第288話 袋の鼠
(……どうしてこんなことに)
先日リキの代わりに努と話していたミーサという少女は、憂鬱そうな顔で朝早くから起き上がった。三日に一回の楽しみだった公衆浴場にも行けずぼさぼさの髪をとかす彼女の顔は晴れることがない。今日は努から呼び出された日で、自身の運命を左右する日だといっても過言ではなかったからだ。
幼少期にスラム街へと捨てられたミーサは、集団に属して男に取り入ることで過酷な環境下の中でも生き残ってきた。幸いにも見目はそこまで悪くなかったため、誰かに取り入ることには向いていた。
そのおかげで孤児集団の中でも強い勢力の中心人物だったリキにも取り入ることが出来て、更に商人からの伝手で幸運なことに迷宮都市へ脱出することも出来た。スタンピードの際にリキの上にいた組織が軍に摘発されて生計が立てられなくなった状況だったので、本当に幸運なことだった。
そしておとぎ話に出てくるような神のダンジョンという場所で、一緒に来た多数の孤児たちを纏めて何とか生きていける手段を模索していた。死んでも生き返れるという不思議なダンジョンで何とか屑魔石をかき集めて換金所で金を稼ぐ日々。
王都と同様に肩身の狭い思いをすることはあったが、孤児同士の血みどろな抗争がないだけマシだった。迷宮都市の孤児たちは神のダンジョンである程度稼げる分抗争が起きるほど飢えているわけではなかったため、王都で幅を利かせていたリキたちの敵はいなかった。
下の世界ということは変わらないがそれでも孤児たちが集団を成すことで、王都にいた時のようにスリや強盗などを行わずとも生活が出来ていた。最近は数日に一度公衆浴場に入る余裕すら出てきたので、ようやく未来に希望が見えてきたところだった。
しかしその生活はある日を境に一変した。きっかけはリキがギルドで思わず漏らしたぼやきで、不幸なことにそれを努に咎められて呼び出されたことだ。その時にミーサは何とかリキを押さえて穏便に済まされる方向で話をつけたが、努と孤児が揉めたという噂はすぐに広まった。
「すげぇ! あいつにそんなこと言ってきたのか!?」
「へっ、やっぱ大したことなかったよあいつは。あれならお前たちでも勝てるぜ」
リキの傘下にいる孤児たちは努に喧嘩を売っても無事に戻ってきた彼をもてはやしていた。そして周囲からも努と話していた孤児だと注目を浴びて、リキは有頂天だった。
しかしその翌日、薄汚い孤児に対しても態度を変えずに対応してくれる数少ない魔石換金所で異変は起きた。
「あ、もうあんたらのは買い取らないから。帰ってくれる?」
「え!? なんで!?」
今まで孤児の足元を見ずに取引してくれた店主であるドワーフの少女はすげなく言うと、自分たちが集めた屑魔石を突き返してきた。突然の拒否にリキが驚きの声を上げると、褐色肌の店主は呆れたと言わんばかりの視線を向けた。
「あんたたち、あのツトムに喧嘩売ったんでしょ? 少しでもあいつの機嫌損ねて魔石売ってくれなくなったらこっちは大損だから、あんたらとはもう関わらない。わかったらさっさと帰って」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私たちは別に喧嘩を売ったわけではありません。それにあの人も怒っている様子ではありませんでしたし、後日改めて集まるようにも言われました」
ミーサが慌てた様子で弁解をするが、店主は完全に言い分を聞く気がない様子だ。
「それってあんたの主観でしょ? 信じられると思う? それに私もツトムとは何度か会ってるけど、あいつは怒りを顔に出さない。はぁ、よりにもよってあいつに喧嘩売るとか、ご愁傷様」
「そ、そこまで言うような奴ですか? 俺には全然……」
リキの言葉に彼女は臭いものでも前にしているような顔をした。
「馬鹿に何を話しても駄目そう。ミーサだっけ? あいつに後日集まるよう言われたみたいだけど、なら諦めなさい。あいつは女子供に対しても容赦ないから、もうどうしようもないわ。……そういえば狸の子も今じゃ顔も見なくなったし、話題に上がらなくなるのを見計らって始末したのかな。怖い怖い」
「…………」
彼女は最後に物騒なことをぼやきながら手を払うと、屈強な門番の男が槍の石突で地面を突いて威圧するような音を鳴らした。その大きな音と迫力にリキとミーサは驚き、すぐに孤児たちを連れて魔石換金所を後にした。
それからは一階層などに落ちている装備を買い取ってくれていた装備屋や、ダンジョン内で採取できる薬草を買い取ってくれたポーション屋などからも努との諍いが原因ですげなく追い返された。更にガラクタを買い取ってくれていた者たちからは捕まえられそうにもなる始末で、ミーサたちは自分たちの隠れ家へ逃げ帰ることになった。
「ど、どうするのさ!? 何処も買い取ってくれない! このままじゃ不味いよ!」
観衆からは今もウザいウザいと言われて軽く見られている努だが、探索者が客である業種の者たちとは大きな繋がりがある。ここ一年、週に一回は市場を見回ってダンジョンに関するものを購入してくれる努は商人や職人からすれば良い客だった。
特にガラクタを買い取っていた魔道具開発者たちの中には、努が投資してくれているおかげで生活が成り立っている者が多くいた。そのため努と諍いを起こした孤児たちを捕まえようとする者が多かった。
換金自体はこまめにしていたので僅かばかりの備蓄はあるが、このまま収入が得られないのは非常に不味い。周りの孤児たちが大騒ぎしている中、ミーサは顔面を蒼白させているリキの肩を叩いた。
「……リキ。あの人は、ボスみたいな人だったんだよ」
「で、でもよ」
「今日でそれがわかったでしょ。別に貴方を責めているわけではないの。あんなことをわざわざ咎めるなんて、あれは相当心の狭い奴よ。だけど、明後日にツトムと会う時は全力で謝りましょう。多分だけど、リキ。貴方が頭を下げなければ駄目。じゃなければ私たちは本当におしまいよ」
「……あぁ」
迷宮都市に元々いた孤児たちを諫めている仲間たちを見ながら口にしたミーサの言葉に、リキは決意したような目で見つめ返した。喧嘩を売る相手を間違えて不味い事態に陥っているということは、今日の出来事で既にわかっていた。このままでは迷宮都市でも生きていけなくなるし、魔石換金所のドワーフの言葉も耳に残っていた。
それからリキたちは数日間肩身の狭い思いをしながらも何とか捕まらずに生き延びつつ、努の情報を探っていた。すると一年前に女の新聞記者を借金地獄に叩き落して始末しただとか、ソリット社が持つ裏の者とも繋がりがあるなど、恐ろしい情報が次々と発覚した。特に裏の者たちはリキたちも知っている分、その繋がりはとても恐ろしく見えた。
自分たちが崖の先にいることを再確認させられたリキたちは、もはや絶望するしかなかった。自分たちがどうにか出来る範囲を遥かに超えている。そんな中、ミーサも終わったという感覚が強まっていた。
(ほんとにどうしよう……)
情報を探れば探るほど追い詰められていく感覚にミーサも思わず頭を抱えた。何とか自分だけ見逃してはもらえないかと思いながらも、いい案は浮かばない。
こうなってしまえばとにかく謝罪するしかない。そう決めたリキに賛同するしかなかった四人は、努が指定した時間の十分前にギルドへと集まっていた。しかし指定された場所には既に努が座っていて、五人はどうしようといった顔で目を見合わせた。最後にはリキに視線が集まるが、顔面蒼白だった。
「あ、あの」
「お、来たか」
リキが固まって動く気配がないため、意を決してミーサが声をかけると努は振り返った。まるで人を商品として扱う奴隷商人のような、人の価値を測る細い目。そんな視線を向けられたミーサは思わず膝が震え出した。
色々と覚悟は決めてきたつもりだった。王都でだって殺されかけた場面は何度かあった。しかし得体の知れない努に今も心臓を握られ、何をされるかも想像がつかないのが恐ろしかった。
「……取り敢えず、座ったら?」
そして威圧するように足を組んで見下してくる努に、ミーサたちは恐怖を覚えながら指示に従った。
▽▽
(……こいつら、やり手の孤児ではないよな)
先日と違って完全に萎縮した様子で席に座っているリキに、努は訝しげな視線を向けていた。若かりし頃のガルムが相手だと思って抜かりない準備をしてきたのだが、屠殺される前の家畜みたいに震えている孤児たちを見て努は毒気が抜かれていた。
孤児PTメンバーは面長で強気そうな顔つきのリキと、気の弱そうな男の子。そして小汚い少女たちだ。PT構成は男二人に女三人。とはいえ少女たちはあえて自分を汚して自衛をしているようで、リキよりも顔や服が薄汚れているため性別の判別は難しい。努も情報屋に聞くまで少女は一人だけだと思っていた。
情報屋からは他にも色々と聞いているため、孤児たちが現在苦しい状況に陥っていることも知っている。魔石換金所やその他店の利用が不可能になったこと。それはステータスカードを持っていない彼らにとっては収入源がなくなったに等しいことだ。
そう、彼らはステータスカードすら持っていないのである。孤児の中では突出していると聞いていたのでてっきり二十階層くらいは越えているかと思っていたが、ステータスカードがないためそもそも最高到達階層すら不明だ。
一応ステータスカードがなくとも運が良ければダンジョン内で合流は出来る。とはいえ階層主で合流は無理なので、十階層を突破していることはないだろう。
そういった情報が出てくるたびに努はそんなわけないだろうと思って、昨日には久々にドワーフ少女のいる魔石換金所にわざわざ足を運んで話を聞いた。ただ彼女からもあいつらはそこら辺のガキと大して変わらないと言われて、気合いを入れていた努の力はどんどん抜けてきていた。
恐らく彼らは、噂の出所ではないのだろう。それでも自分の推測は間違っていないと思いたいがために
「はぁ……」
そのことを認識して努が思わずため息をつくと、孤児たちはビクッと肩を跳ねさせた。リキとミーサは顔を硬直させ、他の三人は泣き顔である。特に気の弱そうな男の子は既に鼻水を垂らして今にもわんわん泣き出しそうだ。
これでは完全に自分が孤児たちを虐めているような光景だ。もしギルドでガルムが門番をしていたのなら、確実に声をかけられていただろう。努はそれを想像して完全に萎えたような顔で足を組むのを止めた。
「取り敢えず、君たちをどうこうするつもりはないから安心していいよ。僕の勘違いもあったようだから」
そうは言ったが孤児たちの緊張が解けることは全くない。むしろどんどんくしゃくしゃになっていく顔ぶれを見て、どうしたものかと頭を悩ませた。護衛としてディニエルを連れてきてはいるが、彼女が子供をあやせるとは思えない。むしろあの真顔で怖がられるのがオチだ。
(どうしてこうなった)
これならば人当たりの良いエイミーやダリルを連れてくればよかった。それにいっそのこと情報屋との体面を気にせず噂の出所を正直に聞けばよかったと後悔しながら、努は周りの視線を気にして孤児たちを外に連れ出した。
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