第323話 譲れないもの

 努から一歩前へ踏み込まれたことにステファニーは少し動揺を見せたが、それでもロレーナやユニスと同列視されたことに腹を立てているのかすぐに真顔へと戻る。そしてソーヴァがタジタジになった凶悪な上目遣いすら向けたが、努は先ほどと違いそれすらも意に介していなかった。



「あの神のダンジョンを遊び場としか思っていない野兎。あれはまだ理解出来ます。ですが、あの一桁台にすら映ることも出来ない不出来な女狐風情と何を意見交換しろと?」

「ユニスは確かに到達階層で言えば下回っているだろうけど、意見自体はそこまで的の外れたことを言うとは思えない。お団子レイズも開発したくらいだしね」

「……またツトム様は、あの女狐を褒めるのですね」

「褒めるというよりは、尊敬だよ。ユニスは僕じゃ思いつかなかった技術を構想して形にした。あのクソ生意気な人間性は気に食わないけど、開発能力だけは尊敬に値するよ」



 目を血走らせて今すぐ凶行に走っても不思議ではないステファニーも気にせず、努は興奮したように言葉を続ける。



「ロレーナの走るヒーラーも面白い。あれは今のところロレーナの専売特許だけど、他の飛ばすヒールが苦手な人たちも練習しているからいずれ第二、三の走るヒーラーは生まれる。そうなったら走るヒーラーの立ち回り研究が進んでロレーナはより強くなるだろうね。コリナなんて、人の死期が見えると来たもんだ。それでいて野良PTでボロクソにされてもヒーラーを続けられた精神力もある。伸びしろしか感じないね! 他にも目につくヒーラーなんていくらでもいるよ。キサラギ、ノルト、ミルウェー……。どんどん新しい、最前線でも通用するヒーラーが目立ち始めてる。こんなに素晴らしいことってないよ! これからもヒーラーの立ち回りはどんどん進化していくんだ!!」



 終わりを迎えた『ライブダンジョン!』の中で一人足掻き続けていたからこそ、それに似たこの世界のヒーラーが発展していく様はまさに夢のようだった。人が増えるほど新しい発想も増え、その数に応じて発展していく。


 一人で細々とヒーラーの立ち回りを研究し、新たな戦法や技術を生み出しても反応すら返ってこなかった末期の『ライブダンジョン!』と比べるとここはまるで天国だ。神台を見ているだけでも面白く、多くの者がダンジョンへ潜っていることが楽しい。そして努はどのヒーラーからも立ち回りを学び、この世界に合わせた白魔導士を構築してきた。



「確かにステファニーと僕だけで意見交換をしたら、ある程度は立ち回り考察が進むとは思う。でも二人だけじゃ、いずれ発想は行き詰って停滞する。もしそうなったらステファニーはどうするの? ただ僕の後追いをしているようじゃ、下位互換で終わるだけだよ。今のステファニーからは僕を越すような気概も感じないしね」

「あ……」



 努には『ライブダンジョン!』最盛期の頃に数万人のヒーラーが考えて作られた知識の結晶である攻略Wikiに触れ、実際にボイスチャットで議論を交わして知識を溜め込んだ。それから数十万回以上はその知識を実際に活かしながらヒーラーをしてきた経験がある。


 ヒーラーに対する思いは誰よりも強く、三日三晩寝ずにダンジョンへ潜れるようなモチベーションもある。そしてステファニーと同様に、努は『ライブダンジョン!』以外のことを全て捨ててきた過去もあった。


 ステファニーの狂気すら身に宿した努力量も確かに凄いが、それだけでは数十万人がプレイしていた『ライブダンジョン!』のトップ層に居続け、尚且つ狂ったようなプレイ時間を七年間も維持し続けた努には勝てない。



「うぅ……」



 その裏付けられた自信と現在トップのヒーラーとして認識されている努の言葉は、誰が聞かされても反論することは難しい。それにステファニーには、努から滲み出る全てを捨ててきた狂気を感じ取ることも出来た。その気持ち悪さすら感じる迫力にステファニーは押し潰され、口に手を当てながらしゃがみ込んだ。


 今まで見えていなかった努の狂気にも似た『ライブダンジョン!』への思い。そして狂信していた努に直接否定されたことによって、ステファニーは息が出来なくなるほど追い詰められていた。



「ふぅ……! ふぐぅぅぅぅ……!!」



 纏まらない思考の中で過呼吸が続き、次第に押さえている口から瀕死の猛獣のような声が漏れだす。目は飛び出そうなほど見開かれ、指の間からは鼻水と血が混じって垂れ始める。


 そんなステファニーの様子に周囲の者たちが警戒を強める中で、努はしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んだ。



「だけど、ステファニーは僕の下位互換で終わることはないよ」



 あと一歩のところで階層主に勝てなかった時や、致命的なミスをして発狂している時のような顔をしているステファニーを見て、努はマジックバッグからタオルを取り出した。そしてそっと顔に当てて流れ出ている血を拭きながらヒールを唱えて傷を癒した。


 その回復行為と優しく囁かれた言葉でステファニーは息を吹き返したような顔をしたまま、笑顔でそう言いのけた努をただただ見つめた。



「……な、なん、で?」

「だってステファニーは、大嫌いなユニスが開発したお団子レイズも取り入れたでしょ? それは本当に僕だけを見て後追いをしていたのなら、絶対に出来なかったことだよ」



 ステファニーが本当に自分だけを見ていたのだとしたら、周りのことなど気にせずにただあの指南書通りにヒーラーを行っていただろう。なのでユニス発案のお団子レイズを習得することはあり得ない。だが彼女は実際にお団子レイズを練習して習得し、ファレンリッチ突破に活かした。



「これは憶測になるけど、多分ステファニーは僕を越そうとしていたんじゃないかな?」



 彼女は確かに自分を尊敬はしていたのだろう。六十五階層からの立ち回りも見る限り自分に酷似するものは多かったし、指南書に書かれていたことを忠実にこなしてもいた。


 だがステファニーはそれから後追いばかりしてくる自分に対して、何処か疑問にも思っていただろう。確かに努はヒーラーの始まりを教えてもらった師であり、その後も立ち回りを参考にさせてもらった。しかし現時点で、彼は本当に心の底から尊敬に値する人物なのか? 今の自分ならば本当に越えることが出来るのではないか? 新聞記事の言う通り、もう役目を終えた師なのではないか?


 そういった疑問が生まれたことで、ステファニーは努や指南書以外のことにも目を向け始めた。そしてユニスが発案したお団子レイズもプライドを捨てて習得し、同じ階層突破を目指すロレーナも意識した。



「そ、そんな……そんなことは決してございませんわっ!! 私は、ただツトム様のことだけをっ!!」



 だが師としての立場を疑問視していた努は、九十階層を初見突破した。それも劇的なまでの逆転すら魅せたその勝利は、再びステファニーを盲信への道に引き戻した。その揺り戻しが激しくなった結果がこうなってしまった、というのが努の推測だ。


 そして浮気の言い訳でもするような顔で必死に縋りついてくるステファニーを見下ろしながら、努は初期の自分を思い出していた。



(僕も無名時代の頃は、そんな感じだったしね)



 努も初めから『ライブダンジョン!』のヒーラーが上手かったわけではない。実力があって人気のある神台からヒーラーの立ち回りを見て、夢中になって自分も真似をした。そして実際に試してみると色々と改善出来そうな箇所が見つかったのでそれを直していたら、いつの間にか真似をした者を追い越していた。


 流石にステファニーのようにまではならなかったが、多くのヒーラーを尊敬して追い越していったことは確かだ。そして尊敬していた対象が段々と自分の意識から消えていくことは知っていたので、ステファニーも同様なのではないかと推測していた。



「いや、それでいいんだよ。僕もそうやって誰かを越えて成長してきたから。それにステファニーは本当によく頑張っているしね」

「あ、うぅ……。そんな、とんでもございません……」



 鼻水やら血やらで汚かったステファニーの手をタオルで拭きながらそう言うと、彼女は途端に萎んだ声になった。そんなステファニーの乱れた桃髪を手で軽く整えながら努は言葉を続ける。



「女狐風情の開発した技術を練習するのにも、葛藤はあっただろうしね。でもステファニーはそれすらもモノにした。それに九十階層は一度しか見せてない僕の動きを参考にしていたみたいだし、苦労したでしょ?」

「は、はい! それは凄く、苦労はしましたわ……」

「ステファニーの頑張りについては、本当に評価してるよ。昔の僕と同じくらいには努力してると思うし、才能だってある。でも僕の後追いをしているだけじゃ、ずっと越えられないままだよ」

「そんな! 私がツトム様を越えるなど、とんでもございません!!」



 喰いつくように言い返して迫ってくるステファニーの肩を、努は落ち着けと言わんばかりに掴んだ。すると肩を掴まれたステファニーはびくりと身体を硬直させ、小動物のような目で様子を窺ってきた。



「でも僕は、ステファニーにまたそういう気概を持ってほしい。勿論今すぐには無理だろうし、僕もそう簡単に超えられるつもりはない。でもステファニーなら可能性はある。だから僕の後を追ってもいいけど、視野を狭めるのだけは止めよう。ファレンリッチを倒した時みたいに、僕からだけじゃなくて周りからも技術を吸収するんだ」

「そ、そんな……私は……。わたくしは……」

「ステファニーなら出来るよ。それは僕が保証するから」

「あっ……」



 努は心の底からの笑顔でそう保証すると、励ますようにステファニーの頭を撫でた。『ライブダンジョン!』に関することならば純粋になれる努の感情に触れた彼女は、もうどうすることも出来なかった。



「わたくしは……し、しあわ……」

「ちょっ、大丈夫?」

「…………」



 そして頭を撫でられたことも合わさって完全にショートしたステファニーは、ぐるぐると目を回してそのまま後ろに倒れ込んだ。努は不思議そうな顔で彼女が意識を失うのを見送った後、ルークへ確認するような視線を向けた。だがルークやソーヴァは顔を固まらせるばかりで反応せず、代わりに最近一軍入りしたドルシアが歩み寄ってきた。



「女王様をお預かりしてもよろしいでしょうか?」

「……あ、はい。よろしくお願いします」

「では失礼します。女王様が認めし者よ」

(女王様……?)



 ひょいと気絶したステファニーをお姫様抱っこしたドルシアは、敬意を表するような礼をした後にルークたちの方へと向かっていった。そして努も彼女の言動に首を傾げつつも、唖然としている様子のダリルの下へと向かっていった。

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