第279話 シェルクラブの怒り

 コリナは神台を普段から良く見るし、努にPT選出まで任されたこともあって自分なりに変異シェルクラブの攻略は立ててきた。自分たちの対抗馬として紅魔団と金色の調べ、そしてアーミラの母親でもあるギルド長の混合PTが出てくると聞いた時は思わず眩暈がしたが、それでもこのメンバーならば勝負にはなると考えていた。


 エイミーは最近独特なスキルの使い方をするようになり、更に龍化結びで龍化状態になれる。そのため実質二人がユニークスキルを持っていることになる。そしてアーミラとリーレイアもここ最近は破竹の勢いで成長していて、努は一軍選出に珍しく悩んでいる様子を見せるほどだ。



(みんな、強い。私が足を引っ張らなければ、いけるはず……!)



 このメンバーなら変異シェルクラブを火力で押し切れると思ったし、エイミーとアーミラとは最近よく組んでいたので龍化と龍化結びへの理解もある。それに体力が心配なハンナを休憩させるためのローテーションも事前に組んできたし、リーレイアの精霊契約も加味すれば十分勝負になると思った。


 現に初めは順調な滑り出しだった。ハンナがすぐにヘイトを取りながら攻撃を重ね、その間に龍化結びや精霊契約、コリナの支援付与も済ませて最善の状態で始まった。事前の打ち合わせ通り右鋏だけは壊さないようにしながら、一番攻撃力の高いアーミラが大部分を壊す。そしてエイミーは変異シェルクラブに張り付きながら弱点を攻撃し、リーレイアはそのサポートに回っていた。


 負担のかかるハンナには休憩時間を設け、ローテーションも上手くいっていた。だが変異シェルクラブに大剣を受け止められ、軽く押し出されたアーミラは思わぬ罠に引っかかった。地面にばら撒かれていた白い粘着液。それに足が引っ掛かって体勢を崩し、彼女はとりもちに引っかかった昆虫のようになってしまった。



「こなくっ、そがぁ……」



 変異シェルクラブの強力な粘着液に引っかかってしまった彼女は龍化の力で無理やり抜け出そうとしたが、それで逆に体力を奪われる形となって実質戦闘不能に陥っていた。それからは今まで行っていたハンナを休ませるローテーションが機能しなくなり、それにコリナは対応出来なかった。


 しかし口元から白い泡を吐いている変異シェルクラブの動きは止まることがない。体力が無尽蔵なモンスターの注意を引き付け、休憩が出来ていないハンナは既に限界を超えている。癒しの光で回復させてはいるが焼け石に水だ。今に倒れても不思議ではない。


 龍化結びで強化されていたエイミーも、長時間の龍化使用による消耗を経験していなかったせいで普段より動きが鈍くなっている。リーレイアはアーミラを捕えている粘着液を何とかしようとしていたが上手くいかず、あまり攻撃に参加出来ていなかった。



(何とかしないとっ、何とかしないと!!)



 コリナはそんな状況を打開しようと考えを巡らせていたが、焦りばかりが募っていくだけだった。それにハンナ、エイミー、アーミラから色濃い死の気配が見えてしまっていることも、彼女にとっては大きな不安だった。特にハンナが危険水域なので復活の祈祷は既に一つかけているが、このままでは不味い。


 ハンナを休憩させなければいけないことは明白だ。だがあのシェルクラブをアタッカーが数分引き付けるというのは相当厳しい。三人ですらかなり危うい場面はあった。なのでアーミラが動けない今、二人だけで凌ぐのは難しいだろう。だがやるしかない。そうしなければハンナが死んでPTが崩れる。



(でも、エイミーさん辛そう……。リーレイアさんも精霊術師だし、そこまで持たせられるの……? 二人でそこまで持つかどうかもわからない。なら他の手を考えるしか……他に、何かいい手を)



 この状況ならばアタッカーよりハンナを生かさなければいけないことはわかっている。しかしコリナは龍化状態が解けて今も辛そうなエイミーに、今からシェルクラブを相手にしてくれとは言えなかった。それに自分の判断でPTが崩れてしまう可能性も考えると、他に最善手があるのではと勘繰ってしまい指示が出せなかった。


 そんな苦悩を抱え精神的に追い詰められていたせいか支援回復にも乱れが生じ、いつの間にかにハンナへかけていた迅速の願いが切れてしまった。



「あ」



 迅速の願いが切れたことによって身体を動かす感覚が変わってしまったハンナは、それに対応出来ず変異シェルクラブの結晶鋏に上から叩き落された。聞くに堪えない音が何度も響き、その衝撃で鋏を覆っていた結晶が割れた。


 ハンナが地面に鮮血を咲かせて死んだことにより、次に狙われたのは龍化結びで消耗していたエイミーだった。変異シェルクラブは結晶が割れて姿を見せた鋭利な鋏に付いた血をぴっぴと振り落とし、身体をギュッと地面に沈みこませる。そして大砲から撃ち出される砲弾のように飛び出した。


 エイミーがそれを反射的に飛び退いて避け、汗で濡れた白髪が揺れる。傍から見ると恐ろしい速度だったが、もう数時間戦っているエイミーは目が慣れている。それに避けるべき範囲もわかっていたので対応出来た。



「えっ」



 しかしエイミーが意識していた間合いは、右鋏の結晶が割れる前のものだった。折り畳み式ナイフのように突き出ている新たな鋏は、べっとりとした血で濡れていた。エイミーはその光景を見たと同時に繋がっているのがやっとの腹部を押さえたが、回復する間もなく光の粒子となって消えた。



「っ!」



 瞬く間に二人を殺した変異シェルクラブは、結晶を割って出てきた自分の鋏を細長く突き出た目で眺めている。そしてぴっぴと粒子になりかけていた血を払うと、カタカタカタと細足を素早く動かしながらリーレイアに迫った。



「コリナ、蘇生を!」



 リーレイアはそう叫びハンナとの契約を解いたシルフを頭に乗せ、緑色の髪をたなびかせながら細剣を勢いよく抜く。そして変異シェルクラブの振り下ろす鋏へ細剣を滑らせるように当て、シルフが起こした風の力で僅かに自分から逸らした。



(……見えない?)



 正直なところコリナはリーレイアもすぐに殺されると思い支援を切ろうと思っていたが、不思議なことに彼女から死の気配が感じられなかった。そしてその予知通り、リーレイアはそこから驚異的な粘りを見せた。


 先ほどまではエイミーとアーミラ合わせて三人で何とかハンナの休憩時間を稼いでいたが、今の彼女は一人だけで変異シェルクラブを相手に立ち回れていた。


 これがもし普通の精霊術師ならば近寄られた時点で瞬殺されるだろうが、ことリーレイアに限っては違う。騎士の家系で対人用の剣を徹底的に仕込まれ、神のダンジョンに潜るようになってからは精霊を合わせてモンスター用へと応用させた剣術。それによって彼女は遠距離系のジョブだが近接もこなせる。


 タンクでも完全に受け切ることは難しい変異シェルクラブの攻撃。だがリーレイアはそれを細剣とシルフの援護により見事に捌いていた。変異シェルクラブの巨大な鋏と比べると、その細剣は何とも頼りない。しかしその細剣は風を切り裂くような音を幾度も立て、その鋏を受け流していた。そんな彼女の上にいるシルフは楽しそうに踊っている。


 そんな姿を見せられたコリナは目を覚ましたような顔をした後、すぐにリーレイアへ迅速の願いと癒しの光を放つ。そしてハンナが潰された場所に走って装備を回収した後に青ポーションを飲み干した。



(リーレイアさんが頑張ってくれてる! 私も頑張らないと!)



 リーレイアの姿に励まされたコリナはとにかく蘇生のことだけに集中し、そろそろ経過時間を迎える復活の祈祷に合わせてハンナとエイミーの装備を準備していた。未だに抜け出せる気配がないアーミラへの支援は一旦止め、死の気配が徐々に浮かんできたリーレイアを見て蘇生の祈りを使っておく。



「ハンナさん! 装備着たらすぐお願いします!」

「うぉー!! 元気になったっすー!」



 事前にかけていた復活の祈祷によって生き返ったハンナは、そのおかげで初めから全快の状態だ。神の眼を遠くに追いやってからすぐに亜麻色の服を着ていたハンナを着替えさせ、大分息切れが激しくなってきたリーレイアに継続して支援を送る。


 それからエイミーも生き返らせ、その後ハンナも無事にヘイトを取れたので何とかPTは立て直すことが出来た。ただその後もアーミラが粘着液に捕らえられたままで復帰することが出来なかったため、火力不足によって戦闘は長く続いた。


 コリナの蘇生と支援回復はリーレイアの孤軍奮闘を境に、普段通り行うことが出来ていた。本来の実力が出せれば彼女の支援回復は努が掛け値なしで褒めるほどレベルが高く、以前質の悪いPTメンバーを支援回復していたので窮地に陥っても諦めることはなかった。


 しかし延々とPTメンバーへ支援回復や蘇生が出来るわけではない。それを繰り返すごとにヒーラーにヘイトは蓄積し、それはいずれタンクが請け負いきれないほど膨れ上がる。



「あ、ぐぅ……」



 一度本格的に変異シェルクラブから狙われてしまえば、AGIが低いコリナではとても逃げられない。鋭い右爪で腹を貫かれて持ち上げられたコリナは、串刺しのまま力尽きると粒子になって消えた。



「私が時間稼ぐから、装備まとめといて」



 そこからはヒーラーなしでの戦いを強いられ、変異シェルクラブも巣に帰る様子すらない。なのでエイミーは負けを悟りマジックバッグに装備を纏めるように言って、時間稼ぎに務めた。


 今回は最悪ロストしてもいいように武器だけ光と闇階層で手に入れたものを使用し、他の装備は予備のものだ。とはいえその予備装備だけで夫婦と子供の三人が一年は食べていけるくらいの価値はあるため、マジックバッグに全ての装備を集めてロスト対策をしていた。



「くらえっすぅぅぅ!!」



 それからはロスト対策をしながらの消化試合だったが、ハンナは最後に炎の大魔石を使って魔流の拳を自爆覚悟で盛大にぶっ放した。その余波でアーミラも焼け死んだが、これは誤射扱いなので問題はない。それに生き残っても動けないまま変異シェルクラブにいたぶられるだけなので、アーミラも巻き込まれることを希望していた。


 そしてハンナの自爆攻撃により、変異シェルクラブは絶大なダメージを負った。黒い甲殻はほとんど剥げ、脈動している赤い中身があらわになっている。しかしそれでも変異シェルクラブはすくっと立ち上がり、怒ったように両鋏を振り上げていた。

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