第280話 魔流の拳の代償

「うぎゅっ!」



 床に顔をぶつけて変な声を上げたコリナに周囲の探索者はご愁傷様といった視線だったり、クスクスとあざけるような顔を向けていた。亜麻色の服を着せられギルドの黒門から吐き出されて床を転がる惨めさは、無限の輪に入っても変わらない。



「お疲れ様」



 身を起こしたコリナにそう言って上着を差し出したのは、神台で彼女が串刺しになったのを見ていた努だった。彼女は上着を受け取って羽織り少し肩を震わせながら、気まずそうな顔をしている努を見上げた。



「な、何が駄目だったですかね……?」

「僕は変異シェルクラブについて口出しするつもりはないよ」

「あ、はい……」

「神台を見るにみんなもう勝つ気はなさそうだから、取り敢えず受付に行って着替えてくるといいよ」

「はい……」



 上着を渡してくれた時とは一転して何処か突き放すような態度にコリナは若干涙目になったが、すぐに立ち上がって受付へと向かった。そしてギルドに預けている私服を受け取って、奥にある更衣室でいそいそと亜麻色の服を脱いで着替え始める。



(駄目、だったなぁ)



 控えめな色合いの下着姿で先ほどの戦闘をぼんやりと思い出しながら、ゆったりとした私服に袖を通す。一番駄目だと感じたのは、ハンナへの支援を切らしてしまったこと。あれがきっかけでPTが明確に崩れた。他にも悪いところはいくつも思い浮かび、思考がぐるぐると回る。


 そして鏡の前で沈んでいる自分の顔を見つめた後、コリナは切り替えるように目をぎゅーっと瞑った。そしてすぐに込み合っている更衣室が多数置いてある部屋を出た。


 ちなみにコリナが更衣室へ置きっぱなしにした亜麻色の粗末な服は一応ギルドに売れるが、大した額にならないので金策に困っている新人探索者しか売らない風潮が出来ている。探索者が死んで黒門から吐き出される度に付いてくるその服を初めから独占出来ているギルドは、それを服飾系の職人たちへ定期的に輸出することで結構な稼ぎを出せていた。


 コリナが更衣室を出てお手洗いを済ませてから黒門に向かうと、丁度エイミーが黒門から床へと吐き出されるところだった。ただ彼女は慣れているのか軽い様子で受身を取ると、すぐに努から上着を受け取って羽織っていた。



(エイミーさん、すごいなぁ)



 敗者の証である亜麻色の服を着ていても何故か様になっているエイミーに、コリナは改めて感動したような目で彼女を見つめる。元々コリナは看護師をやりながら趣味で神台を見ていた時期があったため、エイミーは未だに有名人であるという認識が抜けない。


 その後リーレイアとアーミラとハンナも帰ってきたが、三人共仲良く床にヘッドスライディングしていた。黒門に吐き出される感覚は独特な上に規則性もないため、よほど死ぬことに慣れていないと受身を取るのは難しい。顔を床に打ち付けて少し赤くなっている三人に努が苦笑いしながら上着を差し出すと、リーレイアとアーミラは苛立たし気に、ハンナは若干照れ気味に受け取った。



「そろそろこっちの昼休憩は終わるから、僕は行くよ。それじゃ」



 そして四人が着替えに向かったと同時に、神台へ映る時間を確認した努はそう言い残して立ち去って行った。そんな彼をお辞儀して見送ったコリナは、先ほど風穴が開いたお腹を押さえた。しかし彼女はもうそのことは気にしておらず、ただ単にお腹が空いたので押さえただけだ。


 お昼のピーク時間は過ぎているので食堂はそこまで混んでいない。なのでコリナは容易に五人分の席を確保した後、魔石で動いている食券機の前に立って腕を組んだ。



(何にしようかな……)



 ギルドの食堂は決してレベルが高いわけではないが、低いわけでもない。気の知れた友人と何処に食事へ行こうかという時、早いしギルド食堂にしようかと名前を挙げられるくらいには味の最低保障がされている。


 神台もあるギルドの内部ということで値段は割高だが、空いている時間帯は一般客も顔を出すほどだ。なのでコリナは後ろに待っている人がいないのをいいことに、真剣な面持ちで食券機と睨めっこしていた。



「コリナちゃん、顔怖いよ」



 コリナの隣にある食券機ですぐに焼き魚定食のボタンを押したエイミーは、真剣に昼食を吟味している彼女に苦笑いを送った。するとコリナは前に見える厨房を見やった。



「今日は卵料理が当たりなんですよ。あの小母さんは特にオムライスが上手いんです。でもがっつり食べたいんでお肉も欲しいんですけど、そうなるとごちゃごちゃリゾットも捨てがたくて……」

「みんなが決めるまでは、存分に悩むといいよ」



 店員にステータスカードを渡して料金を口座から引き落としてもらったエイミーは、うんうん唸っているコリナにそう言って受け取り口へと進んだ。その後アーミラとリーレイアは刺身などの生モノ系を頼み、ハンナはお任せ定食を頼んでいた。



「結局全部頼むなら悩む必要あんのか?」

「あ、ありますよっ。食べた分はちゃんと運動しなきゃいけませんから! ……昔は気にしなくても大丈夫だったんだけどなぁ」



 結局食べたいもののほとんどを買ってテーブルへどっさりと置いているコリナに、アーミラは冷めた目を向けた。ただコリナにとっては切実なようで、以前より確実に肉がついたお腹の肉をつまんでいる。


 前は結構な重労働をこなす看護師をしていたので気にしなくてもよかったが、最近は油断すればあっという間にふくよかボディになる危機を感じる日々だ。なので体型を保つための努力はしているが、運動すればするほどお腹も空いて食べてしまうので果たしてこれでいいのかというのが最近の悩みである。



「体重を減らすには、運動だけじゃ無理だよ……。食事もある程度は制限しないと、現状維持のままだよ……」

「そうなんですよね……。でも、我慢出来ないんですよね……」

「ならしょうがないね……」



 ひそひそ声でダイエットについてやり取りをしているエイミーとコリナに、アーミラはくだらなそうな目をしていた。そしていつものように好き放題食べているアーミラに対して冷たい視線を向ける者がいた。



「貴方はそういった話とは無縁ですものね。遺伝がいいだけで悩みが一つ消えるとは、羨ましい限りです」

「あ?」



 澄ました顔で紅茶を飲みながら軽い毒を吐くリーレイアに、アーミラは先ほど全く活躍出来なかった苛立ちもあって不機嫌な声を返す。すると前にいたハンナはご高説を垂れる教師のようにフォークをくるくると回した。



「確かにアーミラのスタイルは羨ましいっす。でも、あたしもそんなに体重とかは気にしたことないっすよ! お腹とかも出たことないっす!」



 そうどや顔でのたまったハンナを、四人はジッと見つめた。視線の先は勿論今も机に軽く乗っている大きな胸である。



(栄養全部あっちにいってるんじゃないかなぁ……)



 他の三人もコリナと同意見だったようだが、その目は色々と物語っていた。その中でもエイミーは結構気にしているのか、ハンナをじーっとした目で睨んでいた。



「え、みんなどうしたっすか?」

「ナンデモナイヨ」



 そう棒読みした後に魚の骨ごとバリバリ食べているエイミーを見てハンナは首を傾げた後、同じように素揚げされた海老を頭からバリバリと食べていた。



「じゃあ、反省会しましょうか……」



 しばらくして食事を終えた後にコリナが気まずそう切り出すと、アーミラは露骨に嫌そうな顔をした。最初こそ良かったものの、シェルクラブの粘着液に引っかかってからは何も出来なかったからだ。



「アーミラさん、そんなに気にしなくていいですよ。あれはしょうがなかったんですから」

「そうだねー。というか多分わたしが背中に乗りすぎたのが原因だし、むしろごめん。背中に乗ってばかりも良くないね」



 エイミーは身軽で器用なのでシェルクラブの背中に乗ることが得意だったが、今回はそれが裏目に出た。以前は背中に乗り続けていると背甲から水圧レーザーが飛んでくるだけだったが、今回は体力関係なく初めから白い粘着液を使用してきた。そのためそれが地面に広くばら撒かれることになり、その結果アーミラが足を取られてしまう結果になってしまった。



「とはいえあれの対策は必須でしょう。以前は水をかければ粘着力は失われたはずですが、今回はむしろ粘度が上がったように見えました。恐らく対策も変わっているのでしょう」

「そうなんですよね……。情報不足でした。すみません」



 事前に下調べを行っていたのだが、粘着液については盲点だった。ただこれはコリナが神台を見慣れているあまり、弱いPTが映っている番台を自然と排除していたことが原因だ。


 彼女が変異シェルクラブの情報を集めるために見ていたPTは、既に粘着液で痛い目を合わされたところがほとんどだった。そのためPTメンバーは変異シェルクラブに粘着液を出させないよう立ち回っていたため、その脅威がコリナには見えなかった。


 多数の迷宮マニアが個人的に扱っている情報や人を探れば、粘着液の情報は手に入った。ただコリナはそういった迷宮マニアや情報屋などとの繋がりがないため、情報を集める手段がとても乏しかった。



「いや、コリナちゃんに任せきりだったのがそもそも悪いと思う。ごめんね。凄い調べてるみたいだったから、いいかなって思っちゃったんだ」



 ただコリナの神台を見て情報を集める能力自体は悪くなかったし、資料も普段努が渡してくるものと量も変わらなかった。なのでエイミーもこれだけ調べているようなら努と同じように任せても問題ないと判断してしまった。



「わたしの方にも色々伝手はあるから、この後聞いてくるよ」

「ありがとうございます。助かります」

「三人は神台を見て情報を集めてくれるかな?」

「わかりました」

「おっす!」

「……あぁ」

「まっ、ギルド長が苦戦する姿も見れるだろうし、そんなつまらないものでもないでしょ?」



 最後にあまり乗り気ではない声で返したアーミラを、エイミーがからかうように笑いながら小突く。するとアーミラは舌打ちをした後に目を逸らした。



「みんなの立ち回り自体は、そこまで間違ってなかったと思うんです。なので情報をもう少し集めて粘着液の対策をしてから挑めば突破出来る可能性は高くなると思います」

「そうですね。まずはあの対策を見つけ出さなければいけません」

「そうだねー」

「次はぜってぇ引っかかんねぇ」

「……そういえば、もしかしたらなんっすけど、炎の大魔石使ったことオーリに怒られるかもしれないっす。せっかくだからって使っちゃったっすけど、あれ高いから……」

「…………」



 話の流れで魔流の拳で使用した炎の大魔石について不安を口にしたハンナに、四人は思わず無言になった。



「……あれって確か、マウントゴーレムからドロップするやつだよね? ちなみにいくらくらいなの?」

「えーっと、確かその中でも良いやつらしいっす。……多分これくらいって聞いたっすよ」



 その中でもお金に余裕のあるエイミーがそう尋ねると、ハンナは気まずそうに周りを見回した後に指で値段を示した。その値段を見たエイミーは白い猫耳をピンと立て、コリナはあわあわと口をわなつかせ、アーミラとリーレイアは我関せずとでもいうように目を逸らした。



「うーん。でも最終的にはオーリが持たせたんだよね? それなら問題はないんじゃない?」



 無限の輪にある資金で補っている備品の管理はほとんどオーリが行っているため、彼女が渡さなければハンナが使って怒られるような炎の大魔石を持つことはない。するとハンナは落ち着かない目を逸らした。



「えーっと、結構頼み込んだら貰えたんすけど、今思い出すと確か使う時は絶対に倒せるときにしか使うなとか、言われていたような、言われてなかったような……?」

「……それを使って、倒せなかったと」

「…………」

「……いやー、それはちょっと不味いね。一応みんなで説明はするけど、怒られることは覚悟しておこうね」

「そうっすよね……」



 ロスト対策をしたためそこまで損害はないと思っていたエイミーは、知らぬうちに法外な値段の魔石をパァにしていたハンナにそう返した。ハンナは青い翼をしょんぼりと落とした。


 それから五人は神台や迷宮マニアたちから情報を集めた後、夕方頃にクランハウスへと帰った。そしてハンナがびくびくとした様子でオーリに炎の大魔石を使ったことを報告すると、彼女は眉間にしわを寄せた。



「あれを使ったのですか……。まぁ、それでしかあのシェルクラブを倒せなかったというのなら仕方ありません。出費は痛いですが、それで貴方たちの名が売れたなら元は取れています」



 ハンナに一軍選出がかかっているとまで言われ、仕方なく渡した魔流の拳に使う高品質な炎の大魔石。それを渡した即日に使われたのは頭が痛くなりそうだったが、それで今話題である変異シェルクラブを突破出来たのならオーリはよしとした。



「……えーっと、倒せなかったっす」

「…………」



 しかしハンナたちPTは変異シェルクラブを突破することは出来なかった。その報告を受けたオーリは更に眉間のしわを深めた。



「……では戦闘状況の説明と、炎の大魔石を使用した時のことを教えてくれますか? 誰かそれを見ていた者は?」

「あー、じゃあわたしが説明するよ」



 そしてエイミーが若干ハンナを擁護する形で話を進めた。とはいえハンナが派手に魔流の拳を使った場面は明日の朝刊にも乗りそうなので、嘘はつけなかった。そんなエイミーの正直な報告を聞くにつれてオーリの表情は暗くなっていき、話が終わると彼女は笑顔で宣言した。



「ハンナ、減給です」

「……えーーーーー!?」

「当然でしょう。あれは変異シェルクラブを倒せそうな時にしか使わないように何度も忠告しました。しかしエイミーの報告を聞く限り、使うような場面ですらなかった。炎の大魔石を使う過程も、結果も最悪です」

「あー、わたし払うよ?」

「エイミーは既に無限の輪へ何かと寄付しているでしょう。それだけでも大分助かっていますので、これ以上援助を受けるわけにはいけません。それに、ハンナのためにもなりませんから。はぁ……。私も判断を誤りました。ツトムさんにどうやって報告しましょうか……」



 そしてハンナは炎の大魔石を使用しているにも関わらず何の成果も得られなかったことをたっぷり叱られ、減給までされることになった。

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