第221話 腕一本

 ミナの背中を突き破って出てきたものは、蜘蛛のような節足だった。更に左手を覆う白い糸からして、レオンは目の前の少女が蜘蛛系のモンスターであると推測した。



(よりにもよってだな、ったく!)



 金狼人という身体能力に優れた種族、それに金色の加護というユニークスキルまで習得していたレオンが神のダンジョンで初めて殺された相手は、沼階層主である女王蜘蛛クイーンスパイダーであった。


 その当時からレオンはAGIがずば抜けていたが、女王蜘蛛の巣がある場所ではその素早さが封じられてしまった。そして蜘蛛糸に捕まってしまった後は為す術もなく拘束されたまま、毒牙にかかって死亡した。



「らあっ!」



 そんな当時のことを思い出して顔を青ざめさせたレオンの行動は迅速だった。空いている右手で剣を取り、蜘蛛糸で白く染まった左腕を脇の下から両断する。するとミナは突然軽くなった左腕だけを持ち、体勢を崩した。



「えぇ!?」



 自身の左腕を躊躇なく切り落としたレオンに、ミナは驚いたような声を上げながら地面を滑る。そして安全圏まで距離を取ったレオンは自身の左腕があった場所を見ると、痛みを思い出したかのように顔を歪めて涙を浮かべた。



「いってぇ!」



 だが死んでも生き返る神のダンジョンの最前線で戦ってきたレオンならば、部位を欠損する状況も経験している。左腕がなくなったことによって平衡感覚はおかしくなっているが、それでもレオンは背筋を伸ばして右手をミナに向けた。



「お嬢ちゃーん。俺の左腕返してくれ~」

「……いみわかんない」



 左腕を失ったにもかかわらず釣り銭でも要求しているような様子のレオンに、ミナは困惑したような顔をしている。だが首をふるふると振った後に背中から生えている節足を地面に突き刺し、そのまま身体を浮かび上がらせてレオンを追いかける。


 だが自由に動けるレオンを捉えられる者は、ほとんど存在しない。ミナは近づきながら蜘蛛の糸を固めてレオンを捉えようとしているが、全て避けられている。



「なんでにげるの? ミナと一緒にきて?」

「デートのお誘いは、もう少し落ち着いてするもんだぜ。そもそもだ、お嬢ちゃんはなんだ? モンスターにしちゃあ、随分と可愛らしい顔してるな」

「……女の人のいうことはなんでもきくって、神台でいってたのに。うそつき」

「嫁の言うことは、の間違いじゃねぇか、っと!」



 そんなお喋りをしながらレオンは目にも止まらぬ速さで背後に回り込み、剣を振り下ろしてミナの背中から出ている節足を断ち切ろうとした。だが節足は鋼鉄のように固く歯が立たない。ミナが不快そうな声を上げながら節足を振り回すと、レオンはすぐに範囲外へ逃れた。



「かってぇな。斬れる気がしねぇ」

「効かないよ。うそつきのこうげきなんて」

「そいつは良かった。可愛い女の子を痛がらせるのは心苦しいんでね」

「……いたいっ!?」



 レオンの言葉に少し照れたようにしていたミナの頭部に、力強い矢が飛来して食らい付くように着弾した。その矢は弾かれたがミナは痛そうに頭を押さえている。


 騎士の報告を受けて飛んできたクリスティアは、暴食龍の素材で作られた禍々しい弓に矢を番えている。他にも迷宮制覇隊のクランメンバーを中心に続々と援軍が到着した。



「多分蜘蛛系のモンスターだ! あと障壁壊せるくらいに力が強ぇ! 近づかねぇ方がいい!」



 レオンはミナから目を離さずに援軍たちへ警告する。そしてどんどんと増えていく人を見て不利を悟ったミナは、悔しそうに歯を食いしばりながら撤退を選んだようだった。地団駄を踏むように節足を素早く動かし、宙づりのような格好で障壁の方へ走っていく。



「逃がすな」

「俺の腕もな!」



 クリスティアは背を向けて逃げるミナに矢を放ち、レオンも必死になって腕を取り返そうと斬りかかる。腕があるのとないのとでは治療時間に大分差があるため、流石に女の子の見た目をした相手だろうと容赦はしていないようである。


 だがクリスティアの放った矢ですら少し痛い程度で済むほど、ミナの硬度は異常だった。他にもスキルを使った攻撃なども当てられているが、まるで止まる気配がない。


 そしてセントリアを囲む障壁へ辿り着いたミナは、真っ黒に変色した手をすぼめた。そのまま先ほどのように障壁へ突き入れたが、その手は貫通しない。



「なんでっ!?」



 ミナは焦ったように何度も手を突き入れているが、あちら側まで通らない。障壁自体は割れているのだが、その場所だけ障壁は一枚でなく何枚も重ねがけされていた。


 障壁と感覚を共有させているバーベンベルク家当主は、先ほどミナに破られたことを既に察知している。そしてセントリアで一番高い建物から望遠鏡で戦況を把握していた彼は、ミナの逃げる方向にある障壁を厚めに再構築していた。


 障壁自体は壊せてはいるがどんどんと再構築されていき、ミナは足止めされている。その隙に迷宮制覇隊は彼女に追いつき、一定の距離を保ちながら遠距離攻撃を放ち続けた。


 その中でもクリスティアの放つ矢は妖気を発している弓も相まって、ミナに通っているようだった。そして遂にミナの腕や足に傷が付き、その場所に他の攻撃も通るようになる。その場所を狙って他の黒魔道士なども火系統のスキルを次々と放っていく。



「やめてぇぇ!! あついよぉぉ!!」



 炎が立ち巻いている中でミナの悲痛な声が響き、幾人かは攻撃の手を止めてしまう。クリスティアは少女の傷ついた腕へ容赦なく矢を放ちながら、手を止めた者たちに声をかけた。



「攻撃の手を止めるな」

「で、ですが……あれは、もしかすると人では……?」

「人ならば、とっくに死んでいる。あれはモンスターだ。躊躇するな」



 傷の付いた場所から炎が浸食し、肌が焼き爛れているミナは泣き喚きながら未だに障壁を削り続けている。そんな様子を再確認した者たちは、振り切るように杖をミナに向けた。



「もぉぉぉぉ!!」



 だが再構築され続けていた障壁も何百枚と割られて尽きてしまい、ボロボロになったミナはセントリアの外へ出てしまった。外に出たミナに放たれたスキルでの追撃は、地面から溢れるように出てきた虫系のモンスターによって防がれる。彼女はその間に空いた地面の中へ飛び込んだ。


 そして穴から続々と出てくるモンスターたちを処理し終えた頃には、もうミナの姿はなかった。



 ▽▽



「ま、そんなところだ」

「なるほど」



 白魔道士の医者たちが集まる治療室で、腕の治療を受けているレオンに事の顛末を聞かされた努は頷いた。今もレオンの左腕はないが、およそ二日かければ新たな腕を再生させることは出来るらしい。



「すまなかった」

「いや、だからそれはもういいって。責めるつもりはねぇし、仕方ねぇことさ」



 ちなみに人間の見かけをしたモンスターと相対した時、レオンと会話していた女騎士は彼の腕が無くなってしまったことに責任を感じているようだった。そのため今もレオンの側に付いていて、努は若干白い目でレオンを見ていた。



「それじゃ、お大事にどうぞ。とはいえ治療過程は見学するので、また来ますけど」

「あぁ、さんきゅー」



 腕を一から再生させる白魔道士たちについては興味があったので、努はこの二日間はレオンの治療風景を観察することにしていた。だが今は女騎士から無言の圧力を感じたので、レオンから情報を手短に聞くとその場から立ち去った。


 今回レオンを攫おうとしたミナと名乗る少女は、クリスティアから聞くところによると迷宮都市にあるオルビス教という宗教団体に属していた者だという。その少女については努も記憶には残っている。暴食龍の攻撃で死んだ民間人の中でも数少ない生き残りで、母の首を持って蘇生をせがんでいた女の子だ。



(オルビス教……ってことは異世界人ではないのかな。いやでも、まだ可能性はあるか?)



 スタンピードの指揮者については人間だとすれば、努は自分と同じ立場である人――つまりは異世界人という可能性もあると考えていた。だがダンジョンの封鎖を目的とする宗教団体が見えてきたので、努は内心首を傾げていた。


 それと今回セントリアの外に湧いて出た虫系のモンスターは、魔石を採取するために解体された。だが肝心の魔石についてはバーベンベルク家当主曰く、魔力が抜けていて使い物にならないとのことだった。幸い王都には魔石の備蓄が相当な量あるので問題にはならないだろうが、セントリアでの籠城については怪しくなった。


 魔石はバーベンベルク家の障壁だけでなく、生活に使う魔道具にも使うため消費は激しい。なのでモンスターから魔石が得られないとなると、供給源が制限される。


 今のところセントリアへ持ち込まれている魔石も十分にあるため、今すぐに困るわけではない。だがもうスタンピードの情報についてはある程度得られたため、王都に撤退してもいい頃合いだろう。


 そしてその翌日にはセントリアに在駐している代表者が集められ、昨日の出来事やオルビス教について話された。そしてクリスティアは今後の行動について話し出した。



「恐らくスタンピードを操っている者は、オルビス教の関係者だろう。その動きからして、もう王都にも忍び込んでいる可能性が高い。そのため一度レオンを王都へ偵察に出し、状況を確認したい。少なくともそれまではセントリアに残る」

「あくまで予想ですけど、まだ南から避難民は来るでしょう。それについてはどう対応するんですか?」

「避難民はもう受け入れない。だが可能ならばセントリア以外の都市を確保し、そこに移したい。今回受け入れた避難民もそこに移動させる予定だ」



 クリスティアはセントリアの近くにある三つの都市を指差し、そのいずれかを確保する算段のようだった。バーベンベルク家や騎士たちは賛成を示し、努も真顔で頷いた。



「しかし王都が痛手を負えば補給先を失う。モンスターの魔石が使用出来ないことからして、それは危うい。レオンからの情報が入り次第、王都の安全を確保することは必須だ。避難民を入れる都市の確保は、可能ならばでいい」



 今回のスタンピードのモンスターから取れる魔石が使用出来ないものならば、補給先に困ることになる。魔石がなければ貴族の魔法が機能しなくなり、人々の生活も成り立たなくなる。そのため多くの魔石を貯蔵している王都の確保は絶対にしなければいけない。


 その行動方針を確認して異議がないか確認したクリスティアは、すぐに解散させて全員を持ち場に戻させた。

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