七章
第306話 選択の狭間
「…………」
今回の一軍反省会を終えたディニエルは、他の四人と神台を見に行く気分でもなかったので自室のベッドに身を投げていた。そしてもう何度思い出したかも忘れた光景を思い出す。
(あそこは、誰でも諦める場面だった)
九十階層主から未知の攻撃を受けて三人が同時に死に、タンクも生き残っていない場面。それでも必死にまだ立て直せると声をかけてきた努に対して、ディニエルはこれ以上戦っても無駄に勝負が長引くだけだと判断して諦めた。
もしあそこで自分が戦いの意思を示していれば、生に執着していそうな努はギリギリまで粘っただろう。だからこそディニエルはわざと早く死んだ。そうすれば努も無駄に蘇生せず潔く死に、被害を最小限に抑えられると思ったからだ。下手に蘇生されて万が一にも装備、特にようやく手に慣れ始めた弓を失うことを恐れたこともある。
とはいえ努の思っていた通り、面倒くさいという気持ちも半分は占めていた。ファレンリッチの時はまだしも、今回は明らかに無理だということは自分でわかっていた。それと一気に三人が突然死する攻撃など、意味がわからなさすぎて萎えた部分もあった。なので努の言葉にも耳を貸さずさっさと自分の装備だけを回収して死んだ。
しかしディニエルが死んだ後に努が選択したのは、無謀なる戦闘続行だった。反省会の時に見せられたオーリがメモしていた戦闘状況報告書によれば、努はダリルを蘇生して一度成れの果てからの攻撃をバリアで凌ぎ、その後にリーレイアも蘇生させた。ステファニーやロレーナならばここでもう成れの果てのヘイトが溢れて狙われてもおかしくない場面。しかし努は続いてハンナと自分も蘇生させた。
それから先はディニエルも現場で見ていたが、努は持っている全てを尽くして成れの果ての攻撃を凌いでいた。ステファニーの正確無比なスキル操作を使った立ち回りに、ロレーナの走る立ち回りを真似したもの。他にもゼノから学んでハンナを参考にしたフライ走行や、ガルムがきっかけで毎朝鍛えられていた足など、持っている能力を駆使していた。
それでも最後には成れの果てに捕まってしまったが、森の薬屋から秘密裏に仕入れた石化解除ポーションによって石化せずに耐えきった。その後はダリルが成れの果てからヘイトを取れたので、努は四人蘇生して尚死ぬことなくPTを立て直したことになった、
だが何故石化ポーションを準備した状態で、成れの果てが初めて見せた掴みからの石化攻撃を受けられたのか。それに終盤戦でも初見の全体攻撃でハンナ以外が崩れたにもかかわらず、最もAGIの低い努が無傷のまま立て直せたのか。その二点についてはディニエルも疑問には思っていた。しかしその疑問よりも気になることがあった。
(……あそこまで言われるとは思わなかった)
クランハウスに帰ってきた後、努の言葉に思わず反論してしまった時。彼は待ってましたと言わんばかりの顔でいかにディニエルが悪いかを勢いよく解説してきた。実際に判断を間違えた自分が反射的に反論してしまったことが原因ではあるだろうが、ゴムパッチンで許したと言っておいてあそこまで辛辣な物言いをされるのも納得はいかなかった。
だが努の愉悦めいた腹の立つ表情を抜きにすれば、そこまで的を外したことを言っているわけでもない。実際に彼は四人死んだ状態すら物ともせずにPTを立て直してみせた。もし自分が諦めずに戦っていたとすれば、あれほど追い込まれずもっと楽に九十階層突破は果たせただろう。努は歴然たる結果で自分の正しさを証明したのだ。
(二流、か)
そして何よりも、その一言はディニエルの心に深く突き刺さっていた。七十歳の頃にはエルフの森の中で行われる闘技大会で敵無しとなり、八十歳になってから数年旅をして対人戦闘を多く経験してからは、自分のことを二流などと言う者は一人もいなかった。
そして神のダンジョンが出来て弓術師というジョブが発見された頃からも、ディニエルの敵はいなかった。それこそ種族は違えど寿命は変わらないダークエルフで、迷宮制覇隊のクリスティアくらいしか対抗馬がいないほどだった。それもクリスティアは白魔導士だったので、スキル込みの実力ならばもう抜いている。
ディニエルは昔から大抵のことは何でも出来た。その中でも弓の腕についてはエルフの中でも右に出る者がいないほどだったが、才能のあった彼女も最初から強かったわけではない。三百歳を超えるエルフの大人たち、三ヶ月周期のスタンピードでエルフの森にも現れる強靭なモンスター、そしてエルフの森の中でも実力は抜きん出ていたクリスティアなど、そんな者たちの背中を追い越してきたからこそ今の実力をディニエルは得ている。
ただここ十数年は、追い越したくなるような背中が見えなくなっていた。気づけば前には誰もおらず、走るのを止めて歩いても人影が見えることはない。立ち止まっていても追いかけてくる気配はない。
だがディニエルはそれでも良かった。他にも自分の好きなように眠ることや、興味のある本をのんびり読んだり出来ればよい。外にあるダンジョンや神のダンジョンを観光がてら攻略することにも興味はあるが、そこまで本腰を入れてやるつもりもない。ただ自分の納得がいく戦闘をこなせさえすれば。
しかし今回は思わぬ相手に二流だという刻印を押されてしまった。白魔導士でヒーラーという立場にいる努。暴食竜に立ち向かった人間で、自分と同じように才能のあるエイミーが追いかけている男。そんな彼にアタッカーとして二流という評価を受けた。
(……ムカつく)
エルフは人間と違って寿命が長いが、百年までならそこまで時間感覚も変わっていない。なのでディニエルは八十年も生きている時間に差がある努に二流などと言われることは、かなり腹立たしいことだ。百年生きてきたというプライドと、八十年生きれば長生きだという人間への種族的見下し。
しかし今まで自分より年上の大人たちを弓の腕で負かしてきたディニエルは、そのプライドを守るためにみっともないことをしてきた者たちを嫌というほど見てきた。だからあのような者たちと同じようになりたくないという気持ちもあった。
(……エイミーが帰ってきたら、相談してみよう)
そんな結論を出したディニエルは苛ついたように枕へ顔を埋めると、陸に打ち上げられた魚のように身体をばたつかせていた。
▽▽
九十階層への黒門へ向かうため八十九階層の攻略を進めている無限の輪の二軍PT。その中でヒーラーを担っているコリナは、未だに前日の頭をぶん殴られたような衝撃が抜けていなかった。
(あんなの……私には無理です)
努の四人蘇生を神台で見ていたコリナは、今までの常識が丸ごとひっくり返された感覚に陥った。あまりにも劇的な光景を見せつけられ、しばらく息すら忘れたほどだ。それほどまでにあの四人蘇生からの立て直しは彼女にとって衝撃だった。
いくら努が外のダンジョンで修羅場を潜ってきているとはいえ、神のダンジョンには神のダンジョンなりの辛さがある。その中でもPTの士気については、外のダンジョンとは明確に違う。
外のダンジョンならば必然的に死ねば終わりなので諦めることはないだろうが、神のダンジョンでは死んでも生き返れる。なのでもしPTが崩壊寸前までいってしまえば、ディニエルのように装備回収だけして諦めるPTメンバーも必ず出てくる。恐らくあの場面で生き残ったのがリーレイアでも怪しいところだったが、結果として努は一人で成れの果てと対峙することになった。
(なんで、諦めないんですか? あんな状況、絶望するに決まってる。なんで?)
だからディニエルが諦めて死んだ時点で、努も完全に詰んだはずだ。それにその時の心境も、野良PTをいくつも経験してきたコリナには痛いほどわかる。そもそも初見の攻撃で一気に三人が落ちた状況でさえ苦しいのに、ディニエルにも諦められたら絶望と諦観の感情で確実に戦意が折れる。そのことはコリナもわかっていただけに、努の気持ちを察してその時は涙ぐんだ。
自分も同じような経験は多くしてきたので慣れている。だが初めにその場面に出くわした時はPTメンバーに見捨てられたという気持ちや死の恐怖などが入り混じり、その場で泣き出してしまった。コリナはその時のことを、必死にディニエルを説得しようとしていた努を見て思い出していた。
そんな出来事の後にコリナは一度引退しようか迷ったが、それでも神台への憧れもあってヒーラーを続けはした。しかしいくら回復したってすぐに削られてポンポン死んでいくPTメンバーたち。こんなやる気も実力もない者たちを蘇生するだけ無駄。支援回復も無駄。野良PTのヒーラーをしていたコリナは一日に一度はこうした思いを心の内に吐き出していた。ただその劣悪な環境にいたおかげで、努に一目置かれるようなメンタルをコリナは手に入れていた。
だがそんなメンタルを持っているコリナでも、ディニエルが諦めた時点でその心は確実に折れていただろう。そして出来るだけ装備を回収した後に死を選んだ。その選択肢しか見えなかった。
しかし努は詰んだ状況であるにもかかわらず、絶望も諦観もまるで感じさせずにダリルを蘇生した。まずあの選択が自分には絶対に出来なかった。三人が一気に死んだ時点ならばまだしも、ディニエルが諦めてしまった時点でもう立て直すのは不可能だ。そのはずなのに、努は不敵な笑みさえ見せてPTを立て直し始めた。
(あの人は、おかしいです。あんな人がいるのに、私が九十一階層からは一軍なんて……。それに、そもそも九十階層だって突破出来るかわかりませんよぅ)
「――ナ?」
あんな凄まじいヒーラーの姿を見せられた後に自分を見ると、何とも無様に映る。確かに以前の自分と比べればヒーラーとして成長しているのは明白だが、努という存在に比べれば自分は虫けらのようなものだ。
(あの成れの果てを相手に、私がちゃんと支援回復出来るかなぁ)
「……おい」
(みんな石化させちゃったらどうしよう。ちゃんと全体攻撃避けられるかな。そもそも支援だって切らしちゃうかもしれないし。あぁ、怖い。恐ろしいですぅ)
「無視してんじゃねぇぞボケが!!」
「あいたぁ!?」
自問自答を繰り返して自分の世界に入りながら黒門に向けて歩いていたコリナは、アーミラにお尻を蹴り飛ばされてその場でぴょんと跳ねた。そしてお尻を抑えながら歯を剥いているアーミラに振り返る。
「な、何するんですかぁ?」
「はっ。どうせその辛気臭い顔からして、ツトムのことでも考えてたんだろ? 自分はツトムには及ばない、みたいな顔してるぜ」
「うっ」
「今のお前にあんなこと出来るわけねぇだろ、バーカ」
アーミラはハッキリとそう言った後、コリナから目を逸らしながら人差し指で首筋の赤鱗をかりかりと掻いた。
「だけどよ、お前だって頑張っては来てんだろ。だからお前は問題ねぇ。それにガルムも、気に食わねぇがゼノも良いタンクだ。各々やれることをやりゃいい。だから、大丈夫だろ」
「ねー、わたしが入ってないんですけどー」
「あ? 俺の方が強ぇだろ?」
「ほーう……」
エイミーは夜の中で瞳を輝かせる猫目になってアーミラを威嚇するように見つめている。そんな二人を見てコリナがあわあわとしていると、後ろから鎧を揺らしながらガルムとゼノも前に出てきた。
「コリナ君! 何も心配することはない。この私に任せたまえっ!」
「確かにあのような奇跡を起こすのは、コリナでも難しいだろう。だがコリナがツトムにも認められているヒーラーであることは変わらない。自信を持て」
「は、はい!」
「それと、いい加減にしろ二人共。そろそろ黒門に着くのだろう?」
臨戦態勢に入っているエイミーとアーミラの間に立つガルムを見ながら、コリナは首から下げているタリスマンを握り締めて治癒の願いを自分にかける。そしてまだヒリヒリするお尻を再び押さえた。
「そう、ですよね」
「少しは目が覚めたかよ」
「はい、ありが……いえ、でも蹴るのはやりすぎたと思いますよ? まだ痛いですぅ!」
「目を覚ましてやったんだろうが。ありがたく思っとけ」
「はぁ……」
相変わらず男勝りなアーミラの様子にコリナは残念そうに下を向いてため息をついたが、その顔には少しだけ笑みが浮かんでいた。そして切り替えるように顔を上げると、コリナの前方にうっすらと黒いものが見えた。
「あ! あれじゃないですか!?」
そして無限の輪の二軍PTも九十階層へ続く黒門を発見し、成れの果て戦に向けて準備を始めた。
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