第287話 ディニエルの供物

 その後STRの高いアーミラからボコボコにされたダリルはコリナに回復されたものの、酔っていた自分の言動をうっすらと覚えていたようで心にもダメージを負っていたようだった。ちなみに努はエイミーとリーレイアにねちねちと責められ、コリナからは弱音の嵐をぶつけられていた。


 そして翌日の朝に五人でギルドへ向かう途中、ダリルに沈んだ様子で謝られた努はディニエルの頭撫で練習相手として一日過ごすことを命じておいた。



「えっと、でもツトムさん。僕のせいで皆さんにも色々責められてましたよね? そういうのじゃなくて、あの、叱るとか……」

「その様子じゃもう反省してるみたいだし、叱る必要ないでしょ」

「でも……」

「そりゃあダリルのせいで面倒くさくなったなとは思ったけど、どうせエイミーたちにもガス抜きの機会が必要だったからね。遅かれ早かれ話は聞く予定だったから、あれは丁度良かったんだよ」



 同じ階層で何度も全滅を繰り返していると、もう自分たちでは倒せないのではないかと思ってしまったりして気分からやられてくる。努も裏ダンジョンを一日かけて攻略出来なかった時は完全に一日を無駄にした気分になって萎えることが多かった。それが現実となったこの世界では尚更厳しい。


 特に階層が突破出来ないことに慣れていないアーミラやハンナ、リーレイアは大分フラストレーションが溜まっていたのだろう。努やダリルに対する当たり方が半端なかった。エイミーやコリナは慣れているとはいえ、愚痴の一つでも吐きたい心境だったのは事実だろう。二人共話し出すと中々止まらず、翌日は変異シェルクラブPTが休みということもあって深夜まで続いた。


 おかげで努は若干の眠たさが残っているが、そんなクランメンバーたちの不安や愚痴を聞くのもクランリーダーの仕事である。とはいえリアル小中学生やコミュ障、ぶりっ子ネカマや女アピBBAのご機嫌をチャットで取っていた頃よりは大分気楽だった。


 それにコミュ障に至ってはチャットすら打たないのでゲームの流れで機嫌を読み取るしかなく、最初はもはや無理ゲーだった。しかし慣れてくるとそのプレイヤーの動きを見るだけで割と考えを推測出来てしまうのが恐ろしいところで、努が作ったギルドには意外と無言勢が多かった。そんな無言勢の中でクランに最後まで残った一人が、楽しかったという文字を残してログインが途絶えた時はもの悲しくなったが。


 ただここでは『ライブダンジョン!』と違って直接顔を突き合わせて話すため空気が読みやすいし、更には金や物品などを渡すことすら出来る。その代わりに利害や男女関係でクランが解散しやすい危険性もあるが、それを許容できるくらい以前に比べると楽だった。元々リーレイア以外は基本良い子だということも起因しているだろう。



「だからダリルは大人しく罰を受けろ。そしてディニエルの機嫌が良くなる材料となるがいい」

「そうだそうだ」



 何処か納得していない様子のダリルに言い返す努の後ろから、すかさずディニエルの擁護も上がる。そんな様子を見ていた事情の知らないゼノは、眉を上げてガルムと視線を合わせた。目が合った彼はダリルがギルド長にワインを勧められるがままに飲んで悪酔いし、何かやらかしたことを小声で告げた。



「なるほど。ならば今度正しいワインの嗜み方を、このゼノが教えてやろうではないか! ダリル君!」

「……お願いします」



 ワイングラスを気障ったらしく回している情景が浮かぶようなゼノの誘いに、ダリルは微妙な顔をしながら頷いた。そんなダリルの垂れた犬耳は早速ディニエルが触っていて、彼女の真顔は何処かご満悦といった様子だ。最近になって自分の愛で方が最適ではないことに気付いたディニエルは、獣人の耳を触ることに飢えていた。



「……私は嫌だぞ」

「残念」



 ガルムのしっかりとした触り心地がしそうな犬耳に熱い視線を向けていたディニエルは、事前に断られるといつもの調子で呟く。そんな五人がギルドに入ると、一番台へ異様に探索者たちが集まっていた。



「九十階層への扉か」



 一番台にはアルドレットクロウの一軍PTが八十九階層で黒門の前に待機している姿が映し出されている。大きな神台を見て呟きながらガルムは様子を窺うように努を見つめた。



「九十階層についてはもう迷宮マニアたちに情報を纏めてもらうように頼んでるから、今は見なくていい。それよりも僕たちは新しい装備の調整が先だ。アルドレットクロウを越すためにもね」



 確かにアルドレットクロウが九十階層へ挑む姿を見たい気持ちもあるが、初見で成れの果てを突破するのは事前知識のある自分でも無理だと努は思っていた。まず前提として石化の魔眼がどのような仕様なのかを確認し、全体攻撃の予兆を確実に判断出来るようにならなければ無理だ。


 アルドレットクロウの仕上がり自体は悪くないが、まだ装備がそこまで充実していない。そうなるとまだ神台で見て参考になるような戦闘を行えるとも思えないので、努は一番台付近でざわついている探索者たちを素通りして受付へと並んだ。


 七十階層から今までトップを独走していて、今もその走りを緩める気配のないアルドレットクロウ。しかしそんなクランを越すとさも当然のように言った努に、ガルムは頷いてディニエルは表情をピクリとも動かさない。ただダリルとゼノは以前から努にそのことを言われても、内心で懐疑的になってしまうことは否めなかった。


 現在ヒーラーの二大トップであり、到達階層が最も高いステファニー。ただ一人でPTのタンクを担っているビットマン。そして異様な速度でアルドレットクロウの一軍に食い込んだ、天才付与術師と名高いポルク。


 その三人は探索者界隈で今や知らない者がいないほど有名になり、アルドレットクロウの看板になっていた。もはやユニークスキル持ちにも負けない影響力も持ち始め、ステファニーに至ってはクランリーダーのルークが心酔しているほどだ。アルドレットクロウは以前のようにクランの代表者が出てこないような印象はなく、探索者の中でも強者が続々と集まって名高いところとなっている。そんな勢いづいているところを抜かせるのか、といった疑問は二人の中にあった。



「ツトムさんたちは見ていかないのですか? 一番台を」

「はい。しかし大分注目されてますね。おかげで今日は受付が空いていて楽です」

「いつもこちらには並ばないですもんね。では紙をどうぞ」



 普段ならば長蛇の列を並ばなければ絶対お目にかかれない受付嬢の前も今日は空いている。そんな努たちを見ている隣のスキンヘッド職員の目は若干だが険しい。そんな彼の視線に気づかないフリをしながら紙を噛んで提出した。



「触り心地が良さそうですね。私も触ってみたいです」

「駄目、今日は私の」

「私のではないです」



 垂れた犬耳をくしゃっと潰しているディニエルにダリルは無愛想な声を上げながら言うと、受付嬢は少し羨ましそうな顔をしながらPT申請の処理を行っていた。そしてPTが組み終わるといつものように魔法陣の方へ向かう。



「さ、今日もぼちぼち頑張ろうか」

「うぃー」



 ダリルの犬耳をふにふに触って上機嫌なディニエルは、頑張るという言葉に対して珍しく返事をした。



 ▽▽



 それから数日が経過した。大分注目を集めていた九十階層については、予想通りアルドレットクロウは苦戦を強いられていた。そもそもこの世界では今回が初出の状態異常である石化、それが成れの果てと目が合うだけで引き起こされるため対応が難しい。今もアルドレットクロウは幾度か全滅を繰り返しながら挑んでいるが、まだ序盤も越せていない様子だった。


 とはいえ成れの果てのヘイトを引き受けるビットマンは目を合わせないことにも慣れ始め、ステファニーもすぐに暗黙状態を回避する方法を編み出していた。暗黙は視界が閉ざされてスキルが使えなくなるという強力な状態異常だが、スキル自体を無効化するわけではない。そのため暗黙を引き起こす全体攻撃が分かった瞬間に自分の真上へメディックを設置し、攻撃を食らった後にそれを落として回復していた。


 暗黙状態は声が発声出来なくなるのでスキルは使えないが、既にあるものを操作することは可能だった。『ライブダンジョン!』にもないその方法は努からすると目から鱗の発想だった。しかしそれでも強力な光と闇の全体攻撃や石化の解除によるヘイト上昇が問題で序盤を越せていない。


 変異シェルクラブについては終盤、甲殻が割れた後の状態が鬼門だった。その下から現れる筋線維はそこまで硬くないが、傷つけられてから再生すると異様なまでに発達することが確認されている。


 その癒えた傷が深いほど筋線維も強靭になるため、強烈な攻撃の後に脚を食われて回復されるともはや手がつけられなくなり、レオンやヴァイスでも相手にするのは厳しくなる。そのためドリームPTはいかに変異シェルクラブを回復させず攻め切るかを考えて攻略を目指していた。


 一方無限の輪は火力で押し切る戦法は変わらないものの、ハンナが避けタンクとして優秀でコリナも上手く機能しているので比較的安定した立ち回りが出来ていた。粘着液への対処もドリームPTの砂かけと背中に乗らない方針に倣い、今では安定して終盤まで持っていけている。


 ただ終盤の筋線維対策についてはまだ決まっておらず、脚を食うのを警戒しすぎて巣に逃げ帰られてしまい回復されて強化された変異シェルクラブと再戦、といった形になってしまうことが多かった。その分戦闘経験は多く積めているが、まだ突破出来る目途は立っていない。しかしドリームPTとは競り合える形になっていた。


 そんな中、努はディニエルとタンクたちの装備慣らしに付き合いながら、変異シェルクラブPTを見て一軍選出PTを決めようとしていた。それについてあーだこーだ悩みながら、片手間に最近やけに目立ち始めた自分の悪い噂についても調べていた。



(そんなに孤児とか虫の探索者の話聞かなかったよなー)



 努は幸運者騒動の時と同じように、三十階層から抜け出せない虫の探索者たちが自分の悪評を広めているのだと思っていた。その中心となっているのが探索者の新規としてやってきた情報を知らない王都組で、元々努が自分たちと同じ立場だと思い込んでいる孤児たちは余計に嫉妬して噂を流しているのだと推測していた。


 だが情報屋や迷宮マニアに孤児のことを聞いてみても、そこまで大した情報は出てこなかった。確かに多少は影響力がある貴族ならばまだしも、王都からやってきたそこら辺の孤児がいくら集まっても観衆たちが周知するほどの悪評をばら撒けるとは思えない。



(……でも、ガルムとダリルも元は孤児出身だからな。ガルムは怖いほど強いし、ダリルは頭が回る。情報屋たちは石ころみたいな扱いしてたけど、案外馬鹿には出来ない。今思えば、ギルドのあれも僕を釣る演技だったのかもしれない。ダリルくらいの頭を持ってたらそれくらいは出来る)



 しかしガルムとダリルも元は孤児出身なため、あまり舐めてかかることは出来ない。それに観衆からたまに顔をしかめられるほどの悪評が立った理由も努には心当たりがなく、そうなると原因は自分が孤児から運だけで抜け出しただけだと思っている王都出身の者たちしかいないように感じる。他にウザい、調子乗ってるなどといった悪評が立つ理由がない。


 それに孤児たちの行為自体は決して褒められるものではないし、誰も頼れる仲間がいなかった時ならばクソガキがくらいには思っただろう。ただ少し余裕の出来た今では、むしろ小中学生の年齢でよくやるなと感心するくらいだった。親に『ライブダンジョン!』を買ってもらってぬくぬくとプレイしていた奴らよりは断然賢く、社会を生き抜く術を持っているのだろうか。



「あ、あの」

「お、来たか」



 そんなことを考えながらギルドの席に座っていると、あまり良いとはいえない装備を身につけた少女が話しかけてきた。そして努は王都の孤児たちのガキ大将的な位置にいるという、リキとその他男女四人に向き直った。

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