第265話 不安の種
それから数日が経過すると、アルドレットクロウが最高到達点である八十五階層へと到着した。だが赤い月を覆いつくす堕天使などの、光と闇属性両方を兼ね備えているモンスターの群れ。そしてそれらを支配下に置いているファレンリッチによって成すすべなく殺されて全滅へと至った。
今までは一度の戦闘で一体ほどの確率でしか出なかった光と闇属性の混合モンスター。それが八十五階層からは更に増える。そして中ボスであるファレンリッチも黒門前に出現し、光と闇属性を兼ね備えた強力な魔法攻撃を繰り出してくる。そのため光と闇属性に耐性のある装備がなければ突破は困難を極めるだろう。
ただアルドレットクロウはもう少し八十五階層の攻略を継続するらしかったので、気づく前に装備をある程度揃えておきたいところだ。といえ数日シルバービーストと八十三階層に潜って未だ宝箱ゼロなので、難しいところではあるが。
それと紅魔団のクランリーダーであるヴァイスが王都から帰還したが、その
そして案の定派遣されてきた騎士に無限の輪もオルビスについて説明を受け、ミナが虫系モンスターを操って第二のスタンピードを引き起こせる女王格の存在だということを知らされた。もし殺されそうになればミナは即座に女王個体として虫たちに王都や他の都市を襲撃する命令を下すそうだ。
ただ彼女自身は以前のように普通の生活がしたいようで、しかしその大きな力も無視出来ず身柄は迷宮都市が引き受けることとなった。基本的に外へ出る時はヴァイスが傍に付き、神のダンジョンなどに潜る時はバーベンベルク家が組んだ多重障壁の中に隔離するとのこと。
前回のスタンピードでミナはバーベンベルク家の障壁を破っていたが、事前に魔力と時間をかけて綿密に構築された多重障壁は破れないだろう。暴食竜の魔力砲をも上回る威力の攻撃をミナは放てず、かといって少しずつ割って脱走しようとしても障壁と感覚共有しているバーベンベルク家はすぐに気づくことが出来る。
「はぁーーー」
努はミナについての説明を終えて帰っていった騎士を見送った後に、長い溜息をついた。最近宝箱が出ないことにため息をつくことが多いが、今回のものはとても重い。洗濯物を持ってリビングに丁度入ってきた見習いの女性もびっくりしている。
王都がやっていることは問題を先延ばしにしているようにしか思えない。確かにミナを殺そうとすれば再びスタンピードは起こるのかもしれないが、今殺さなければ虫系モンスターは数を増やしていくだろう。王都で確かに犠牲者は出るかもしれないが、それでも増えないうちにやるべきだ。
(安寧の時がどうたらとか言い出してきた時は、嫌味が口から出そうになったよ)
だが王都にはしばらく
(アルドレットクロウは納得してるのかな)
前回のスタンピードで犠牲者を出したアルドレットクロウ。あのクランが直接殺害していないとはいえ、加担はしていたミナを許容するのかどうかわからない。無限の輪は結果として誰も死なずに済んだが、もしスタンピードでエイミーやガルムが死んでいたら努はどんな手を使ってもミナを殺そうと画策しただろう。
アルドレットクロウがミナを殺そうとして、無限の輪にも手を貸してほしいと頼まれた時。努個人としては正直殺す方に賛成で協力したいところだ。ただ実際に自分が戦うわけではないので、恐らく直接的な協力はしない。クランメンバーたちは出来るだけ危険に晒したくはないので、それ以外での協力をするだろう。
(これで意見割れたら、大分面倒くさいことになるぞ。纏められるのかなぁ……)
アルドレットクロウはクランメンバーがとても多いので、意識の統一は相当難しい。殺す側と殺さない側に意見が割れてもおかしくないし、これを機にクラン内で派閥が出来てしまうかもしれない。一度隔たりが出来てしまうとクランを改めて纏めるのは非常に難しい。ガチ勢とエンジョイ勢、ボイチャ勢とチャット勢が分離して解散したクランを努はいくつも知っている。そしてこの問題はそういったものより根深いものだ。
(九十階層までは何とか持ってほしいけど)
初見で突破を試みるのは出来るだけ百階層だけにしたいので、九十階層はアルドレットクロウへ先に譲りたい。なのでクランが崩れてしまうようなことにはなってほしくないなと、努は打算込みで心配していた。
▽▽
「ふざけるな! あんなことをしておいて、普通の暮らしがしたいだと!? 冗談も大概にしろ! 俺がぶっ殺してやる!」
「お、お待ち下さい」
「あぁ!? そもそもよ、てめぇら騎士様も気に食わねぇ! 迷宮都市に全部押し付けやがって! てめぇらはスタンピードの時、何してたんだボケが! 後ろでこそこそ魔道具弄ってただけじゃねぇか! いつも偉そうにふんぞり返ってる貴族と王族は何をしてくれたんだぁ!? あぁ!? 舐め腐りやがって!」
アルドレットクロウは努の予想通りミナのことで荒れていた。前回のスタンピードで死んだアルドレットクロウのクランメンバーは九人。数字だけで見れば少ない被害だが、身内からすればたまったものではない。
もし昔の探索者だったならば、賠償があれば許容は出来たかもしれない。だが神のダンジョンが出来て死ぬことがほとんどなくなったことにより、探索者は以前より死を許容出来なくなっていた。
「落ち着け」
そして怒りの矛先が騎士に向いたところで、元軍人であるビットマンが三軍のアタッカーであるゾングという男を止める。するとゾングは騎士が竦み上がるような目でジロリとビットマンを睨みつけた。
「……ビットマン。お前はあれを見過ごせっていうのか? そもそもあんな化け物が迷宮都市にいるだけで、安心して眠れもしねぇ。害虫は駆除するべきだと思わねぇか?」
「で、ですからそれでは」
「王都がモンスターに襲われるってか? はっ、んなもん知ったことかよ。今度は自分たちで何とかしやがれ。ヨーム、ミーシャ、ガイナ……。あいつらが死んで、あのクソガキがのうのうと生きてるなんざ我慢ならねぇ! そうだろ!? 俺だけじゃねぇはずだぜ! こう思ってるのはよ!」
叫び散らすゾングを見つめるクランメンバーたちの視線は様々だが、その意見に大多数の者が同意しているのは事実だ。スタンピードで死んだ人たちは上位軍にいたので、ほとんどの者が顔を知っていて、PTを組んで会話を交わしたこともあった。友人も多くいて、中にはその家族まで知っている付き合いの者もいる。
そして家族たちが悲しんでいる姿を実際に見ているゾングは、怒りを発散するように拳を鉄机へ叩き付けた。その鉄机は大きくへこんで軋んだ音を上げ、後ろにいた騎士は思わず腰を抜かしてしまう。
「あのクソガキを殺したところで虫のモンスターが来るだけだろ? 何をそんなに王都はビビってやがる。どっちもぶっ殺せば済む話だろうが」
「ゾング。恐らくあの少女は王都以外にも好きな場所にモンスターをけしかけられるのだろう。そうなれば今度こそ民衆から犠牲者が出ることになる」
「だから我慢しろってか? なぁ、ビットマン。お前だってあいつらとPTを組んだことはあるはずだ。同じ釜の飯を食って、杯だって何度も交わした。そんなあいつらが死んだんだぞ!?」
「探索者に死は付き物だ」
「それは昔の話だろうが! 今はそんな危険を冒す必要はねぇんだ!」
ゾングに胸ぐらを強く掴まれたビットマンは、それでも眉一つ動かさずに冷静だった。
「あの少女を殺したところで、死んだ者たちは戻らない。それどころか罪のない人たちがまた死ぬだけだ」
「……はっ。結局お前は騎士様の味方かよ。元軍人にしちゃあ、大した奴だと思ってたのによ」
腕っ節が強い昔ながらの探索者といった風貌のゾングは、失望したような目でビットマンから手を離した。そしてそんな言葉を返されたビットマンは少しだけ悲しそうな表情をした。
軍人から探索者に転向した時、ビットマンは昔から探索者だったゾングに絡まれた。それから何かと衝突するような時期が続いたが、一度PTを組んだ際にゾングはビットマンの実力を認めた。それから二人は徐々にPTを組むことになって、酒場で飲み合う気の知れた仲間になり、それでいて競い合うライバルのような関係になった。
だがその関係が今崩れてしまった気がして、ビットマンは悲しそうに眉を下げていた。するとその後ろからピンクの縦ロールをたゆつかせた女性が真っ向からゾングを見つめた。
「ゾング。ビットマンも仲間の死を悲しんでいることに変わりはありません。無駄な仲間割れをよして下さい」
「あぁ?」
「凄んでも無駄ですよ」
「……お前もそっち側かよ、ステファニー」
「えぇ。あの少女を殺しても悲しむ人が増えるだけでしょうから」
「てめぇ、どうやら情も捨てちまったようだな」
前の何処か気の弱そうな雰囲気は消え去り、今では氷の指揮者と言われるほどに冷めた態度を取るようになったステファニー。何故そうなったのかはほとんどのクランメンバーが把握していないが、もし昔の彼女ならば友人であり切磋琢磨し合う仲間であったミーシャの死を嘆いていたかもしれない。
「他の方は知りませんが、少なくともミーシャは誰かを犠牲にしてまで自分の仇を取ってほしいなどとは言わないでしょう。それにクランメンバー全員、悲しむ気持ちは同じです。それなのに先ほどからあっちだそっちだと、区別すること自体がおかしいことではありませんか?」
「……じゃあもし、スタンピードであのツトムが死んでたらお前はどうしたよ? やけに入れ込んでるみてぇだし、少しは仇を取りたいと思うんじゃねぇか?」
「おいっ……!」
クランメンバーの間でステファニーに対してのタブーとなっていたツトムの話題。それを振ったゾングを周りのクランメンバーは非難するような目で止めようとした。
ただ努がブルックリンの障壁に捕らえられた時にステファニーは目に見えて狼狽していた。その様子を現場で見ていたゾングは思わずそう尋ねると、彼女の後ろで回っていたスキルの群れが目に見えて回転を速めた。
「ツトム様がですか……。さぁ、どうなるか自分でも想像がつきませんね?」
「その澄ました顔も少しは変わるだろうさ」
「そうでしょうね。ですがあくまでそれは仮定。関係のないことです。結局このような場所で話していても、埒があきません。私はクランリーダーであるルークの決定に従いますし、もしその判断が気に入らないのならアルドレットクロウを脱退すればいいだけのことでは?」
「……ちっ」
平気で脱退という言葉を口にするステファニー、それも本気であることを知っているゾングは悪態をつく。実際ステファニーは努が窮地の時にすぐ動いてくれなかったことに怒り、一度本当にギルドへ脱退届けを出したからだ。ルークの説得と根回しで何とか脱退は取り消されたものの、上位軍の者たちはそのことを知っていた。
前はそこそこ経営の安定した大手クランという印象だったアルドレットクロウは、ここ半年で異様なまでに変わった。特に氷魔石で莫大な利益を得た時から全ての待遇が上がって、脱退という言葉を口にするのを躊躇するくらいにはなった。
特に上位軍ならば本当に何でも手に入るのではと錯覚するほどに待遇が良く、三軍のゾングでも今の立場を簡単に捨てられるほど欲がないわけではない。いくら敵討ちのためとはいえ、全てを捨てるまでの覚悟はなかった。
そしてこの後にルークが、アルドレットクロウはミナについて触れないという声明をクランメンバーたちの前で話した。それでクラン脱退までする者はいなかったが、クランメンバーたちの間で何処か溝が出来たことは間違いなかった。
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