第321話 信仰者の信仰者

「九十階層の突破、おめでとうございます!」

「ありがとー!! みんなのおかげだよ!!」



 アルドレットクロウの一軍が二番目に九十階層を突破したことは、クランハウスでも大いに喜ばれた。クランリーダーであるルークも久しぶりに探索者として活躍したことが嬉しかったのか、いつもより高揚した顔で胴上げされている。


 クランメンバーの中でも古参であるソーヴァとビットマンも昔からの馴染みから祝福を受け、それに応えている。だがこの場にいないクランメンバーも少なからずいるため、二人は少し悲しそうにもしていた。


 そんな三人を横目にステファニーは一軍を担当するマネージャーに声をかけていた。



「九十一階層の対策については準備してありますの?」

「はい、つつがなく」

「よろしい。ではすぐに資料と装備を準備して頂けますか?」

かしこまりました」



 アルドレットクロウは無限の輪の映る神台を一日中観察していた情報員から受けた報告を纏め、既に対策装備や作戦などを立てている。そして無限の輪に追いつくという算段もついていた。



「お、お疲れ様です。女王様」

「……お疲れ様ですわ」



 ステファニーがマネージャーとの会話を終えて一度部屋に帰ろうとすると、黒髪の女性が震えながら声をかけてきた。最近一軍入りしたタンクであるドルシアという女性。彼女はおよそ一年前、努のヒーラー指導の際にステファニーと一時PTを組んだ聖騎士だ。


 元々はアルドレットクロウの中で落ちこぼれに位置し、既に脱退通告も受けていたドルシアは半ば探索者人生を諦めていたところだった。しかしあの三十階層突破が切っ掛けで思い直し、それから這い上がるように力をつけてきた。ちなみに当時同じPTにいた暗黒騎士のリガスと双剣士の男も、今では上位軍に食い込めるまでに成長していて今も探索者として活躍中である。


 だが一度地獄に落ちて這い上がってきたとはいえ、尋常ではない努力や才能もなしに一軍まで昇り詰めることは不可能だ。ステファニーに冷めた目を向けられて今も寒さを堪えるように震えているドルシア、しかしそんな彼女にはガルムやビットマンと同様にタンクという役割をこなせる一種の才能があった。



(自分の役割を良く理解し、それを迷いなくこなせる精神。そして自分に出された命令を実行するという気持ちがとても強い。それこそ自分の命を捨てることをいとわないほどに。……彼女が言うところの女王、という者の命令に限りますが)



 今まで一人だけでPTのタンクを務めてきて注目を集めてきたビットマン。狂犬の面影を残しながらもタンクをしているガルム。モンスターの攻撃を避けきって逆にカウンターまで食らわせるハンナなど、神台映えするタンクも出てきたので観衆からの人気は着々と上がってスポンサーも付くようになってきている。だがタンクという役割自体は一年前に出来たばかりなので、アタッカーやヒーラーのようにまだ成熟していない。


 探索者たちは死に慣れているとはいえ、それは自分で自爆スイッチを押すような死に方ばかりだった。最後は四人で一斉に突撃してモンスターに殺される、いわば集団自殺のようなものだ。自分の死に様を美化して酔いしれる、戦場で追い詰められた兵たちがよく陥る逃避的な死。


 だがタンクはそう易々と死ぬことは出来ない。自身の高いVITとヒーラーからの回復があるとはいえ、徐々に首を絞められる力が強まっていくような感覚を味わうことになる。そして自分が崩れればPTが危うくなるという大きなプレッシャー。


 その過酷な状況と重圧に耐えるためには、強靭な精神が必要だ。ビットマンは兵士として様々な死を間近で見ながらも、民を守るために自身の仕事を全うした経験。ガルムは神のダンジョンの最前線に残るため、たとえ手足が吹き飛び内臓が漏れ出ようが戦えるほどの精神力があった。



(虫が好きだとは言っていましたが、まさか自己投影するまでとは……。頭がおかしいとしか思えませんわね)



 ドルシアはステファニーのことを女王様と呼ぶ。だがそれは一般的な意味ではなく、女王蜂じょうおうばちのような意味で呼んでいる。そして自身のことは働き蜂とでも思っているようで、彼女は女王認定しているステファニーの命令ならば本当に何でも言うことを聞く。



(ですが、やはり使えましたわね。自分の役割を理解しそれを実行できるタンクが二人いるのならば、成れの果て戦が楽になることは自明でしたから)



 今までアルドレットクロウの一軍タンクがビットマンだけだった理由は、彼と同程度のタンクをこなせる者がいなかったことに他ならない。死ねば終わりという過酷な状況の中で凶悪なモンスターを相手に戦って生き残り、更に騎士職不遇の時代の中でも努力をしてきた彼と肩を並べられるタンクというのはおいそれとは出てこない。


 だがドルシアはPTを組んだ際に見た時から、他のタンクとは違う雰囲気を纏っていた。それに彼女の自分を捨てているような目。あの目は好きだ。自分はツトム様のために全てを捨て、神のダンジョンを攻略し彼に見てもらうためだけに修練を積んできた。ドルシアに何があったのかは知らないが、自分と近しい目をしている彼女は好ましく感じた。



「はぁ……! はぁ……! 今日もスキル回しが素敵ですっ!!」

「…………」



 ただ自分を女王様などと呼ぶことと、命令されることに興奮している様子は完全に変態のそれだ。それだけは何とかならないものかと思っているが、それ故に彼女は自分の命令を何としても守ろうともする。ステファニーは不審者でも見るような目でドルシアを一瞥した後、習慣となっているスキル回しをしながら自室へと帰った。



「さて……」



 自室に入ったステファニーはまず洗面台に向かって鏡で自分の姿を確認し、ツトム様に失礼のないよう髪型を整える。少し緩くなっていた縦ロールをみょーんと伸ばし、器用に巻き直して朝と変わらない程よい癖を付ける。最近定着してきた目の下にある隈も化粧である程度隠し、最後にその場で全体を確認した後に部屋へ戻った。


 ステファニーの自室は以前と比べて、努の記事が張られている個所が減っていた。元々は努の活躍と脳内にいるツトム様の活躍が噛み合わないことが原因で、彼女は努に関する記事を集めて勝手に脳内補完していた。


 だが九十階層での一騎当千な活躍によって脳内を現実が追い越したため、現在は減少傾向にある。とはいえ天井には未だに努の写真が張られていて、毎日朝と夜にはちゃんと身なりを整えて挨拶をしているのだが。



(九十階層は突破いたしました。その間にツトム様は先に行かれてしまったようですが、絶対に追いついてみせますわ。そして……うふふふふっ!!)



 これから先の階層も無限の輪の道をなぞればいいので攻略速度は速くなる。そして通常階層ならば自然に合流も出来るし、努も避けることは出来ない。努がたとえ自分のことを気持ち悪く思っていようとも、見ざるを得ない。


 そこで出来るのならば以前の粗相について謝罪すると共に、少しは進展なんかもあったらいい。だが多くは求めない。彼に見てもらえるならそれでいい。でも何かの間違いでもいいから共同探索をするようになって、ヒーラーとしての努を間近で見てみたい。そして自分のヒーラーを見てくれたらもう最高だ。


 ベッドへ仰向けに寝転んで天井のツトム様を見ていると様々な妄想が膨らみ、それに応じてスキル回しの速度も速くなる。一度努に神台越しで認められたことと、自分が九十階層で追い抜かされたことによってある程度精神が安定してきている。だが今でも自分だけを見てほしい、などといった欲望は尽きない。



「ステファニーさん、準備が整いました」

「……では、行ってきますね。ツトム様」



 そうこうしているうちに九十一階層の対策資料が出揃ったので、ステファニーは残念そうな表情をしたがツトム様の手前すぐに抑えた。そして笑顔でいってきますの挨拶をしてから部屋を出ていった。



 ▽▽



「ビットマン! 一度下がりなさい、ドルシアはすぐにヘイトを取り、酸に当たらないように」

「コンバットクライ……」



 スライムの酸によって右手首から先が骨だけになっているビットマンを下がらせ、ドルシアにモンスターのヘイトを肩代わりさせる。ルークは召喚したモンスターが全て倒されてしまったので再召喚を行っている。



「食らっとけ!!」



 その背後からはソーヴァが揮発性の高い油瓶をスライムに投げつけた後、火の属性矢を放って丸ごと燃やした。するとスライムはそのまま炎上して網で焼かれた餅のようにぷくりと膨らむ。



「うおっ」



 スライムは燃えた状態のままその場で飛び上がると、素早く回転して火のついた体部分を辺りに飛ばした。その思わぬ攻撃にソーヴァは腕で顔を塞ぎながら下がり、ステファニーはバリアで防ぐ。


 そして全ての火を消して青い体を取り戻し着地したスライムは、その場でぷるぷると震えた後にドルシアへ飛び掛かった。冬将軍の攻撃並の速さで飛んでくるスライムに対して彼女は何とか反応したもの、左手に取り付かれてしまった。するとスライムに取り付かれた場所の装備はみるみるうちに溶け、高いVIT補正すら無視して左手を溶かし出す。


 自分の腕をスライムに取り付かれて溶かされでもすれば、普通の者ならパニックになって暴れてしまう。しかしスライムを引き剥がそうと空いている手や足を使えば、そこも溶かされるだけだ。実際にハンナはそれで身体を溶かされすぎて死亡した。



「ドルシア、そのまま盾で押しやるようにして左手ごとスライムを引き剥がしなさい」

「はい」



 だがドルシアは自身の腕が溶かされようが眉一つ動かさず、ステファニーの指示を待っていた。そして彼女の指示通り盾で自分の腕をそぎ落とすようにしてスライムを引き剥がした。



「ハイヒール」



 すぐにステファニーは回復スキルでドルシアの左手を治療して再生させる。それと並行してビットマンの怪我も完治させた彼女は、焦った様子で炎の魔石を槍の持ち手にセットしているソーヴァに目を向ける。



「そう焦らずともいいですよ。九十一階層ではスライムをいかに早く処理出来ることが重要になりますが、無限の輪も最初は手こずっている様子でした。それにこちらの抗酸装備もまだ機能していませんから、今日はスライムの酸を持ち帰ることを目標にします」

「こんなスライムを、何匹も相手にしなきゃ、いけないのかよっ……!」



 ソーヴァは炎の魔石を燃料に作動して槍頭が熱によって赤くなった槍でスライムを乱れ突きしたが、体内にある核は器用にその連撃を避けている。すると突如としてスライムから触腕のようなものが生え、周囲を薙ぎ払うように振るった。それをソーヴァは飛んで避けながら舌打ちを零す。


 無限の輪ですらスライムの対策装備が出来るまでは九十一階層での戦闘が厳しそうだったため、この状況は予想してはいた。だがスライム一匹相手に五人で相手取って未だに有効打が与えられていないことに、ソーヴァは屈辱感に満ちた顔をしながら最後には最も扱いに長けているロングソードを手に取った。



「まさかスライム相手に、この剣を抜くことになるとはな」

「八十階層のモンスターでも瞬殺されるとは思わなかったよ。何としてもこのスライムは召喚候補に入れておきたいね」

「酸は回収しましたから、思う存分やりなさい」



 今まで戦ったモンスターの中でも意外性ナンバー1であろうスライムを見つめながら、ソーヴァは認識を改めてロングソードを握る力を強める。その背後で地面にへばりついた酸に様々な抗酸素材を試し、溶けなかったもので回収したステファニーは二人に指示を送る。


 それから十分ほど一匹のスライムを相手に死闘を繰り広げたが、やはり抗酸装備がないとタンクへの負担がかかりすぎて厳しかった。スライムの攻撃全てには強力な酸が付与されていて、VITでの補正も効きにくい。そのため八十レベル後半のビットマンですら当たればただでは済まない。



「あー!! やっと当たった!!」



 そして最後はソーヴァがロングソードで核を一突きにして何とか倒すことが出来たが、ビットマンとドルシアの装備は全損。ソーヴァも武器のいくつかを溶かされる羽目になってやさぐれ気味だ。



「……もう少しで私にヘイトが向きそうでしたね。ハイヒール」

「申し訳ございません、女王様」



 常人ならばいっそ殺してくれとでも言いそうな惨状になっているドルシア。しかしヘイトの都合上回復も出来なかったので、ステファニーは戦闘終わりに冷めたことを言いながら彼女を回復していた。



「やはりこれは、ある程度はスライムの攻撃が防げる抗酸装備が必要ですわね。今日は出直しましょう。このままスライムとの戦闘を続けるのは時間の無駄でしょう。レベル上げでもしていた方が良さそうです」

「あぁ、そうだ――」



 ステファニーの言葉に同意しようとしたソーヴァは、途中で言葉を打ち切って後ろに振り返って空を見た。すると彼の視線の先では、随分と勢いのある矢が上空を通り過ぎていた。



「あれは、ゴブリンが撃てるような矢じゃないよな」

「…………」



 そんなソーヴァの言葉に、ステファニーの鼓動が高鳴った。


 しかしその矢だけで彼が来ていると断言は出来ない。ただ単にディニエルが一人で練習に来ているということもあり得る。


 そもそも、ツトム様が九十一階層に来ること自体があり得ない。ツトム様と直接会って話したという腹立たしいソーヴァから聞いた話によれば、ギルドでの一件については気にしておられるようだった。若干精神が安定してきた今だから思えるが、あれは最悪だった。


 だから自分がいるとわかる階層に来るはずがない。そう頭ではわかっているのに、ステファニーは矢が飛んできた方向を気にせずにはいられなかった。



「……あっ」



 すると矢が飛んできた方向から人影が見えてきた。一人、二人、三人、四人……。



「あぁ……ああぁぁ……」



 九十一階層に来られる者は、現状十人しか存在しない。そして自分があの五人目の姿を見間違うわけがない。純白のフードをはためかせ、杖を片手に飛んでいる彼のことを。


 アルドレットクロウがいる場所には、無限の輪の一軍PTがどんどんと迫ってきていた。その様子をステファニーは神が舞い降りてきたかのような顔で見ることしか出来なかった。

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