第222話 エイミー伝授の
「はっ、はっ」
朝早くから重い鎧を着ながら走り込みをしていたガルムは、一番にセントリアの外周十周を終えた。気づけばちぎれていた他の者たちはまだ影も見えず、努に関しては周回遅れだった。
セントリアの警備も兼ねた走り込みを終えたガルムは、汗でびっしょりになった髪を掻き上げながらゆっくりと歩いて行く。疲れて無心になっていたガルムの内に湧いてきたのは、最後まで自分に食らい付いていたゼノであった。
(……いかんな)
いつもならば自分のペースを守って走るためここまで息は乱れないが、八周目まで付いてきたゼノを振り落としてやるという気持ちが出てしまった。だからこそ息がここまで乱れているので、ガルムは不機嫌そうに尻尾で地面を叩く。
冬将軍戦を経てから、ガルムはゼノのことを対抗馬として明確に意識するようになった。元々アイドル的な立ち位置にいるエイミーが気に食わないことから、ゼノに対しても最初はあまり良い印象抱いていなかった。
しかしゼノと話してみると大口は叩くがそれに見合った努力も垣間見えたので、一目置くようになった。そして弟子のダリルを通じて交流は深まり、クランメンバーとして一定の尊敬を持つようにはなっていた。
だが冬将軍戦でゼノの活躍を見てから、ガルムの心底には焦りが芽生えていた。見てくれがいいだけで狩りの実力はない血統書付きの犬が、気づけば健闘してリーダーに褒められている。そんな心境だったガルムは朝のランニングやダリルの教育など、何かとゼノに対抗するようになっていた。
だが先日ゼノと努の意見について軽い言い合いをした時そのことに気づかされたガルムは、自分を恥じた。今思えば気を張っていた努に対して声をかけた時も、何処か救いを求めていたのだろう。ヴァイスに言われた飼い犬という言葉も、あながち間違いではなかった。
(もっと、強くならねば)
シルフと契約して双波斬を強化していたエイミーしかり、魔流の拳を実用化させたハンナしかり、無限の輪のクランメンバーたちはどんどんと強くなってきている。ゼノに嫉妬して足を止めている場合ではない。更なる
「後でジュース奢って下さいね!」
「わかった、わかったよ」
二人は走っている最中に負けた方がジュースを奢る約束をしていたので、ダリルは疲れも見せずに意気揚々とゼノに要求している。それに比べて息も絶え絶えなゼノは勘弁してくれといった様子だ。そんな彼を見てガルムはムッとした顔で詰め寄った。
「あそこからダリルに捲られたのか」
「はっはっは、ダリル君の食欲を刺激したら、面白いかと思ってね。それで、この結果さ」
冬将軍戦の時とは打って変わって情けなく見えるゼノに、ガルムは複雑そうな顔をしている。そしてゼノはジュースを買いに走って行き、ダリルは汗を拭きながら障壁内に隔離されている者たちを同情的な目で見ていた。
「何か、怖いですね」
「……敵の正体は、ただの宗教団体だ。わかれば怖いものではない」
「でも、あのレオンさんが大怪我しましたし、結局逃げられちゃったんですよ?」
「モンスターには慈悲も信仰はないが、宗教団体はそれに縛られる。このスタンピードには思惑も混じっているだろう。だからこそ、今も人が死んでいない。単純に魔石を求めて暴れ回るモンスターよりかはマシだ」
きな臭いことは事実だが、それでも犯罪者クランを相手にしてきたガルムにとってはむしろ人間相手の方がやりやすい。そんな推測を話すガルムを頼もしげに見上げているダリルの後ろからは、続々とクランメンバーたちがゴールしてきた。
「お疲れ様です。ゼノはどちらへ?」
「飲み物を買いに行っている」
「あぁ、ということは負けたのですね。あれだけ啖呵を切っておいて、情けない人です」
くすくすと不敵な笑みを浮かべているリーレイアに、ガルムは先ほどと同じように複雑そうな顔をしている。ここ最近リーレイアは何処か憑きものが取れたように変わり、前の妙に格式張った態度は取らなくなった。何やら努に部屋へ呼ばれてから変わったようだが、良い変化ではある。
たまに本音をポロッと言うようになったおかげか、最近はエイミーやコリナ、ハンナやダリルとも気楽に会話するようになっている。ハンナはツトムによる被害者が増えたとコリナの時同様に嘆いているようだが、それでも仲良くはしているようだ。
「あ゛~! づがれだっす~」
「だが、以前よりは体力も付いただろう」
「そうっすね! ガルムさんには及ばないっすけど!」
元々は村出身で小さい頃から外を走り回っていたハンナは、アタッカーにしては体力のある方であった。だがジョブは拳闘士でVITは低く、体力の補正がないハンナはタンク職には劣る。それに加えて避けタンクという役割は多くの体力を使うため、よくスタミナ切れを起こしている。
そんなハンナは太陽のような笑みを浮かべながら精一杯見上げてきている。まるで子供と大人のような体格差であるが、ガルムはマウントゴーレム戦での活躍を見てからハンナを立派なタンクとして見ていた。
(もう少し落ち着きがあれば、もっといいのだがな)
ただガルムから見るとハンナは最近魔流の拳ばかり練習したりと、自分の好きなことを優先して行動してしまうという欠点が目立ち始めていた。避けタンクという役割はまだその立ち位置を確立しておらず、磨ける技術は山ほどある。だがハンナは魔流の拳という新しい技術を習得しようとしている。
ガルムはそのことを勿体ないと思ってやんわりと指摘しては見たが、その小さな外見とは裏腹にハンナは頑固である。元々周りから止められたにもかかわらずアタッカーからタンクに転向しているような者であり、ツトムからもハンナは衝動的で一度走り始めたら止まらない暴走列車と称されていた。
(あまり我が儘を言わなければいいが)
そんなハンナは最近困っているセントリアの人々を甲斐甲斐しく助けているところが見受けられる。全員家族のような村で暮らしていただけあってハンナは心優しく、困っている人がいれば率先して手伝うような者だ。
それに対して努はというと、優しいとは言えない。敵対する者には容赦がなく、自分に関係ない者に対しては無関心である。王都に召集された時もディニエルと同じような反応を示し、避難民を恐ろしく冷めた目で見ていたとゼノからも聞かされている。
(身内には優しいのだがな……)
確かに冷めた面が目立つが、それでも交流のある者に対してツトムは優しい。無限の輪だけでなく白魔道士の弟子たちやシルバービーストなどにも未だに顔を出しているし、ポーションについてはオーリに仕入れを任せず森の薬屋のお婆さんと直接やり取りしているほどだ。幸運者騒動の際に自分を信じてくれたお婆さんへの恩を、ツトムは未だに忘れていないのだ。
(神のダンジョンだけでなく、もう少し外に連れ出してやるべきだったか……)
そんなことをしみじみと思っていたガルムは、丁度早歩き程度の速さで走っている努を見つけた。
「あと二周か……」
「頑張れ」
既に二回ガルムに抜かされていた努はげんなりとした顔をして、ガルムは軽く背中を押して励ました。
▽▽
「具合はどうですか?」
「あぁ、バッチリだ」
二日かけて再生された腕の具合を確認するようにぐるぐると回したレオンは、専門の白魔道士に笑顔を返す。この二日間ヒールを使った治療過程を見ていた努と付いてきていたエイミーも、少し感動した様子である。
「参考になりました。見学を許可して下さってありがとうございます」
「お安い御用さ。少しでも君の力になれたのなら、よかった」
前回のスタンピードで暴食龍に怯えることなく怪我をした民や探索者の治療をしていた壮年の男は、にっこりとした笑みを浮かべて努と握手した。そんな努の横からエイミーがにゅっと顔を出す。
「ツトムは医者になりたいの?」
「ヒーラーだから治療技術を磨いてるだけだよ」
「医者になったらわたしの診療代、ただでお願いね!」
「それが目的か……」
診療の必要性が全く感じないエイミーに、努は拍子抜けしたような顔をした。
回復スキル自体は努も専門の白魔道士たちと同じだが、やはり毎日のように患者を回復させているだけあって彼らの手際は良かった。それに治療への知識もあるためか、スキルの回復力も普通の白魔道士より高い。
努も身体構造の知識なら日本の一般教養程度にはあるため、回復スキルには補正が付いている。それでも安易に治してはいけないものも中にはあるため、完璧な治療という面に関しては専門の白魔道士たちの方が上である。
その後努が専門の白魔道士たちと軽く話していると、エイミーがちょいちょいと裾を引っ張ってきた。努が振り向くとエイミーは奥さんでも呼ぶように手招きをし、ある場所を指差した、
「あれは、墜ちたってやつだよね?」
「あの人何処でも堕としてるな」
レオンに治った左手で頭を撫でられて頬を染めている女騎士を見て、努は若干呆れた後に白魔道士たちへお礼を言って治療室を後にした。
そして自分の後ろをるんるん気分で付いてくるエイミーに努は振り向くと、一つ聞いた。
「昨日、エイミーが広場で歌ってたって聞いたけど」
「あー、うん。モンスターの襲撃があって、結構空気が沈んでたじゃん? だから音楽隊の演奏会に便乗しちゃったんだよね」
昨日の夜に大きな広場でエイミーが音楽隊と共に歌って踊っていたことを、努はコリナから聞かされていた。エイミーは照れ臭そうに身体をすくめながら、頭に手を当てた。
「ツトム、後ろの方にいたでしょ?」
「……よく見えたね」
「そりゃー、わかりますよ。わかりますとも」
念のためダリルとアーミラを連れて努もエイミーの様子を見に行っていたが、まさかバレているとは思っていなかった。鼻高々に薄い胸を張っているエイミーを努は白い目で見た。
「別にやるのは構わないけど、一言くらいは言ってよ。モンスターが潜んでるかもしれないんだから」
「ん~? いつもは全然何も言わないのに、ここでは心配してくれるんだね~。ならもっと色々やろうかな~」
「調子に乗るなよ」
「あいたたたっ。ごめん~。もう勝手にはしないよ~」
持っている杖で頭をぐりぐりすると、エイミーは楽しそうに笑いながら押し返してくる。とはいえその広場には警備している者も多くいたことは確認しているため、努はすぐに杖を離した。
「まぁ、迷宮制覇隊が警備してたみたいだしね。少し大袈裟かもしれないけど、でも今度からはタンクとアタッカーの誰かは連れていってね」
「うん。わかったよ。で、どうだった?」
「ん?」
「わたしの歌、どうだった?」
「上手かったよ。流石は迷宮都市でアイドルやってるだけはあるね」
「でしょ~?」
この世界の歌や踊りについて努は全く知らなかったが、それでも音楽隊の演奏に合わせたエイミーの歌声には観衆たちも魅了されているように見えた。褒められたエイミーはにんまりとした後、何か思いついたのか急に悪そうな顔をした。
「ツトム~。あれ、わたしボランティアでやったんだ。だから音楽隊からギャラとか貰ってないんだよね~」
「へー、偉いね」
「だから……ツトムがギャラちょうだい!」
「何でだよ。まぁいいけど」
随分と理不尽な要求だが、エイミーのスポンサーから無限の輪には大量に高価な物が送られている。それに一部のお金は寄付という形で貰っているので、別に百万Gポンと渡しても問題はない。努がギャラを用意しようとマジックバッグを漁っていると、彼女はその手を握った。
「そうじゃないよ。ほら、さっきの見た手前だし、ちょっと撫でてみてくれない?」
「随分と安いギャラだね」
「だってもうお金そんないらないし……」
「だろうね」
エイミーはクランメンバーの中で最もお金を稼いでいるため、本当にいらないのだろう。なので努も何か珍品をやろうかとマジックバッグを漁っていたのだが、その手をおずおずとエイミーの頭に置いた。
「んふー、あ、もうちょっと後ろ。そうそう、そこから横にさーってかんじで。あ、いいねこれ! あとぽんぽんってして!」
(めちゃくちゃ要求してくるな)
事細やかに撫で方を指示してくるエイミーに努は苦笑いしながら、要求通りに手を動かす。エイミーの白髪はさらさらとしていて触り心地はよく、ほんのり良い匂いもする。
「ありがと~。満足したよ!」
(最後になるかもしれないし……)
しばらく撫で繰り回しているとエイミーは満足したような顔で見上げてきた。ただ数日前にアーミラから言われたことを思い出した努は、せっかくなので両手でエイミーの猫耳をそっと掴んだ。
「にゃっ!?」
「あ、ごめん」
「でも手は止めないんだね!?」
頭の上にある猫耳に触れられたエイミーは驚いたような声を上げたが、努は謝りながらも手は止めなかった。ふにふにとした猫耳を指の間で挟んだりしている努を、エイミーはどきどきした様子で見上げている。
「ど、どうしたの? ツトム? 今日はすごい積極的だね」
「まぁ、せっかくだしね。じゃあ僕も満足したし、帰ろうか」
そう意味深な顔で言って頭から手を離した努は、いつもより大人しくなったエイミーと一緒にクランメンバーたちが泊まっている宿屋へ帰った。
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