第316話 思わぬヒビ
「え、そうだったの?」
やけに自分の前髪を気にしている様子のエイミーから二軍の状況を聞いた努は、軽く驚いた顔のまま夕食に出されたコンソメスープを飲む手を止めた。ゼノは現在妻から意識改革の説得を受けているためいないが、それ以外の者たちは揃っている。そこで二軍PTに起きている問題を聞かされた努は、意外そうな顔でコリナを見つめた。
「すみません……」
「いや、別にいいよ。誰だって好き嫌いはあるし。ただちょっと意外だったからさ」
コリナの謝罪に対して努は本当に気にしていない顔でそう言うと、ナプキンで口元を拭いた。彼女の支援回復が若干ガルム贔屓なのは努も神台を見て知っていて、その原因はゼノの使い方がまだわかっていない、もしくは単にゼノのことを弱く見ているのだと考えていた。
他のPTメンバーを弱く見てしまうことは、ヒーラーならば誰しも一度は通る道だ。自分は完璧な仕事をしているのに勝てない状況というのは確かに存在し、その時は強い憤りを周りにぶつけたくなる。実際に味方のあまりにも弱い姿に発狂して萎え落ちするヒーラーは、『ライブダンジョン!』でもたまに見る光景だった。
だがそもそもPTのレベルやスキルが足りないだとか、PTメンバーの
各ダンジョンの特性や、階層主の攻略などでは何もわかっていない味方にイラつく気持ちも痛いほどわかるが、自分が成長するためにはそう考えるしかない。味方弱すぎ氏ねとチャットで飛ばしていた時期もあった努が考えた結論がそれだ。
そのためコリナもゼノの見劣りするような能力に対してイラついているのかな、と努は思っていた。ただそれは違うということは冬将軍戦で見せているので、PT内で解決できるかと踏んでいた。
しかし支援回復が偏っている原因が、ゼノへの強烈な嫌悪感から来るものだとは思ってもいなかった。そしてPTメンバーとの不仲による立ち回りの変化について、努はそこまで経験はなかった。効率重視クランでそういった光景を見たことはあるが、自分が体感したことがない。そのため努は当たり障りのないことを言うに留めた。
「僕もリーレイアとか嫌いだしね」
「なんと、それは非常に残念なことです。私はツトムのことが大好きなのですけれども」
「こういう心にもないことを平然と言える精神が気に食わないんだよね。実際クラン加入時の猫かぶりも完全には見抜けなかったし、コリナのそういう感情にも全く気付けなかったし……。みんなハンナくらいバ――素直なら楽なんだけど」
「……ん? 師匠? 今バって言葉が出たっすけど、もしかしてバカって言おうとしたんじゃないっすか?」
『ライブダンジョン!』全盛期でのオフ会で様々な闇を見てから女性の内面はわからないなと思っていたが、無害そうなコリナでさえそこまでの悪感情を持っているとは考えてもみなかった。それもヒーラーとしての立ち回りにすら影響する強い感情を隠していることに。
「取り敢えず、PT内で溜め込まないで報告してくれてありがとう。僕もそのことは把握したし、もしPT内で解決出来そうになかったらまた報告してくれると助かる。その時はまた話し合おう」
「はーい」
PT内にあった僅かな亀裂に気付いて解決への道を示したエイミーは、気楽そうな声で返事をした。そして彼女が言うにはアーミラもそのことに少し気付いて解決しようとしていたそうだったので、今度カミーユにでも聞かせてやろうと思った。きっと泣いて喜ぶに違いない。
そして話が一段落して皆の食事の手が再開したのを見てから、努はハンナのじっとりとした視線に気付かないまま顎に手を添えて考え込む。
最近は九十一階層突破、そしてその先のためにドーレン工房で対策装備の相談に時間を取られていたとはいえ、クランリーダーが不穏の種を放置しておくことはよくない。まだ出会って一年ほどの関係など、ほんの些細な亀裂が走っただけで瞬く間に広がって致命的なものへと成り得る可能性はある。その実例は『ライブダンジョン!』でもよく見てきた。
(……ちょっと最近焦りすぎて余裕がなくなってたかな。今回はエイミーとアーミラのおかげで助かったけど、クランのこともしっかり見ないと)
頭の中での想定では百階層攻略にそこまで問題はないが、現実は想定通りにいかないことがほとんどだ。実際にステファニーの狂気に満ちた成長に関しても想定出来なかったことで、百階層最速突破の思わぬ障害となった。他にもスタンピードやらお団子レイズの発表なども想定出来なかった。そんな想定外のことが起きている現状を受けて、自分は焦っていたのかもしれない。
(そういえば、最近は装備のことばかりで神台見てなかったな……。明日にでも見てくるか)
最近は九十一階層から先を攻略するための準備ばかりで、神台を見る回数も劇的に減っていた。確かに自分が最前線にいる今では、神台を見る必要性はあまりない。ただ努にとって神台鑑賞は娯楽の一面もあったため、それが減っていたことによりストレスは溜まっていた。そしてそれが焦りへと変わっていた面もあったので、ここで一度立ち止まれたことは彼にとって救いだった。
「師匠?」
「うわっ」
そして気付けば隣に移動してきて顔を覗き込んでいたハンナに驚いて、不意を突かれた努は思わず変な虫が近寄ってきたかのように身を引いた。そんな反応に彼女は心外だといわんばかりの顔でひょこんと生えている青髪を振り乱した。
「なんっすかその反応は!! あたしをゴミ虫かなんかだと思ってるっすか!?」
「悪かったよ。でも自分でゴミ虫って言って怒りを増してるのはおかしいだろ」
「なっ、なんっすかー!! その目は!! 明らかにバカなゴミ虫を見るような目っす!」
ゴミ虫とまではいかないが、確かに努は何だこの馬鹿はとでも言うような目はしていた。その目を見てハンナは怒りを発散するように青翼を羽ばたかせ、後ろにいる見習いのエプロンやら髪やらが風で舞い上がっている。
そんな彼女に対して努は偉そうに足を組んでわざとらしくため息をついた後、マジックバッグから一枚の紙を取り出した。それはオーリが書いたハンナの借用書だ。
「君、無限の輪に借金あるの忘れてない?」
「えっ?」
「それでクランリーダーはこの僕なわけだけど、いいのかなぁ。僕に対してそんな態度で。最近はエイミーに色々してもらって改善してきてはいるようだけど、僕クランリーダーだからなぁ。エイミーにそれを止めてってお願いも出来るんだよ?」
ぴらぴらと借用書をひらめかせながら冗談交じりに脅しをかけてくる努を見て、ハンナはそんなまさかといった顔でエイミーの方を恐る恐る見つめた。すると見つめられた彼女は面白そうな表情のままハンナから視線を逸らした。
「クランリーダーの命令には逆らえないなぁ。ハンナちゃん、ごめんね!」
「えぇ!?」
「エイミーが協力してくれなかったらハンナはこれからどうなるんだろうね。多分借金はどんどん増えていって、一生返せない額になるかも。そうなったら死ぬまで僕にこき使われて最後は老衰死で人生を終えることになるだろうけど、そんな最期がお望みならどうぞ今のままの態度でいてくれよ」
「…………」
努の言っていること自体はそこまで厳しいことではない。ただハンナは鎖に繋がれて重い石でも運ばされている奴隷のような姿を、努の黒い雰囲気で勝手に想像したのか顔をみるみるうちに青ざめさせた。そんな彼女に努は席を指差して命令した。
「わかったらさっさと自分の席に座って、大人しく食事を再開しろ」
「お、おっすー!!」
すぐさま自分の席に戻って食事を再開したハンナと成金社長のような態度をしている努を見て、ダリルやコリナは苦笑いしている。
「俺はお前の命令なんて聞かねぇからな」
「別にクランリーダーだからってクランメンバーに命令出来るような権限はないよ。だからエイミーにはお願いって言ったでしょ」
「けっ、久々にてめぇの胡散臭ぇところを見たぜ。これが今大人気なツトムの本性だって新聞社にでも垂れ込めば、ハンナも助かるんじゃねぇか?」
「……本当っすか?」
「別に告発なり何なり好きにすればいいけど、その時は本当に容赦しないからな」
「はいはいはい、もう、みんな冗談はこれくらいで止めましょうよ。料理が冷めちゃいますよ!」
そして最後にはダリルが仲裁する形で話は終わったが、それからしばらくハンナは努に対してびくびくとしていた。
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