ですけれど、ツトム様はお変わりになられました。他の者たちへ目を向けるようになられた。それも、私より実力も努力も足りていない者たちばかりを。それが私には理解出来ませんでした。何故私だけを見てくれないのかと。実力があるのなら理解出来ます。努力しているのなら理解出来ます。ですが、あんな者たちを評価しているのが当時の愚かな私には到底理解出来ませんでした」

「……今はどう思ってるの?」

「今の結果を見ればツトム様が他の者たちを見られた理由も理解は出来ます。ユニスはお団子レイズを、ロレーナは走るヒーラーとして名を上げました。コリナという祈祷師もヒーラーといえる働きをするまでになりました。……ですが、それでもツトム様の育てた弟子の中で一番は私だと自負しています。彼女らは温い。そうは思いませんか?」



 壊れた人形のように首を傾けたステファニーに、努はホラー映画でも見ているような顔のまま固まっている。事実彼女の目に見える迫力に押されていた。その余りにも強く、努から見れば重すぎる彼女の感情に。



「少なくともロレーナとユニスはツトム様が見るに値しない。あの兎はただ自分が楽しければいいだけですし、女狐は狼に盛る余裕すらある。私は必要の無いものを全て捨て、神のダンジョンとツトム様が下さったものだけに心血を注いできました。そして事実として、私は弟子の中で一番に九十階層を突破致しましたわ。当然のことです。私は研ぎ澄ましてきました。ツトム様、貴方に見てもらうために」

「ち、ちょっと」



 段々と距離が縮んできたことに努は警戒の声を上げるが、ステファニーは構わず話を続ける。



「私が一番です。私が一番なのです。ツトム様? 確かにあの日、神台でツトム様は私を褒めて下さいました。あの言葉は身に沁みましたわ。……ですがロレーナと同列に扱われることは、絶対におかしいと思います。私が、わたくしが一番なのですっ! なのに貴方は前から他の人ばかり褒めて、何故、何故私だけを見てくれませんの? おかしい、おかしいおかしい、おかしいですわっ。ツトム様はそんなことをしないのに、おかしいですわ。ツトム様? 本当にツトム様ですよね? 私のことをずっと見守って下さったツトム様? 九十階層で奇跡を体現なされたツトム様?」



 そこに努がいることを確かめるようにステファニーは手を伸ばす。その様子を見てダリルが動こうとしたが、それをディニエルは止めた。



「ディニエルさん!?」

「今のところ害意はない。それに男のツトムの方が力は上。私たちはステファニーが武器を持つか、スキルを発動しようとした時に動けばいい」



 探索者歴とステータスはステファニーの方が上であるが、それでも男性でありガルムからある程度鍛えられている努が力負けするとも思えない。そのためディニエルは凶器やスキル発動にだけ注視するに務めていた。



(いや、助けろよ!!)



 ただ努としてはたまったものでなかった。そもそもステファニーの言っていることは要領が掴めず、その様子や表情はもはや狂気に満ちている。爆発するかもしれない爆弾などと軽く認識していたが、彼女は想像を遥かに超えてイカれていると対面して感じた。



(何を言えばいいんだ? 肯定も否定もしたら終わりだろこんなの! どっちに転んでも嫌な未来しか見えないわ!)



 もう以前のステファニーとは完全に別人となっていることを改めて思い知ったと同時に、彼女のことは理解出来そうもないし話し合いも出来そうにない。もしステファニーの地雷を踏んだ瞬間、今度は自分の指を食い千切る以上のことをすることは間違いないからだ。それを想像するだけで努は迂闊な発言が出来ず、今も地雷原の中心にいるように動くことが出来なかった。


 そして完全に固まっている努の頬に、ステファニーの手が届く。すると彼女はまるで宝物にでも触れたように絶叫して、愛おしそうに顔を撫で回した。 



「触れてる! あのツトム様に触れてる! ああぁぁぁぁぁ!? ツトム様ツトム様ツトム様ぁあぁぁあぁあ!?」

「ひっ」



 まるでスケルトンにでも触れられたかのように努は悲鳴を上げ、ステファニーの手から逃れるために後退る。


 すると歓喜に満ち溢れていたステファニーの表情はみるみるうちに抜け落ち、最後には真顔になって虚空を掴む手を下ろした。そして桃色の髪をくしゃりと掴む。



「……どうして、ですの。ツトム様は、なんで、いつもはそんな顔をなさらないのに! 他の者にそんな顔はしないのにぃぃぃ!! 何故私にだけそんな顔をするのですかぁぁ!? どうしてわかってくれないんですの!? 私はただツトム様に見てもらいたいだけなのに!!」



 目の前の事実を否定するようにステファニーは髪を振り乱し、決壊したように目から涙が溢れ出る。それによって目元の化粧が落ちてえげつない隈が露わとなり、下唇を噛んでいる口からは血が流れ出す。その様子はもはや見るに堪えない。努が更に後退ると、彼女は発狂したように叫んだ。



「私はただ! ツトム様と共にありたいだけです! そのために私は全てを捧げてきました! それなのに! それなのにこんな仕打ちはないでしょう!? こんなにも私は尽くしているのに! 私はツトム様だけいればいいんですの! そのために私は捨てて捨てて!」

「…………」

「ツトム様とだけと話して、ツトム様だけとダンジョンについて語れればいい! 貴方以外誰もいりませんわ! それだけを望んでいるだけなのに! ツトム様と一緒に高め合いだけですの! そうすれば私はもっとヒーラーが上手くなりますから! これに記されたことを全てこなせる日が必ず来ます!! ツトム様とだけ……ツトム様も私だけを見て頂けるだけでいいのです!! 私はツトム様の仰ることを実現出来ますし、何でも言うことを聞きますわ! そうすれば他の者たちが私に追いつくことなど不可能なのですから、だから私だけを見て下さればいいのです!! 私にはツトム様以外必要ありませんし、今までもそうしてきました!!」

「……ん?」



 今まで努は完全にドン引いた目でステファニーを見ることしかしていなかった。しかしヒーラーという言葉を聞いて眉が持ち上がり、彼女が息を乱しながら口を止めたところで首を傾げた。



「まぁ、確かに上手いヒーラーが小人数で意見交換をした方が立ち回り研究の進みは早いこともある。だから僕とステファニーだけでヒーラーの立ち回りを考えるっていうのは、別に変な話でもないか……」

「え……?」



 先ほどの得体の知れない生物でも見るような目から一転して、努は以前の弟子時代を思い出させるようなものとなった。そんな突然の切り替えとその言葉に、ステファニーは困惑したような声を上げる。



「ただ、ステファニーはその前にロレーナやユニスと意見交換した方がいいと思うよ」

「は……?」



 その瞬間、ステファニーの顔から表情が再び抜け落ちた。先ほど後退った時以上の地雷を努が踏み抜き、一気に険悪な空気が漏れ出し始める。その空気を感じ取ってディニエルやソーヴァは動き出そうとしたが、意外にも努が手を挙げてそれを制した。



「いやいや。なに心外だ、みたいな顔してるの?」



 確かに努はステファニーの地雷を踏み抜いた。しかしステファニーもまた、先ほどの発言で努のスイッチを入れてしまっていた。およそ七年狂ったようにやってきた『ライブダンジョン!』の、それもメインアカウントだったヒーラーについての話題。ことヒーラーにおいて努はおいそれと引かない。


 そのため髪は乱れ病的なまでの隈が不気味なステファニーに対して、努は一歩前へ出た。

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