第224話 エイミーの仕事

「随分と嫌な空気ですね」



 火竜のような鋭い目付きで落ち着きのない民衆を見ているリーレイアは、緑の長髪を風になびかせながら呟く。前線部隊と一緒に王都へ帰還した努たちを出迎えたのは、浮き足だった者たちばかりだった。


 カンチェルシア家の屋敷がオルビスに襲撃された事件。屋敷自体にそれほどの損傷はなかったものの、ブルックリンが作り上げた処刑部屋は崩壊し、彼女自身も重傷を負うことになった。専属の白魔道士によってすぐに回復されて無事ではあり、今は治療中で屋敷から出てきていない。そしてその事件は王都の民衆が騒ぐに値する出来事だった。


 この数百年強固な障壁魔法が有名で大貴族に位置していたバーベンベルク家、カンチェルシア家。その両方がこの一年にも満たない期間に続いて崩された異例の事態。安全な場所が何処にもないことの証明のようで、民衆たちは不安な気持ちでいっぱいだった。



(大丈夫かこれ)



 王が発令した文言でこれでも騒ぎは収まった方だと門番から聞かされたが、それでも神にすがる者が続出している民衆を見て努は胡散臭そうな顔をした。今オルビス教から降伏勧告でもくれば、喜んで応答するような雰囲気だ。



「レオン、君はまだ王都に到着していないメルチョーたちを捜索してくれ」

「あいよー」

「他の者たちの詳しい警備配置はこちらで考えておく。それまでは宿で待機だ」



 クリスティアに待機を命じられた無限の輪は、カンチェルシア家によって貸し切られている宿屋を拠点にすることになった。その宿屋は紅魔団やアルドレットクロウ、金色の調べなども拠点にしている場所である。


 そこへ向かう際に王都の街道を通るが、門付近同様に暗い雰囲気となっている。騎士がきちんと巡回しているのでまだ治安が悪化しているわけではないが、それでもガルムやゼノはいつものダンジョンのように警戒した様子で歩いていた。



「これだけ静かだと、いつもみたいに美味しそうには見えないんですね」

「そこかよ」



 元気のない屋台のおじさんを見てしみじみと呟くダリルに、努は若干和んで笑顔を見せた。そんな緊張感のないダリルに猫耳を全開に立てていたエイミーやおろおろとしていたコリナも、少し気が抜けたような顔をしている。ディニエルもそれに追従するように欠伸していた。



「お前は……」

「え? え?」

「まぁまぁ、ダリルはこれくらいが丁度いいよ。変に緊張されても困るし」



 既に王都へモンスターが入り込んでいたのは事実なので、そうガルムを宥めた努もすぐ戦闘に入れるような緊張は保っている。ただ以前の度が過ぎた緊張よりかは力も適度に抜けていて、自分でも丁度良いと思える緊張感を努は保てていた。


 そして無限の輪が宿屋に入るや否や、様々なスキルを自分の周りに回していた女性は目の色を変えて突撃してきた。



「ツトム様! よくご無事で!」

「え? あぁ、はい」



 無限の輪が前線部隊と決まった時から自身も前線に立候補していたステファニーは、心底安心した後に緑の気体を荒ぶらせた。久しぶりに帰ってきたご主人を見て喜ぶ犬のようにオーバーリアクションをしているステファニーに、努は首を傾げながら応対した。



(なんか、最近おかしいよな?)



 最近ステファニーが自分を見る目がだんだんおかしくなっていることに努はうっすら気づいていたが、正直こうなったきっかけについては覚えがない。なのであまり距離感を掴めないまま話を切り上げると、努は一度自室へと戻った。そして無限の輪の備品を管理しているオーリを自室に呼び出す。



「これが消費した備品の数と種類です」

「ありがとう。んー、この調子なら問題はなさそうですね」



 努は物流の中心ともいえる王都が崩壊した時のことを考え、物資については金に糸目をつけず事前に買い込んでいた。そのため無限の輪に関係する十三人分の物資は相当な量確保してある。もしスタンピードによって王都が占拠されて物の流れが止まっても、何年かは耐えられるだろう。


 その後も今後どういった事態が起きて、その時にどう備品を使っていくかをオーリと軽く話した。そしてしばらく話し込んだ後に努はアルドレットクロウのクランリーダーであるルークのところへ訪問した。



「冬将軍とマウントゴーレムの魔石が二個ずつあるんですが、よければ使いますか?」

「え!! いいのかい?」

「あの二つ召喚出来たら大分戦力上がりそうですしね。そちらでも既に集めているでしょうけど、もし足りなければ使って下さい。お代はスタンピードが終わって迷宮都市に帰ってからでいいので」

「ありがとう! 貴族に無色の魔石が大量に回されるからさ、丁度召喚コストが足りずに悩んでたんだ! これなら十分だよ!」



 アルドレットクロウにはルークを筆頭に、数人の高レベル召喚士が在籍している。努としても王都が占拠されるのは神のダンジョンの攻略的にも避けたいので、マウントゴーレムと冬将軍から出た魔石は戦力増強のためアルドレットクロウに渡した。


 他のクランとは前回のスタンピードを経てお互い邪魔にならない程度の連携は取れているので、レオンが帰ってきたら軽く打ち合わせする程度で問題はないだろう。



「あ、ツトムさん。エイミーさんがまた音楽隊と歌いに行ってくるそうです。僕も一緒に行ってきますね」

「ふーん。じゃあ僕も暇だし行こうかな。護衛よろしく」



 エイミーは暗い雰囲気を払拭するためにまた音楽隊と共演するそうで、今回は事前に周りへ伝えて護衛を頼んでいたようだ。クリスティアからの指示が来るまでは暇なので、努もダリルと一緒に見に行くことにした。



「な、なんか怖い、ですね」

「そうだね」



 しかしその広場に行ってみると集まっている民衆は皆暗い顔をしていて、とても盛り上がるとは思えない空気だった。


 エイミーはあくまで迷宮都市だけで有名な、いわば地方アイドルのようなものだ。なので王都ではそこまでの人気はなく、興味本位で広場に集まった者もエイミーのことを知らない者ばかりだった。オルビスの襲撃によって会場は氷点下のように冷え切っていて、エイミーを歓迎するような雰囲気ではない。



「どーも! 皆さん初めまして! エイミーです!」



 だが場慣れしたエイミーのトークと底抜けた明るさは、自然と人々を笑顔にさせる魅力があった。普段演奏でしか語らない音楽隊の珍しいトークで興味を引き、そして壮大な演奏にも負けないエイミーの歌声で、冷めた広場は段々と熱を帯びてきていた。


 普段音楽隊が演奏する曲は、どちらかというと目を閉じて聞くようなものが多い。だが今回は民族曲のように軽快なもので、その曲はアイドル気質のあるエイミーに合っていた。そして最後の曲が終わって音楽隊とエイミーがお辞儀し、共演会は幕を閉じた。



「アンコール! アンコール! エ・イ・ミー! エ・イ・ミー!」

「ノリノリかよ」



 エイミーファンのようにかけ声をかけているコリナに努は思わずそう突っ込むが、広場にいる者たちもそれに合わせてかけ声を上げ始める。そのアンコールのかけ声と同期するようにエイミーの猫耳は動き、長く指揮者を任されてきた壮年の男性は口角を上げて指揮棒を上げた。


 そして音楽隊はアンコールを受けてもう一曲奏で、エイミーも踊りを交えながら歌った後に今度こそ拍手で幕を閉じた。もはや自分も音楽隊の一部かのように混ざり込んでいたエイミーは、広場に集まっていた民衆に軽く声をかけた後に努たちの方へ近づいてきた。



「いぇーい」

「あの空気でよくやったね」

「へっへっへー。ひえっひえだったからね。ちょっと怖かったかな」



 流石に最初の冷え切った空気にはエイミーも堪えたのか、心底怖かったような動作をしている。確かに最初は酷く冷めた空気だったが、終わりだけ見れば割と盛り上がっていたので成功と言えるだろう。



「ツトム殿。彼女を貸し出してくれたこと、感謝する。予想以上の盛り上がりだった」

「あ、いえいえ。この子目立ちたがり屋なんで、こちらこそ共演させて頂いて感謝します」

「このっ、ていっ!」



 その言葉が気に入らなかったのか軽く背中を叩いてくるエイミーを無視しながら、努は音楽隊の指揮者である壮年の男に礼を言った。メルチョーと同じくらい年を取っている彼は、広場に集まっている民衆を見て穏やかな笑みを浮かべた。



「おかげで少しは民たちも明るくなれた。音楽隊の演奏と、彼女の活躍がなければなし得なかったことだ。ありがとう、エイミー殿」

「また機会があったらいつでも共演するよー?」

「頼もしい限りだ」



 がしっと握手してきたエイミーに指揮者は朗らかな顔で答える。そして少しエイミーと話した後、指揮者は改めて努の方にやってきた。その顔はエイミーと話していた時とは打って変わって暗かった。



「今回のスタンピードは、大丈夫なのだろうか……。相手は、元は人間だと聞く」

「どうでしょうね。不明な点が多いですし、今は何とも言えません」

「そうか……」



 指揮者の故郷は王都のため、ブルックリン・カンチェルシアの障壁が破られたことは心の底から不安なのだろう。努としてはどうでもいいことだが、彼の気持ちはある程度察せはする。努とてもし王都の民が同じ日本人だとなれば、見殺しにするのははばかられた。



「ただ、今までの動向からして相手に人間のような知性がある者は少ないでしょう。あくまでモンスターが中心です。人間の指示を聞くモンスターが相手だと仮定するのなら、戦力的には大丈夫ですよ。それにあちらにも何か目的があるみたいですしね」



 希望的観測ではない努の言葉に、最近暗いことばかり聞かされてきた指揮者はホッとしたような顔をした。



「……よかった。君にまで駄目だと言われたら、どうしようかと思っていた」

「いや、クリスティアさんもそこまで悲観的なことは言ってないでしょう」

「私は、他の誰でもない君に勇気を貰ったのだ。だから君の言葉は、信用出来る」



 暴食龍が障壁を破り音楽隊がパニックになる中、指揮者の彼はそれを立て直して支援を継続させた。だがそれが出来た一番の要因は、いち早く暴食龍に立ち向かっていった若い努の姿を見たからだった。



「……そこまで期待しないで下さいよ。僕は正直、ここにいる人たちがどうなろうと構わないと思ってますから」

「目的がどうあれ、君が王都を守ってくれることに変わりはない。期待している」

「……はー、わかりましたよ。では、ありがとうございました」



 何を言っても上手く返されそうな気配がしたので、努は観念したように会話を切り上げてダリルへ絡みにいった。そんな努の後ろ姿を指揮者は穏やかな顔で見送った。

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