第313話 すっぱい

「……こんなに酸っぱかったか?」



 クランが結成した当初からアルドレットクロウの情報員として活躍していた男は、目覚ましにいつも飲んでいるレモン水を見て眉を顰めていた。だがその原因は明白だ。アルドレットクロウ全体の不調が自分にも響いているだけのこと。彼は舌打ちを零した後、一気にそれを飲み干すとバリアで作られた四角い器を割って霧散させた。


 アルドレットクロウは今、大混乱の真っ只中だ。アルドレットクロウのクランメンバーを殺したオルビスの仲間であるミナについて意見が割れてからは、クラン結成時に構築したルークの軍ごとによる管理は裏目に出た。今では軍ごとに派閥が割れてしまい、指示が行き渡らなくなるほどになっている。


 今までルークはクランの目標を短期と長期に分け、全員が活躍し成果も出せるような上手い目標設定を打ち出してきた。更に探索者だけでなくそれを対象にしたビジネスもクランに取り込むことで、ここまで大人数で設備や待遇も充実させることに成功した。


 そして三種の役割という大波にも上手く乗り、目標設定も噛み合ってアルドレットクロウは一番手のクランになることが出来た。今までユニークスキル持ちのクランにいつも先を越されていたこともあり、大分活気づいた。


 それからもクランとしては人材も資産も一番手となることが出来たが、王都のスタンピードでは九人の犠牲が出てしまった。それからミナという少女の出現でクラン内は揉めにもめ、それに追い打ちをかけるように無限の輪が九十階層の初見突破を成し遂げた。


 それによってアルドレットクロウはトップの座を、クラン結成からまだ一年しか経っていない無限の輪に奪われた。それもユニークスキルなしのPTにだ。それからアルドレットクロウに対する意見や記事はネガティブなものが増え、更にクラン内はどんよりとした空気に包まれた。



「ドーレンさんは大分厳しいですが、実力があるのなら高給の待遇は保証します。今の待遇に満足していない方や、忙しくてもいいからとにかくお金を稼いでスキルを磨きたい方を僕は応援しています。是非ご応募下さい」

(下手な宣伝だ。キョウタニツトム、呑気なものだな……)



 一番台では黒門前に様々な形をした金貨をどっさりと積んだ背景、そして高品質な鎧をこれ見よがしに叩きながら努がドーレン工房の求人をしている。七十階層から九十階層までトップの座にいたアルドレットクロウを、ただ一人の活躍で蹴落とした男。


 すると金という金を主張していた場所から右に移動し、今度は緑の丘を背景に普段より豪華な装備をしたリーレイアやディニエルが映る。



「それではご応募お待ちしております」

「よろしく」

「よろしくっすー! そろそろ普通の装備が欲しいっすから、どしどし作ってほしいっす!」

(ハンナはまだしも、やはりリーレイアをクランに留められなかったのは失敗だったか。アーミラさえこちらに引き込めていれば……あの時にユニークスキルを嫌悪する者たちを黙らせることが出来れば結果は違ったかもしれない)



 ハンナの避けタンクという可能性は考えていなかったのでまだいいが、リーレイアに関してはアーミラに対して異常な執着があることをわかっていた。そのためクラン解散で弱っているアーミラをアルドレットクロウに勧誘する算段はついていたのだが、彼女の勧誘についてはクラン内で賛否が分かれていた。


 アルドレットクロウは今までユニークスキル持ちのクランに負け続けてきた。そのことからユニークスキルに対するコンプレックスが肥大化し、クランメンバーはアーミラに対しての当たりも強い者が多かった。だがもしアーミラを引き込めていれば、リーレイアも自動的に付いてきただろう。



(思えば無限の輪のクランメンバーはほとんどがこちらや他のクランが欲しがっていた人材ばかりだ。……ツトムは、探索者を引退したら優秀な情報員になるだろうな)



 無限の輪のクランメンバーは当初そこまで目立っていなかったが、今や何処も欲しがるような人材ばかりだ。その中でも特に避けタンクのハンナと祈祷師のコリナは化けに化けた。


 ハンナは拳闘士なのにタンクがやりたいといきなり言い出して聞かず、栄養が胸だけにいって頭が発達していないと事務員の間では悪い意味で話題になっていた者だ。情報員の彼も大人しくアタッカーを続けていれば、今のハルトのように伸びただろうと残念がっていた。


 だが今では避けタンクの第一人者であると同時に、魔流の拳を受け継ぐメルチョーの弟子ともなっている。鳥人の中でもえげつない空中機動と攻撃力、そして無謀ともいえる度胸を兼ね備えている彼女は一度波に乗ると爆発的な活躍を見せて観衆の間でも人気が高い。


 白撃の翼に所属していた祈祷師のコリナは、誰もがノーマークだった。その当時白魔導士は求められていたが、祈祷師は大きなコネでもなければ大手クランに誘われることはなかった。その中で突拍子もなく無限の輪に誘われた彼女は、やはり大した活躍はせずに初めはただの人数合わせだと言われていた。


 だが祈祷師がヒーラーという構成で初めてマウントゴーレムを突破した時に若干注目され、冬将軍を突破した時にはその実力を迷宮マニアから認められて徐々に話題となっていた。死期を見通せるというユニークスキルなのではないかと疑うほどの異能と、努が仕込んだ祈祷師の立ち回りは既に同レベルの白魔導士を抜いているといってもいい。そして今では九十階層で走るヒーラーやステファニーと競合するまでとなっている。



(ただ、二軍PTは今のところそこまで脅威には見えない。メンバー自体は問題ないのだが……PTとして纏まっていない)



 アルドレットクロウ内と神台で幾多ものPTを見てきた情報員の男は、二軍PTの噛み合わせが悪いことに気付いていた。ガルムエイミーの不仲は相変わらずだが、一番の問題はコリナとゼノの距離感だ。


 コリナの支援回復からはゼノを避けるという意思が垣間見える。特に石化の解除と癒しの光に関しては明らかにガルム贔屓だ。一回一回は僅かな差だが、一時間もすればその違いは明確になる。



(確かにゼノは無限の輪の中ではそこまで強い個性はない。だが、レベル相応のタンクであることは間違いない。それに成れの果てへの対応も、あの中では一番理解しているように思える。ツトム、いや、他のヒーラーですらもっと上手く機能させているだろう)



 努はもはや誰とでも合わせられる姿が想像出来てしまったので、比較対象にはならない。だがステファニーならばゼノというタンクをもっと活かせるだろうと確信は持てた。



(それにコリナは避けているが、ゼノは全面的に任せているように見える。それが絶妙に噛み合っていない。もっとポーションを使えば楽になるものを)



 もしゼノがコリナと同様の感情を持っているのなら、ヒーラーの回復に頼らずにポーションなどで代用していただろう。そうすればもう少しは中盤戦を楽に凌げるし、PTも安定するだろう。


 だが彼は全面的にコリナの実力を信頼しているようで、ほとんどポーションを使用しない。そして虚勢の笑顔に気づかないコリナはまだ大丈夫だと踏み、回復を遅らせる結果ゼノは完全なポテンシャルを発揮出来ていなかった。


 確かにガルム、ダリルならば怪我を負っていても動きを鈍らせないことは出来るだろう。だがゼノは痛みに慣れたとはいえ、彼らのように振り切れているわけではない。冬将軍戦の時に努が行った、入念な支援回復があってこそゼノは光を見せるだろう。そしてコリナはその支援回復を出来る実力を兼ね備えているが、無意識的にゼノを避けているので噛み合っていなかった。



(アーミラからは、ステファニーにも似た執念を感じる。そのおかげか周囲を良い意味で気にしなくなったようだからな。これから伸びるだろうが、少なくともコリナとゼノの距離感が解決しない限り無理だろう)



 その中でアーミラは一軍が九十階層を突破した後は何をしてでも勝つという、勝ちへの執念がありありと浮かんでいる。アタッカーとしてはディニエルにも匹敵する強さを感じるが、一人だけ強くても成れの果てには勝てない。それこそ努のような神懸かり的なものがなければ。



(それよりも、シルバービーストの方が嫌な伸び方をしている)



 ドーレン工房の求人宣伝を終えてギルドへ帰った無限の輪に代わり、一番台にはシルバービーストの成れの果て戦が映し出されている。その中でやはり一番目立つのは、戦場を走り回る兎人だ。



(ずっと走れるユニークスキルかと疑うくらいだ)



 ランナーズハイにでも入っているのか数時間走っている今でも笑顔のロレーナは、白魔導士の中でも奇抜だ。敢えて飛ばすスキルを使わず直接触れることで回復量や支援の効果時間を底上げし、自身も積極的に攻撃へ参加する彼女を真似出来る者は未だに存在しない。その底なしの体力は、一朝一夕で真似出来るものではないからだ。



「ヒーーール!!」



 更に最近はまるで手をそのまま伸ばしたかのような、手形のヒールを打ち出す練習をしているようだった。それが果たして飛ばすスキルに勝るものなのかは不明だが、以前のように守りへ入ることをしなくなった。


 更に冒険者という珍しいジョブの中でも今や一、二を争うミシルに、鳥人の避けタンクであるリリとララ。そしてマデリンという呪術師のアタッカーもスキルをあまり使わず、鈍器などでの物理攻撃を好む奇抜な者たち。その全員が更に奇抜な行動を試しては失敗の試行錯誤をして、ロレーナの伸ばすヒールのような実用性のあるものを探している。



(あのまま立場に呑まれてしまえば楽だったのだが)



 シルバービーストは九十階層から何処か守りに入っている立ち回りが目立ったが、今は火竜を突破した時のような良い意味での軽妙さとテレパシーでも送り合っているのかと疑うほどの連携力が戻っていた。



(それに、紅魔団や金色の調べも気にはなる。特に最近は、ユニスの伸びが凄まじい。何かあったのか?)



 ユニスが恋敗れた時はクラン勧誘のチャンスなのでレオンとの関係性は探っているが、最近特に進展している様子はない。しかしある時期を境に、ユニスの実力が目に見えて伸びてきていることは確かだ。


 お団子レイズという新たな可能性を発見した彼女は、変異シェルクラブとの戦いを見るにヒーラーとしては最前線組に劣るという評価だった。だが最近の冬将軍戦で二人蘇生して立て直したところからして、大分調子を上げているようだ。



(……まぁ、個人的な感情も含まれているだろうが。だがそれでも何か殻を破った気配はある。もし金色の調べを抜けた際は一番に声をかける準備は整えておかなければならないな)



 元々が低かったのでいきなり伸びた分だけで評価しているのかもしれないし、狐人を好んでいることもあるかもしれない。だが最近のユニスはとても調子が良く、更に良い顔でヒーラーをするようになった。なのでユニスは是非推したいところだ。小さい、可愛い、強いとなればファンもつきやすいだろう。何なら自分が贔屓してしまう可能性もある。


 二十番台近くで頑張っているユニスにほっこりしつつも目を逸らした情報員の男は、目を休めるように閉じて少しすると神台観察を再開した。そして今や落ち目だと言われているアルドレットクロウを盛り返すために、自分の出来る仕事に今日も励んだ。

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