第312話 唯一の癒し

「以前よりは落ち着いてきましたね。おかげで楽になりました」



 九十階層での様子見から数日が経ち、努の爆発的な人気の波も徐々に引き始めてきたことを障壁魔法によって体感していたスオウは微笑む。その色白とした肌やふわふわとした金色のまつ毛など、まるでフランス人形のような出で立ちをしている彼女に努は言葉を返す。



「そうですね。この調子で全員いなくなってくれるといいんですが」

「まぁ、酷いですね。皆さんは九十階層で活躍したツトムさんを見てファンになったというのに」

「僕に迷惑かけるファンとかいらないんで」

「厳しい意見ですけれど、その通りだと思います。でも障壁を叩いてくる人は大分減りましたから」



 そんなスオウと会話をしている努は何処か安心した顔をしている。そもそも無限の輪の女性メンバーはほとんどが特色の強い者ばかりだ。アイドル、お婆ちゃん、ヤンキー、バカ、クレイジーサイコ、信仰者などなど、心の底から落ち着いて話していられる面々でないことは確かだ。クランハウス内ではビジネスライク的な付き合いをしているオーリくらいとしか、努がここまで心安らかに会話することはないだろう。


 スオウも元々迷宮都市を統治する貴族の娘という強い立場ではあるが、努から見れば常識のある女性にしか見えない。少なくとも無限の輪のメンバーより特色は薄いため、大分話しやすいことは事実だった。



「随分と楽しそうですね」

「そ、そうですね」

「あのような安心しきった顔をクランハウスでは見たことがありませんよ」



 そんな努の様子を観察しているリーレイアは真顔で言いながら歩みを進め、その隣を歩くダリルは何処か緊張した様子だ。彼女から放たれるピリついた空気に困っていることが、その童顔からはっきりと見て取れる。それにリーレイアがアーミラの涙を舐める事件からは、何とも微妙な距離感だった。



「ここでよろしいですか?」

「はい、よろしくお願いします」



 前は天国、後ろは地獄な様子で道を進んでいた四人は、今日も職人たちの声が飛び交う工業地帯へ入っていた。そして本日休業と書かれた看板があるドーレン工房へと足を踏み入れた。



「おはようございまーす」

「おう、よく来たな」



 努が挨拶をすると、工房の奥から相変わらず元気そうなドーレンが顔を出した。だが周りにいる弟子たちは完全にバテている犬のような顔をしている。元々無限の輪のスポンサーということで忙しくも充実した日々を過ごしていたが、ここ最近は九十階層初見突破の影響でデスマーチといっていいほどの仕事量をこなしていたからだ。



「お邪魔しますね」



 しかしスオウとリーレイアの姿を見た途端にだらしない姿は見せられないと感じたのか、すぐに全員キリリとした顔つきになって姿勢よく立ち上がるとすぐ辺りに落ちていた酒瓶などの片付けを始めた。



「スオウがいてくれたらあいつらの作業効率も上がりそうだな」

「いえ、私がいたらお邪魔になってしまいますよ。集中力がいる作業でしょうから」

「ま、それもそうだな」



 スオウやスミスは探索者になると決めた後、努からの紹介でドーレン工房から神のダンジョン産の武具を提供されている。そのため既にスオウはドーレンとも何度か顔を合わせていて、彼女も貴族ということをあまり感じさせないためその関係は気楽そうだった。するとドーレンに努は声をかけた。



「ちょっと騒ぎが大きすぎて動けなかったので、顔を出すのが遅れてすみません」

「別にいい。あんな活躍したらこうなるのも当たり前だろ? 俺も見てたが、痺れたぜありゃ。それと、アーミラがすげぇ息巻いていたぞ。お前と絶対PT組むってな。あいつの大剣も今やカミーユさんに引けを取らないもんに仕上げてやったから、良い活躍をすると思うぜ」

「そうですか。まぁそれは、実力と運次第ですけどね。あとオーリさんから聞いてると思うんですけど」

「あぁ、九十一階層の対策装備だろ?」



 ドーレンは自身の白髭を撫でながらすぐに答えたが、その表情は申し訳なさそうだった。



「まさか今頃になってスライム対策をしなきゃならねぇとは思わなかったからな。外のダンジョン用の装備を強化する形で進めちゃいるが、一番台で見た限り酸が相当強力みたいだからな。一部の加工を抗酸装備に詳しい伝手に頼んでる分、時間がかかっちまってる」

「時間はまだ余裕があるので、その分しっかりとした物を作ってくれれば問題ありません。恐らくスライム対策が出来ないと、九十一階層は突破出来ないので」

「そこまでなのか?」

「えぇ。九十一階層のやつは今までのスライムより物理耐性が格段に高くて、スキル耐性も若干上がってるので倒すのに時間がかかるんです。核も自前で移動されるのでディニエルでも一発で射貫くのは難しいみたいですし」



 それでもスライム単体ならばリーレイアの精霊魔法である程度対応できるが、ゴブリン軍団の中にいる巨大スライムは鉄砲のように酸を飛ばしてきたり、投石器のようにスライムを飛ばしてきたりする。


 他にも訓練を受けているような動きをするエリートゴブリンの群れ、更にヘイト管理の邪魔をしてくるゴブリンキングも存在するため、そう簡単に遠距離攻撃手段である巨大スライムは潰せない。そのため恐らく乱戦になることが予想されるため、遠距離攻撃手段を持つスライムの対策はしておきたい。



「あぁ、それと成れの果ての魔石も持ってきましたよ」



 努がそう言ってマジックバッグを風呂敷のように開くと、白と黒が左右に分かれた極大魔石を両手でダリルと一緒に持ち上げて工房の台へと乗せた。今のところただ一つしかない魔石には皆一様に注目し、スオウも宝石を見るような目で関心を寄せている様子だった。



「鑑定はしたんだよな?」

「エイミーがしましたね。名称は番い魔石だそうです。これも譲渡するので研究に役立てて下さい」

「まだ棘魔石も半ばだってのに、まだ増えるか……」



 そうは言っているがドーレンの顔は喜色に満ちていた。生粋の武具職人であるドーレンの頭の中では既にこの魔石をどのように利用するかの案がいくつか考え付いているからだ。



「あいわかった。勿論これも役立てる。ただ、最近は流石に人手が足りなくなってきた。悪いんだが、一つ頼まれちゃくれねぇか?」

「何ですか?」

「一番台で、ドーレン工房の求人をしてくれやしねぇか?」

「求人、ですか?」



 少し意外なことを言われた努は思わず目を丸くしたが、確かに一番台なら拡散力はあるだろうなと考え直して顎に手を当てた。



「それは別に構いませんし、人も集まりそうな気配はしますね。求人内容などはどうしますか?」

「それは後で考えて、書面にしてオーリに渡しておく。まぁ、恐らくは自作品を持ってきてもらう形にするだろうけどな」

「なるほど。ならどちらにせよ対策装備が出来ないとこちらもあまり動けないので、力を入れて協力しましょう。まずリーレイアを――」



 それから二人はドーレン工房の求人について話を進め、ある程度その場で打ち合わせを終えるとまたスオウに障壁を張ってもらって次の場所へと向かった。



 ▽▽



「ご迷惑をお掛けしました」



 ドーレン工房を後にした努たちは、続いて全ての商品が売り切れて店じまいしている森の薬屋へと足を運んでいた。そしていの一番に努は店主であるエルフのお婆さんに謝罪していた。


 努が成れの果てに掴まれて石化攻撃をされた際に使用していたポーションの出処は、すぐに森の薬屋だと断定された。石化状態を治すようなポーションを作れる者など、森の薬屋の店主以外に存在するとは思えないからだ。


 そのため森の薬屋にはアルドレットクロウの事務員たち、それに騒ぎを聞きつけた新聞記者たちが殺到した。無限の輪に対して石化状態を治せるポーションを売ったことに対する見解と、自分たちにも売ってくれという嘆願。



「大丈夫さね。あの子たちには改めて立場ってものを弁えさせたからねぇ」



 しかし森の薬屋の店主であるお婆さんの立場は、誰にも侵されないほどに強い。そもそもポーションという万病に効く薬に近いものを開発し、今もその開発の最前線にいる彼女を無碍に出来るものは余程の愚か者だろう。


 普段から笑顔を絶やさないお婆さんがその表情を引っ込めただけで、アルドレットクロウや新聞記者たちは下がらざるを得ない。もし彼女の機嫌を損ねでもしたらアルドレットクロウは最高品質であるポーションを仕入れられなくなるし、新聞記者たちも自分の身内が病気にかかった時に命運を握られることになる。


 白魔導士や祈祷師は外的な怪我は容易に治せるが、内的な病気などはまだ治せないことが多い。そのため病気を治すポーションを数千通り作れるお婆さんの権力は高く、実際に助けられている有権者たちからの信頼も得ている。昔から魔法によって異常な権力を持っていた貴族ですら、彼女をどうこうすることは出来なかった。



「それでも、面倒なことを押し付けてしまったことは事実です。それにすぐ謝罪に来られなかったことも、申し訳なかったです」

「私も一番台で見させてもらったけど、凄かったじゃないか。私の作ったポーションが役に立ったのなら、何も謝ることはないよ。それよりか、お礼を言われた方がこちらも気持ちよいもんさね」

「……そうですか。では、改めてありがとうございました。おかげで本当に助かりました。あのポーションがなかったら、相当厳しかったでしょうから」

「そうかい。なら作った甲斐があったってもんだ。ひっひっひ」



 楽しそうな笑顔を見せるお婆さんに対して、努も安心したようにはにかんだ。そんな二人の様子を見てリーレイアとダリルは顔を見合わせて驚いているようだった。



「あぁ、それと。ツトムに聞いておきたいことがあるんだよ」

「何ですか?」

「ディニエルっていうエルフがいるだろう? あれ、何とかしてやくれないかね」

「……ディニエルが、何かしたんですか?」

「いや、そこまで怒るようなことじゃないんだよ。ただ、私に弓を教えてくれって頼んでくるんだよ」



 一気に眉を顰めた努に対してお婆さんはまぁまぁと手をやりながら、困ったような顔で首を傾げた。



「私もそりゃあ、その辺のエルフよりは長生きしてるからね。弓の使い方もある程度は心得てるさ。でもねぇ、あの子よりは弓の才能もないし、修練を積んできたわけでもないんだよ。だから、困っちまってねぇ。毎日頼みに来るもんだから」

「……そうなんですか。知ってた?」

「いえ」

「ぜ、全然知りませんでした」



 後ろにいるリーレイアとダリルに振り返って聞いてみたが、二人ともディニエルがここに来ていることは知らなかったようだ。自分も知らなかったしそんな気配もなかったため、どうしたものかと腕を組んだ。



「わかりました。そのことについてはこちらから言っておきます」

「すまないねぇ。私があと三百年若ければ少しは教えられたかもしれないけど、今じゃ腕が鈍っちまって。とてもじゃないがあんな才能は手に負えないんだよ」

「いえ、うちのクランの責任なので、お婆さんが気に病むことはないです」

「それにしても、あの子を折るとは凄いねぇ。クリスティアのお墨付きを、まさか人間のツトムが折るとは思いもしなかったよ。メルチョーくらいしか無理だと思ってたんだがねぇ」



 感慨深げに磨り潰した薬草の状態を見ているお婆さんに、努は軽く言い返した。



「別に僕は折ってませんよ。勝手に折れたんです」

「そうかい、ひっひっひ」



 実際に一番台で蘇生され、PTを立て直して生き残った努を化け物でも見るような目で見つめていたディニエルを目撃したお婆さんは、面白そうに引き笑いをするに留めた。それから軽い世間話を一時間ほどした後、努は心の毒が抜けたような顔で森の薬屋を出ていった。



「……ツトムは、もしかしてあれですか? 年上にしか興味がないという……」

「そうかもしれませんね……。ディニエルさんが百歳だから、それ以上じゃないと駄目とか」

「おい」



 そして努があまりにも楽しそうにお婆さんと話す姿を見ていたリーレイアとダリルはひそひそ声で話し合い、そんな二人に彼はすかさず突っ込んでいた。その様子を見ていたスオウはくすくすと笑いながら、努の騒ぎにあやかって元気よく障壁に体当たりしてくる子供たちの感触を障壁から感じていた。

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