第318話 羽根は剣よりも強し
無限の輪が神台で求人の宣伝をしたことで、ドーレン工房は今までにない活気を見せていた。努の行った厳しい労働基準と給金の多さを示唆した真っ黒な求人は、良くも悪くも自分の待遇に不満を持っている職人たちを多く集めた。
勿論求人に来た全ての職人が採用されるわけはない。自分の待遇に不満を言う割には実力不足の者もいたし、中には素人感溢れる作品を持ち込んでくる者すらいた。しかしそういった作品は一目見るだけでわかるため、一次審査で半分以上は落とされた。
そんな一次審査に合格した者たちは実際にドーレン工房へと案内され、そこで軽い仕事をしてもらうことになった。元々他の工房で仕事をしていた者たちは手際よく設備を確認した後に作業を進め、仕事が終わるとドーレン工房の職人たちを誘って飲み歩いていた。
ただその中には手慰みに木刀を作った者や、機械仕掛けの簡単な玩具などを作った素人たちも混ざっていた。そういった者たちは厳しい労働環境に辛そうな声を上げてはいたが、一次審査を通って自分の作品が職人たちに褒められた快感が忘れられなかったのか最後までリタイアすることはなかった。
そして一週間の職場体験が執り行われた後、希望者はドーレン工房へと迎え入れられた。更にドーレンは工房もこの機会に移す予定を立てていたようで、既に移転準備も始まっている。
「取り敢えずこれで試してみてくれ」
「わかりました」
そんなドーレン工房の拡大が行われている中で、他の職人たちの手を借りて作成していた抗酸装備が出来上がった。そして昨日九十一階層のスライム相手にダリルに装備を着させて強度を試してみたが、問題なく酸攻撃を防げていた。そのため黒門を守っているゴブリン軍団攻略も楽に進められるだろう。
(念のため準備期間を多く取ったからな。ちゃっちゃと進めていこう)
少なくとも何処かが九十階層を突破するまでに五階層はマージンを付けておきたい。そうすれば安全圏には入ると考えている努は『ライブダンジョン!』で見たことがない抗酸装備を朝から眺めながら、神台を見に行くためスミスの到着を待っていた。
九十階層突破から今日までずっと努はファンたちをすげなく扱ってきたため、ある程度選別されてきてはいるがそれでもまだバーベンベルク家の協力は必要だ。それにクランメンバーの誰かに護衛を頼まなくていいのもありがたい。
(さて、明日から頑張る分、今日は思いっきり回るぞ!)
今日は久しぶりの神台鑑賞ということで、朝から気合いが入っていた。何時に何番台を何分見て次は何処へ行くか、などのスケジュールは昨日細かく作成してある。それに今日は朝食も軽めに済ませ、気に入っていた屋台を回る算段までつけていた。今や努の舌は完全に屋台料理を求めるよう仕上がっている。
そして装備の観察を止めたと同時に、クランハウスの呼び鈴が鳴った。恐らくスミスだろうと思った努は時刻を確認してソファーから立ち上がろうとした、まさにその時。
「ツトム、今日予定ある?」
「え?」
しかしそんな今日に限って、いつもならクランハウスから一歩も出ずにゴロゴロとしているあのディニエルがそんなことを言ってきた。思わず思考停止したような声が漏れる。
もし何の予定もなかったのなら努は珍しがってすぐ言葉を返しただろうが、今日は久々に一人で神台と屋台巡りをする予定を事前に立てていたのだ。努は後ろからいきなり水をかけられたような顔をしたが、すぐに思い直す。
(……いや、ディニエルなら大丈夫だろ。そもそも面倒臭がって外に出ないだろうし、休日に関してはプロだ。きっとわかってくれる)
もし以前の彼女ならば自分が神台を見てくると言った時点ですぐ引き下がっただろうが、今は九十階層での影響で割と行動力が高いため付いてくると言う可能性も否定できない。
しかし彼女も自分の休日を邪魔されると物凄く不機嫌になるタイプなので、自身で立てたスケジュールを他人に崩されることを嫌う自分の気持ちもわかってくれるはずだ。だが努は嫌な胸騒ぎが鳴り止まないことを感じていた。
「?」
ディニエルは大体眠そうにしているか真顔なため、表情は大分読みにくい。しかし今日は何だかいつもと違い表情が見える。それだけで彼女がいつもと違うことはわかった。恐らくどうでもいいような用ではない。
(こ、この日を満喫するために色々根回ししてきたっていうのに! ここでディニエルが来るとは予想出来なかった。くそっ)
今日のために努はクランハウスで来週の日曜日は空いていないことを先週からほのめかし、まずは空気の読めるガルム、ダリル、エイミー、コリナ、ゼノを抑えた。この五人については即日に断ったとしても問題はなかっただろうが、物事を円滑に進めるに越したことはない。
そして人のスケジュールなど平気で踏み潰してきそうなアーミラには、カミーユに根回しして今日は実家へ帰らせた。それとわざとスケジュールの邪魔をしてくる可能性があるリーレイアも、アーミラを生贄に捧げることで遠ざけることは容易かった。
もし予定が被った場合一生駄々を捏ねてきそうなハンナも、エイミーに頼んで今日は有名な下着を専門とした商人と会食を共にする予定を入れさせた。巨乳同士仲良くするでしょ、とエイミーから死んだ目で言われたのでハンナも問題ないだろう。
この日のために努は入念な準備の下で挑んできた。それこそダンジョン攻略のように。しかしここに来てディニエルというイレギュラーが発生するとは、全く予想していなかった。
ディニエルの予定が何かはわからないし、休みの日に彼女から予定を聞かれたのも初めてだ。だがいつもと違う表情と直近の様子から見るに、恐らくダンジョンに関することだというのは想像出来た。もし今日でなければ、喜んで彼女に協力しただろう。今までやる気の欠片もなかったディニエルが神のダンジョンについて聞いてくれるとなれば、こんなに喜ばしいことはない。
しかし、今日は何としても一人で何の気兼ねもなく神台を見る予定だったのだ。この日のために努は先週から静かに準備してきた。ここで引き下がるわけにはいかない
「今日は、予定あるね」
「……そう」
そう言うとディニエルはすぐに引いた。その潔すぎるほどの引きに対して、努はもにょもにょとした顔をした。
「ちなみに、そっちの予定は何なの?」
「九十階層について聞きたかった。でも予定があるならいい。私なんかよりそっちを優先するといい」
「…………」
そんなディニエルの言葉を聞いて、努は静かに頭を抱えた。やはり神のダンジョンに関すること、それに後半の言葉も耳に引っかかる。
努は九十階層を突破した後から、ディニエルへの評価を引き下げた。あの切迫した場面で諦める選択をするアタッカーは信用出来ないし、危うく死にかけたこともあって態度も若干変わっている。そのことにディニエルは気づいている上での言葉だったのだろう。
(この前コリナたちも地味にギスってたしなぁ……。僕も少しは直さないと駄目かな)
人間誰しも好き嫌いは必ずある。だが努はゲーム感覚の付き合いをすることがほとんどなため、そもそも好き嫌いを感じるまでに至らない。ゼノについてもロールプレイしているプレイヤーと同じような認識をしていたため、呆れることはあっても嫌いになることはなかった。そして特別好きになることもない。
とはいえ九十階層ではディニエルのせいで死にかけたため、彼女に対しての当たりは若干厳しいことになっていたことは否めない。なので努は苦渋の決断をした。
「……予定といっても、神台を見に行くだけだからね。ディニエルも来る?」
「じゃあ行く」
「わかった。じゃあ外で待ってるよ」
すぐに返事をしたディニエルに努はちょっとがっかりしながら玄関へと向かう。するとそこには苛立たしげに足を鳴らしているスミスが立っていた。
「遅い」
「悪かったよ。急遽人が増えたから」
「……なるほどな。だから貴様は今まで人払いを必死にしていたわけか。この俺までも遠くに行かせる理由はわかった。ならば邪魔はしないでおこう」
「…………」
「うひゃあ!?」
色々と邪推しているスミスに冷めた目を向けた努は、マジックバッグから
そして努のなぞった部分は丁度背中部分だったのか、スミスは変な声を上げた。感覚共有の痛みに対しては訓練しているため、もし努に思いっきり障壁を蹴られたところで彼は痛くも痒くもない。しかしくすぐりに関しては耐性がなかったようだ。
「なっ、貴様っ、こらっ。止めんか!!」
「こっちも一人で外を回る予定が崩れて気が立ってるんだ。次に変なことを言ったら本気出すからな」
辛辣な目で羽箒を両手に装備した努を、スミスは怪物でも見るような目で見つめた。そしてディニエルが来るまではお互い一言も話さずに睨み合っていたが、三人揃ったところで神台広場へと移動し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます