第317話 決定的な溝
「そこは譲れないぞっ!! ノンッ! NOと言わざるを得ないっ!!」
「貴方ね……」
断固とした態度でNOを突き付けるゼノに対して、妻は問題児を見るような目をした後に目頭を押さえた。そして先日コリナに渡したものと同じことが書かれた用紙へ手を当てる。
そこにはゼノについて事細かに分析された情報と、そんな彼を二軍PTでどのように運用するかの方法がいくつか書かれていた。その中で妻はゼノの過剰な見栄っ張りの部分を指していた。
「自分の状態をヒーラーに見かけだけ良く見せて、結局ポーションを飲まずに倒れるなんてことが九十階層で一度あった。その前の階層でもよ? 神の眼を意識するのはいいけれど、仲間のPTメンバーにまでそれをするのはおかしいでしょう?」
二軍PTで浮き彫りとなっているゼノの問題は、主にそこへ集約している。異常なまでのナルシシズムから生まれた自信に満ち溢れる言動と態度。しかしクランメンバーの中でゼノへの印象が悪かったコリナやアーミラなどに対しても、彼は同じような態度で接していた。結果的にそれが溝を深め、ゼノが本当に努力しているのかを疑われるまでになってしまった。
特にヒーラーとタンクの信頼関係はPTとしての問題にも直結する。そのためまずはコリナからの信頼を得るためにゼノの態度、そして格好をつけるあまり怪我を痩せ我慢してヒーラーに申告しないという行動を矯正する必要があった。
「だが、私は私だ」
「っ……」
そう言い切ったゼノにすぐ言い返そうと妻は顔を上げたが、彼のどうしたらいいのかわからないといった表情を見て言葉を詰まらせた。先ほどのふざけた態度とは一転して、ゼノは思い悩むように机へ肘をつき額に手を当てる。
「確かに私は変わらなければいけないのだろう。だが今の私でなければ、あのPTに付いていける姿が想像出来ない……。私には、それしかないのだから」
ゼノが自身の態度を変えられないのは、プライドが理由ではない。その自信に満ち溢れた態度は、いわば心の装甲。自身を鼓舞するためにどうしても必要なものだった。
ゼノは元々外のダンジョンに潜ってモンスターを倒した経験もなく、王都の学園で神のダンジョンについて調べることが好きな学生の一人でしかなかった。そして王都で有名な学園を首席で卒業して未来を約束されていたにもかかわらず、彼はそれを蹴って夢と希望を持って迷宮都市へと足を運んだ。
しかし彼を待ち受けていたのは、非常に過酷な現実だった。当時は外れジョブだと言われていた聖騎士に、頭の中で思い描いていた理想とはかけ離れた現実。そして恐ろしいモンスターと戦いを繰り広げるためには、正常な精神では立ち向かえない。
無限の輪のタンクたちは戦闘中によく笑う。自身の腕が焼け落ちるリスクを平気で負えるぶっ飛んだ思考をしているハンナに、狂犬のガルム。ダリルも自分がきっちり役割をこなせた時や、頼もしい活躍をした仲間を見た時には笑顔を見せることがある。
そしてゼノもマウントゴーレムや冬将軍に笑みを見せたが、それは虚勢の笑顔だ。心の内から湧き上がる恐怖を誤魔化し、自身を奮い立たせるために起こる逃避的な笑み。ゼノの自信満々な態度は元からあったナルシシズムによるところもあるが、そうしなければ自分の心を保てなくなるという側面もあった。
そんなゼノの感じている恐怖を、妻は良く知っている。神のダンジョンの最前線、無限の輪という、努をはじめとした才能の抜きん出ている者しか在籍していない異常なクラン。その場所で受けるプレッシャーが凄まじいことは、クランハウスから家に帰ってくる彼の疲弊した姿を見れば誰でもわかる。
だがそんな彼のことをわかっていても、そのことは指摘せざるを得ない。無限の輪に入るという選択をしたのはゼノだ。ここで甘い言葉を囁かれることを、彼は望んでいないだろう。
妻はゼノの片手を両手で優しく包み、絞り出すような声で話す。
「その気持ちはわかる。だけど……だけどこのままでは駄目よ。ここでその虚勢を張り続けていたら、貴方は今のPTじゃ絶対に活躍出来ない。無限の輪で活躍するにしても、それこそ八十階層と同じようにツトムと組まない限りはね。でも今のPTで活躍出来ないようじゃ、もう組める可能性はない。だから変わらないと駄目」
努は『ライブダンジョン!』の知識と経験を元に自分の脳内だけでタンクのHPを管理しているため、ゼノが虚勢を張って怪我の自己申告をしようがしまいが関係ない。そのためヘイト管理と並行してゼノを最大限活かせた。
だがコリナは努と違ってそもそもHPという概念がわからないため、タンク自身による怪我の自己申告は貴重な情報になるし回復の参考にもなる。更に九十階層ではヒーラーのヘイト管理も重要度が高いため、無駄に回復スキルを使用する余裕がない。
ゼノの見栄っ張りによる怪我の甘い自己申告に、コリナの感情による僅かな支援回復の偏り。その二つはどちらも普段ならば戦闘にそこまでの影響をもたらさないが、こと九十階層においては致命的に成り得た。
「そうか……いや、しかし、それはやはり不味いだろう」
だがゼノは虚勢の正体をPTメンバーへ話すことを、大分恐れているようだった。この弱みは妻以外に打ち明けていない。もしPTメンバーにこんな弱みを打ち明けたら、そんなに弱い男だったのかと言われてクラン脱退を勧められるという未来が幻視出来たからだ。
「自分の弱みを話してもクラン脱退とはならないわよ。むしろ評価は上がると思う」
「しかしだな……そうだ。ならこれはどうだね? ツトム君と私が組むというのは」
どうしても自分の弱みをPTメンバーたちに打ち明けることはしたくないのか、ゼノは現実逃避気味の提案をしてきた。そのことはわかっていたが一応妻は付き合って言葉を返す。
「無理だって言ったでしょ。そもそも二軍PTで活躍出来なきゃゼノは選ばれない」
「金一封を送――」
「あの人、貴方の数十倍稼いでるわよ。賄賂が通用するなら周りも苦労してない」
「ならば、愛だ! 愛は全てを救う!」
「なに? 私に頑張ってこいっていうの?」
「いや、
「……確かにツトムは男色なんて噂も前に流れたけど、すぐに否定されたわよ。それにもしそうだとしてもガルムですら一軍に選ばれてないんだから、貴方じゃ絶対無理」
「やってみなければ結果はわからんぞ! もしかしたら上手くいくかもしれないから、明日に決行する!」
「はい、現実逃避はそれくらいにして。ほら、明日に向けて話を詰めるわよ」
「ぐぐぐぐっ……」
全て否定された後に話を引き戻されたゼノは、苦しむような声を上げて机に突っ伏した。だがしばらくしてようやく覚悟を決めたのか、妻と向き合って話し合い始めた。
▽▽
「と、いうわけなのだが……」
「…………」
その翌日、ゼノは自分が虚勢を張っていたことをPTメンバーに打ち明けた。そしてこれからはPTメンバーに対して見栄を張ることはせずに務めることを約束した。
そんな彼の意外な打ち明けに対しては、ある程度彼と話していたガルムも知らなかったようでどうしたものかといった顔をしていた。コリナも完全に訳も分からずといった様子だ。それもそうだろう。今までただの空気の読めないお調子者だった男が、目の前で真剣な顔をして話しているのだから。
(何というか、上手いこと成り立ってるなぁ……)
そしてエイミーはそんなゼノの背景に奥さんを幻視しながらも、腕を組んで考え事をしていた。
自分の弱みを人に打ち明けるということは一見弱者のように見えるが、実は意外とそうでもない。自分の弱みを認めずに目を逸らす者こそが真の弱者であり、強者ほど自分の弱みを認めている。
それは自分だってそうだし、努だってそうだ。特に彼は自分の弱さをよく理解している。努のヒーラーとしての強さは誰にも負けていないが、その分女性のコリナにすら対人戦闘は負ける。そのことを彼は良く理解しているため、男のプライドなどは抜きにしてディニエルやリーレイアに頭を下げて自身の護衛を依頼していた。確かにそれは努の弱さではあるが、それを認めて行動に移せる精神は強い。
「私は弱い。だが、だからこそコリナ君。君に力を貸してほしい」
ゼノの虚勢を張っていたという打ち明けと、コリナに頼りたいという提案はまさにそれだ。
彼は自分が虚勢を張っていたことを認め、今後は改善しつつもコリナに頼る姿勢を示した。だがそれだけでPTの問題は解決しない。その後にコリナが支援回復の偏りを直せなければ、ゼノが活きることもないだろう。
「……それは私も、改善していきます」
しかしコリナはゼノの奥さんと話してから、認識を改めた様子があった。彼女は少なくとも奥さんはまともであると考え、ゼノに対する悪感情も改めようとする気持ちの準備は出来ていた。
そしてゼノ本人から先にこの姿勢を示されれば、拒否する気持ちは失せるだろう。今も信じられなさそうな顔はしているが、恐らくこの溝は近いうちに修復できそうだなとエイミーは思った。
(先に、か)
コリナとゼノの溝は九十階層においては大きな問題だった。しかしそれ以外においては本当に些細なものだ。ちょっとした行き違いで起きたことだったので、その分修復は早いだろう。
だがその溝は何も二人だけにあるのではない。アーミラとリーレイアもそうだし、ディニエルと努にも恐らく溝はある。そしてまだ致命的な問題は起きていないが、決定的な溝がある二人が存在する。
それは九十階層では問題にはならないかもしれない。だがこの先もある階層、そして恐らく存在する百階層においては問題になり得るかもしれない。それは努の一軍採用にも響く可能性も考えられる。
コリナがまだ慣れない様子でゼノと会話しているのを手前に、エイミーはガルムのことを睨み付けていた。もはや長年の因縁にすらなっている溝は、早々埋まるわけもない。だがそのせいでまた一軍選抜に落ちることも有り得るだろう。
エイミーは飼い犬を見る野良猫のような目をしながら、そんなことを考えていた。
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